希望《5》
玉乃を追い駆けて、着いた先は暗い森の奥深く。昼間だというのに光が余り差し込まず、不気味に薄暗い。
――確かに、此処に来たはずだが……
妖気をたよりに追っては来たものの、何時の間にか玉乃と優花の姿を見失ってしまったようだ。
森の中は不思議な程静まり返り風一つ無い。
「麗蘭」
急に、背後から聞き知らない男の声がする。
麗蘭は振り返り、直ぐに抜刀して構える。直ぐそこに見知らぬ男が立っており、その後ろに隠れるようにして、妖狐玉乃がいた。
「……まだ子供。お前はこんな子供に手古摺ったのか、玉乃」
「申し訳ありません、邪龍さま……」
狐姿のままの玉乃は、邪龍の足元にすり寄るようにして麗蘭の方を睨んでいる。
「……おまえが邪龍か」
妖に特徴的な長い耳に、深い翠の髪と瞳。背が高く、目は鋭い切れ長で整い過ぎた顔立ち。その身に纏うは、玉乃等とは比べものにならぬ程の妖の気。
麗蘭の姿を見て、邪龍は口元に美しく不敵な笑みを浮かべた。
「その通り。新しい光龍が生まれたというので、一度会っておこうと思ってな」
彼は傍らの玉乃の額を撫でる。すると、麗蘭に割られた玉がすっと治っていた。
「戻れ」
「かしこまりました」
玉乃は闇に消える。その後ろから、麗蘭の方に優花が走って来た。
「麗蘭!」
「優花……!」
「……ごめん、麗蘭。私の所為で……」
麗蘭は優花の手を握り、首を横に振って小さく微笑んだ。
「私の方こそ、済まない。奴は私を誘き寄せるためにお前を……」
「その半妖の子供は帰してやる」
邪龍の言葉に、麗蘭は優花から手を放して振り返る。怯むことなく、彼の目を射抜くように見詰める。
「……私に何の用だ?」
「おまえの力を試したい」
邪龍は腰に差した剣に手を伸ばす。麗蘭も優花に自分から離れるように言い、再び構えた。
「麗蘭……」
「……私に何かあったら、私を置いて逃げろ」
「そんな……」
邪龍は、麗蘭の力を見たがっている。この状況では其れに応え戦うしか道はない。
「……行くぞ」
優花が麗蘭から離れると同時に、邪龍の姿が消える。麗蘭は直ぐさま退魔の呪を刀にかけ、邪龍の剣を受け止めた。
「くっ……」
力強く重い剣。受け止めるだけで精一杯だ。
「……俺は一五〇〇年前、天宮の戮で黒龍に組した。そして今も、天帝とは敵対している……勿論知っているな?」
剣を合わせ、麗蘭を抑え込んだまま邪龍が問う。
「……」
「光龍の使命は天帝に仇なす非天を葬り去ること。当然、俺を斃すこともその一つだ」
「……解っている」
二人の剣は離れると、再び打ち合う。次々に繰り出される邪龍の攻撃を、麗蘭が受け止めていくという具合だ。
「今度の闇龍……瑠璃といったか。既に開闇していたな。お前は一歩出遅れたということか」
一旦間合いの外に離れると、邪龍は嘲笑する。
「私は私だ」
麗蘭はきっぱりと言い放つ。
「……そういう考えも嫌いじゃない。だが……」
再度間合いを詰め、邪龍は麗蘭の刀を弾き飛ばした。
「っ……!」
「麗蘭!」
あれ程強い麗蘭が、圧倒されている。ただ見ていることしか出来ない優花は悲痛の声を上げる。
「お前は光龍。戦いの宿に身を置く者として、そして他の人間には無い力を与えられた者として、常に責任が付き纏うのを自覚しているか?」
「責任……?」
邪龍は頷く。
「お前はその宿ゆえに、人々を守る。守られる者は、お前に全てを託す……守る者のお前が弱ければ、守られる者は確実に傷付き……死ぬことになる」
そう言うと、邪龍は離れて見ていた優花の方を見る。
「……友は、とくに典型。自分の弱さゆえに、大事な者を守れなかった者を、俺は何度も見てきた」
「邪龍……!」
隙を見て、麗蘭は弾かれた刀を取りに行く。そして直ぐ攻めに転じ、その攻撃を邪龍が受け止める。
「……私はお前を斃し、優花と共に帰る!」
「……威勢が良いな。しかし、お前に俺が斃せるかな?」
連続する麗蘭の攻撃を、いとも簡単に避けていく邪龍……力の差が大きすぎる。
隙を狙い邪龍が呪を唱えると、麗蘭は後方へと吹き飛ばされてしまう。
「……っ」
「神巫女といえど、人間。妖とも魔族とも、ましてや神とも違う。結局は情に支配される生き物だ」
邪龍はそう言いながらゆっくりと近付き身を屈め、倒れている麗蘭を覗き込む。
「……果たして、お前に瑠璃を斃し、俺を斃し黒龍を斃すことが出来るかな? 躊躇うこと無く……その手で」
麗蘭が跳び起きるように身を起こし、邪龍に向って呪を唱えた。邪龍は造作もなく、防御の呪で其れを防ぐ。
すると始めから呪は囮だったというように、麗蘭が刀で邪龍目掛けて突きを繰り出す。
「……おっと」
邪龍は剣で弾き返す。そして、直ぐに麗蘭の二撃目が入る。
横薙ぎの斬撃。邪龍の首を狙ったその一撃は、邪龍の素手で受け止められた。
「何……?」
彼女は一瞬我が目を疑った。麗蘭の剣を、邪龍が左手の指だけで押えている。押し切ろうとしてもびくともしない。
「此れが今のお前の実力だ」
邪龍は自分の剣の柄の先で、麗蘭の腹部を突いた。
「ぐっ……!」
麗蘭は思わずよろめき、刀と膝を地に付ける。そして、邪龍は麗蘭の首筋に刃を当てた。
「此れで終い。さあ、どうする?」
「……まだだッ!」
次の瞬間、麗蘭は左手で邪龍の剣を掴む。
「……!」
掌に刃が食い込み血が噴き出す。邪龍が動じた僅かな隙を見て、麗蘭は邪龍の間合いから離れ体勢を立て直した。手からはどくどくと血が流れている。
「ふぅん……今の、良い瞳だな」
満足そうに笑うと、切っ先を麗蘭に向け呪を唱える。麗蘭も呪で防ごうとするが、間に合わない。眩しい閃光が麗蘭を襲う。
「うわああああ!」
鋭い光は麗蘭の右肩を貫き、彼女の身体は強い衝撃で後方へ突き飛ばされた。
「麗蘭!!」
後ろで見ていた優花が思わず、麗蘭のもとへ駆け寄る。
地面に投げ出された麗蘭の右肩からは、夥しい程の血が流れている。麗蘭は目を閉じたまま動かなくなっていた。
「やだっ! 麗蘭!!」
優花が麗蘭を抱き起こす。
「……死にはしない。呪の衝撃と、出血で気を失っているだけだ」
剣を納めた邪龍は、二人のもとに近付いて行く。
「……っ!」
麗蘭の傍に落ちていた刀を広い、優花は邪龍に向かう。
「……無理はよせ。お前は半妖、俺に刀を向けることは、お前の身を滅ぼすこと」
刀を持つ優花の全身は震えている。恐怖のため、ということもあった。しかし大部分の理由は、半妖である優花が妖の始祖であり、王である邪龍に刀を向けようとすると、身体が拒否反応を示すことに依っていた。
「此れ程天を憎む俺を助けてくれるのは、天の定めた理……か。皮肉なものだ」
邪龍は自嘲気味な笑みを浮かべると、踵を返す。此れ以上の戦意はないようだ。
「早く運んでやれ、でないと本当に出血多量で死ぬ。血を塞ぐこと位、出来るだろう?」
――こいつ、私たちを此のまま帰すつもりなのね?
優花は邪龍の背中を睨み付けている。しかし内心ではほっとしていた。
「麗蘭に伝えろ、また会おう、とな」
邪龍は言い残して、森の奥に消えて行った。