降臨
聖安帝国が北方、帝都紫瑤の中央にある燈凰宮。
嵐……大雨と共に雷鳴が轟く日――聖安の第一皇女麗蘭が生を受けた。
此の帝国では特別な場合を除き、第一子が第一位の皇位継承権を持つ。ゆえに、此の麗蘭は生まれながらに女帝となる「宿」をもつ公主だった。
「お生まれになられました、皇女さまでございます」
赤子を取り上げた下女が、感極まった声で高らかに皆へと告げる。
皇女誕生の報を聞き付け、吉報を今か今かと待ちわびていた皇帝と十名程の臣たちが、産室へと足早にやって来る。
其れは龍王朝と呼ばれた時代の、甬帝の治世二年目、盛夏の日。
「珍しい深紫の瞳。まるで玉のようではないか」
命の力に満ちた産声を上げて、その姫は此の世に迎えられた。
年若い皇帝はたった今授かった娘をしっかりと抱き、満面の笑みを零す。
「屹度、聖妃のように美しく気高い女帝となるに違いない」
未来の女帝となるその赤子を見て、聖妃の寝台から離れた位置に控えている臣下たちも嬉しそうに微笑んでいる。しかし、穏やかで幸せな時間は長く続かなかった。
「……陛下! その御子の、左肩に……」
最初に気付いたのは、禁軍属の女将軍璋風友だった。
「……此れは、まさか……!」
風友に示されたところを確認すると、甬帝の表情が驚愕の色へとみるみるうちに変化していく。
「天帝聖龍神の御印……?」
――人界、天界、魔界。
此の天治界全てを統治する神々の王、天帝聖龍神。
麗蘭の左肩にはその僕である証、白龍の印がはっきり表れていた。其れが意味することは只一つ。彼女が神巫女「光龍」であるということ。
「光龍は五百年に一度人界に下されると言います。では、此の姫が正しく……」
まさかこの目で光龍を見ることになるとは思いもしなかった風友は、驚きを隠せない。
「何ということ……! 可哀相に、こんな時に……」
皇女の母、皇妃である聖妃は、半ば悲痛とも取れる面持ちで寝台から身を起こした。本来ならば、世継ぎが神々に愛される神巫女であることに感謝し心より祝福したいところだが、不幸なことに今は手放しで喜べる状況ではない。傍らの風友も困惑した面持ちで頷き、聖妃と甬帝の顔を順番に見てから溜息をつく。
「はい。此の御子を此のままにしておけば、珠玉が黙っておりませぬ」
聖安は数年前より、西の大国茗帝国と戦争状態にあった。
茗の女帝である珠玉は、帝としても将としても大陸六国中にその名を知られた女傑。人界全統一という途方も無い野心を抱き、一国一国兵を送り、戦争を起こして侵略を繰り返していた。
彼女は冷酷な女と悪名高く、自らの野望のためには手段を選ばない女。神にも等しい力を持つ神巫女が生まれたと知れば、必ず利用しようと手を打ってくるだろう。聖安は六国の中でも決して弱い国ではなかったが、十数年前王朝が交代したばかりで国内の混乱が続き、更に年若い甬帝と聖妃の統治も日が浅く真っ先に珠玉の標的となっていたのだ。
「どうしたものか、聖妃よ……」
麗蘭、と名付けられた小さな姫は、何時の間にか眠っている。彼女を見守る父や母、そして此の場に集った忠臣たちの心配など何も知らぬまま。
聖妃は娘の顔を一瞥した後、目を逸らす。
「陛下、隠しましょう、此の姫を」
「……何?」
甬帝だけではない、居合わせた重臣の誰もが、自分の耳を疑った。
「……風友」
「此処に」
聖妃の呼びかけに答え、女将軍は謹んで答える。
「此の子を此処から連れ出し、武の術や知恵を授けて下さい」
「聖妃、何という……」
美しき妃は首を横に振って夫の言葉を遮り、強い口調で続ける。
「無謀、とは承知。けれど、此のまま此処で成長すればほぼ間違いなく珠帝の知るところと為り、奪い去られかねません」
珠玉は、自分より上のものを認めない。支配下に置くことが出来なければ、麗蘭に危険が及ぶことは必至。
「神巫女をお守りするだけでなく、わたくしたちには娘を守る義務があります」
聖妃は揺るがず、風友を見上げる。
「加えて……麗蘭には、何者にも屈することのない強い子に育って欲しい」
周囲は沈黙を守っている。聖妃の固い決意の眼差しに、甬帝は重々しく頷いた。
聖妃が其の花の如き儚さに似合わず、こうと決めたら意志を貫き通す強い女であることを、甬帝は良く知っている。
「……わかった、そうすることとしよう……引き受けてくれるな? 璋将軍」
「……御意。及ばずながら力を尽くします」
其の言葉を確かに聞くと、甬帝は重臣たちに向って厳かに告げる。
「皆、聞け。世継ぎの皇女『麗蘭』は、時が来るまで璋将軍のもとに預けられ、一平民として育てられる。本日皇女が生まれたことは此処にいる者のみ知るものとし、口外した者は厳罰に処する……そなたらの忠義を示せ」
甬帝の言葉通り、麗蘭の誕生は隠された。皇宮中、そして国中に、第一皇女が死産したという報が伝えられる。
国中が悲しみに暮れる中、麗蘭は秘かに『宿』を以て下されたのだ。