現実と嘔吐物は似ている。
「あ、アレは……大丈夫なのか?」
筋肉の塊に包まれ、姿すら見えなくなったクボヤマを見ながら女に尋ねる。狼人族であるバンドも、安全圏である酒場のマスターの隣へ避難していた。
魔大陸へ向かう屈強なハンター達が、一斉に一人の男を襲った。のしかかり、殴り掛かり、蹴りかかり、それで確りと攻撃は届いているのかと言う程に意味の無い拳を繰り出す人も居た。
そんな流れ弾によって殴り合いの喧嘩は余所へと波及し、宛ら、一体誰がどんな恨みで誰を殴っているのか判断がつかない混戦状態へと突入している。
「いいのよ。多分」
胸元で腕を組み、意外と大きな胸を強調させながら、赤髪ウェーブの女は若干上擦った声で中途半端に肯定する。
(多分って、確証がないままこの女はこの騒動を引き起こしたのか……?)
やっぱり人種は恐ろしい。と再確認した瞬間だった。ありのままの出来事にどん引きしながらも、渦中の人物の生死を探るべく、バンドは獣人族特有の人より格段に優れた鼻と耳をぴくぴく動かした。
だが、強烈な酒の匂いと、男達の汗の匂い。そして狭い空間でドンチャン騒ぎしている騒音のお陰で、何の情報も得る事が出来ず仕舞いだった。この場で彼に出来る事と言ったら、まさに神に祈るくらいである。
一方で、隣に居る赤髪ウェーブの女の心音は、けたたましい音を立てながら鳴り響いていた。自分でも判る、普通の人間だったら死亡事故である。例え剣と魔法のゲームの世界でも、リアルスキンモードはデスペナってしまう。
(本当に、これで良かったのよね? 大丈夫よね? 彼は確か不死身と言われるゴッドファーザークボヤマな筈。私の情報は確かな筈、多分)
自分が仕出かした事に対しての反芻確認。そして肯定に継ぐ肯定。ただ、その肯定も極めて独善的な思考回路による肯定であると言う事を忘れてはいけなかった。
(ボロは出さなかった筈。ってか、彼が不遇を味わう狼人族を助けなかった事がいけないんだからっ!)
そこからの責任転換。彼女は無事、自分の精神を安定させる事に成功する。彼女は姉妹でRIOのプレイヤーをしていた。クボヤマの情報は、姉の彼氏である某ギルドの焔魔術師から流してもらい、この酒場まで追って来たのだった。
焦り癖を押し殺して、至って冷静に振る舞っていはいるものの、心の中はもうぐちゃぐちゃ。せっかく安定を見せた精神も、数分もすれば「本当に大丈夫なのかよ、おい?」と悪魔の囁きが巻き起こり、同じ事を繰り返す。
(でも彼は英雄よ? そう、英雄なのよ? 全てが丸く収まるに決まってるわっ!)
なかなか姿を現さないクボヤマ。積み重ねられて行く酔っぱらいの筋肉。いつしか床には血反吐に混ざって嘔吐物も散らかっていた。それを目の当たりにした彼女の頭の片隅に、もんじゃ焼き食べたいと言う思考が過る可能性は3%。残りの97%は再び不安に変わって行った。
———
揉みくちゃにされながらも、俺はセバスとの約束を頭の中でまるで聖書を読み上げる様に唱えていた。一つ…二つ…三つ…。
怒り興奮した野郎共って何故上半身裸になるんだろうな。衣服に包まれていない俺の顔は、さっきまで滴っていたエールの他に、ぬるぬるとした汗、血、その他色々な液体によってさながらエステサロン如き様子となっていた。
落ち着け俺。
落ち着け俺。
落ち着け俺。
既に、三つ目のもめ事を引き寄せないを破っている可能性を必死に頭の中で否定しながら、聖書を読み上げる。気を紛らわせる為に、フォルとクレアとクロスを引っ張り出してお喋りでも使用と試みた。
あいつら、裏切りやがった。
なんでこういう時だけいねーんだよ。
ってか精神空間であいつらだけでお茶でもしてるんだろうな。マスターである俺が、ホモホモパラダイスエステ状態に落ち入っているというのに、何この格差社会。泣きそう。
例え、もめ事を引き寄せたとしても、全力でシカトする事によって、嵐が通り過ぎるかの如く、いつの間にか晴れわたっている筈だ。
という希望的観測も、そろそろその一定ラインを踏み越えようとしていた。怒りのK点まで、あと数メートルと言う所だろうか。
いやいや我慢だ。
まだジャンプ台から飛んですら居ねーよ。
そう、心に決めた瞬間だった。
「てめぇ!! やりやがったな!! ぶっころおぼろああぉぉろろろろ!!!!」
「うわッ! コイツゲロぶちまけて気絶しやがった!!」
「おいおい!! どーなってんだこりゃぁ! 一面がゲロまみれじゃねーか!」
超低級エステ、最後の仕上である。
ツーンとした匂いが部屋に充満した結果。
ええいやあ君から貰いゲロ状態。俺は体勢あるから良いけどな。マリアのゲロなんてチャンポンした酒と色んなツマミがミックスされた激臭だぞ。
だが、魔大陸を目指す屈強な男共も、各地でゲロによるテロが起きている状態は耐えきれなかったのだろう。
つまるところ。
丁度一番俺に近い所に居た人物。
そう、一番最初に飛び込んで来たが、その後に様々な男が俺に集結。そして一緒に潰された結果俺を差し置いてボコボコにされてしまった哀れな噛ませ犬君。
グドル君が気絶しながら寝ゲロ。
気絶しているので、嗚咽さえ無い。
俺の顔面に、この男が今まで食べたと思われる胃の内容物が一挙に押し寄せて来た。今の俺には、もう酒場の喧騒なんて聞こえなくなっていた。
聞こえるのは、ペチャペシャと言う吐瀉音のみ。
その途端、猛然たる勢いで俺の心のボルテージはスタート位置から滑り降り、もの凄い勢いで跳躍、怒りのK点を自己最高ベストで飛び越えたのである。
「いい加減にしろやあああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
最早気絶して嘔吐した野郎共が積み重なって出来た山を、さながら噴火する様に俺は全力を込めて立ち上がった。噴火時に岩石が吹っ飛ぶ様に野郎共が壁に叩き付けられて行く、マグマの代わりにゲロ事巻き上げる。
「うわああああああ!!!」
キレた俺に戦いているのか、はたまた飛び散るゲロに対して恐怖を感じているのか、最早どっちか判らない程混乱している酒場である。
どっちでも良いわい!
「またゲロ処理か!? あ!? これだから酒乱は嫌いなんだよ! 酒くらい大人しく飲めや馬鹿共!!! 俺は! てめぇらの! 汚物処理班じゃねーんだよ!!」
「キレる所そこ!? 他に無いわけっ!?」
捲し立てる俺に、若干引きながらも冷静なツッコミを入れる赤髪ウェーブの女。
そうだ、事の発端はコイツじゃねーか!
猛然たる勢いでカウンターを振り返るとその勢いで飛び散ったゲロがカウンターに居た人達に降り注ぐ。
「きたなっ!?」
「キャウンッ!」
この騒動を引き起こした割には、偉く小綺麗に纏まっている赤髪ウェーブの女に、怒りのボルテージは上がって行く後で説教だな。説教。
そして、飛沫が丁度鼻に直撃したバンドとかいう狼人。お前はその不運を恨め。っていうかなんでお前もちゃっかり安全圏に居るんだよ。
酒場のマスターは相変わらず事態を無言で受け止めていた。……あ、白目向いてる。御愁傷様!
「あ、兄貴ぃいいいいい!!!!」
吹っ飛ばされたグドルを抱きかかえながら、その怒りの矛先をこちらに向けて来る男がしゃしゃり出て来る。
「ああ! こんなにぼこぼこになって、息してない!?」
寝ゲロは危険だからな。
ってかボコボコにしたのは俺じゃねーよ。この酒場に居る俺以外の不特定多数に決まってるだろ。因果応報だろ馬鹿野郎。
「よくも! よくも!! 兄貴をゲロまみれにしやがって!!! てめぇただじゃおかねぇぞ!!!!」
「知るか!!! そりゃてめぇの兄貴自身のゲロだわ!! 喰らえ何だが少し胃液で溶けたトマトの様だった物アタック!!」
「パヒュンッ!?」
口を開き罵りながら向かって来る弟の方に、彼の兄貴の口から出て来て俺の肩に乗っかっていた少し溶けた赤い野菜をその口元目がけてぶん投げる。
俺は投擲系のスポーツが実は苦手なのだが、運命改変によってその軌道を修正してやると、見事に弟の口の中へ吸い込まれて行った。ま、在るべき所へ戻って行ったのだ、トマトの様な物も本望だろう。
気道を塞がれよくわからない声を発しながら弟は白目を剥いて倒れた。
「やべぇぞあいつ!! 汚物処理班だ! 俺らも纏めて処理されちまう!! 逃げろ!!! 逃げろ!!!」
誰かが発した聞き捨てならない叫び声。
喧嘩が波及して行くよりも、断然速いスピードで、酒場の荒くれ共達の中に恐怖が伝染して行く。彼等は腰が抜けて這いずり回り、ゲロまみれになりながらも、酒場の出口から一目散に逃げ出して行った。
後に残された物は、汚物まみれになった酒場と汚物にまみれて激臭を放つオブジェと化した寝ゲロアート共。
そして、安全地帯でのうのうとこの行く末を見守って居た者だけである。
「ピッ!?」
ゲロをまき散らしながら赤髪ウェーブの方を振り返る。目が合った瞬間彼女が怯えた様に、いや、どん引きも入り交じった奇妙な怖がり方をした。
「説教だ! 説教!!」
俺は彼女の手を握りしめる。ヌルヌルしているので滑らない様に確りと衣服ごと掴み、確りと説教が出来る場所を探して歩き始めた。釣王の自室で良いや、ご飯喰わせてもらった所だな。
「ちょっと、手を掴まないで! やだっ! 洋服はダメッ!! これ、キヌヤで買ったのよ!? ブランドよブランド! ちょっと放してよ! ね? ね? お願いだから! いやああああああああああ!!!!」
面倒だ。ジタバタ暴れる赤髪ウェーブを担ぎ上げて、俺は酒場を後にした。残されたバンドは、この日を境に酒は飲んでも飲まれるな、と心に誓ったらしい。
新章、もしくは新しい展開には必ず用意しているゲロ回でした。
いかがだったでしょうか?
前にも増してパワーアップした描写をお届けで来たかなと思っています。(ホクホク)
描写を確り書いてほしいという感想を何度も頂いていましたので、ゲロ回は良い練習になります。
精進します!(どの方向にとは言ってない)




