十五話 失意の者
爽やかな快晴の今日。
空色のワンピースに白い雲を飾り付け、輝く笑顔を振り撒く乙女を幻視させる…そんな良き日。
晴れわたる空とは対照的に、僕の心は暗雲の立ち込めるか如く、微笑みの一つも返せないほどに薄汚れていた。
ゆるりと進む馬車に、力の入らぬ四肢を揺すられる。
行き先は王城、ではない。
その逆。王城から、王都から遠ざかるかのように背を向け馬は道を踏みしめる。
車上の旅路はこれで何日目だっただろうか。
ぼんやりと、普段の見る影もないほど巡りの悪い頭で事の発端を思い起こす。
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先日の騒動、僕とアレクの命が狙われその窮地を脱した後、騎士達と父様は現場に駆け付けた。
それは惨状、としか形容できないほど酷い有様だったらしい。
焼き焦げ、血に濡れた通路に生気を失った双眸の首が横たわり、その古巣である胴は仰向けに倒れむせ返るような血溜まりを作っている。
離れた場所では一人の少年が頭を抱えてうずくまり、傍らに倒れ伏すもう一人の少年をうわ言の様に罵倒している。
危機的状況下における魔術の暴走、それによる魔力の枯渇及び殺人を目撃したショックによる精神的錯乱、という判断がなされたようで、僕達は即座に安全な場所へと運ばれた。
僕の奮闘の甲斐あって二人とも外傷は一切なかったが、内面、心に負った傷は深刻なものだった。
五歳というあまりにも幼すぎる年齢で人間の死を目の当たりにしてしまったアレクは、それをもたらした元凶、クロム·シューティングスターに対して激しい忌避感、嫌悪感を抱いたようで、話すことはおろか目を合わせること、同じ空間にいることすら拒否した。
僕自身も覚醒した後意識を失う直前にアレクに言われた内容を反芻し、暫し茫然自失していた。
その後屋敷へ戻っても覇気を失い、いつも思い詰めたような顔をしていたという。
そこで慰安の為という名目で、僕はしばらく都市から離れた別荘へと身を寄せる事となった。
名目、というのはそれだけが目的ではないからだ。
結果的に無事だったとはいえ、僕は命を狙われたのだ。まともな神経ならばあのまま王都で安穏とさせている理由はない。要は、これは僕の安全確保の為なのだ。
僕が殺害してしまったためにあの偽メイドの所属·目的などは一切分からず、あの暗殺未遂は誰が仕組んだものなのかは不明のままだ。
帝国か、連合か、神聖国か、その他の国家なのか。信じたくはないが、夜会に集まった者の中に内通者がいたのか。
殺そうとした者がいた。殺されかけた者がいた。
分かっているのはただそれだけなのだ。
そんな訳で、僕が身を隠す事を知っているのはシューティングスター家関係者と王国上層部のみだ。アレクにも、僕にも知らされてはいない。
アレク……あれ以来、彼は自室に籠もるようになった。言葉を交わすどころか姿を見る事さえ叶わなかった。
無理もないだろう。多感な少年の心に死という強烈なトラウマを刻み付けてしまったのだ、僕の顔など見たくなるはずもない。
昼にできた友達を夜に失った。一日限りの薄く脆い友情だった。これで意気消沈しない訳がない。
両親も、ギルベルトさんも、使用人の皆にまで心配されるほどの沈みようだったのだろう。慰安というのも主目的ではないとはいえ、五割ほどは真実なのだろう。
皆の心にまで影を落としてしまっていることは申し訳ないが、生憎空元気を出す事もできない。
「ほら、クロム。見えてきたぞ、あれがシェワードの森だ。あの近くに屋敷が建てられているんだ」
「ここに来るのも久しぶりね、近くにお店はなくて不便だけど静かで落ち着いた雰囲気の場所なの。クロムもきっと気に入るはずよ」
両親の、どこか気を遣うような調子の声が聞こえる。
緩慢な動きで顔を向けると、確かにそこには見渡す限りの緑があった。
シェワードの森、文献に記されていた通りの大森林らしい。
「ああ、いいですね。自然が豊かです、ああいう環境では読書も捗るでしょうね」
親友なら、「秘密基地を作ろうぜ!」などと言い出しそうだ。友人にこういった場所での生活のスペシャリストがいた。彼の協力もあれば、軍の一個師団程度容易く撃退できる程の自然の要塞が出来上がるだろう。
「ははは、読書か、それもいいな。だがなクロム、いくら大人びていてもお前はまだ子供で、折角これだけ広い森なんだ。木登りにアウトドアに秘密基地、遊ばない手はないだろう?」
子供っぽさの残る父様はやはり子供のような表情で言い、
「全くクロスさんったら。忘れたの?この森には他では見られない希少な花が咲くのよ。それを探さなくちゃここに来た意味はないも同然よ?」
少々常人と異なる考え方をする母様は妙な所で妙なこだわりを見せる。
おかしいな、この森の奥深くでは魔獣が出現することがあると聞いているのに、二人ともその事に触れる様子がない。
「そうですね、では気が向いた時にでもそうさせていただきます。お二人とも、しばらくの間離れることとなりますが病気や怪我などをなさらぬよう、どうかお元気で」
「ああ、すまないなクロム。本当なら職務の一つや二つや三つや四つくらい放り投げてお前のそばにいてやりたいんだが……」
「お気持ちは大変嬉しいのですがそうもいきません。シューティングスターは護国の一族でしょう?一個人の問題で役目を放棄する訳にはいきませんよ」
僕の都合で父様達を拘束したばかりに、国に甚大な被害が出たなどとあっては心苦しいにも程がある。
「お前は責任感があって立派だな。その年でそこまで弁えられると親としては嬉しいやら悲しいやらだよ。なあ、レシア…………レシア?」
ここまで一言も発していない母に視線を向けると、酷いことになっていた。
白目剥いて気絶するくらいの勢いで滂沱の涙を流している。あ、鼻も酷い。
「ぐろむどばなれるだんでぶりぃぃ……。おづどめだんでじらない、ばたじもいっじょにごごでぐらずぅぅ」
「おいおい、そんな無茶を言うなよ。王都の防備は俺一人じゃカバーしきれないっての、それくらいお前も分かってるはずだろ?」
「やだぁぁ、ぐろむどいっじょがい」
手刀一閃。
延髄に一発綺麗に決められた母様は声もなく崩れ落ちた。
わー妻相手に躊躇いなく当て身とか父様容赦なーい。
「ふぅ、すまんなクロム。レシアも理解してはいたんだが感情の整理がつかなかったらしい」
「いえ、これも僕を愛してくれているからこそですから」
僕が修学旅行に行く時の姉さんもあんな感じだった気がする。
「それじゃあな。いつになるかは分からないが、真相が解明されたら戻る事になるからそれまで待っていてくれ。たまに顔見に来るからな」
「はい。それでは改めて、お元気で」
母様を肩に担いで馬車に乗り込む父様。走り出しても、暫くはこちらに手を振ってくれていた。
僕も馬車が小さな粒になって消えるまで見送り続けた。これで当分両親、それと王都の皆とはお別れだ。次に彼らと会うのはいつになるか。
「くぅぅぅろぉぉぉむぅぅぅっっっ!!!必ず会いに行くからぁぁぁぁ!!!!」という声が風に乗って聞こえた気もするから割とすぐかもしれない。
不安があるか、といえば答えは否だ。生活環境が一変するとはいえその程度の問題は地球での海外旅行で慣れているし、僕の専属ということで先発したリセリアさんが既に到着している筈なので人恋しくなるという事もないだろう。見ていて飽きない人だし。
最悪、屋根なし金なしネットなしの状態でも生きられる程度のサバイバル能力は身に付けているので心配はな──────
悲鳴。風圧。爆発音。
森の木々が激しく軋み、大地が抉れ、草花はその根が宙を舞い、動物達は脇目も振らず立ち去った。
……何だろう、嫌な予感がする。別荘があると聞いている方角からだったように思う。壁を隔てた様なくぐもった音だったが悲鳴もリセリアさんの声だったし。
聞こえた方へ走ってみる。惨状を認識する。絶句する。までがワンセットのリセリアさんクオリティ。
そこには、話に聞いていた別荘など影も形も存在していない。廃墟とすら呼べない、ただの瓦礫の山があるだけだ。
……かすかに、すすり泣く声が聞こえる。あの下だ。
周辺の瓦礫を吹き飛ばすと、地下への扉と思われるものがあった。やけに頑丈な作りだ、耐火性も十分な様子。
鉄の取手は加熱されて触れられない。呼び掛けてみる。
「リセリアさん、そこですか?いるなら開けてください。もう危険はありません、地上に出てきて大丈夫ですよ」
帰ってくるのは嗚咽。弱々しく僕の名前を囁き、しきりに謝罪の言葉を口にする。
「謝る必要はありませんよ。故意にやったことではない事は分かっています、怒ってはいませんので、出てきて事情を話していただけると助かります」
慰めの言葉を掛けてみるも、扉が開く様子はない。
多少強引にでもこじ開けるかと思案していると、ようやく動く気配が感じられた。
ゆっくりと、鉄の扉が開かれる。怯えるように、恐れるように僅かに開き、赤く腫れた目が現れた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい、坊っちゃま。ごめんなさい…………私が馬鹿で、ドジで、出来損ないなせいで……」
再び嗚咽が混じる。決して軽くはないであろう扉を支え続けているのは、彼女なりの自罰なのか。
「……私が、私の、せいで……私が、ちゃんと確認、しなかったから…………」
「落ち着いてください、それにその考え方はいけません。失敗はあって当たり前、重要なのは後に反省し、改善するよう未来に活かすことです。リセリアさんのそれは反省ではなくただの自虐、自らの尊厳を貶めるのみの非生産的な行為です。」
「…………っ、はい……」
落涙、言葉の詰まりは収まらぬものの、ようやく話す覚悟が定まったらしい。
「じ、実は……地下、室のそ、掃除中に……誤って、その…き、緊急時の、ですね……避難用魔術システムを、その……作動させてしまいまして……」
「あー……」
有事の際、襲撃者から逃亡する時間を稼ぐための自壊機能、か。一体どれ程の事態を想定して設計されたのかは知らないが、一介の使用人のうっかりで起動してしまうというのはいただけない。滅多に使われない別荘故に権限者等そういった諸々の設定をしていなかったのだろうが、あまりにも杜撰に過ぎるというものだ。
「ドジっ子ここに極まれり。とはいえ、これはリセリアさんだけの責任ではありませんね。管理を怠っていた父様達にも責任の一端が、いや七割方父様達の責任ですね」
「うう、すみません、すみません。三割にまで負けてもらって申し訳ありません」
大半を押し付けることになってしまった(と認識しているらしい)雇用主に対して恐縮しているのか、リセリアさんはさらに地下の方に沈み込んでいる。
しかしそれにしても、
「異世界初めての野外生活が、こういう形になるとはね」
せめて十歳くらいからにして欲しかった。
無人島、レースと続いて今年の夏イベは同人誌作りですね。林檎を頬張る毎日です。