光陰《1》
あれから、五年。麗蘭が自らの「宿」に目覚めてから、早くも歳月が流れた。
山の「外」では様々なことが変わりつつあったが、麗蘭は外界と隔絶された山奥で日々、ただただ剣と弓の腕を磨く毎日を送っている。
「麗蘭、秦鷹、お前たちの隣の部屋を、昼までに使えるようにしておきなさい」
「はい、風友さま」
秦鷹が応え、麗蘭も頷く。二人の部屋から風友が居なくなった後、秦鷹は麗蘭を横目でちらりと見る。
「新しい子が来るのね。どんな子かなあ?……まあ、あんたには関係ないでしょうけど?」
嘲るように言って出て行く。秦鷹が言い付けを自分一人に押し付けた事を悟り、麗蘭は溜め息をついて隣の部屋を一人で片付け始めた。こうしたことは、珍しいことではない。
麗蘭は今年で十二歳、秦鷹は十四歳で、秦鷹は何かにつけて麗蘭に突っかかった。麗蘭自身はよく分からなかったが、彼女は自分の何かが気に入らないらしい。
孤校の授業が終わってからは一人で剣や弓の稽古をしたり、書物を読み漁ったりするのが麗蘭の日課である。
子供らしい時期を迎えている今でさえ、彼女には友と呼べる人が一人もいない。
親が見付かった者、仕事を見付けた者は次々に孤校を出ていく。多くの子供は将来の夢や希望を持ち励んでいるし、時折親のいない寂しさに涙する者もいた。
しかし、麗蘭は親がいないことを悲しんだことも嘆いたこともない。自分は光龍で、その時が来れば邪悪と闘わなければならない宿があるし、思い出す親の顔を知らないのだ。
彼女の両親は彼女が生まれた頃、山賊に襲われて亡くなったと聞かされている。
一通りすっきり片付くと、再び息を吐く。やっと仕事を終え、漸く読みかけの本の続きに取り掛かれる。自分の部屋に戻り、彼女は畳の上に腰を下ろした。
「……」
麗蘭は目を覚ました。まだ昼間だというのに、書を読みながらうとうとしてしまったらしい。立ち上がって、時計を目で探す。
「正午……そうか、朝が早かったからな」
何やら、主室のほうが騒がしい。「新しい子」がやって来たのだろうか。
顔を見せに行かねばならぬと、立ち上がって部屋を出ようとする。すると突然視界が揺れ、身体がぐらつきよろめいてしまう。床に足を付き、壁に片手をやり身体を支える。
「何だ? 此の感じは……」
不可思議な、冷気。只の邪気ではない。身体が全身で拒否するかのような、嫌な感じを覚える。……それは何処か、恐怖さえ感じさせた。
少しして徐々にその感覚にも慣れ、覚束ない足取りながらも何とか主室に入った。そこには風友と何人かの子供と、見知らぬ少女がいた。
見た所麗蘭が感じたような気配には、彼女以外の誰も……風友すらも気付いていない様子だ。
「麗蘭、こちらへ来なさい」
「はい」
呼び掛けに応じ、皆の方に歩み寄る。何時の間にか、嫌な気配は消え失せていた。
「此の子が新しく来た瑠璃だ……瑠璃、此の子はお前と同室になる麗蘭。分からないことは何でも聞きなさい」
風友の言葉の意味が掴めぬ麗蘭が首を傾げた。
「風友さま?」
わからない顔をしている彼女に、風友が声を落として耳打ちする。
「……秦鷹の部屋を移す……折り合いが悪いのだろう?」
麗蘭は小さく微笑んだ。
瑠璃は美しい娘だった。瞳は麗蘭と同じ珍しい深紫で、おそらく神人なのだろう。黒く艶やかな長い髪で、歳は麗蘭より二つか三つ上、というところだった。
麗蘭に部屋を案内され、瑠璃は年頃の娘にしては少ない荷物を畳の上に置いた。
「運ぶの手伝おうか?」
秦鷹の荷物を外に出すことにされてしまった麗蘭を見て、彼女はすまなそうに問い掛ける。
「いいや、私がやらないと秦鷹に文句をつけられるから」
麗蘭は短く応える。心にも無く無愛想な言い方になってしまった。しかし、正直彼女は戸惑っていたのだ。歳の近い娘がこうして親しそうに話しかけてくることは余りなかったから。
「……麗蘭は、いつから此処にお世話になっているの?」
瑠璃は自分の荷を紐解きながら尋ねた。
「私は、生まれた時から」
「……ご両親は?」
「私が生まれた頃、賊に襲われ亡くなったそうだ」
「そうなの……」
「瑠璃は?」
話を途切れさせないよう反射的に、聞いていた。ひょっとすると、瑠璃ともっと長く会話していたかったのかもしれない。
「私は……良く分らないの」
「え?」
聞き返した麗蘭に、瑠璃は手を止めた。顔は下を向いたままだ。
「実の両親は四年位前に、私が畑から帰ったら血を流して死んでいた」
「……」
「その後私を引き取ったのは遠縁にあたる農家の夫婦で、その人たちも、妖怪に襲われて死んだ」
瑠璃は微かに笑う。それは、器用に悲しみを押し隠し作り出した笑顔で。
「変だよね、私の周りって不幸なことばかり起こるの。みんな気味悪がって近付こうともしない……そんな私を拾って下さったのが、風友さま」
此の時麗蘭は、瑠璃に何処か自分と似たようなものを感じ取った。自分の特別な存在ゆえに、周囲に受け入れてもらえない苦い思いは、麗蘭も良く知っている。
「……あ、ごめんね。会ったばかりなのにこんな暗い話……」
「……構わない」
秦鷹の荷を全て片付けた麗蘭は、瑠璃の傍に腰を下ろす。
「……荷物を片付けるの、手伝うよ」
照れくさそうに言う麗蘭に、瑠璃は顔を綻ばせて喜ぶ。
「ありがとう、麗蘭」
……二人は此の日、友に為った。