第四話
「仕事を放棄して男女の戯れですか?」
脇目も振らずに庭園へ降りたクロードは、アンヌの背に手を回してあやすようにリズム良く背を叩いているセドリックを一瞥して冷ややかに言い放った。
「ク、クロード様……っ」
慌てたように身を離したアンヌは、顔を強張らせてクロードを見た。
その表情に眉を寄せたクロードは、再びセドリックへ視線を移す。
「セドリック。君は仕事に戻りなさい」
心配そうにちらりとアンヌを見遣ったセドリックは、最後にぽんぽんと頭を撫でるとクロードに目礼をして屋敷内へと戻っていった。
当然のようにクロードと二人庭園に残されたアンヌは、身体を硬直させて視線を地面に落とした。
「性懲りもなくへらへらと笑って…あまつさえ逢い引きですか」
「あ、逢い引きだなんてそんな…っ」
思わず顔を上げて反論しようとしたアンヌを、クロードは見たこともないような目で睨み付けた。
いつもは冷ややかではあるが殆ど感情を表情に出さないクロードが初めて見せる怒気の籠った射るような瞳に、アンヌはびくりと身体を震わせた。
「来なさい」
いつもより数段低く凄みのある声でそう言うと、クロードは背を向けて歩き出した。
その言葉に有無を言わさぬ圧力を感じ、アンヌは言われるがままにクロードの後を追った。
暫く屋敷内を無言のまま歩くと、クロードが角部屋の一室の前で立ち止まった。
アンヌが戸惑いながらも以前案内された記憶を呼び起こしていくと、そこは執事頭…つまりクロードの執務室であった。
やはり、今から酷くお叱りを受けるのだろうか。
そう考えると足が竦んでなかなか前に出ない。
そうこうしているうちに、前に目を戻すとクロードの姿は既に無かった。
慌てて室内へと足を踏み入れたアンヌが強く腕を引かれたと気付いた瞬間には、扉が大きな音を立てて閉まり、そして背中に鈍い痛みが走った。
衝撃で閉じた目を開けると、至近距離でクロードがアンヌを見下ろしていた。
「……っ!!」
驚いて身を離そうとするも、扉に両肩を押し付けられていて身動きが取れない。
「あ、の…クロードさ―――」
「―――私の事がそんなに嫌いか」
アンヌの言葉に被せるようにして苦々しげに放たれたその言葉に、アンヌは目を見開いた。
「な、ぜ…そのような事を……」
「お前の私への態度はそうとしか思えない。そのくせ他の者には無駄に笑顔を振り撒いて……」
それまでアンヌの目を見据えていたクロードは、眉を寄せて視線を落とした。
「お前を見ていると心が掻き乱される…!」
あの笑顔が嫌いな訳ではない。
むしろ自分には到底できない温かなその笑顔に、知らぬ間に心惹かれていた。
だからこそ、自分にだけ向けられないそれが、憎らしくて仕方がなかった。
いつだって、気が付けば己の視線の先にはこの娘がいた。
目障りだと感じ苛立ちながらも、目は何故か引き付けられて。
屋敷内でこの娘の姿を探さずにはいられなかったのだ。
私は十も年下の小娘に、知らぬ間に心を奪われていた。
だが、増していく己の想いとは裏腹に、私の言葉で娘の笑顔が失われた日から娘は次第に私を遠ざけるようになった。
「……私を嫌うのも無理ないか。それだけの態度を取ってきたのだから」
クロードが苦笑混じりにそう呟くと、アンヌは頻りに首を振った。
「そんな、嫌ってるだなんて……てっきり私は、クロード様に嫌われているものだとばかり…」
「私が…?」
「はい…だっていつも冷ややかな態度をお取りになって、それに私の笑顔を見ると苛立つと仰いました」
どこか拗ねたような表情と口調に、不覚にも男心が擽られる。
こんな表情も、この娘はするのか。
「…あれは嘘だ。すまなかった」
私がそう言うと、娘はハッとしたように目を見開いた。
そして、次第にその頬を赤く染め上げていく。
「どうした?」
「ク、クロード様、が…あまりにお優しいお顔をするものだから……」
そう言うや否や、両手で自分の顔を覆い隠した。
この娘は、やはり油断ならない……。
クロードはそう思いながら、あるだけの自制心をかき集めて理性を保つことに徹する。
「クロード様は…眼鏡を外されると、いつにも増して素敵です」
両手を口元にずらして愛らしく微笑みながら言ったアンヌに、実に儚いクロードの理性が弾け飛んだ。
「アン……」
「おい、クロードいるか?」
が、溜まりに溜まった想いを吐き出そうとした瞬間、主によって妨害を食らった哀れなクロードであった。