第一話
「本日よりこちらで侍女見習いとして働かせて頂くことになりました、アンヌと申します」
そう言って、小柄な娘はにこりと笑って見せた。
編み上げられた肩下までの亜麻色の髪と同色の大きな瞳が背の高いクロードを見上げる。
何故姓を名乗らないのかは疑問だが、たかが一侍女のことなんぞにそう興味は引かれず、頷いて返した。
「私は執事頭のクロード・オードランです」
ああ、この娘は侍女ですらなく侍女見習いであった。
そんなことをぼんやり考えながら、屋敷を案内して回る。
「執事頭様は、おいくつなんですか?」
屋敷の案内の移動中、不意に娘が後ろから声を掛けてきた。
それを聞いて、どうするのだ。
心の中で溜め息をつきつつ、「二十九です」と振り返ることなく答える。
「お若くして執事頭をお務めなんて、すごいですね!私はこう見えて、十九なんですよ」
娘の年齢になど微塵の興味も無かったが、適当に相槌を打つ。
こう見えてとはどう見えているという想定なのかが分からない程、年相応の見目をしている。
「執事頭様はご結婚はされているんですか?」
だからそれを聞いて、どうするのだ。
娘の無意味な質問に苛立ちを覚えつつ、辿り着いた部屋の簡単な説明をする。
「それと、執事頭様は辞めて下さい」
ついでに先程から気になっていた事を指摘すると、「じゃあクロード様ですね」と妙に人懐っこい笑みを向けられた。
一通り屋敷の案内が終わると、次に仕事の説明に入った。
その際にも何度か無意味な質問を浴びせられ、無駄に時間がかかってしまった。
クロードが執事頭を務めるこの屋敷は、広い割には従者が些か足りないように思う。
否、確実に少ないのだ。
昨年この屋敷の当主になられたお方の異常とも言える程の人間嫌いのお陰で、大勢いた筈の従者達は半分以下に激減したのだ。
この屋敷で働いている全ての人間が休む間もなくひたすら動き回っている今、一人でも侍女が増えるのはこちらとしても大変助かる。
しかしながらこの娘、驚く程に要領の悪い娘だった。
掃除をすれば花瓶を割り、食事を運べば馬鹿の様に転ぶ。
初日こそ許せたものの、一週間も同じことが続けばさすがに頭が痛くなってきた。
だが、いつでも何が嬉しいのかにこにこと笑っている娘は、その明るさから他の従業員達に気に入られている。
その中でも厨房や庭師、その他数名の男の従者共にちやほやと甘やかされている様子が、些か気に食わない。
「何度言えば分かるんですか?御主人様のお食事は六時に持って行くように言ったはずです。一分たりとも遅れることは許されません」
「す、すいません…」
実際当の主本人は一分の遅れなんぞ微塵も気にはしていなかったが、日頃の苛立ちをぶつけるように冷ややかに指摘する。
困ったように下がった眉も、潤んだ瞳も。
謝罪の言葉を紡ぐその唇さえも、この娘の全てが彼の苛立ちを増幅させる。
「君が屋敷内で呑気に笑っているのを見ると無性に苛立ちます」
思わず漏れたクロードの言葉に、娘は酷く傷付いたような目を向けた。
どうせ、いつものように翌日にはへらへらと笑って出てくるものだと思っていた。
しかし翌日、娘が笑顔を見せることはなかった。
その翌日も、またその翌日も。
いつも失敗をしてクロードに注意されて、周りの人間に励まされては馬鹿みたいに笑っていたのに。
周りの人間が気に掛けても曖昧な笑顔を向けるだけで、すぐに曇った表情に戻った。
一体、何なのだ。
私への当て付けか?私は本当の事を言ったまでだ。
ぼんやりとしながら掃除をしている娘を見ながら、クロードは訳の分からない感情に眉を顰めた。