奪われた心臓
暗がりの中、どろっとした様な物に包まれる。それが潤滑液の様な物になって、俺の胸を貫いていたプルート腕は自然に抜けていた。だが、奪われた心臓は未だ彼が握っている。
お互いが暗闇に包まれて、互いを目視できなくなる間際。プルートと目が合った。彼は壮絶に恨みを込めた目線をこちらに向けていた。だが不自然に口元は笑っていた。
これで終らないからね。と、彼の口は動いていた。
偏に握りつぶしてしまえばペナルティを受けずに済む物を、彼は心臓を大事そうに抱えたまま、ベヒモスの腹の中の闇に溶け込んで行った。
同時に俺も暗闇に包まれる。
この感覚が、落ちているのか昇っているのかすら判らない。
十中八九、落ちているのだろうが。
阿鼻叫喚する声が暗闇に響いている。喰われたモノの魂の叫びなのだろうか。ベヒモスの腹の中は、一体どこに繋がっているのだろうか。
身体を何者かに掴まれる。
手を、足を、耳を、髪を、爪を。身体のありとあらゆる場所を無数の手がまさぐる。まるで俺の身体を求めて争っているかの様だった。
物理的に身体を削ぎ落とされている様な感覚と共に、身体中からエネルギーが奪われる様な感覚も広がって行く。
この無数の手が、俺の力を削ぎ落としているのだろうか。
被捕食ペナルティの演出だとしても恐ろし過ぎるだろう。
眼球を抉られる感覚がある。
既に視界は真っ暗で何も見えないというのに。
強欲な手だ。
そして意識すらも無数の手によって散り散りに引きちぎられてしまった。
目が覚める。
死に戻りの感覚は久しぶりだった。
ローロイズの教会にある宿舎のベッドから上半身を起こすと、自分の胸部に視線を向ける。神父服を脱いで確認してみた。
穴は無い。
だが、恐る恐る手を当ててみる。
自分の身体なのだから、手を当てるまでもなく、脈打つ鼓動の感覚が無い事に気付いていた。ただ単に手を当てたのは、その現実を受け入れる事が怖かったからだ。
鼓動は、聞こえない。
ベッドから勢いよく立ち上がると、宿舎にいつでも祈れる様に掛けてあるただの十字架を手に取って、その先端を勢い良く自分の心臓に突き刺した。
血は、流れない。
俺の身体は、一体何が動かしているんだ。頭の中で様々な考えが巻き起こる。だがそれと同時に心臓という掛け替えの無い物を失った焦りが今になって押し寄せて来て、思考を鈍らせる。
ポケットから取り出した、運命の聖書は無事だ。俺は何かに縋る様に、聖書を開くとベットに倒れ込みセーフティーモードを展開させる。
「クボ!!」
意識の部屋に入った途端、フォルトゥナが俺を抱きしめる。俺は絶望してしまった人の様に膝立ちになって精神世界に来ていたみたいだった。精神が大分消耗している証拠である。
フォルトゥナの胸に抱かれて、俺はようやく落ち着く事が出来たみたいだった。流石聖書さんと呼ばれた俺のバイブル。
「私の心臓が何処にあるか、わかりますか?」
「ベヒモスの体内で、プルートも命がけで冥界へと脱出した様なの。私と絶対に切れない繋がりがある心臓の位置が冥界へ移動したのが証拠」
でも、とフォルトゥナも泣きそうになりながら続ける。
「立った今、貴方の心臓に永遠の死と呼ばれる種子が埋め込まれたの。発芽までに二十四時間、貴方のエネルギーと吸った種は、世界蝕樹と呼ばれる最悪の魔物に成長してしまう恐れがあるの。貴方の死と引き換えに」
フォルも残酷な言葉だと知っていながら、覚悟を極めて言っている様だった。俺の心臓に埋め込まれた種子は俺の膨大な精神値を吸いながら成長して行き、その規模は世界樹と対になっていると呼ばれる蝕樹へと成長してしまう程だと言う。
世界の魔素や人の生命、希望その他諸々吸い尽くせる物全てを養分とする蝕樹。その性質は世界が枯れ果てるまで吸い尽くし、そしてまた、己も枯れ果てて消えると伝説に残されているらしい。
あえて希望的観測を言うなれば、だ。
まだ世界は終っちゃいない。脈脈を歴史を刻んでいる状況でその伝説は尾ひれがつき過ぎていると言えよう。
そう、失った心臓は取り返せば良い。フォルトゥナと話しているお陰で減ってしまった精神値が徐々に補正されて回復して行く。
それでも、絶対値は半減しているがな。
過ぎてしまった事はどうしようもない。
「24時間は短過ぎる……。なんとかならないのですか?」
「運命操作で72時間にまで伸ばせるけど、貴方はセーフティーモードで過ごさなければならないの」
要するに、一度仮死状態にして遠くに繋がる心臓へのエネルギー伝達を最小限にして種子の発芽を鈍らせる事なら可能なんだそうだ。容赦なく吸い取って来る種子に運命操作で抗っている状況らしい。
直接の心臓がこの場にあれば、まだ手立ては出来たという。
が、何を言っても取り返さない限り始まらない物だ。
猶予はない。
一度精神空間から出て、皆に状況を伝えなくてはならない。
目を開けると、俺のベッドの回りに皆が居た。エリー、マリア、ジンがそれぞれ涙を溜めながら、復活した俺に抱きついて来る。
「良かッタ!! もう二度と目を覚まさないかと思ッタ!!!」
「クボ、ありがとう。ありがとう…」
「神父様あああああぁぁああ!!」
身体がだるい。デスペナルティにプラスして、被捕食ペナルティが加わっているのでそれはそうか。幸運だった所は、オースカーディナルの誓約も一部消滅した事だった。
力が半減した俺の身体に、あの誓約がのしかかっていたら目覚めた瞬間死。という恐ろしい現象が起こりえたかもしれないんだ。
まぁ、フォルがそれをさせないだろうけどな。
「死に戻ってるのに目を覚まさないなんて、肝が冷えたぞ」
ユウジンが言う。だがしかし。
「いや、これを見ろ。みんなもこれを見てください」
俺はいつの間にか胸から抜けていたクロスを手に取ると、おもむろに自分の腕に突き刺した。心臓にブッ刺すのは刺激が強いからな。
女性陣から小さな悲鳴が上がる。皆一様に、俺の身体のありのままを見て目を見開いていた。
「血が、出ない?」
様々な場所で治療を行って来た実績のあるマリアがいち早く異変に気付き、俺の胸に耳を当てた。手首にも指を当てて脈を測ろうとしている。
「脈がないわ。一体、どうなっているの…?」
「奪われた私の心臓は、プルートが持っています。私の心臓からエネルギーを吸い取り24時間で発芽する永遠の死と呼ばれる種子。それは世界蝕樹と呼ばれる伝説の魔物に発展する可能性があります」
俺は説明する。
猶予は三日間だけであると。
「それまでに冥界に行かなければ…なのですが、タイムリミットを三日間に引き延ばす為に、私は仮死状態にならなければならない。みんな、頼めますか?」
俺は静かに皆に告げた。
「まかせとけ」
ユウジンが俺の手を掴みながら言う。その手から彼の熱い想いが伝わって来る様だった。そうか、彼も至近距離で見て傷んだもな、俺の心臓が奪われる瞬間を。
だがしかし、助太刀よりもマリアの魂を優先したのは俺だ。
責任を感じないでほしい。
ラルドの拡張された竜車内のベッドで俺は仮死状態、セーフティーモードに突入した。可能な限り、種子の発芽を引き延ばすのが俺の役割だ。
「さてと…みんなを信じて私は精神修行をするとしますか」
「私も手伝う〜!」
フォルの頭を撫でながら、広い空間へと出る。相変わらずオースカーディナルが太々しく居座っているこの空間。
精神値上昇補正の才能が無くなった今、元の水準まで取り戻すには今までの五倍以上の時間が必要だろう。
次にこの空間から出る時は、心臓を取り戻す時である。
その時に戦いを避けて通れるのかと言ったら必ずしも通れる物ではない訳で、事前に出来る限りの準備をしておかねばならない。
まぁ、実際に出来る事と言っても、精神修行のみしか出来ないんだが。
それでもやるに越したことは無いからね。
才能を失ってしまったが、俺にはオースカーディナルと呼ばれるとんでもないマゾ武器がある。これの誓約を極限まで我慢できる程になれば、耐久値も攻撃値もかなり跳ね上がって入るんじゃないだろうか。
フォルトゥナトレーナーの管理の元、俺はビルドアップと呼ばれる我慢大会に突入した。
前回も説明しましたが、オースカーディナルの使い方は攻撃力が上がるとかじゃなくて、誓約による更なる精神値の修行と言う物です。
本人は誓約をキツい物にして行けばして行く程、自身の力にフィードバックして行くと勘違いしています。
そして次からはクボ視点では無くなりますので、ご容赦を。




