護国竜と一人の侍
『……腹を空かせておるか』
何かを感じ取ったローロイズの護国竜は、眠りから目を覚ますとポツリと呟いた。
『……まだ殻から孵ってもおらぬくせに』
この世に生きるものは全て、空かせた腹を満たす為にその身体を擡げる。自然の摂理、魔素の塊を内包する竜種は文字通り成体にならずとも食物連鎖の頂点に居座る。
まだ幼く発達していなくとも、竜は竜として成り立っているのだ。
そして、護国竜ガイヤは遠く魔大陸の地で餌を求めて吠え続ける我が子の叫びを感じ取っていた。
『殻から、孵ってもおらぬくせにな』
先を見通す澄んだ翡翠色の目を遠くに向けながら再び呟いた。
その瞳からは母性が感じられる。
「なんだガイヤ? 溢れ出んばかりの母性を身に纏ってるぞ」
「……興が削がれた」
さっきまで澄み切っていた煌びやかな瞳も、その男の一声で鈍色に変わる。
「もうとっくに魔大陸へ渡っているかと思ったぞ」
「少し準備する物があってだな」
男は言う。
「飛竜の卵はどうなっている?」
その一言に、ガイヤは目を細めた。
「持って行くのか?」
「ああ、居るんだろ? ———受け継いだ奴が、面倒事増やしやがって」
どこでその情報を、とガイヤは心の中で悪態をつく。この男の所属は、ビクトリアの大教会の目の前にあるもう一つの大教会"福音の女神"所属だったな。ローロイズもエレシアナの目が変わってから著しく発展を遂げたが……、福音の女神は未だ底知れぬ何かを感じさせる。
元々小さなパーティだったとガイヤは目の前の男から聞いていた。
パーティのリーダーは一人の神父。
その神父に集ったのが福音と呼ばれるパーティ。
"世界に一つしか無い魔本を持つ魔法を極めし少女"
"上級精霊フェンリルを従えるエルフの姫君"
それだけでも一国に一人でもいれば十分すぎる程の肩書きを持つ傑物であるというのに、このパーティの男たちは更に上を行く。
"賢人でも有り、魔人でもある占い師"
"福音の裏側全てを担う黒い執事"
目の前に居る男はよく知っている。
"心に鬼を宿す者"
思えば、こんな奴が竜の卵を孵化させるだなんて、到底不可能に違い無い。たぐいまれなる剣の才を持ち、自身でそれを理解し情熱を注ぎ続けている男は、民衆から"剣の鬼"と呼ばれ、次第にその剣筋に鬼人の如き鋭さを宿し始めた。
護国竜ガイヤも初めのうちは気付かなかった。
意志は人を先に進ませる。
剣聖という立場も、否応無しに変質し、この男は更に強くなる。
一つの育ての親の様な目線を持っていたのだが……、
(この男は、この男は、とんでもなく可愛くない)
出会い頭に『たぐいまれなる剣の才を持つ男よ』と告げたガイヤに向かって、その男はこう言い返したのだ。
『"唯一無二だ馬鹿野郎"』
言葉通り。
「本当に唯一無二だったか……」
人は誰しも心に鬼を持つ。
それは太古、人斬りの侍に取り憑いた。
そうする事で世界に鬼は溢れない。
当時はそう信じられていた昔話だ。
絶大な力を実に与えるが、災厄にもなりかねない力。
彼の侍も扱いきれなかった。
そんな代物を、目の前に立つこの男はただひたすら剣を振るう意志を持ってして押さえつけた。まるで『お前らの意見は関係ねぇ。俺は剣を振るうから黙ってろ』とでも言わんばかりの。
「あ? 何言ってんだ。こっちだって色々準備してんだよ。いいから早く寄越せ」
「……」
物思いにふけっていたガイヤは、我ももう年寄りかとしみじみ感じてしまった。齢幾つかも既に覚えちゃいないのに。
「お前らの情報源は恐ろしい……承知した、暫し待て」
ガイヤが目を瞑ると、男との間に魔法陣が浮かび上がる。そして大きな飛竜の卵が魔法陣から姿を現した。
「まぁ、セバスは色々と苦労してるからな」
「手伝いと称して他国の内政までやらせた上に、その言い草か」
ガイヤは思う。あれは黒い執事ではなく、苦労執事だったと。
確か福音の女神のトップであり、あのエリックの後継者、現法王である神父クボヤマは職務をほっぽり出して魔大陸でのトラブルに巻込まれていると聞いている。
(それだけ癖の強い連中を纏めるのには並みの努力じゃ足りないか)
戦闘力はそこまで無いと聞くが、それ以外の能力でフルカンストしていそうな執事を思い浮かべて、全く表情が変化しない竜姿のガイヤの口が一瞬曲がった様に見えた。
「適材適所。ほら、俺戦闘員その一だし」
卵をしまう男に、ガイヤは聞く。
「確かに、我は一つの推測を持って子を現法王の居る魔大陸へと導いた」
何かしらの運命にあれば交じり合うかもしれない。
あくまで、可能性の範疇だった。
「運命と呼ぶには本当に出来過ぎているが、魔法を受け継いだエヴァンは、魔大陸に渡ってすぐクボヤマと合流したよ。そしてすぐ一つの迷宮を潰した」
「無秩序区の迷宮であろう。アレは神父の怒りであったと報告が上がってる。そして未だ竜魔法の初手しか使えないはずだがな」
チッチッチ。と男は指を振る。
食い殺そうかと思ったが、我が敵意を持たぬ人を裁く事は二度と無い。
……人でなければいい。
子に受け継がせた今、勝てるのかわからんが。
「クボヤマにはやらかした事だけは報告を上げさせてたからな。セバスが鬼マインして」
男が小型魔導通信機を見せる。ここ最近、魔導制御言語と言う新たな技術が生まれた。民衆は"M言語"と呼ぶ。そしてセバスの元で密かに作られているのがメッセージの送受信アプリ。
——通称MINE。
コンセプトは、"心と心を通わせる"だ。
クボヤマは連絡無精に落ち入りやすいのでしっかり"既読"がわかる機能搭載付き。三日既読が付かなければセバスが鬼マインして、それでも気付かなければ全員出動。クボヤマを無理矢理にでも連れ戻す密約が交わされていたりする。
因に、エリーは持って数時間でクボヤマにブロックされた。
世界をあるがままに楽しむ派であるクボヤマはゲーム内。RIOの世界でこう言った最新式の通信機器を持つ事を嫌がる。
連絡が可能になったのは嬉しいと言っていたが、こう言ったアプリは「なんか違う」と必要最小限にしているのだ。
ビデオ通話はいいのかと突っ込まれれば、そう言う魔術だってあるからこれは有りだと。……エリーは着信拒否されている。
「……ふむ」
ガイヤは男の持つ魔導具を一瞥して呟いた。
「なんだ、欲しいのか?」
「……欲しくないと言えば嘘になるが、我は連絡する相手もおらぬし、使い方だってわからぬ」
普通の人からすれば、竜が魔導具を使うなんて考えもしない事だろう。文字通り、人が使う物だという前提があるから。
そんな物はこの男には無い。
竜種が人の姿になれる事を知っているから。
「エヴァンに持たせればいいだろうが。使い方なら俺が教えてやるよ、船の中でな」
「ふむ……考えん事も無い」
ガイヤの表情が今日二度目の変化をおこす。
それに釣られて男も笑う。
「はっは! なんだかんだお前も親バカだな!」
「我が子が可愛くて何が悪い」
そう言ったガイヤ。
彼女の元に魔法陣が浮かび上がる。
そして魔法陣に包まれたガイヤの身体は光を帯びて収縮して行き、胸元の大きく空いた翡翠色のドレスを纏った妖艶な美女が、同じく翡翠色の真っ直ぐな長髪を揺らしながら男の方へ近付いて行く。
「我、最新式が良い。エヴァンにもそれを持たせようすぐに準備しろ」
「気がはえーな。ってかこんなに美人だったなんて知らなかったんだけど」
少しつり上がった翡翠色の瞳が男を貫く。
妖艶な口元はニヤリと動く。
「驚く暇はないぞ、我が子の成長を見届けねば」
「まるで何しに行くかわかってる様な言い草だな」
ガイヤはチッチッチと指を振る。
「最早、今のお前にその飛竜の卵は孵化できん。そう言う事であろう?」
やり返された男は額に青筋を浮かべるが、ガイヤの言葉を聞いて話が早いと笑みを浮かべる。
「悔しいけどな。でもなっちまったもんはしょうがねぇし、セバスの予想ではこれから大きな戦いがある。邪神勢も動き出した筈だ」
それなのに、と男は付け加え。
「ウチのギルドマスターは絶賛家出中だ。まぁ本人は自由に行きたいのに、周りがそれを許さないからな。今回は見送ったつもりだったが向こうでも色々あったらしい、少し気合いを入れ直しに行く訳だ」
「その為に色々と準備していたわけであるな?」
「そうだ。少し黒歴史をいじり倒してやろうと思ってな……ぷ、ぷくくくく!」
男は思い出した様に笑い出す。
ガイヤは訳がわからず唖然としていた。
「いや、こっちの話だ。すまん」
「よかろう。それより、早く魔導通信機を二台購入しに行くぞ」
「ってか、いいのかお前? ここから勝手に出て」
「今のローロイズは安定している、そう簡単に争う事も無かろうに」
ガイヤはふと立ち止まって男の方を向く。
「お前と呼ぶな。これでも竜種だ。ガイヤと呼べ」
「じゃ、俺はユウジンだな。人らしく名前で呼び合おうか」
神様は天パ。
竜種はストレート。
遂に護国竜が動き出しました。




