邂逅《3》
「……麗蘭! 麗蘭!」
倒れ伏した麗蘭を、心配そうに覗き込んでいるのは……風友。目を開けた麗蘭は、ゆっくりと元の世界へ引き戻されていく。
「風友さま……?」
辺りを見回すと、其処は未だ森の中だった。身体を起こし風友の前で姿勢を正そうと試みるも、背中が酷く痛み動けない。
「お前は本当に無茶をするな」
半ば呆れ、半ば安心したような風友の声。序々に記憶が蘇ってくる……自分は化け物と戦っていたはずだった。
「私は確か、廰蠱と戦っていて……」
風友が浅く頷く。
「……危ない所を、風友さまに助けて頂いて……」
「それから、暫らく気を失っていたのだ」
師の言葉で朧げだったものを思い出し、溜め息をつく……どうやら何とか助かったようだ。
「……ありがとうございます。それと……申し訳ありません」
己の力を過信して危険に飛び込んで入ってはならない。麗蘭は常々そう言い聞かせられていた。
あの時も、戦おうとせずに廰蠱たちの注意を逸らし、孤校に戻って風友に助けを求めることも出来たはずだ。
しかし、そうしなかったのにも訳があった。
「……解っている。孤校に戻れば、他の子供に危害が及ぶかもしれぬ。麓まで走れば、民家が襲われるかもしれぬ……そう思ったのだろう?」
麗蘭は頷いた。風友は、どうして何でもお見通しなのだろうか。
「しかし何故廰蠱が現れたのか、見当がつかぬ。あれは人界には出ないと言われているし、魔界でもそうは見られないらしい。私は魔界に数度行ったことがあるが……実際に見たことはなかった」
普通の人間が、別世界である「魔界」に関わることは殆ど無い。しかし、聖安帝国は魔界の魔族たちと同盟関係にあったため、風友は仕事で何度か訪れたことがあった。
……そう、廰蠱は人界に出たりしない。だとすれば、一つしか考えられない。
「……黒龍神が差し向けたのです」
「黒龍神?」
突然その名を聞いて、風友は瞠目した。人間たちにとって「神」という存在は、神話や伝説の中だけの存在なのだから。
「……私にも、良く解りませぬ。只そう名乗っておりましたし、気配も人間のものではなく……言い伝えの通り黒い髪に黒い瞳でした。そういう特徴の神は、黒神しか存在しないのでしょう?」
此の世界には、とある言い伝えがある。誰もが知っている銀神と黒神の神話だ。
……此の世は、三つの世界に分かれている。
人間が住む人界、魔族が住む魔界、そして神々が住まう天界。
幾百の神々の中でも、頂点に君臨する王を天帝と呼ぶ。かつて天地を開闢し、神、人、魔族その他全ての生き物を創った最初の天帝は「神王」。
神王には、双子の天子がいた。一人は次代の天帝となるべく生まれた兄。そしてもう一人は、此の世を崩壊させるべく生まれた弟。神王は、兄に聖龍、弟に黒龍という『神名』を与える。『神名』とは、神格を表す神の称号である。
今から数えて約一五〇〇年の昔。彼ら双神によって、力の弱い人間たちを救い、守る使命を下された人間が『神巫女』である。聖龍神は「光龍」を、黒龍神は「闇龍」を創り、人界に遣わした。
その後乱心した黒龍神は、天宮で反乱を起こし自ら父神王を弑逆した。此れを『天宮の戮』と呼ぶ。
聖龍神は、黒龍神と対峙し剣を交えて戦った。黒龍神は敗れ地に堕とされ、人界に封印される。その後聖龍神は、弑された神王を継ぎ天帝と為ったという。
「……会ったのか? 黒龍神に」
「はい……確かに、私が『光龍』だと言いました」
こんなことを言えば風友は驚くに違いないと、麗蘭は思っていた。ところが、風友は腕を組み益々考え込むだけだった。
「驚かないのですか?」
「驚くも何も……黒龍神までもが現れたなら、本当なのだろう」
やはりそうかという、何処か納得した口振り。
「風友さまは、ご存じだったのですか? 私が光龍だと……」
「……お前には、龍の印がある」
麗蘭は光龍。それが、風友が麗蘭を預かった理由でもあったのだ。しかし、まだ全てを話すわけにはいかなかった。麗蘭が聖安の皇女であり、敵国にその力を利用させないため、こうして隠されていることは。
寧ろ、風友は麗蘭の反応が意外だった。
「お前も、余り驚いていないようだな」
「……私は他の皆とは違う、薄々感じていましたゆえ……」
此れまで風友が麗蘭に「光龍」の真実を明かしていなかったのは、それが余りに重い「宿」であるがゆえに、幼い麗蘭が受け止められるか否か不安があったからだった。しかし麗蘭の此の反応を見て、風友は自分の弟子が思ったよりもずっと大人で、自分の力の大きさや特殊性を良く把握しているのだと気付き、改めて感心させられた。
「して、黒龍神と話したのだな?」
「はい。光龍としての宿を捨てるか戦う道を行くか、選べと」
光龍である麗蘭の最大の使命は、悪である黒龍神を斃すこと。
「それで、どうしたのだ」
「無論、私は宿を捨てなどしません」
さほど心配していたわけではないが、風友は肩を撫で下ろす。
「私は何があろうと、自分の宿命から逃げたくありません。私には皆にはない力がある。其の力で、使命を果たしたい」
麗蘭の瞳は、強かった。風友をじっと見詰めて揺らがない。麗蘭を守ってくれと風友に頼んだ、あの時の聖妃の瞳にとても良く似ていた。
「……言い伝えによると、黒龍神は一五〇〇年もの間封じられていたはず。お前の前に現れたということは……封印が解けたのだな」
「恐らく」
神話では、一五〇〇年前黒龍神を斃そうとした時の光龍は彼に敗れ、命を落としたと言われている。
此の先、麗蘭が本当に黒龍神と対峙する時が来るなら、本当に勝てるのだろうか? 麗蘭を大事に思うがゆえに、それを思うと胸が痛む。
不安な気持ちを胸に抑え、やがて風友は優しく微笑んだ。
「……では此れから、一層腕を磨かねばな。私の手等借りなくても良い位、お前は強く為る。まずは私を追い越せ」
そう言って、麗蘭の頭を撫でる。
「……はい!」
ずっと探し求めていた自分の宿命。黒神が示唆したように、その宿の重みに負けそうになる時が来るかもしれない。しかし、麗蘭は力強く応える……逃げない、逃げたくない。そう思えたから。
風友もまた、此の我が娘同然の弟子を、何処までも信じ抜き支えていこうと誓うのだった。