邂逅《2》
寒くて、暗い。
そして恐ろしい。
――此処は何処? 誰もいない。私一人だけ……?
違う。誰か……誰かの声がする。
「麗蘭」
低い、大人の男の声だった。
「お前は……誰だ?」
視界を覆い隠す暗闇で、男の姿を確認することはできない。彼女の問いかけには答えずに、彼の次の言葉が飛んで来る。
「……やっと、見付けた。幾万幾千の夜を越えて、漸く会えた」
「誰だ? 其処に居るのは……」
次の瞬間、闇が晴れ、視界が開けていく。見たこともない光景が目の前に広がっていく。
見慣れた阿宋山の森ではない。薄暗く、動物たちの息吹はおろか、風の吹く気配すら感じられない静寂とした森。
……現れたのは、一人の男。黒の双眸に高く結い上げた長い黒の髪。
其の異様な『気』で、麗蘭には彼が人ではないことが判る。
足音も立てずに彼は麗蘭に近付いて来る。彼女は近くで見ることで、より彼の「異質」に気付く。
麗蘭の目の前まで来ると、彼はその美しい貌に穏やかな笑みを浮かべた。
「僕は、いと高き叛逆者」
彼の言葉で、麗蘭は其れが意味するものを直ぐ理解出来た。
天帝聖龍神が統治する此の天治界において、「いと高き叛逆者」が示す者はたった一人。
「黒……龍……?」
それは、古くから伝わる黒の神の名。
幾百の神々が存在するという此の世界で、黒い髪、黒い瞳をもつ神は黒神しかいないという。
黒龍神は、静かに微笑んだまま。その黒曜石のような深い瞳に惹きつけられて、吸い込まれそうになる。
――なぜ、こんなに悲しい目をしているのだろう?
「君は、いずれ知ることになる。君は一体何者なのか、何処から来て何処へ行くのか……君の『宿』は何なのか」
宿。それは、全ての人間が神々に与えられた、今生で為すべき使命のこと。
「君は此れから、長い長い旅路をゆかねばならない……君は普通の人間とは違う。それは分かっているね?」
麗蘭は頷く。
「君の宿は魂に刻まれている。君の魂は、死んでも再び転生し、神々のため、人間のために、人界の悪を滅ぼすために戦い続ける……君は『光龍』。『神巫女』という名の、神の傀儡」
彼女には、此の神が何を言っているのか、直ぐには理解出来なかった。
「安穏は許されない。君は此の先、その女の身で果てのない試練に挑まなければならない……しかし、逃げることは可能だ。君は選択することが出来る」
「……逃げる?」
麗蘭は此れまでずっと、自分が与えられた「宿」は何なのか、答を求め続けてきた。自分が為すべきことは何なのか、探し続けていた。
「逃げるか、戦いの道へ入るか二つに一つ。君は選なければならない」
ほとんど間を空けず、考えることも無く……自分でも不思議な位、自然に麗蘭は首を横に振っていた。
「何があろうと、私は逃げたくない」
――黒龍神の言うことは、完全には解らないけれど。とにかく、自分は逃げたくない。
彼女の一片の迷いの無い強い言葉を聞いて、黒龍神は再び微笑んだ。
「……それも良い。では今此の瞬間から、僕と君は敵同士……次に見える時は、君は僕に敵意を抱いているだろう」
黒い神は、踵を返して歩き出す。そしてその姿を再び森の深くへと消してゆく。
「また、会おう。その日まで『宿』の通り己を貫き、戦い続けることが出来るかどうか……楽しみにしているよ」
彼の姿が見えなくなると、再び辺りが暗くなっていく。何も見えなくなっていく――