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 雨の勢いが収まり始めた。間もなく昼食時というころだ。


 やっと弱くなった雨に安堵し、宗太はほっと息をついた。

 両親は畑仕事に出ていて、家には宗太と祖母しかいない。祖母は大人しく、手遊びのような針仕事をしていた。

 ――透子、気を悪くしてないかな。

 夏休みの宿題を前に、宗太は気もそぞろだ。年を経るにつれ気まずくなってしまった幼馴染を思うと、どうにもやりきれない。

 十七年前の山津波で、町の憎悪を一身に勝った神社。そこの娘である透子もまた、嫌われ者だった。山津波の後に生まれた、宗太と同じくらいの年頃の子供でさえ、少なからず影響を受けてしまっているのだ。

 ――透子。

 なにかと理由をつけては、宗太は透子に会いに行っていた。力づけてやりたいと思っていたのだ。だけどどうしても上手くいかない。

 苦々しい思いで、宗太は首を振った。そのときだった。

 祖母が突然針を取り落とし、雨の降り続く窓を見やった。宗太は慌てて祖母に駆け寄ると、落とした針を拾う。

「ばーちゃん、どうした? 危ないだろ」

 しかし、祖母は返事をしなかった。しばらく唇を震わせて窓の外を眺めてから、おもむろに手を合わせた。

「なむなむ……」

「ばーちゃん?」

 宗太は訝しみながら、祖母の視線を追って窓を見た。そこで、祖母同様に言葉を失った。

 鬼――――だろうか。

 窓いっぱいに映る顔は、人のそれとは明らかに違っていた。赤い顔、つり上がった瞳、口は裂け、老人のように深い皺を持っている。

「ば――化け物!?」

 それは窓ガラス越しに宗太たちを睨みつけると、腕を振り上げガラスを叩いた。化け物が叩くたびに恐怖に満ちた音が響き、みしみしと、窓枠が揺れた。

「いたずら……いたずらだろ? 誰だよ、学校の奴らか?」

 震えを押し隠した声に、化け物はぴくりとも表情を動かさなかった。黙って充血した瞳を向けている。時折なめらかに瞬きをすることから、その頭が作り物でないことが窺えた。

 何度目かの殴打のあと、窓ガラスにひびが入り、次の殴打で一気に割れた。冗談ではないのだと宗太は確信した。化け物は窓枠に残ったガラスも砕くと、おもむろに足をかけた。

「ば、ばーちゃん、逃げるよう!」

「なむなむ……」

「ばーちゃん! くそっ!」

 宗太は祖母を無理やり立たせると、彼女を背負った。部屋の中に入ってきた化け物は、ずんぐりむっくりとした頭だけが大きい。腕には棍棒のような物を持ち、構わずに振り回している。あまり狙いが定まっていないらしく、宗太や祖母に当たることはなかった。

 宗太が部屋を飛び出すと、化け物は鈍重な動きで追いかけてきた。冷や汗と恐怖が沸き上がる。どこに逃げればいいだろう?


 宗太が町の中心部、役場のあたりまでやってきたとき、異変に気が付いた。

 雨は小降りに変わり、代わりに空を鳥たちが占めていた。いくら小雨とはいえ、雨のなかを鳥が飛ぶのは奇妙だ。それらはみな、山から逃げるように動いていた。

 どうやら、追って来ていた化け物は諦めたらしい。姿が見えず、ほっと祖母を背から下したところで、声がかけられた。

「宗太? お前もここに来たのか?」

 そこにいたのは、眼鏡姿のか細い男だった。宗太も知る、役場の窓口を担当している男だ。

「雨の中、こんなところにいたら風邪をひく。役場の中に入れ。……みんな来ているから」

「みんな?」

「山沿いに住む人たちだ。みんな、化け物に追われてきたと言っていたんだ。……お前もそうなのか?」

 宗太は目を瞬いた。化け物と顔を合わせたのは自分たちだけではないのか。それも男の口ぶりでは、一人二人ではないらしい。

「とにかくお婆さんもいるし、早く中へ――」

 男は不意に言葉を切った。なぜ、言葉を止めたのか、宗太にもわかった。

 雨が止んだのだ。鳥が飛び立つ。


 不思議な一瞬の静寂の後で、山が揺れた。


 ○


「町の人たち、みんな逃げたって」

 妖怪たちの報告を受け、透子は息を吐いた。そろそろ雨が小降りになってきた。木々が時を待つように静まり返っている。

「透子、俺たちも行こう。時間はなさそうだ」

 沈着した空気の違和を感じ取って、涼平も急くように言った。透子は涼平にも先に逃げるように言ったのだが、彼は最後まで透子の傍を離れようとはしなかったのだ。

「うん」と頷いた透子の手を涼平が掴んだ。なんということはない仕草なのだろうが、透子は少しぎくりとした。

「どうした、行くぞ?」

「う、うん――――?」

 涼平に促され、数歩足を踏み出したところで、透子は足を止めた。違和感がある。まだ、神社に残る気配が――?

 目には見えない妖怪たちが、透子に囁きかける。まだ一人だけ、逃がすことができないでいる。妖怪たちの脅しにも屈せず、逆に一喝されて追い払われてしまう。

 透子の様子に涼平は訝しみの視線を向けた。透子の手は涼平の手からするりと抜けおちる。

「ごめん、私、まだ行けない」

「なに?」

「栄吉が残ってるんだって。まだ、神社に」

 神社の奥――鎮守の森の折れた御神木の前で、逃げることなく屹立しているのだ、と妖怪たちが教える。どうしても動きそうにない。

「私、戻る。涼平は先に行って」

 透子は涼平を促すと、内心の焦りそのままに覚束ない足で境内の裏手へと向かった。早く逃がさないと。前と同じことになる。涼平が傷ついたときのように。

「待てよ」

 透子の手を、涼平が再び握った。

「お前一人を残していけないだろう。足も遅いし、一人で逃げ損ねかねない」

「涼平!?」

 透子は涼平を振り払おうとしたが、ぴくりともしなかった。大人の力だ。透子ではどうにもならない。透子は青ざめた。

「駄目! 私一人で行く!」

 また涼平を同じ目には遭わせられない。スーツの下の傷跡は、透子の弱さと後悔だ。しかし涼平は、透子を離そうとしなかった。

「涼平、時間がないの。もう、雨が……」

「時間がないなら、大人しく俺を連れて行け。ここで問答する時間はないはずだ」

 透子は息をのんだ。涼平は本気だ。鋭い視線が強い意思を見せる。本心では連れて行きたくない。でも、こうして悩むことさえ時間は許さない。

「今度は守れないかもしれない。涼平、死ぬかもしれないんだよ」

「大丈夫だ」

 涼平は透子の手を握りしめる。痛いくらいの力に熱がこもっている。しかし、透子を見つめる瞳の方が、もっと熱い。

「透子、大丈夫だ。俺はお前を信じている」

 ぽつりとつないだ手に雨が落ちたとき、透子は枯れた御神木に向かって駆け出した。

 ――信じる。

 その言葉がどれほど透子の力になるか、涼平はわかっているのだろうか。


 ○


 雨が止んだ。地響きが聞こえる。山が大きく揺れ、耳鳴りのような音がした。

 栄吉は折れた御神木の前で、目を瞑り立ち尽くしていた。妖怪たちが何度も何度も顔を出し、脅すように叫び、足を踏み鳴らす。しかし、彼らは決して栄吉に手を触れたりはしなかった。

 栄吉には、彼らの目的が分かっていた。恐らくは、逃げろと言っているのだろう。誰からの使いであるかは、考えるまでもなかった。

 あのいけ好かない男を思い出す。スーツに身を包み、慇懃無礼に土地を強請る、日置涼平と言う男。かつては生意気で素直な少年であった彼の言うことは正しかった。あの男は、ただしく神の言葉を携えていたのだ。

 そのことに本当は栄吉自身、長い間に気が付いていたのかもしれない。

 それでも、ここを明け渡すわけにはいかない。栄吉は神に仕える宮司なのだ。

 この御神木は――――新たな幼い若枝は、あの少女自身なのだ。

 この木が失われたら、あの少女は。栄吉が生まれる前から生きてきた、今では栄吉の娘となったあの少女は、本当に消えてしまう。だから、守らなければならないのだ。

 栄吉は息を吸い、深く吐いた。夏の暑さは失せていた。空気が圧迫されるような感覚と、予兆だけがある。


 ○


 妖怪がついに、栄吉をおいて逃げて行く。耳にはもはや、明確な地鳴りが響いていた。大地が揺れ、土が舞う。その瞬間が来たのだと、栄吉は悟った。

 地響きの中、なぎ倒される木々の音を聞いた気がする。鎮守の森をかきわけ、土砂が押し寄せる。次の瞬間、土砂流の轟音が栄吉の耳に入る全てとなった。

 ――透子。

 栄吉は小さな若枝に軽く触れると、それを体で包み込んだ。栄吉自身、本心では、この身一つで土砂流から守り切れるとは思っていなかった。かつて神が防ぐことができずに、人間である栄吉になにができるだろうか。

 ――だが、離れるわけにはいかない。

 寄る辺のなくなった神は、いずれ忘れられる運命だ。ならばせめて、最後の神主として、透子の信仰を守って逝こう。ここは上森神社――神守り神社なのだから。


 ○


「栄吉!」

 幻聴が聞こえた。全ての音を掻き消す轟音の中、聞こえるはずのない声がした。

「栄吉、栄吉! こっちに!」

 焦ったような少女の声。ずっと守り続けていた透子の声だ。妖怪たちも逃げた。あれらを寄こした透子も、当然山津波は知っている。だから、もう安全な場所にいる、はず。

「栄吉!」

 枯れた手を握りしめる、やわらかい感触。栄吉ははっと顔を上げた。

 透子がいる。おかっぱの髪型は、栄吉が幼いときから変わりない。かつて見た赤い着物ではなく、まるで普通の少女のような格好で、透子は栄吉の手を握りしめていた。背後にはあの、スーツの男がいる。男の表情に、栄吉は自分と似たものを見出した。透子のために、命をかける目だ。

「透子! どうして……!?」

「どうしてもこうしてもないでしょー!」

 透子は栄吉に顔を近づけて怒鳴った。栄吉は目を瞬く。

「置いていけるわけないじゃない――お父さん!」

 そう言って、透子は栄吉と男をかばうように立った。




 ○




 十七年前、透子は同じ場所で、同じように誰かを守った。

 あの時は小さな子供が一人。透子を追って戻ってきた。小さな体を守ることができず、命だけをなんとかかばった。それだけで力尽きてしまった。

 あのとき。消えて行く透子は、あの子に未来を託した。再び、今度は避けられない山津波が起こる。町の人を助けてほしい。そう言ったとき、あの子はなんて答えたのだっけ?

 ――泣きながら。

 ――――言うことを聞くから。なんでもするから、だから死なないで。約束をして。ずっと信じ続けるから。

 轟音が耳を裂く。頭から土砂が降り注ぐ。透子は涼平と栄吉の頭をかばって抱きしめた。

 山は圧倒的な力で、透子たちを押し流そうとする。小さな透子の力など、水に浮く葉のように儚い。だけど透子には不安はなかった。

「透子」

 涼平が透子の手を握りしめる。離れまいとするように、縋りつくように必死に。透子の手には、痛みが走り、きっと皮膚が裂けている。それも、力強く感じた。

「俺は信じている。お前への信仰がこの世から消えても、俺は最後まで、信じる」


 ――もう一度会えたら、また俺と一緒にいてくれると約束して。ずっと、傍にいてくれると。




 そうしたら俺は、透子が生きていると信じ続けるから。




 ○




「山津波だ……」

 轟音に、役場から顔を出した人々の内の一人が呟いた。山の異変に見入っていた他の連中は、その言葉に悲壮な記憶を思い出させられた。十七年前、町を崩壊させた悪夢だ。

「また、山津波が」

「まさか、あの神社が、また?」

「俺たちになんの恨みがあるっていうんだ」

 囁き声は役場中に伝わる。やはりあの神社には、確かになにかがいるのだ。それはこの山津波を、引き起こしたのだ――。

 微かな恐怖の伝達は、山津波の音よりも、宗太にとって大きく感じられた。聞くたびに透子の身が切られていくような気がして、宗太は思わず声を上げた。

「なに言ってんだよ」

 役場中の視線が、宗太に集まる。ぎくりとした。宗太に向けられた視線は、氷よりもなお冷ややかだ。

 ――透子は、ずっとこんな風に見られていたのだろうか。

「お前ら。どうして自分たちがここにいられると思ってるんだよ。自分で勝手にここに来たのか? 違うだろ!」

 だけど、山津波を起こしたのは神社の神だ。化け物に殺されそうになった。本当に神なら、山津波も化け物もないはずだ。そんな風に小さく反発する人々を、宗太は睨みつけた。

「山津波なんて、長雨で地盤が緩んだからだろ? それとも、雨も天気も、あの神社が好きにできるっていうのか? こんな田舎の神様が、そんなことできると思ってるのかよ!」

 役場は静まり返った。

 山津波が起こるには理由がある。ある日、突然起きるものではない。町の人間だってわかっているはずだ。

「神様は俺たちを守ってくれた。お前らがそんな風に嫌っても、山津波から命を救ってくれたんだよ!」

 宗太は言い切ると、唇をかみしめた。町中の信仰を失くして、それでもまだ救いを差し伸べた神のことを思うと、たまらなかった。宗太の中では神が、町の憎悪を受けながら、耐え続ける透子の姿が重なる。

 誰もが口を閉ざし、消化しきれない思いが沈着していた。もう一度、神を罵倒する言葉は出ない。宗太に賛同し、神を受け入れるには、十七年は長すぎた。

 ぽん、と宗太の肩を誰かが叩いた。宗太が驚いて見やると、祖母だった。

 背中を丸めた祖母がよたよたと歩き、窓際へたどり着く。と、そこで膝をついた。


「神様、今日も町を守ってくださり、ありがとうございます」


 山を見やって、両手を合わせる。

 当たり前のように、大昔から続いてきた信仰だった。


 長い雨が上がり、窓からはいつの間にか、鮮やかな夏の日差しが注ぎ込んでいた。

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