光陰《2》
実際に孤校での暮らしが始まってみると、瑠璃は面倒見が良く明るく、子供たちに好かれた。
武芸や学問にも秀で、天が与えた才は光龍である麗蘭にも引けを取らない程。風友も驚く程であった。此処に来る前にいくつか別の弧校を盥回しにされたらしく、そこで身に付けたとのことだ。
当初、麗蘭は自分と良く似た姉ができたと素直に喜んでいたが、そんな瑠璃に何時の間にか、嫉妬するように為っていた。
自分と同じような力を持ちながら、彼女が自分とは違い、周囲に受け入れられるのが見ていて羨ましく妬ましかった。
瑠璃が孤校にやって来て、早くも三カ月が経とうとしていた。
二人はある日、授業の後二人で弓の稽古をしていた。木に釘で打ち付けた簡易な的に、交代で矢を射ていくというものだ。
「麗蘭?」
額の汗を拭い、隣の麗蘭に話し掛ける。
「どうしたの? 今日は調子悪いの?」
瑠璃が心配していたのは、麗蘭がらしくもなく、何度も的を大きく外しているからだった。麗蘭が的を外すことなど滅多に無いというのに。
「いや……何でもない」
心なしか突き放すような言い方になってしまったかもしれないと、麗蘭は口に出してから後悔した。
「麗蘭……何か私、悪いことした?」
不安そうに尋ねてくる瑠璃。
「いや、そんなことは……」
――本当に、何をやっているんだろう自分は。瑠璃は何も悪くないのに。
「最近、私のこと……避けてる気がして」
「……そんなつもりは、ない。気分を悪くさせたのなら謝る」
「……そうじゃなくて!」
少し強く言った瑠璃は、麗蘭の方に向き直る。
「何かあるなら、ちゃんと言ってほしい。私たち、友達でしょ?」
「……」
そう、麗蘭にとって初めての友達。同じ部屋に為って、色んなことを少しずつ話していくうちに、毎日が楽しくなっていったはずだ。
其れなのにいつから、こんな気持ちを抱き始めてしまったのだろう。
「……済まない」
其れきり黙ってしまった麗蘭に、瑠璃は溜め息をついた。
「……ううん、いいよ。私こそごめん。麗蘭は優しいから……素直になれないことも、あるよね」
――私が、優しい? そんなはずはない。今だってこうして瑠璃に対し、みっともない嫉妬心を抱いている。
「……そろそろ帰ろうか。私たち、夕餉の支度の当番だったよね?」
瑠璃はいつものように、花のように微笑んだ。麗蘭は済まなそうに頷くことしか出来なかった。
麗蘭はこの三カ月、自分の気持ちへの対処に困っていた。
誰かを妬ましいと思ったり、避けたいと思ったり、そんな部分が自分の心の中にあったのだと思うと、自分自身が嫌で堪らなくなる。
弓矢をしまい、瑠璃と共に歩き出そうとした其の時。
「……妖気だ……」
はっきりと、感じた。
――近い。
「かなり大きいね……それも沢山いる」
麗蘭は刀を抜いた。五年前のあの日以来、風友の指示もあって、森に入るときはいつも刀を持っていた。瑠璃も再び弓を握り警戒する。
強い風が起こり、森がざわめく。つい先程までは穏やかだった空が急に荒れ始めている。
「……逃げろ瑠璃。私が引き付けるから」
「え……? 何を言ってるの?」
確信めいたものがあった。
「……あいつらは、屹度私を狙っている」
「……麗蘭? どういうことな……」
瑠璃が言い終わらないうちに、麗蘭が走り出した。
――妖共は、私を狙っているに違いない。こんなに大きな邪気を感じたのは、五年前のあの時以来だ。
麗蘭たちが住んでいる阿宋山にも、妖怪は出るし、人を襲う。しかし、あの時の廰蠱のような強大な妖怪は人界には出ない。麗蘭も此の五年間、あれ程のものを目にすることはなかった。
……そして今、再び巨大な妖気を感じている。
――今度こそ……負けはせぬ。
あの時麗蘭はまだ幼く、危ない所で風友に助けてもらった。しかしあれから五年、剣も弓も、毎日修行を続けた。
――倒してみせる。……私の手で。
自分の力を試したい。一心に、走り抜けた。
目の前に広がるのは、麝鳥の群れ。廰蠱と同じく人界には出ない大型の鳥の妖怪だ。何十羽もが木々に止まり、まるで麗蘭を待ち受けているかのようだった。
麗蘭が刀を抜き構えると、不気味な啼き声を上げて飛び上がる。やがて狙いを定めると、彼女目掛けて一斉に襲い掛かって来た。
呪を唱えて刀に神力を篭める。妖を滅ぼす退魔の呪だ。刀を大きく振り、切り倒していく。
振っては切り、薙ぎ払う。隙を見て呪を唱え、一気に吹き飛ばす。
倒しても倒しても、次が出てくる。
――切りがない……此のままでは……
振り被り、大きく薙ぐ。
呪のお陰で、刀に麝鳥の血はこびり付かない。しかし返り血を浴び、麗蘭は不浄の血で汚れていく。
妖怪の血は、聖なる神人には悪影響を与える。特別に神力の強い麗蘭にとっては尚更だ。
徐々に、自分の神力が弱まっているのが分かる。穢れて神力が弱まると、呪を使えなくなるどころか命の危険にもなりかねない。
一体何処からこんなに現れているのだろう? 斬っても斬っても麝鳥が途切れる気配がない。
「麗蘭!!」
自分を呼ぶ声がした……瑠璃だ。
瑠璃は弓矢で加勢する。彼女も弓に呪をかけているのだろう、麗蘭の間合いの外に止まっている麝鳥の目を、正確に射抜き一撃で倒している。
「瑠璃……」
「そんなに血を浴びてたら、長く保たないよ……風友さまには伝えて来たから孤校は大丈夫。一緒に戦おう」
麗蘭ははっとした。自分は麝鳥を倒すことしか考えていなかったのに、瑠璃は孤校の子供たちを案じ、逃げるよう伝えることを優先したのだ。
「……私はまだまだ……だな」
瑠璃が来たことで少し安心したのか、麗蘭の力が一瞬、抜ける。
「危ない! 麗蘭!!」
瑠璃が叫ぶ。血の穢れによって勘が鈍り、背後の麝鳥に気付かなかったのだ。
「くっ……!」
麗蘭はとっさに刀で爪の攻撃を抑えると、攻撃の呪を唱える。麝鳥は吹き飛んだが、体勢を崩し、地に足を付けてしまう。
……身体がよろめく。限界だった。
「麗蘭!」
瑠璃は麗蘭の元へ走っていき、倒れる麗蘭を支えると、呪を唱えて麝鳥の攻撃を防ぐ。その時防ぎきれなかった麝鳥の爪が、瑠璃の左肩を斬り裂いた。
「うっ……!」
「瑠璃っ……」
痛みに耐え体勢を立て直すと、瑠璃は麗蘭を支えたまま呪を唱える。辺りが白い光で包まれていく――




