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鼓駅

作者: 陽詩麗

 北の山のふもとにある小学校から16時を告げるチャイムが聴こえる頃、南に広がる水田が赤く照らされる。

 その中間にある駅でぼーっとするのが好きで、僕はわざと古本屋のアルバイトを15時50分に終わるようにしている。

 バイト先の古本屋から歩いて10分程の距離にある小さな駅。

鼓駅(つつみえき)

 駅員がおらず売店やお手洗い場もない、いわゆる無人駅だ。

 鼓駅と書かれた看板が一つ。その隣に長ベンチが二つ。その隣に灰皿が一つ。線路をまたいで向こう側にはこちら側と同じく相対したホームがある。

 とても古く素朴な作りで、看板なんか所々錆びており赤茶色い鉄棒が露出している。

 15時50分に古本屋のアルバイトを終わり、古本屋の隣にあるたい焼き屋でたい焼きを買い、16時に駅に着き一人でベンチに座り、真ん前で沈んでいく夕日を眺めながらたい焼きを頬張る。

 誰にも邪魔されず、駅周りを囲んでいる自然たちと一緒に僕も赤く染め上げられる至福の空間だ。不思議な気分になれる。

 都会の狭苦しい世界にいては、一生感じることのできないものだと思う。

 そうして大自然と入日を全身で感じたのち、16時12分に通過していく特急列車の風と匂いを受け、16時16分にきっかり到着する列車に乗って家に帰るのが僕の毎日の日課である。


 だから今日もそうなるはずだった。

 そうなるはずだったけれど、なにがどう間違ってしまったのか愛しの僕の日課が今日は崩れた。

 15時50分にアルバイトを終え古本屋を出たまではよかった。たい焼き屋に入ると、珍しくおばちゃん集団が談笑しながらたい焼きを買っていたんだ。邪魔でしかない。早く買い済ませてほしい。

 おばちゃんたちがたい焼きを買い終えるまで、僕は店の前にある花壇の淵に立って線上歩行遊びをしているしかなかった。

 ようやくたい焼きを買えて駅に着く頃には、手首の腕時計は16時7分を指していた。7分も愛しの時間を失ってしまった。おばちゃんらめ覚えてろ。

 しかし仕方が無い。運が悪かった。落胆した心を(なだ)めるため必死に運のせいにしながらホームへの階段を登ると、僕の今日の運の悪さはまだ続いていた。

 ホームに女の子が立っていた。

 あれ、今朝の星占いは11位のはずだったんだけどな。12位と見間違えたかな。

 目を瞑っても擦っても無駄であって、ホームの黄色い線の上に綺麗に足を揃えて立ち、夕日を見据えている少女の姿は本物だった。

 少女を横目でちらちらと見ながら、僕は少女の斜め後ろにあるベンチにそろりと腰を降ろす。

 いつもの自然と入日の風景に少女の細身な後ろ姿が映える。ううむ…なかなか様になっている。

 て、何考えてんだ!またまた邪魔でしかないだろ!

せっかくの僕の癒し愛しの空間を邪魔されては困る。ただでさえおばちゃん集団のせいで7分も失っているというのに。

 けれど、少女の後ろ姿に声をかける勇気など僕にはなかった。だから今日だけ特別な自然と入日と少女の後ろ姿の()を眺めていることにした。

 そうだ、今日だけ特別だ。

 何事も無いような平然を装い背筋を伸ばして、先程買ったたい焼きを袋から取り出し口に頬張る。美味い。

 たい焼きを食べ終わる頃、腕時計の長針はちょうど11分を指していた。そろそろ特急が来る時間だ。

 少女を見ると、先程と少しも変わらずまだ黄色い線の上に立って夕日を見ていた。少女の着ている白いワンピースが風につられてふわりとなびく。

 危ないんじゃないか?

 ふとそんな考えが僕の頭をよぎる。

 黄色い線とは言っても黄色い線とホームの端までは二十センチ程しかない。特急列車はかなりの速さで通過するのだから、下手すれば風や音によっては落ちるぞ。

 遠くの踏み切りの鳴っている音が風に乗ってかすかに耳まで届く。少女は変わらずまだ夕日だけを見ていた。

 特急が来ることを知らないのか、ただ単に無関心なやつなのか。

 ああもうどうなっても知らないからな!

 いてもたってもいられなくなった僕はベンチから立ち上がり、少女の細い腕を掴んで声をかけた。

「下がらないと危ないよ、特急が来るんだから」

 少女がビクッと体を跳ねらせて振り向いた。二つに編んだ茶色い髪が揺れ、白く整った顔と目が合う。

「な、なに!変態痴漢。馬鹿、離して」

 鈴のような声でそうまくし立てた少女は僕の腕をぱっと振りほどいた。初対面の人にそんなこと言うのか。しかもいきなり変態痴漢扱いはさすがに僕だってへこむ。

「だから特急来るんだってば。下がらないと危ない」

 もう一度少女の腕を掴み、後ろに引く。

「わっ」と言って少女は左手をぱたぱたとさせながら体勢を崩す。が、まだ両足は黄色い線を踏んでいる。

「危ない。何するの」

 大きな瞳でキッと睨んでくる。いや話聞いてた?危ないから引っ張ったのにそれを危ないとか言われても。

「電車来るんだって!そんなに前にいたらぶつかるぞ」何のための黄色い線だ。

「ぶつかりたいの」

「へっ?」

 思わず変な声が出た。今なんて?

「ぶつかりたいの」

 少女は僕の目を見てもう一度真面目な顔で小さくつぶやいた。ぶつかるって…もしかして死ぬのが目的?飛び降り自殺ってやつ?

「まてまてまて早まるな!さっきの夕日の景色を君も見てただろ?あんなに美しい大自然がこの世にはごまんとあるんだぞ。それを見ず知らずで死ぬなんてそんなことしたらアルフレッド・ヒッチコックが()けて出るぞそもそもに君可愛いんだからそんな死に方で死ぬなんてもったいな──」

「急にどうしたの。…頭打った?」

 うん、頭打ったかもしれない。最後なんて恥ずかしいこと口走ってたかもしれない。

「と、とにかく飛び降りなんてやめろ。君がよくても自治体や警察や鉄道会社が迷惑するんだ」なんだこの説得力のないテンプレ説得は。

「あなたが一番困る?」

「え?」

「わたしの傍にいたあなたに容疑がかかるから?それとも目の前で人がぐちゃぐちゃになるのが嫌だから?」

「何言って、んの?」

 たしかに、言われてみればどっちも嫌だし僕が一番迷惑するし一番困る?のか?

 頭の中が真っ白になり試行錯誤していると、少女は無表情のまま僕の顔をのぞき込んできて言った。

「じゃああなたもぶつかる?」

「……も、もう一度言ってくださいますでしょうか…?」

「あなたもぶつかる?」

 少女の編んだ髪が肩から滑り落ちる。

 それと同時に列車の前照灯(ヘッドライト)が僕らを照らしているのが分かった。二人で黄色い線ぎりぎりに立って取り込んでいたからか、列車からプァアアアと気づかいの警笛が聞こえてくる。

 とにかく下がらないと!ハッとしてもう一度少女の腕を引っ張ろうとすると、少女は空いている左手で自分の腕を掴んでいる僕の腕を掴んできた。

「え…」

 気づいたら僕は少女に引っ張られて体のバランスを崩し、少女に覆い被さる形でホームから落ちた。

 そのあとの一連の動きが全てスローモーションに見えた気がした。右手からゆっくりと迫ってくる列車。掴まれた左腕の冷たい感触。真正面にある綺麗な顔。そして微かに笑っている口元。



 どこで間違えたんだっけ。

 今朝の星占いの順位を曖昧に覚えていたからか?たい焼き屋でおばちゃん集団が居座っていたからか?花壇で線上歩行をしたからか?駅に着くのが16時7分だったからか?駅に見知らぬ少女がいたからか?



 気づくと僕は、駅のベンチで仰向けになっていた。無数の星たちと目が合う。開けた天然のプラネタリウムが目に眩しい。

 頭をふいと捻ると、少女の顔がドアップ。

「うわあああ!?」

 よく分からない叫び声を上げて起き上がると、ベンチの前にしゃがんでいたらしい少女が驚いて尻もちをついた。

「急に奇声あげるなんて、やっぱり変態」

 涙目で訴えてくる。

 だから違うっての!奇声あげたら誰でも変態になるんなら人間なんてやってられるか。

 ベンチの前の地べたに二人で向かい合って座る。

 冷やりとする風を肌に受け、ふと腕時計に目をやると19時12分。

 なんでこんな時間にこんなところで寝ていたんだ。そういえばなんでこの少女はまだここに──

「ああああああああ!!」

「う、うるさい変態!」

「お前よくも引っ張ったな!危うく死ぬところだったじゃない……か…?」

 あれ、生きてる?たしか僕はこの少女と線路に落ちて列車にぶつかって死んだはずじゃ…?

 そんな僕を見かねてか、少女は首を傾げた。

「どうだった?」

「どうだったってなにが」

「…覚えてないの?ぶつかった後のこと」

 ぶつかった後のこと。そういえばぶつかった衝撃もなかったし痛みもなかった。ぶつかると思ったら急に視界が変わって、そして…。 

「…覚えてる」

「わたしも覚えてる。わたしは未来を見た。第三次世界大戦で山のふもとの小学校も辺りに広がっている水田もみんな赤く染まって煙と灰が舞い上がってた」

 おいおい、ろくでもないこと言うなよ不吉だろ。

 少女は空を見上げた。星を見ているようだった。この時期はオリオン座が見えるはず。

 僕も空を見上げた。

「…あなたは何を見た?」

 急な問いに口ごもってしまう。僕のほうがあまりにもろくでもないものを見たからだ。

 けれど、遠くで威張っているオリオンが僕を睨んでいるような気がして渋々と言葉に出してしまう。

「赤ん坊の僕が半分に切ったレモンを口に入れちゃって、噛めないし出せないし息出来ないし酸っぱいしで死にそうになってるところ」

「ぶふっ」

 少女が口元を両手で抑えた。上を向いている頬がほんのり赤くなっている。どうだ?ろくでもないだろ?

「僕が見たのは過去なのかな」

 そのつぶやきに少女は返事をしてはくれなかった。

 しばらく二人で夜の空を見上げていた。何分、もしくは何時間そうしていたのか分からない。時間が経つのがとても遅く感じた。

 やがて東の空からサソリ座が登ってくる。サソリ座から逃げるためにオリオン座は西に沈んでいく。

「わたしたちみたい」

 ふと少女は僕を見て表情を変えずにそう言う。言われてみればそうかも。

 何にでも敵う力持ちのオリオンはサソリの猛毒によって死んでしまう。ギリシャ神話では有名な物語だ。

 少女に道連れにされて列車にぶつかったんだから、僕はオリオンか。

「わたしがオリオン」

「いや逆だろ!」

 くすくすと肩を揺らして上品に笑う少女。僕もつられて笑ってしまう。

 また二人で空を見上げ、逃げるオリオン座と追うサソリ座を眺める。

 気づいたときには僕一人だけがホームに座って空を眺めていた。



 のちに祖母から聞いた話に寄ると鼓駅は、祖母の父、つまりは僕の曽祖父が子供の頃からあったという。

 特に工事もせず改装もせず少しばかりの補強をするだけで当時のまま残っているんだそう。

 そんなに大事な駅なのか。なにか住民たちに思い入れがあるのか。そんな疑問にも祖母はちゃんと答えてくれた。

 戦時中この辺一体は火の海になったそうだ。何もかもが燃えて灰となり焼け野原に。けれどあの駅だけが唯一形として残ったそうだ。なんとも不思議な話である。



 地元を離れ都会の狭苦しさに目が回る日々を送っていると、地元の大自然と夕日と星空がとても恋しくなる。

 けれど、そんな地元恋しさよりも勝るものが僕にはできてしまったわけで、時々変な気分になる。

 どっちかというと僕似のこの子はとても好奇心旺盛で、まだ産まれて一年も経たないというのに家の中のあらゆるものに手を伸ばしたがる。

 今日は久しぶりの休日を堪能するためにレモンパイでも作ろうと思ったんだ。レモンを半分に切ったところで急にインターホンが鳴り、急いで玄関に走る。

 隣人から回覧板が回ってきただけであり回覧板をぺらぺらとめくりながら台所に戻ると、先程切ったレモンを息子が口に入れていた。

 回覧板を放り投げ、大慌てで暴れる息子の口からレモンを取ろうとする。

 ふとこんな光景を昔にも見たような気がしたが…気のせいだろう。

 そう思い苦笑すると、息子とレモンの格闘に割り込むのに専念した。

ロンドン生まれの映画監督アルフレッド・ジョゼフ・ヒッチコックの言葉によって、多くの観光客や旅人が訪れ愛されている港町があります。

クロアチアのアドリア海沿岸にあるザダルという町です。

1964年の5月、休暇で過ごしていたホテル・ザダルの204号室で目にした夕日にとても感激したヒッチコックはこう口にしました。


『ザダルの夕日は世界で最も美しい。フロリダのキーウェストの夕日よりも…』


彼はその美しい風景をカメラに収めるために熱心にシャッターを切ったそうです。

それ以降、ザダルは『夕日の町』と呼ばれています。


わたしも一度でいいから行って見てみたいです。世界一の夕日。

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