愚かなダークエルフ
「ぐ、糞ったれ……」
王族にあるまじき、汚い言葉が出た。大量に巻き上げられた腐葉土や入り混じった不純物を浴びて、口の中に入った物を吐き出す。
当たりを見回すと、森の木々が無くなっていた。津波の様な土流に根こそぎ流されてしまっているかの様だった。
ケラウノの所だけ被害が少なかった。
何故だ?
目の前には巨大な獅子が居た。闇夜の中でも輝いて美しかった毛並みは、土にまみれて茶黒く染まっていた。そして獅子の隣にはゴーギャン・ストロンドがのそのそと起き上がる。
「畜生、なんで守ったんだ……」
口を噛み締めて、動かなくなったリューシーを見ながらそう呟いた。
「し、死んだのか?」
「なま言ってんじゃねーよ、まだ息があるだろ」
獅子の胸が小さく動いている。
まだ息があるが、でも弱々しい。
「一人も欠けては……いけないのよ……」
彼女は虫の息で言った。
「ダークエルフは、森の記憶を受け継いでいる。それを渡してはいけない。……少し休むわね」
そう言って彼女は再び目を瞑る。
「わかったか? 一人で勝てる程甘くねぇし、お前にそれを背負うだけの器も無い。馬鹿が一人先走るだけで、こういう結果を生むんだ」
ゴーギャンは思い返す。
周りに翻弄され続けて捻くれた男の情けない姿。
下を束ねる立場にある彼はよくわかっている。
戦いと言う物を。
「まぁ、責任はお前だけにあるわけじゃねぇ」
気を取り直して何とかするぞ。
と、彼は再び大きな剣を背負っておき上がる。
「この身体は素晴らしい、ただの力に任せた顕現では歯が立たなかったそこの竜の一撃よりも、もっと強大な力を扱えてしまう。くふふふ」
上空に浮かぶ悪魔、エルダーウッドが言った。
「でも何かに邪魔されてますね、面倒くさい。ダークエルフの住まう深森は……向こうの方でしたかな? 情報によればかなり消耗しているでしょうし、そのままエント達を向かわせよう」
脳裏に自分の父オフェロスの姿が浮かぶ。
場所を掴ませない強大な呪いが施されているが、全ての木々を操られてしまえば人たまりも無かった。
「止めろ! 何故こんな事をする!」
そしてあの質量の攻撃を再び使われてしまえば、ダークエルフの深森は一瞬で飲み込まれてしまう。
「何故……?」
エルダーウッドは嘲笑うかの様に首を傾げて言い放った。
「元より敵対している筈だが? 敵につけ込まれる隙を作ったのは貴方では? 愚かな愚かなダークエルフの王子」
サレエレがこうも嫉妬に溺れてくれたのは、予想外の広い物でしたけど。とエルダーウッドは付け加える。
「我が同胞が、悪魔に負けるなんて事は無い! お前達が非道な手段を使ったからであろう!」
見当違いなケラウノの叫び声に、エルダーウッドは腹を抱えて笑う。
「はっはっはっは!! いいか? 教えてやろう! お前の言う私を降臨させた気高いダークエルフ様はな、心の中でずっと燃え滾らせていたのだよ、嫉妬というなの炎を!!」
「……何を言っている?」
「下らん人間の女一人の為に、お前は同胞を巻き添えにした。知っているか? サレエレというダークエルフが、お前が肌身離さず連れていたあの女に深い深い嫉妬の感情を持ち合わせていたのをな?」
「そ、そんな事が?」
ダークエルフは恋という感情を理解できていなかった。
非常に長い時を生きる彼等には、時に悪い作用を生むその感情を余り子に教えない。元より、現王であるオフェロスがある出来事を境に自然に発生してしまうその感情すら呪いで封じ込めてしまったからである。
エルダーウッドはサレエレを誑かした。
憎しみの中戸惑っていた彼女は簡単に落ち行くのである。
(我が、あの女を欲したのは、単純にその力が欲しかったから……断じてその容姿に魅了されたという事実は……」
心の声が自然に漏れていた。
「サレエレの嫉妬……まさか……それに悪手だった……? た、確かに連れ出してから森の声が全く……オブッ!」
頬を平手打ちされる。
「しっかりしろ! 忘れるな、アレは悪魔だ。ダークエルフじゃないぞ。悪魔の前で心の隙を見せるなダークエルフの王子!」
ゴーギャンが襟首を掴んで強く揺さぶりながら言う。
その揺れの中で思考は冷静さを取り戻して行くかに思えた。
ケラウノはゴーギャンを手で制すと、立ち上がった。
「すまん、助かった。責任は王族である我が取る」
目を瞑る獅子を横目に、色々と吹っ切れた表情をしたケラウノは、指先を噛み切って血を地面に垂らしながら言う。
「ゴーギャン、少し時間を稼いでくれないか? 騙された木々達に再び活を入れねばならん」
「へ、いい表情じゃねーか。でも足が震えてるぞ」
「こうして自分の責任を拭うのは初めてだからな」
森の中では管理者として絶対的な力を持っていたダークエルフ。
しかしケラウノは太古の戦歴を知らない。
自分の判断で他人が死ぬ事実を全く理解していなかった。
陽動作戦をとった時も、我らダークエルフならば、きっと生きて合流できると本当に信じきっていた。
これは英雄とされた絶対的力を持つ父オフェロスの威光が大きい。
そしてその血を受けつくケラウノは、その尊い血を使い、再び森の木々を従えるべく大きな呪いを扱う。
(父上は意志だけで木々を操るが、我にはまだ操る者の証明をしなければならん)
「ま、世の中自分のケツすら更けない奴が一国の頂点やってたりするんだからな、任せとけ」
オーギャンは親指を立てて地面を蹴っ飛ばした。
「おい出て来いよ。運良く生きてるだろ?」
出て来たのはエヴァンだった。土がクッションになって無傷で生きていた。だが、森の津波が来る際に、もう一度口からエネルギーの奔流を吐き出していたため、極度の空腹で動けないのは確かだった。
「腹が減って……ん、これ王果じゃね?」
土で汚れているが、捥ぎ立ての魔力を宿しているのがわかる。
「うおおおおお!!! 超ついてる! 運がいい!」
「お前、バッチーな……」
口を歪ませるゴーギャンを余所に、エヴァンは土なんて関係無く王果に齧り付いた。腹が一瞬で膨れ、果肉が魔素に置き換えられ貯蔵されて行く。
「俺もバッチリだ。時間稼ぎくらいならやってやるから、お前も早くしろよな」
不敬罪で処刑されそうな言動をのたまいながら、エヴァンとゴーギャンはケラウノ前に出て構える。
「厄介ではなく、鬱陶しいですな」
眉をひそめたエルだーウッドは、メイド服を閃かせて地に降りた。王族を偽り無理矢理木を従わせている今、再び管理者として返り咲かれると目障りだった。
さっきのでかなりの木々が死んでしまった。
これ以上、駒を失うのは避けた方がいい。
厄介だった竜の男。
さっきは負けてしまったが、力が増した今なら雑作も無い。
「蠢く木々よ。我の呼び掛けに答えろ」
第二ラウンドが開始される。
エヴァンとゴーギャンは襲い来る蔓や根を回避しながら、ケラウノが攻撃されない様に時間を稼いで行く。
《ボオオオオオオオ!!!》
《主が呼んでいるぞ!!!》
《戦いの時だ!! 盟約を果たせ!!》
《森の侵入者を叩き潰せ!!》
地鳴りと共にエントの集団が集まって来る。
「これ以上もたん! それに何だあのデカブツ!」
「ありゃエントだ! 物理攻撃は通じねぇし、力も馬鹿強ぇぞ! ずっと眠ってたって聞いたのに、起こされて気が立ってやがるのか!?」
焦るゴーギャン。
エヴァンは冷静に切り札を早速使う事にした。
「すまん、森を少し消し飛ばしてしまうかもしれん!」
「何だっていいからやれ!」
迫り来るエントと木々にエヴァンは咆哮を一つ上げてその足を止めさせると、竜魔法を一つ呟いた。
「ベイビーブレス!」
貯蔵された魔力を竜魔法を使用して吐き出す。今までは生命の危機か、腹を下した時にしか出来なかった幼竜の切り札も、いつの間にか制御できる様になっていた。
貯蔵魔力の残りを計算し、確り制御されて吐き出されたブレスは襲って来るエントや木々を消し飛ばして行く。
「全く厄介ですね。迂闊に近づけませんよ。でも、軍勢は三六〇度から迫ってますよ? どう対処しますかな? ——ッッ!」
余裕の表情を見せるエルダーウッドの隣に、大きな丸太が幾重にも振って来る。
「俺も今から本気出すぜ! どうやら騙すだけで余り上手く扱えないらしいな?」
そう格好付けたゴーギャンは倒壊してその辺に転がっていた大森林のどでかい丸太を両手で持ち上げると投げて応戦していた。
「チッ」
エルダーウッドは舌打ちをする。
戦い慣れたゴーギャンは、大技と物量作戦しか未だ出来ないと感づいていた。
「まぁ、私が動けば良い事ですね」
「——お喋りが過ぎるぞ?」
木々の操作に集中し過ぎていた。
気付けば全力で疾走したエヴァンが目の前に迫っている。
「くそ!」
大きな闇の波動を生み出す。
「グッ! やっぱり力が増してるな」
「くふふふ! 貴様でもこの規模の魔力は食べれないのだな!」
天敵の切り札が無効と知って、エルダーウッドは愉悦にウチ震えた。お返しとばかりに波動を纏った右手でエヴァンを吹っ飛ばす。
「——だからお喋りが過ぎるって?」
ニヤリと笑ったゴーギャンが言葉をかぶせて来た。
それと同時に。
「すまん、待たせた。《森の木々よ、目を覚ませ。王は誰だ。もっと尊い血を持っていた筈だ。その証明をしよう》」
ダークエルフの言葉で紡いで行く。
「《——従うのは、我だけで……》」
「ケラウノ様、私です。サレエレです」
詠唱中に見知った声が聞こえて来た。
雰囲気やトーンから全て、長年聞いてきた付きのダークエルフであるサレエレの声だった。
時間が止まった様に感じる。
「サレエレ……なのか? 悪魔の誘惑に勝ったのか?」
「はい。長らく眠っていた様な気がします。これは一体……?」
馬鹿野郎!
悪魔降臨は意志すらのこらねぇ!
遠くでゴーギャンが叫んでいたのだが、耳には届かない。
覚悟は決めていた。
でも僅かでも彼女が元に戻るなら、それに縋りたいのも本心だ。
馬鹿な自分の決断を、許してほしかった。
赦しを乞う様にフラフラと近付いて行く。
そしてまた、ケラウノは同じ過ちを繰り返す。
途中で止まってしまった詠唱。
もはやまた繰り返す余裕なんて無い。
ゴーギャンの叫びも虚しく。
サレエレ、の身体に降臨したエルダーウッドはニヤリと口を大きく歪ませた。
「実に愚かですな。王族ならば覚悟を決めたら主旨貫徹せねばなるまいに」
近付いて来たケラウノの腹を鋭く伸びた木の根が引き裂いた。
「……ッッ……」
ケラウノの身体が痙攣する。そしてだらんと力なくサレエレを包容する様に倒れ臥した。
「ある意味、優しかったのでしょうな」
エルダーウッドも、優しく抱きとめる。
美しい嫉妬を見せてくれたサレエレに経緯を表しての事。
「さて、彼女の意志もこれで貫きましたし。契約は満了しました。これで晴れて自由のみですな!」
エルダーウッドは身体に蠢いていた嫉妬の炎が、役目を終えて綺麗に収束して行くのを感じた。
燃え尽きるまでが美しい。
愛した男の近くに居る女が憎いあまりに悪魔と契約し、その愛した男を殺してしまう。
「何と言う悲しい物語でしょうな。脅威も無くなった事だし、この森は晴れて邪神様の領土というわけで、私が統治しましょうぞ。そうだ、せっかく肉体を得たのだ、趣味に本を執筆しよう、悲しい愛の物語でも」
さっきまで戦っていたゴーギャンやエヴァンは何処吹く風といった面持ちで、エルダーウッドは汚れを払いながら歩こうとする。
ドス。と背中に衝撃を受けた。
肉体と精神は別々になっている様な物なので痛みは無い。
「この痴れ者の……悪魔が……ッ」
エルダーウッドは、背中に刺さっていたナイフを抜いて投げ捨てる。
「まだ生きていましたか。ふむ、どうせならこっちの肉体の方が遥かに使い勝手が良さそうだ。彼女の炎が残っているうちにやっておけば良かったですな」
サレエレの身体をもう使えないと言い放ったエルダーウッドは、瀕死のケラウノの顔を掴むと口づけをする。
まるで物語の最後はキスで締めくくらねばと言っているかの様だった。
熱く口づけを交わす二人に向かって、空から光が降り注ぐ。
闇夜が昼間の様に明るくなった。
やる気が出てるよ。最近




