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 汗をびっしょりかいて目が覚めた。


 しばらく天井を眺めていると、ここが離れの自室だと気が付く。テレビをつけたのは誰だろうか、天気予報の声が聞こえた。「この雨は、本日中には上がるでしょう」

 水気を含んだ空気が部屋の中を流れた。目元が冷えると思ったら、どうやら泣いていたらしい。透子は腕で目元を隠し、息を吐いた。

 もう、夢を見る必要はなかった。


 しばらく静かに泣いたあと、透子は重たい首を回した。風の流れる元を見たかった。

 風鈴がちりちりと鳴る縁側に、人の影が見えた。

 雨の縁側に佇む男の後ろ姿。いつもの黒いスーツを脱ぎ、ワイシャツを着崩している。

 目覚めた透子に気が付いて、男の傍にいた狸が彼のシャツの裾を噛んだ。

 男は振り返り、透子の姿を見付けて驚いた。

「起きたのか、透子」

「涼平。……栄吉は」

「永田さんなら今は神社の方にいる。心配していたぞ。――俺は相当どやされたがな」

 自嘲気味に頬を撫で、涼平は笑った。頬には殴られたのだろうか、ひどいあざがついていた。しかし、透子の目に映ったのはそれではない。

 珍しく袖をまくった彼の腕にある、いくつもの痛ましい傷――。

 ああ、と涼平はまくっていた袖を戻す。

「気にするな。昔の傷だ」

「……私のせいだね。ごめん」

 透子の反応に、涼平は面食らったような顔をした。透子の瞳を眺めてから、首を振る。

「お前のせいじゃない。山津波が起こると教えられたのに、俺が勝手に山に入ったんだ」

「でも、私がもっと力のある神様だったら、こんなことにならなかった!」

 山津波が起こることはわかったのだ。

 だけど透子には、涼平や栄吉のような透子の姿が見える人々に伝えることしかできなかった。

 透子には、この声を届けることさえできない。

「私に力があれば、涼平だって守れたはずなんだ。山津波だって起こさせない。みんな、辛い目になんて遭わせなかった!」


 人々を逃がしたあと、透子は神社の御神木の前で佇んでいた。

 御神木は透子の化身。動けないし、逃げることもできない。透子は神社を離れられない。

 ――だけど、透子を神と知らない涼平は、彼女を探しに来てしまった。

 透子には、彼の命を守る以上のことは出来なかった。神社に流れる土砂を僅かに堰き止め、持てる全ての力を使い果たし――。

 透子はあのとき、確かに死んだのだ。


 ――それでもまた、人間の振りをしてでもここにいる。

 それは皮肉にも、町に流れた噂のせいだった。町の人々は透子の存在を信じている――憎い、身勝手な神として。


 横になったまま、透子は腕で顔を拭った。

 そのせいで、透子の傍にいつのまにか涼平が来ていたことに気が付かなかった。

「透子」

 両手で、髪をくしゃくしゃに掻きまわされた。驚いて目を開くと、涼平が透子の顔を覗き込み、不機嫌な顔をしている。

「言っただろう? お前は出来ることをやった。だから俺は今、お前のためにここにいる」

 透子は涼平を見上げた。今は、どうして涼平が嫌われるようなことをしてまで、透子たちを追い出そうとしていたのかわかる。


 ――涼平を守るため、透子は神社に来る山津波を堰き止めた。

 でも、それが一時的なものに過ぎないと、透子にはわかっていた。堰き止められた土砂は、近いうちに再び、山を滑り落ちるはず。


 だから、託さざるを得なかったのだ。死にゆく透子が、一番最後に傍にいた者へ。

「お前が、いつ起こるか言わなかったせいで、俺はずいぶんと嘘吐き呼ばわりされたぞ」

 涼平は笑うが、おそらくは辛い思いをしただろう。何度も山津波の警告をするうちに、誰も信じなくなった。

 それでも涼平は透子を信じてくれた。こんなに大人になっても、方法を変えて、何度でも守ろうとしてくれたのだ。

「ごめん……涼平、無理言ってごめんね」

「そのぶん、約束は守ってもらうからな」

「……え、約束?」

 きょとんとした声を上げると、涼平の顔がさらに不機嫌に歪む。透子の髪を掻き乱し、わざとらしいくらい大きなため息をついた。

「まだ全部思い出してないのかよ、お前」

 透子は瞬いた。

 透子が神だった頃、山津波のこと。全部思い出している、はずだ。涼平を山津波からかばい、それから――?


 熱はいつの間にか引いていた。透子が体を起こすと、涼平が心配そうな視線を向けた。

「体はもう大丈夫か?」

「うん」

 大丈夫ではなくとも、起きなくてはならない。透子は長雨を見て思った。

「もうすぐだから。たぶん、この雨が――」

 涼平と会ったのは偶然ではない。妖怪たちが騒ぐのも偶然ではない。狸が涼平と透子を引き合わせたのは、このときのためなのだ。

「この雨が止むとき、また、山津波が来る」

「…………この雨は、もう長くないぞ」

 透子は頷いた。すぐにでも町の人々を山から引き離すべきだ。神社に注ぐ土砂流が、周囲を巻き込まないとは限らない。

「みんな、避難させないと」

「どうやってだ? 山津波が起きると言って、信じるような奴らじゃない」

 山津波はこの上森町では、ほとんど禁句のようなもの。まともに言っても、誰も取り合ってはくれないだろう。

「大丈夫」

 透子は一度目を閉じると、顔を上げた。ぴん、と空気が張りつめる。

「涼平がやったこと、今ならわかる。助けたいから、嫌われてもいい。無理に追い出すしかないなら――――そうする」

 透子たちを取り囲む、幾多の気配が感じられた。

 ――ここは化け物神社。透子は上森神社の神なのだ。

 涼平は一瞬だけ驚いたように周囲を見渡して、それから笑うように表情を歪めた。


「神様らしい、無茶なことするよな、お前」

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