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僕は定規を抱えたまま、もうそれ以上何も言わなかった。いろいろなことが頭の中を駆け巡った。
そのうち、のどの奥がふさがったようになって大声で泣きたくなった。
福沢はこちらをチラリと振り返ると、あわてたように立ち上がった。
「ああ、何だよ。こんなに汚したままにして」
いきなり素っ頓狂な声を出す。
「俺は台所とトイレと風呂場と部屋の中が汚いのは大嫌いなんだよ」
そのまま上着を脱ぐと、シャツの袖をまくってものすごい勢いで食器を洗い始める。
そのあと二人でおおいに飲んだ。何日も食べてなかったので、翌日身体を壊してしまったが、すぐに元気になった。
いま僕は、アルバイトをしながらコメディアンの道を目指している。
あれからもう四年が経つが、いっこうに芽が出る兆しはない。
芸能人の世界で成功するのは、真面目にこつこつと勉強して一流大学に行くよりもはるかに難しいことだ――。
福沢の父親がそう言っていたことが、今更のように骨身にしみる。




