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その後僕は少しだけ勉強に励み、少しだけ成績も向上した。しかし福沢の方はと言うと、とうとう三学期の間、学校に戻ることはなかった。
結局彼が復学したのは、翌年の春だった。留年して一年生からやり直すことになったのである。そしてあろうことか、野球部に入部する。
当然玉拾いからのスタートであったが、彼は熱心に練習に励み、二年生になった時にはとうとうレギュラーの座を掴んだ。
しかも、ことはそれだけでは終わらなかった。
三年生の夏には彼がキャプテンとしてチームを率い、万年一回戦で終わっていた弱小校を準決勝まで導くという快挙を成し遂げたのである。
僕はすでに大学に進学していたが、当時の旧友たちと球場で応援していて、肩を抱き合って喜んだものである。
冗談みたいな話だが、福沢はその後猛勉強の末、慶應義塾大学に進学する。
大学ではずいぶん周りから、からかわれたらしい。彼の快進撃はそれからも止まらなかった。
卒業後は一流商社に就職し、しばらくすると外国に赴任する。
互いに連絡を取り合うことはいつの間にか途絶えてしまった。
僕の方はと言うと、全くさえなかった。四年間の間に三回転職し、最後に解雇された時はさすがに彼女にも愛想を尽かされてしまった。
その後は何とかバイトで食いつないでいたが、それも首になり、貯金も底を突いてしまった。新しいバイト先を探そうとしたがどうしても見つからない。
ある日とうとうどこにも行く当てがなくなり、西日の当たる安アパートで一日中過ごした。どうにも行き止まりだと思った。
テレビを見る元気さえなく、ごろごろ寝て過ごした。そのまま晩飯も食べずに床に臥していた。もう二、三日、何も食べていなかった。