第十四話 友情と崩壊
ようやくたらだらした流れを脱することができた……かも。
時は流れて、爽やかな青空が朱く染まり、その夕焼け空にも夜の色が広がり始めた頃。
バリタイン国第一王子アレクシル・A・バリタインの生誕五周年を祝う夜会は、始まりの刻を迎えようとしていた。
心を無にした数時間のマネキンチャレンジ、見かねて救援に来た父様の素晴らしい話術の末、その場を逃れることに成功した僕。
タイムオーバーまで屋敷中を母様達から逃げ回るのは些か骨が折れた。魔力による身体強化の術を学んでいなければ即死だった、そのくらいの熱意が彼女達にはあった。漫画などではあそこで捕まるのがお約束なのだろうが、それを振り切るだけの価値はあっただろう。
憔悴し切って真っ白になった父様と頬を膨らませて不貞腐れる母様を馬車に乗せて、再度王城へと馳せ参じる。
お待ちかねの夜会の時間だ。今回、僕はアレクの実質的な護衛の役を担うらしく、常に行動を共にせよとのことだ。いやはや、高く買われたものだね。
もっとも、当然ながら騎士も二名ほどその任に就くと聞いているので、僕は精々駄目押し程度のものだろう。
パレードと同じく夜会でも僕はアレクに次いで、下手をするとそれ以上に注目される存在のため、周囲に気を配りつつ貴族の対応をする、というのが今回の僕の任務だ。
馬車で行く道すがら、父様からの指令を思い返しながら思う。
この世界の五歳児はこれほど仕事を任されるのかな、と。
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夜会の会場となるホール。天井はガラス張りになっており、黒天に輝く月と星々とが僕らの姿を覗き込む。
空の光と人の叡智の灯、その二つに照らされた夜会は、静やかな緊迫感を孕みつつ幕を開ける――――――
「それでは皆の衆、我が息子アレクシルの生誕五周年を祝って、乾杯!!」
「「「「「乾杯!!!!!」」」」」
そう思っていた時期が僕にもありました。
想定していたのと大分違った。
なんというか、緩い。
老獪な貴族達の権謀術数が渦巻く腹の探り合い、悪意と疑心暗鬼の坩堝のような様相を想像していたが、これではまるで親戚中が集まって開かれた誕生パーティーだ。
「うむ!こんやはおれのおごりだ!みなどんどんたべてのむといい!!」
どこで覚えたのそれ。
大勢に祝われ、またその場の空気にも乗せられ上機嫌に声を上げるアレク。ワイングラス(果実水入り)を片手にこころなしか頬にほんのりと赤みが差している。雰囲気に酔った、というところか。
「改めまして。アレクシル殿下、ご生誕おめでとうございます。今日という素晴らしき日に殿下のお顔を拝見する事ができ誠に嬉しく思います」
「おお、そちらがかのシューティングスター家の神童ですか。お噂はかねがね、なんでもその歳で既に尋常ならざる魔術の腕前だとか」
「これほどの逸材がいらっしゃれば王家、ひいてはバリタイン国も安泰ですな。いやしかし、同年がこれでは殿下も負けていられませんな」
王都に点在する六十九の領地、それらの領主あるいはその代行である彼等は自然と列を作り、このような事を口々に言ってきた。おまけに握手まで求めてくるものだから、僕等(主に僕)の気分は人気アイドルだった。
中には若い女性の方もおり、その人は妙に熱っぽい目で握る手に力を込めてきた。確かリベルポール領の領主代行だったかな、見たところ武人のようだったけどどういう意図だったのだろう。
ちなみにだが、他国からの賓客等は居ない。招待もしていない。何故なら、この国の歴史を紐解くと他国とは大概争ってばかりで、親交の深い国というのは存在しないからだ。内輪だけで祝っている訳だ。
「むぅ、あきてきたな」
「早いね」
まだ始まって一時間程度だ。アレクのこの忍耐力のなさは問題だが、遊びたい盛りということもあるだろう。成長と共に落ち着いていくと思われる。
まあしかし、少々退屈なのは僕も認める。
何せ彼等、言動に一切の裏がないのだ。話す内容にも表情にも全くと言っていいほど含みがなく、ただただ本当に普通の会話をしているだけだ。どうなってるんだこの国。
自国の外交能力等の心配をしつつも、多分島国故に多方向に外敵がおり、自然と結束力を強めて言ったのだろうと納得する事にした。一枚岩なら内輪で争う必要も無いからね。仲良きことは美しきかな。
しかし、だ。平和なのは結構だが、その辺りの政治的争いを見物する事を楽しみにしていた身としてはただ愛想笑いを浮かべて雑談をするのは退屈に過ぎる。
遊園地と聞いていたのに、行ってみたら公園レベルだったようなものか。
何か刺激が欲しい所だな、と考えていると、
「くろむ、すきをみてぬけだそう。ひるにできなかったここのあんないをいましてやる」
「ふむ、確かに僕達は主役ではあるけれど特にやるべき事もない。隙は十分にあるだろうね」
しかし、それでも主役なのだ。そう遅くないうちに脱走は露見するだろう。貴族達の様子を見るに総出で探しに来るということも十分に考えられる。
「でも、その人数を相手に城内を鬼ごっこ、というのも面白そうだね」
「きまりだな、ではいくぞ」
「慌てない慌てない、まずは護衛を撒かないとだよ」
僕達の子ども故の小柄と人の多さを利用して行こう。
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「まいたな」
「撒いたね」
「ばれるまえにゆくぞ」
「追われる前に隠れよう」
「みぎがいいか」
「左がいいよ」
「まえからくるぞ」
「後ろからも来るよ」
「どこににげるか」
「ここでやり過ごそう」
「…………いったか?」
「行ったよ」
「くふ、くはははは」
「ふふふ」
僕らは盗賊。悪政に苦しむ無辜の民の味方。暴君を相手に立ち向かう正義の義賊。
ここはその暴君の居城。貯め込んだ財宝が眠る宝物庫を目指す。
敵は大勢、僕らは二人。四面楚歌で孤軍奮闘、多勢に無勢なこの状況、二匹の鼠は志を胸に暗闇を駆ける。
アレクの発案で、そんな設定で遊ぶ事にした。チョイスがわりと渋い。
敵の配下は時間経過で増えたようで、客人方の連れてきた使用人や護衛までもが動員されていた。しかし僕程に夜目の効く者はいないようで、方々で光源を持って走り回っている。そのため、掻い潜って逃げ回るのは容易い。
しかし通路の燭台に火が灯り、姿を隠す程の闇も徐々に消えていった。今はまださほど光の届いていない場所に身を潜めているが、見つかるのは時間の問題だろう。
これほどまでの大事になった以上、後で大目玉を食らうのは避けられない。甘い母でもこれは流石に許してくれないだろう。
それでも、それだからこそ、やめない。やめられない。ここまできたら最後まで、途中で降参は神童と悪童の名が廃る。
何より楽しい。楽しかった。小さな友人と走って隠れて笑い合うこの瞬間、一分一秒の全てがたまらなく貴重だったのだ。
手遅れなくらいに崩壊して、初めてそう実感できた。
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「こちらにいらっしゃったのですね、御二方」
咄嗟に、暗闇を引き裂く勢いで振り向く。そしてその中においてなお明瞭に見える瞳に映ったものに戦慄が走る。
「む、みつかったか。だがこのくらさならばなんとでもなるな。にげるぞ、くろむ」
こちらの心情を把握していないアレクが呑気にそう言うが、全く楽観視できる状況ではない。
そこに立っていたのは、一人の女性、メイドの服装をしている
。見覚えのない顔、地方貴族の誰かが連れてきた内の一人だろう。
メイドとは、清掃、洗濯、炊事などの家庭内労働を行う女性の使用人を指す。
このような世界だ、暴漢や魔物から主人ないし自身の身を守る為に戦う術を身に付けておくのは別段おかしなことではない。
この距離まで僕が気付かないほどの隠密行動を可能とするメイドであっても、使用人に扮した暗部の人間だと考えれば納得できる。
しかし、決して間違っても雇用主の関係者に殺気を放つような存在であってはいけないのだ。
「皆様が心配なさっておいでです、おふざけはこのくらいにしてホールへ戻りましょう」
メイドが左手を伸ばし、わざとらしく足音を立てて一歩、二歩と歩み寄る。
アレクを後方に置き、同じく一歩、二歩と後退する。
「如何なさいました?もう鬼ごっこの時間はおしまいですよ、潮時くらい潔く受け入れてくださいませ」
右手を後ろに回しているな、携帯しやすさと必要な殺傷能力から考えればナイフが妥当か。魔術では魔力の残滓によって足がつくから使用しないものと見ていいだろう。
「クロム?いったいどうしたというのだ、ここであきらめるおまえではないはずだぞ?」
いつまでもその場を離れようとしないので、アレクもようやく僕の変調に気付いてくれたようだが、その事と目の前のメイドとを結び付けてはいない。自力で察する事は望めないだろう。
仕方ない。
「あまりお加減がよろしくないご様子ですね。無理もありません、神童といえども未だ幼き身で――――」
「随分と、目が良いんですね」
「……はい?」
ようやく口を開いたかと思えば、出てきたのは脈絡のない言葉で首を傾げている。
「この暗さだというのに最初から僕達の姿がはっきりと見えているようですね。そもそもランプの一つも持たずに探しに来るというのがおかしいのですけどね」
「……何を、仰りたいのでしょうか」
「他にもありますよ。不自然なまでの隠形もさることながら、僕達を発見したというのに一切人を呼ぶ素振りも見せないじゃないですか」
つまり、この人は他人に見られては困る事がある、という事だ。
「お、おい。くろむ、それはまさか……」
ここまで言えばアレクも気付いてくれたらしい。やはり彼も優秀な部類だろう。
「貴方、まさか気付いて……!?」
「子供相手だからって油断し過ぎですよ。暗殺の経験は浅いんですか?」
話し掛けないで最初から仕留めにかかればよかったのに。
「ちっ……、調子に乗って……!!」
看破されていることを知った偽メイドは不愉快そうに顔を歪め、やはり隠し持っていたナイフを逆手に振り上げて飛びかかってくる。
思考加速、開始。
狙いは僕か露見しても僕達ぐらいならすぐに殺せると判断したのかなら尚更さっさと殺ればよかったのにああ確かに早いな見えるけど身体の動きが追いつかない身体強化かこれに追いつくのは風だな無詠唱でどこまでいけるか防御は無理だな回避だ射出角度計算威力が足りないもう一工夫加えるか――――
身体強化、金属性魔術準備。それだけでは対応には間に合わないので後転及び発動速度の優れた風属性でそれを後押し、その反動+間に合った身体強化で跳ね上がった左足でナイフの蹴り飛ばす。無詠唱かつ生成途中のためブーツの爪先に鉄片が付着している程度だったが十分だった。ナイフは後方、アレクの更に先へと吹き飛び金属的な音をかき鳴らす。
「なっ……!!そんな……」
動揺した隙に体勢を立て直し後退、状況の変化に戸惑い硬直しているアレクの腕を掴み走り出す。
「く、くろむ。おまえ、いまの……」
「説明は後!兎に角誰かと合流する事がせんけっ……!?」
背後で魔力の動きを感知。視線を向けなくても分かる。敵はなりふり構わず僕等を殺害するつもりのようだ。
「火精よっ!我が魔力を糧とし――――」
幸運だ、やはり相手は戦闘慣れしていない。あの詠唱速度ならば今からでも間に合う。
「焼き滅ぼせ!!」
「風精よ、断ち切れ!」
二節の詠唱に、残存魔力のほぼ全てを注ぐ。
かくして、遅れて放たれた風刃は通路を埋め尽くす程の業火を両断し…………術者の首と胴をを切り離した。
「な……ん、で…………」
その言葉を契機に、乗っていた首はずり落ち、道を失った血液は噴水の如く、周囲一帯を紅く彩っていく。
ぺたん、という音。アレクが腰を抜かしたのだろう。
直に騎士達がやって来る。僕も魔力の枯渇で今にも意識を失いそうだ。申し訳ないがアレクの心のケアは彼等に任せるとし――――
「ひ、ひとごろし」
ピタリ、と。心臓の鼓動が、空間が、時間が、世界の全てが静寂の中に包まれたような錯覚を覚える。
「アレク……?」
アレクの声は震えていた。怯えが、恐怖が篭っていた。
どうしたというのか。まさか、死を条件として発動する呪術の類か。
アレクの身を案じ手を伸ばす。
「よ、よるなっ!このひとごろしっ!!」
え?
「この、ひとごろし、ひとごろし、ひとごろし!!ばけもの、ばけもの、ばけものめっ!!」
ばけもの。ばけもの。化け物?
誰だ。それは誰の事だ。アレクか?偽メイドか?未知の第三者か?
否、そんな訳がない。
僕か。僕か。僕なのか。僕を指しているのか。僕が化け物だと言っているのか。僕を化け物と。
「あ、れく…………」
「うるさい!!きえろ、きえてしまえ、おれのまえからいなくなれ、ばけもの!!!」
化け物。
化け物。化け物。
化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物
「う、あ、ああ、あ…………」
その単語が頭の中で反芻し、反響し、拡散し、攪拌し…………
僕の意識は、そこで途絶えた。
化け物カウント:112
意識消失の原因は魔力の使いすぎだったんですよー。本読んで学んだことの一つです。




