南魔大陸の大冒険-2-
「なんでこんな事になるの!」
鬱蒼とした森の中を歩きながら、ルビー・スカーレットが少しヒステリーに叫ぶ。まだ昼間だというのに、大森林の樹海の中は薄暗かった。生い茂った木々が太陽の光を遮っているのだ。
俺達を乗せていたキャビンは前方のキャビンとを連結させる金具が弛み外れていた。それによって、よくわからない進行方向へと慣性の法則によってひとりでに進み、中でわちゃわちゃやっている間に樹海の丈夫な木に打つかった。
ついてない。だが一番ついていないのは、一先ず次の高速竜車を待ち、乗せてもらおうと考えたのだが、馬よりも早い速度で運行する高速竜者だ。御者席に座る人から見ても、俺達はただの旅人としか映らなかったようだ。
誰一人として、呼び止め叫ぶ声に耳を向ける事無く。敢え無く、俺達はこの鬱蒼とした樹海を歩いて"統べる大樹"を目指す事になった。高速竜車用の道路を歩こうという案も出たのだが、引かれてしまえば元も子もない。そして確か中継地点も無いノンストップだった気がする。
大森林を大きく迂回しているその竜車道路を歩いて向かうなんて、一体どれだけの時間がかかるのだろうか。二週間くらいは掛かりそうな予感がしたので、それをするくらいならば、バンドの案内の下で、薄らと遠くにそびえ立つ統べる大樹まで樹海を突っ切った方がまだ良かった。
「嬢ちゃん、昼間と言えどあんまり大きな声を出さない方が良い」
バンドの一言と共に、森のどこからか雄叫びが上がる。
「太陽が昇ってる内に、行けるとこまで行こう。道案内は俺に任せな」
昼間と言えど、奥に行くにつれ影が濃くなる獣道を、バンドが先導してくれる。本当に、彼が居てくれて良かった。一見その顔つきから凶暴な狼人の様に見えるが、実際の彼は正義感が強く、世話焼きである。
ルビーが漏らしてしまった時も、エヴァンが食べ過ぎて嘔吐してしまった時も、彼が率先して洗濯と懐抱を行っているからな。
だが、人一倍恐怖心を持っている部分もある。今だって獣人であるが故に森の案内を引き受けてくれているが、彼の耳が小刻みに震えている。
恐怖心は、危機感の現れだ。生きてく上で一番大事な要素である。故に、バンドの選択するルートを疑う事は無い。
このメンツ、どうしても危機意識が薄い。身の危険よりも自分の欲望に忠実な奴ばっかりだからな。案内と索敵はバンドとエヴァンに任せて、俺は後方の軽快に当たろう。
「この森を突っ切れば、獣人族のテリトリーまで三日でつくからな」
こうして、長いようで短い俺達の冒険が始まるのである。面白い物があれば良いんだがな。初めの頃はよく旅をしていたが、それは仲間達に安全を約束されていた旅立った。
人の作った道を使い、中継所で夜営し、飯も美味い。今の俺達はお金くらいしか持っていない。俺のプライベートエリアに雑貨は色々と準備してあるが、こういう冒険をしてみたかったので、出来る限り出し惜しみしておこう。
男と言う物は、冒険に憧れる物である。
はぁ〜ワクワクする。
日のある内に、俺達は出来るだけ歩いた。日が昇り切った後だった事と、ルビーのお陰で進める距離はそこまで稼げなかったが、俺とエヴァンはバンドの説明の元に、大自然の色々な物を堪能した。
それは天然水を溜め込んだ樹木であったり、そのまま齧ってもジューシーな甘酸っぱい果実。南魔大陸原産の天然食品を歩きならが食べ歩いた。
「あの果実、輸入できないのか?」
「それは無理だぜ。王果のあの味は、捥ぎ立てじゃないと味わえない。かといって栽培しようとしても、南魔大陸じゃないと実がならないただの木だからな。統べる大樹にも唯一自生している場所があるが、それは王家の所有地になってるから、今だけだぜ」
王果と呼ばれるとんでもなく美味しい桃色の果実。綺麗な丸い形をしていて、大森林でもなかなか自生している場所が掴めないそうだ。そして一度実を落とすと、その場所には二度と実を付けない。
大変貴重な果実なのであった。ちなみに、エヴァンが「これ! めっちゃ良い匂いがする!」と言って見つけた。実に幸運な男だ。
「また食べたい! あれ食べた瞬間かなり腹が膨れたんだ!」
「リューシーはもてなしてくれると言っていた。王家まで行けば食べられるかもな」
未だに味を思い出して涎を垂らすエヴァン。彼の腹が膨れるという事は、魔力的な要素が凝縮されているのだろうか。王という名を持つ果実だ。それはそれはとんでもない物なのだろうな。
俺は美味しいだけで特に何も感じなかったけど。
「虫がついてたかもしれないのに……よく食べれるわね……もううんざりよ……ここに来てから虫、虫、虫だらけ! おまけに信じられないくらい大きいのよ! あちこち何かの糞だらけだし! こんな事なら、迷宮に潜ってた方が良かったわよ!」
森を進み始めてから、ルビーはずっとこんな調子なのである。最初の頃は、たまに頭に降って来る虫を、叫びたい気持ちを押し殺して我慢していた。
俺達が進んでいるのは獣道だ。静かに歩かなければ、幾ら安全なルートを選択しているからと言って未知の魔物や猛獣に遭遇しないなんて事は無い。
だが、気付いてほしい。
ルビー・スカーレットはついてない女である。
虫が頭に降って来る事から始まり、木の根には転び、蜘蛛の巣にはひっかかり、上からは虫の他に鳥の糞。そして木の根に転んだと思えば、その大事な服に動物達の排泄物がこびり付いていた。
我慢の限界などとうに超えていたのだろうか。次第に彼女の身体から恐怖による震えは消えて行き、そして新たに別の形となってプルプルと押し寄せていた。
そう、怒りだ。
それでも、最初に聞いた雄叫びにビビってひたすら声を押し殺していた彼女は、いつしか無言で不幸を払いのける様になっていた。
まったく、逞しくなっちゃって。
俺達がカッコいい虫だ、うまい果実だ、この木から滴る蜜や水が美味いだの。すっかり大自然を堪能している間、彼女はずっと息を押し殺し、唇を噛み締めていた。
そして、今晩。
バンドが夜営に選んだ場所。
大きな樹木の枝分かれした根っこの部分にぽっかり開いた穴。そして、その前にて彼女は怒りを爆発させた。
「なんでそんな場所を選んだのよ! 木の根っこって、私は芋虫でもモグラでもないわ! そんな場所で寝るくらいだったら、夜通し寝ずに歩いた方がマシよ!」
「だけどな嬢ちゃん……少人数で夜を歩くなんて、獣人族でもやらないぞ?」
夜営に使う場所の確認から戻って来たバンドが、衣服に付いた土泥や虫を叩き落としながら穴から出て来て、やれやれと言った表情をする。
「おまけに、ここはカーバンクルの巣だった後がある。森の妖精の加護で十分に満たされている。全然汚くない」
虫も獣も襲わない。
バンドはそう言っていた。
俺の目から見ても、確かに小汚い木の根っこに見えるのだが、どこか神聖な気配が漂っている。
カーバンクルは、宝石好きのリスの様な妖精らしい。
覚えておこう。
「とにかく、夜が来るまでにさっさと夜営の準備をしよう。大事な荷物は全部この穴に入れとけよ? 悪戯好きのノームが持って行ってしまうからな」
そう言いながら、バンドは自分の鞄から鍋や皿を取り出して並べて行く。そして彼の持つバックパックに目を向ける。何処かで見た様な……。
「心配するな。どうせ飯作れないんだろ? 夜営は俺も心得てる。この森は食べ物には困らねえからな!」
「いや、そのバックパック」
「お、これの名前を知ってるのか? そうそう。アラド公国で偶然見つけてな。かなりの荷物が入るからな。綺麗好きの俺にはもってこいだぜ」
そう言いながら虫を払った手で鍋に付いた汚れを払い出すバンドに、ルビーが「どこがよ……」と諦めた様に呟いた。まぁなんにせよ、彼が居る事でかなり助かってる部分が居るんだから気にしない方向で。
ルビーと共に穴の中へ入ると、全員で寝転んでも十分な広さが確保された空間が広がっていた。以外と広いんだな、と素直な感想を抱く。
「天井以外はね」
俺の声はルビーに聞こえていたようで、悪態をついて来る。確かに、膝立ちがギリギリだった。狼人であるバンドなんか、四つん這いで四足歩行しながら這い出て来たもんな。
「住めば都って言うだろ」
「ベッドよ、ベッドで寝たいのよ。あんな枯れ草を敷き詰めただけじゃ嫌なの」
視線の先を見ると、カーバンクルの寝床として使われていたのだろうか。枯れ草が一カ所に溜められていた。指で触れると、そこからウゾウゾッと小さな虫達が、湧き出て来る。
「きゃあああああ!! ちょっと! ちょっとっ! バンド! やっぱり無理よ! 一人で外に寝るわ!」
「暴れたらもっと虫が湧くだろ! ちょっとは落ち着いたらどうだ」
手足をばたつかせるルビーを、俺は必死で押し止める。騒がしくてかなわん。確かに、以前の旅と比べるとその質は格段に落ちているのだが、一度嘔吐物塗れになったり、小便塗れになった俺からすれば、なにも問題ないのだ。
「ぁんっ! どこ触ってんのよ馬鹿! いいから放してよ! もう出る! 出してよ!」
「不可抗力だ。ってか暴れるからだろこの糞女!」
「言ったわね! あんたの服は自動修復だからいつも綺麗よね! でも私のは何も無いただの服よ? しかも、もう乾燥して落ちないの!」
そんな押し問答なのか何なのかよくわからない口喧嘩へと発展した時。穴の入り口から赤くて綺麗な石が放り込められる。ルビーは自分の髪とよく似た綺麗な赤い石を手に取ってマジマジと眺め、落ち着いている。
マジで何なんだこの女。
さっきまで暴れていたくせに。
ちなみに、ルビー・スカーレットと言う女は、俺の目測ではDカップはあるだろう。しかもくびれも悩ましい腰つきで、お尻はキュっと上がっている。とんでもなく目の保養になる女なのである。
だがしかし、天は二物を与えなかった。
頭がとんでもなくパッパラパーなのである。
普段こういう事を考えると、プライベートエリアでの説教が待っているのであるが、そんな嫁達でさえ彼女には同情しているらしい。
と、いうか。
あの時船の中で口説きかけていた俺を殴りたいのが、今の心情であったりする。
「うるさくてしょうがねぇ! クボ、何とかならないのか?」
「今の宝石で落ち着いたぞ」
入り口から顔を覗かせて、此方を窺って来るバンド。その表情は俺と同じ様に呆れ切っていて、宝石にご熱心であるルビーを見ながら二人で溜息を付く。
「根本的な原因の一部は、お前にもあるんだぞ?」
「あの時は、まさかこんなだとは思わなかったんだよ……」
それもそうだ。と俺達は苦笑いする。
洗濯の友なのだ。俺達は、パンティを洗濯し合った仲なのだ。そこから生まれる友情に、なんだか良く判らない感動の涙を感じながら、バンドが言う。
「その宝石はカーバンクルが好きだと言われる、魔結晶だよ。それをカーバンクルの巣に砕いて撒くと、害虫がって一切寄らない森の聖域になる。しかたねぇからくれてやるよ」
ほらさっさとやれ。そう言って料理の支度へと戻って行ったバンドだった。
「え、こんなに綺麗なのに……」
「虫塗れで寝るのと、それを使って害虫駆除してから寝るの。どっちがいいんだ?」
バンドがお情けでくれた魔結晶を砕く行為に、未だ迷っていたこの女に究極の二択を迫る。名残惜しそうに、彼女はその辺の石で砕こうとしたのだが、時間差で結晶が勝手に砕けてくれたので、余計な手間をかけずに済んだ。
そして、飯が出来たぞ。というバンドの声に呼ばれて、辺りが徐々に暗がりに包まれる夕刻、夕陽を背に大地の恵みを大量に使ったシチューに舌鼓を打つのである。
シチューか。
俺の大好物じゃないか!
遅れました。
宝石じゃなく、魔結晶です。
この意味が、お分かりで?




