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ソティラス (後編)  作者: 明智 倫礼
3/15

心の支え

 なまめかしいサックスの音が、シックな空間に彩りを添える。うっとりするようなスィングのリズムが揺らめき、少し神経質なピアノの音色が宙を舞う。


 ジャズに乗せられ、落ち着いた焦げ茶色のテーブルには、ほんわり光の花が円を描く。立派な一枚板のカウンター席には、若い男女のカップルが視線を絡ませながら、グラスを傾けている。


 その奥には、黒いタキシードを着たバーテンダーが、シャイカーでシャカシャカと何とも心地よいリズムを刻んでいた。居心地が良く、落ち着きあるバー。だったが……突然、


「きゃあ〜〜!!」


 黄色い声が上がった。フロア奥の大人数用のソファーで、イサナが女の子をはべらせていた。両脇の女の子に両腕を回しているわけでもなく、彼は中央に普通に座っている。いつもの彼らしく、ニコニコしているが、決してよこしまな気持ちなど微塵も持っていない。彼女たちの年齢も職業もバラバラのようだ。


 しかも、ここに来るまでにイサナは誰かに話しかけなかったが、十人近くの人間がついてきてしまった。ここまで来ると、彼の体質も少々問題あり。だが、彼はこの店の常連客の女性に用があってきたのだ。彼女は今この中にいる。逃すわけにはいかなかった。


 そんなそぶりを一ミリたりとも見せないイサナは、天使の笑みで、


「今日は私の妹の誕生日ですから、みなさん、たくさん飲んでくださいね〜」


 この店で一番高いボトルを開けた。


「は〜い♡」


 また黄色い声援が上がる。次から次へと酒が運ばれ、しばらくすると、女の子たちはいい具合で酔っ払ってきた。


 イサナはこの時を待っていた。妹の誕生日はおろか、彼に兄妹きょうだいはいない。向こうから寄って来るのだから、もともと警戒心などないようなものだが、慎重には慎重を重ね、ほろ酔い気分の頃合いを狙って、策略家は尋問を開始。例の紙をポケットから取り出し、先日、チラシを渡してきた女の子に見せて、


「こちらのことが、少し気になりましてね……」


 語尾をわざと濁した。頬が上気している女の子は、イサナの読みの通り、上機嫌で喋り出した。


「スタヴロス教で〜す! イサナ様♡」


 突破口を見つけたイサナは、さらなる質問を投げかける。


「あなたは入信しているのですか〜?」


 女の子はちょっと考える仕草をして、


「んー? 私はしてないけど〜、ママがやってるみたい」

「…………」


 イサナは何も言わず、先を促した。こうすると、不思議なことに、相手はどんどん重要なことを喋り出すのだ。この女の子も例外ではなく、急にさみしげな顔になり、


「パパは軍人だったけど……死んじゃった……。ママは頼る人がいなくなって、寂しがったんじゃないかな?」

「こちらは、お母様から、渡されたんですか?」


 女の子は首を横に振って、


「ううん、違う。店によく来る〜軍人さんにもらったの〜。心が病んでる人は、ここに来るといいよ〜って言われた〜」


 隣に座っていた別の女の子が、どーんとぶつかってきて、


「あぁ! それ、知ってる〜!!」


 大きな声だったので、他の女の子たちも顔を向けた。


「あ、私も知ってる〜!」

「友達がやってる〜」

「私もそう! 友達が入ってる〜」


 集まっていた十人近くの彼女たちは、次々に知っていると声を上げた。


「そうなのですね〜」


 イサナは当たり障りない言葉で、ニッコリうなずいたが、頭の中では違うことを考えていた。かなり広がっている宗教なのに、皇室関係者が誰も知らない。彼はテーブルに置かれたチラシに視線を落とした。しかも、これを渡してきたのは、軍関係者。末端の兵士であったとしても、軍事国家としては、不穏分子になりかねない。


 カンラ戦争の勃発の末、人々が心の拠り所とした場所。自分たちが知らないだけで、かなりの大きな組織になっているのではないかと、イサナは睨んだ。彼はグラスを傾け、自分の考えすぎであれば良いがと願った。


 ここまで、誰もイサナのしていること、考えていることに気づく者はいなかった。彼は天使の笑みで、


「さぁ、みなさ〜ん! たくさん飲んでくださいね〜」

「はーい♡」


 彼の勧めに、黄色い声が応えた。彼は近くのテーブルで飲んでいる軍人たちをチラッと見て、ドライマティーニをくいっとあおった。その時、店がガタガタを揺れ始めた。


「きゃあ〜、怖い!!」


 女の子たちは叫びつつ、イサナに飛びつく。彼のまなざしは真剣そのものだった。

 

  ★ ★ ★


 中心街から、三百キロほど離れた荒野へ、ロイエールは部下を数十名連れてきていた。昨夜の地震の調査だ。あちこちぱっくりと口を開けている地割れを眺めては、別のところも確認するを繰り返しているロイエールは、昨夜、深夜過ぎの緊急軍議を思い返していた。


 ユライの調べたデータでは、この惑星で地震が起きることは、過去に一度もなかったという。以前の地殻を調べたところでは、地震の要因となるものは発見されなかった。それなのに、地震は起きた。


 ロイエールは地面から視線を上げ、遠く地平線を眺める。ギセンガンたち、捜索隊は出発を早められ、明日、極秘でこの地を発つこととなった。


 ロイエールは思いふける。カンラの乱用により、惑星シュジュが異常を来たし、地震や噴火が繰り返し起こり、そして、自分たちの目の前で、惑星は粉々に砕け散った。


「あの時とーー」


 その時、少し離れた場所で調査していた部下が、


「大佐、こちらへいらして下さい!」


 ロイエールはつかつかと足早に、呼ばれた場所へ向かった。


「ご覧ください」


 部下に言われるがまま、地割れを覗き込むと、それはかなり深いものだった。はるか遠くに、濃いオレンジ色をしたマグマが顔を出していた。部下は不安で、唇が震える。


「これは……もしかしたら、以前と同じ……」


 上に立つ者が動揺すれば、下の者たちは浮き足立つ。ロイエールは平常心を装って、


「他にも、見える場所があるか調べろ」

「はっ!」


 部下は恐怖心を振り払い、任務を思い出し、他の場所へ走っていった。


 ロイエールは再び、荒野を眺め、風に吹かれていたが、彼の心の不安を消すことはできなかった。


  ★ ★ ★


 ギセンガンたち、捜索隊が出発してから、十日に一度の割合で、遠方での大地震は起こっていた。その度、ロイエールは調査へと赴き、休暇を取ることもままならなかった。


 約一ヶ月後、ロイエールは時間がやっと空き、父の見舞いのため、アンダル地区を訪れていた。以前と何も変わっていなかった。残念ながら、父の容体も、医療機器も。だが、ひとつだけ変化があった。担当医師が変わっていたのである。新しくなった医師の話では、約一ヶ月ほど前、急な研修が入り、治療するのが出来なくなったそうだ。連絡も取れないという。


 ずいぶん、突然だと思いながら、ロイエールは目を閉じたままの父を見つめる。医師は、


「容体は安定しています」


 ロイエールは目だけでうなずくと、医師は別の病室へ向かっていった。ピピピッっと、無線機が鳴った。深刻とはほど遠い声が流れてきた。


「ロイエール〜?」


 イサナからだ。病院という場所に似つかわしくない声に、ロイエールは眉をひそめながら、


「何だ?」

「今夜、皇子の部屋で、久しぶりに、皆さんで飲みませんか〜?」


 ロイエールはやっと休みが取れ、自宅でゆっくり過ごそうとしていた。断ろうとする前に、イサナが先手を打った。


「ユライから、お知らせがあるそうです〜」


 ロイエールの顔色が変わった。イサナと違って、ユライが話しがるという時は、必ずといっていいほど、重要な内容だ。


「わかった、行く」

「八時ですよ〜」


 のーてんきな声を最後に、無線は切れた。


  ★ ★ ★

 窓の外の闇に、街明かりがぽつぽつと浮かんでいる。マホガニーのテーブルを囲んでいる四人の男たちは、一人を除いて、深刻な顔をつき合わせていた。長い沈黙を、ヤシュの前に置かれたジントニックの中の氷がカランといって破った。それをきっかけに、ロイエールは低く唸る。


「……それはありえん」


 ロイエールとは対照的に、イサナののんびりした明るい声が、


「ですが、ユライの話では、カンラの使用の疑いがあるそうですよ〜」


 ヤシュはグラスを傾け、


「この惑星上陸時に、全員カンラ所持についてはチェックし、持っていた者からは没収したはずだが……」


 ユライはPCをパチパチと鳴らしながら、


「漏れていたということもあり得る」


 上陸時の軍のデータを調べている。イサナはニコニコしながら、


「そうかもしれませんね〜」


 長い付き合いのイサナを、ヤシュはまっすぐ見つめて、


「お前、何か隠しているであろう?」

「おや? バレてしまいましたか〜」


 おどけてみせたイサナに、イラっとしたユライは手を止めて、射殺しそうな眼光を、ニコニコ天使へ。


「貴様! PCを接続して、頭の中、全部のぞいてやる!」

「ユライは怖いですね〜」


 イサナは微笑みながら、悪魔のようなことを言う。

「オラクティ化は、八年前に禁止されましたよ〜。たとえ、ユライ様であっても、死刑は免れませんよ〜。うふふふ♡」


 オラクティ化とは、軍事面から、人とコンピュータを接続し、高い戦闘能力を引き出すという活気的な案であったが、人権の問題で今は禁止されている。


「…………」


 ユライは言葉に詰まり、イサナを睨み返した。イサナは女の子に聞いた日から、ずっと持ち歩いていたチラシを、マホガニーのテーブルに出した。


「スタヴロス教だそうです〜」


 ヤシュ、ユライ、ロイエールは声をそろえて、


「スタボロス教?」

「軍の方からいただいたものだそうですよ〜」


 イサナは紙を取り上げ、ひらひらと宙で揺らした。教育の行き届いているアジュラ帝国では、その名を知らない者はいない。全員がスタヴロス教の歴史を紐解いた。


  ★ ★ ★


 アジュラ帝国の前身。約五千年前。スタヴロスという部族は農業で生計を立てていた。天候は神の領分だと信じており、シャーマンが祭事などを取り仕切っていた。


 それから、二千年ほどの時が過ぎ、シャーマンのおさが教皇となり、アジュラ宗国しゅうこくが誕生する。


 二千八百年ごろ。二十代目、教皇、ミサノ アレドラは領地拡大のため、他国への侵略を開始。負けた敵国の人々は奴隷にされ、農地で強制労働を強いられ始める。農地拡大が広まる中、過酷な日々を送っていた奴隷たちは隠れて、各々の崇拝していた神に救いを求めた。そのうち、奴隷となった部族の神々は入り乱れ、元の形態は薄れ、独自の進化を遂げる。そうして、スタヴロス教が誕生。


 二千六百七十年、七月。スタヴロス教によって、団結力を持った奴隷たちは、解放運動を各地で起こし、アジュラ教会などが襲われる事件が多発。教皇はスタヴロス教を悪とみなし、多くの信者が処刑された。それを、免れた人々は強制的にアジュラ宗教に改宗させられた。


 二千六百六十八年前。広くなり過ぎた領地を確実に管理するため、区画整備をし、それぞれの地域に領主を置く、植民地統治制度が施行された。農業に適した土地と、そうでない土地の領主には、貧富の差が生まれた。貧しい領主は、裕福な領主に統一され、貴族となり、平民と領主の間に、新たな階級が生まれた。


 人の欲望というものには際限がない。より良い土地を巡って、領主同士の争いやいざこざが各地で起こり始めた。多くの奴隷や平民が戦いに駆り出され、多数の犠牲者が出た。農業で経済が成り立たなくなったが、教皇はすでに統制力を失っており、アジュラ宗国は悪化の一途をたどる。


 二千四百十三年前。争いばかりの日々。平穏は夢のまた夢。そんなアジュラ宗国に救世主が現れた。シュダリュエの領主、キュイ マリダナ。現皇帝の祖先である。彼は領主たちをまとめ上げ、教皇を倒し、再び平和な暮らしを人々に取り戻した。


 ここから、第二スタヴロス教時代の幕開けだ。人々は、キュイ マリダナをスタヴロス教の救世主として崇め、彼は教皇となった。


 二千三百六十五年前。マリダナは独立推進令を発令し、領地は再び区画整備され、各々の独立した国となった。


 約一千年前。このころから、新生帝国時代が始まる。農業以外の産業や、科学などが発展し、人々の心から神を崇める心が薄れ始め、教皇は皇帝へと変わり、今のアジュラ帝国が誕生した。


  ★ ★ ★


「スタヴロス教の再来……」


 ヤシュは物憂げに窓の外に目をやった。カンラ戦争の中、人々の心を支えたのは、二千七百年前と同じ、宗教だった。


「人とは弱いものですね〜」


 イサナは珍しく真面目な顔をしていた。ユライとロイエールはイサナの言葉に、今回は反論しなかった。PCを前にして、肘をついていたユライは、


「軍から、そのチラシをもらったとなると……」


 腕組みしていたロイエールが低い声で、


「政府内部にまで入り込んでいる」


 国の中枢部にまで広がっているということだ。だが、スタヴロスのスの字も、この四人は知らなかった。ヤシュは軽くため息をつき、


「何故、今まで、私たちの耳に入ってこなかったのか……」


 イサナは嬉しそうに指摘する。


「何かやましいところが、あるからかもしれませんね〜」


 ユライはイサナに、鋭い視線を送り、PCのキーボードをパチパチと打ち出した。膨大なデータを慣れた感じで、読み取ってゆく。しばらくして、口を開いた。


「カンラが漏れた記録はない」


 総人口数と、カンラ所持のチェックを受けた人数は一致している。しかも、全てデータが入力済みで、おかしなところは見つからなかった。だが、ハッキングの天才は別の情報を入手した。ユライは顔を上げ、ロイエールを見つめる。


「中央カラン戦争で、ギセンガンもカンラム病になってたのか?」


 ロイエールは口をつけていたモルトをテーブルにかたんと置いて、


「何っ!?」


 珍しく驚いた。イサナはマドラーでくるくるっと、スクリュードライバーをかき混ぜながら、


「おや? 初耳ですねー。あの百戦錬磨のギセンガンが、カンラム病になっていたとは……」


 ユライは真相を突き止めるべく、ヤシュに焦点を合わせた。ギセンガンは最高司令官だ。彼がカンラム病になったとなると、軍全体の士気が下がる。そのため、極秘にされていたのではないかと、ユライは疑った。だが、


「二週間ほど、休暇を取ったことはあるが、カンラム病になったとの報告は受けていない」


 皇子も知らない事実だった。グラスについていた水滴を指で拭って、イサナは、


「おかしいですね〜」


 ユライは再び、巧みに指先を動かし、


「隔離地区に搬送されたまでは、記録に残っているが、退院した日付が残っていない」


 まるで大きな宝石のような、琥珀色したモルトの氷を見つめたまま、ロイエールはため息をついた。


「考えたくはないが、軍内に、陛下にではなく、ギセンガンに忠誠を誓っている者がいるようだ」


 しばらく、沈黙が続いたあと、ヤシュの声が響いた。


「ロイエールとイサナは、病院のデータを調べろ」


 ふたりがうなずこうとすると、突然、部屋が大きく揺れ始めた。


「近いな……」


 ロイエールがつぶやくと、さらに揺れがひどくなり、グラスに入っていた酒が溢れ始め、終いにはテーブルにそれらは転がった。幾度となくあった地震。そのため、彼らは身の守り方を熟知しており、大きなシャンデリアから距離を取るため、四人はそれぞれ壁際に寄っていた。ユライが大事そうに、PCを握りしめていると、揺れはすうっと治った。


 続いて、廊下をバタバタとかけて来る足音が聞こえ、ドアがノックされると同時に、


「殿下! 大事はございませんか! 殿下!!」


 必死の呼びかけに、壁についていた手を離し、ヤシュは慌てる様子もなく、


「大事ない。それよりも、街の様子を見に行け」


 皇子にとって、国民が第一であった。すぐにまた、軍に救援要請や調査などが命令が下されることは明らかだった。ロイエールはドアの方へ歩き始め、


「イサナ、俺は病院へは行けん。お前だけで行け」

「そのようですね〜」


 イサナののんびりした返事を聞くと、ロイエールは軍人らしく、キビキビとした動きで、部屋を出て行った。

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