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光陰《3》

「……はぁ、はぁ。此処まで来れば大丈夫ね」

 瑠璃は片膝を付いて弓を地面に置き、大きく息を吐く。

 一方麗蘭は、目を閉じて気の流れに感覚を研ぎ澄ます。

「麝鳥の気配が……消えた?」

 あれ程まで強く感じていた邪気が、跡形も無く消えている。

「瑠璃、先程の呪は……」

「え? 大したことない、只の目晦ましだよ」

 瑠璃は呼吸を整えながら応える。彼女が放った光で時間を稼ぎ、二人は此処まで逃げて来たのだ。

 麗蘭が瑠璃を見ると、麝鳥の爪でやられた傷から血が出ているのに気付く。

「傷の手当てをしないと……」

 かなり深く、ぱっくりと切れているようだ。とりあえず流れ出る血を止めようと、瑠璃の左肩に触れようとする。

「……触らないで!」

 突然、麗蘭が聞いたことも無いような鋭い声を出し、瑠璃は強く拒否をした。

「……瑠璃?」

 目を見開いている麗蘭に気付き、首を横に振って無理にいつものように笑もうとする。

「……あ、ああ。ごめんね、何でもない。傷は大丈夫、ちゃんと止血して……」

「瑠璃」

 初めて瑠璃が孤校に来た時から、ずっと不思議に思っていたことがあった。

 あの日、瑠璃がやって来た時、麗蘭は何とも言えない嫌な気を感じて動けなくなったことがあった。そして今日まで、瑠璃と過ごしてきて、同じようなことが何度かあった。麗蘭がその気配を感じていることを瑠璃は気付いていなかったし、麗蘭の方も何ともない振りをしていた。

「先程、おまえは弓を使っていたから返り血をほとんど浴びていない。しかし私が流した麝鳥の血で、あそこは瘴気に満ちていたはずだ」

「……」

 目を細めて淡々と話す麗蘭に、瑠璃は反応に困ったような顔をして聞いている。

「それなのに、どうしておまえは何の影響も受けていない?……最後のあの呪は、目晦ましではないだろう。あれで一気に、麝鳥どもを全滅させたのだろう? 影響を受けていないから、あんな大きな呪が撃てた」

 その証拠に、今は何の邪気も感じられない。

「麗蘭、私は……」

 そして、先程の瑠璃の反応で、予想が確信に近付いたのだ。

「何より……おまえからは奴の気配を感じるのだ……黒龍神の気を」

 そこまで言い終えると、暫らくの間沈黙が流れる。俯いていた瑠璃は、顔を上げた。

「……成程、私がおまえの様子を探っていたように、おまえも私の正体を探っていたのだな」

 ついさっきまでの、「友であった」瑠璃は、消えていた。声までも、別人のように冷たく低い。

「……!」

 麗蘭が呆気にとられているうちに、彼女が手にしていた刀を奪う。そのまま素早く切っ先が向けられ、麗蘭の頬を掠めて血が薄らと滲み出る。

「おまえの察した通り、私は黒龍神さまの僕」

 躊躇い無く言い放つ。

「聡いおまえのことだ、私の正体にも勘付いているのだろう?」

 そう言うと、傷ついた左肩の着物を剥ぎ取り捨てた。

「黒龍の……印」

 切り傷の下に、麗蘭のものと色が違う……黒い印が刻まれていた。それは、もう一人の神巫女の証。黒龍神の僕『闇龍』の証――

 同じ神巫女でも、光龍である麗蘭とは身に湛えた神力の性質が違う。聖なる力を纏う麗蘭と、黒い力を纏う瑠璃。瑠璃が妖怪の血の穢れにびくともしなかったのは、彼女の神力の属性ゆえだった。

「今のおまえは血で穢れ、神力を削がれている……殺すには絶好の好機だ」

 瑠璃が敵ではないかと疑っていた麗蘭だが、心の底では信じたくなかった。「殺す」という言葉に、胸が締め付けられる程痛む。

「『あの方』は私に命じられた、おまえを殺せと。そして私は、おまえの力や様子を窺っていたのだ」

 瑠璃を羨ましく思う、嫉妬心。麗蘭が瑠璃にだんだん距離を置いたのは、あの嫉妬だけではなく、彼女を疑う不信感も原因だった。

 それでも信じたかった。初めて会った、尊敬出来る友を。短いながらも楽しかった日々が偽りだとしても。

「私は死ねない……死ぬわけにはいかない」

 麗蘭は顔を上げ、真っ直ぐに瑠璃を見る。強い瞳で、全てを振り切り自分を奮い起すかのように言葉を発していた。

 光龍として、闇を討つ。それなのに、まだ何も為していない。

「……諦めろ。私は此処で、おまえを殺す……そのためにわざわざ孤校に入り込み、麝鳥を此処へ誘き寄せたのだからな」

 瑠璃は麗蘭の刀を構える。彼女の瞳にもまた、迷いの色は無い。

 それに応えるように麗蘭も立ち上がり、背負っていた弓を握り締める。

 戦いは見えていた。刀を持つ瑠璃に敵うはずがない。それに呪を唱えたとしても結果は同じ。麝鳥を一瞬で消し去ったあの力……恐らく、神力は瑠璃のほうが遥かに強い。麗蘭の神力が弱まった今の状況なら尚更だった。

 しかし、麗蘭の眼差しは強い。如何に不利でも、決して背を向けたくないし、どの道逃げ場は無い。

「瑠璃、一つ答えろ」

 闘う前に、彼女と本当に決別する前に、どうしても確かめておきたいことがあった。同じ宿を背負った者として、相容れない敵同士の立場にある者として。

「おまえは今までのこと、全てをおまえの意思でやってきたのか? おまえ自身が、奴に従うと決めたのか?」

「私は私の意思で、あの方に従っている。あの方に従う自分の『宿』を選んだ」

 彼女の答えに麗蘭は安心した。それならば、自分と同じ。従うことを自ら選びとったのだ。

――おまえも宿を背負っているのなら、私も全力で向かう。たとえおまえが相手でも私は……負けない!

 瑠璃は刀を振り被る。麗蘭は残った力を絞り出し其れを避ける。

 何とかかわしたが、体勢を崩し地に膝を付いてしまう。瑠璃の容赦ない二撃目が直ぐに来る。

――やはり、速い……避けきれぬか……!?

 其の時だった。

「……なに……?」

 瑠璃の刀を下ろす手が、麗蘭の頭上で止まっている。

「動かぬ……」

 手の動きを封じられているようだった。麗蘭も瑠璃も、それぞれ突然のことに驚愕している。

「……?」

 すると、背後から声がする。

「麗蘭」

 その声が響くと共に明らかに、辺りの気が変わったのが分かる。空気が澄み渡り、森が静まり返っている……何処かで聞き覚えがある声だった。

 振り向くと、少し離れた場所に男が立っている。

「黒……龍? いや違う……」

 忘れもしない、五年前に見た黒龍神と同じ顔。しかし、彼ではない。銀色の髪に、淡い色の瞳をして、その身に纏うのは聖なる神気。

「まさか、おまえは……」

 男の姿を確認すると、瑠璃の顔色が変わる。明らかに驚いているようで、動揺を隠せていない。術が解け動けるようになると、刀を捨てて麗蘭から離れる。

「瑠璃……?」

「……また会おう、麗蘭。次は必ず決着をつける」

 そう言って、彼女は立ち去ってしまった。何処かその場から逃れるが如く、消えるように。

 後に残ったのは、麗蘭と男一人。彼は静かに麗蘭を見下ろしていた。

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