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1か月半前

 望とファミレスで話をしてから、一カ月近くが経とうとしていた。いまだに、あの日の返事をしていない。どうしたものかと考えながら、俺は精神科の待合室でテレビを観ていた。冬にしては珍しく、心霊特集をやっている。――といっても、夏にやっていた番組の再放送だが。子供だましのような、作り話としか思えない『実話』が次々と出てくる。わざとらしく悲鳴を上げるアイドルに、俺はため息をついた。


「山寺さん、観るんだ。そういうの」


 背後、……というよりも頭上から声が聞こえてきて、俺は思わずのけぞった。

 俺の後ろに立っていたのは、やっぱりシンドウさんだった。今日は制服姿ではなく、灰色のセーターの上に、黒のダッフルコードを羽織っている。

 子供だましとしか思えない番組を観ていたことが恥ずかしくなった俺は、頭を掻いた。


「……観てたというか、たまたまこのチャンネルがついてただけだよ」


「そう」


 彼女は特に躊躇ためらいも遠慮もせずに、俺の隣に座ってくる。俺は少しだけ彼女から距離をとって座りなおし、視線をテレビに戻した。

 何年も前に別れた彼氏が生き霊になってあなたに憑いている、そんなことを霊能力者が至極真面目に話しているところだった。


「生き霊って、いるの?」


 ふと思いついてシンドウさんに尋ねてみると、彼女は首を振った。


「分からない。私は見えたことがない」


「……死後二週間で、幽霊は『消えちゃう』んだって言ってたね。それってどんな感じなの? だんだん透けていって、見えなくなる感じ?」


 俺の言葉を聞いたシンドウさんは、黙りこんだ。

 そんな彼女の様子を見て、興味本位で訊きすぎてしまったと後悔した。彼女としては、嫌な話題かもしれないのに。


 しばらくしてから、シンドウさんは自然な動作でこちらを見た。考えが纏まった、――そんな顔をしていた。


「口の中。口内炎ができたとして」


「は?」


「口内炎。痛いやつ」


 彼女が真面目な顔で口内炎と連発したので、俺は「はい。口内炎ですね」と真面目な返事をしてしまった。


「口内炎ができてる時は、気になる。痛いし。とんかつを食べるのが嫌になる。ソース、しみるし。サクサクのとんかつって、ささるし」


「うん」


「でも、いざ治ってみたら『口内炎ができていたこと』も『痛かったこと』も、しばらく忘れちゃうんだよね。あれ? そういえば痛くないな……って気付いてようやく、治ってるんだって実感する」


「――まあ、そうかな」


「幽霊が消えちゃうのも、口内炎と一緒なの。見える間はすごく気になるのに、見えなくなったら、しばらくの間はその存在すら忘れちゃうような。そんなもの。案外」


「……ふーん」


 そんなものなのだろうか。

 人が死んでしまったら、生きている人間はしばらくの間でも、死んだ人間に『支配』される。故人との思い出にふけるようになる。――同じ場所に行きたいと、思うようにもなる。なのに。


「幽霊は口内炎なのか」


 俺が苦笑すると、彼女はいつものように熊のマスコットをいじり始めた。


「たとえが悪かったかも。分かりにくかった?」


「いや、分かりやすかったし面白かったよ」


「ならいい。――あと、一ヶ月半ね」


 いきなり話題を切りかえられて、俺は首をかしげる。彼女は包帯熊の首を、俺と同じようにかしげてみせた。


「病院。違うところに移っちゃうんでしょ。この病院で山寺さんと会えるのは、あと一ヶ月半」


「――……ああ、そうだね」


 彼女は俺の顔を一瞥して、すぐに包帯熊へと視線を戻した。それから、



「嬉しくなさそう」



 憮然と、というよりも、ただの無表情と言った方がいいのかもしれない。表情こそ変わらないが、いつもよりも少しだけ機嫌の悪そうな声で、そう言った。


「――そうかな」


「無理してる? 復帰するの。本当は、嫌?」


「そんなことは、ないよ」


 俺はテレビ画面に目をやりながら、笑顔を作る。


 インチキとしか思えない心霊番組は、インチキとしか思えない霊能力者によって、アイドルに憑いている(らしい)生き霊を除霊しているところだった。「彼女から離れなさい」と責めたてる霊能力者、ボロボロと涙をこぼすアイドル。――この番組お決まりのパターンだな、とぼんやり思った。

 俺はもう一度ため息をつくと、彼女の方を見て笑った。


「まあ、緊張はしてるかもしれないね。なにせ、二年ぶりだし。復帰する前に一度くらい、挨拶に行こうとは思ってるけれど」


「……そう」


 テレビからは執拗に、「これ以上彼女を苦しめるな」と叫ぶ霊能力者の声が聞こえてくる。



 ――これ以上、苦しめるな。



 会社に復職のあいさつに行く時、俺は望に返事をするつもりだった。気が重いのは、――重いように見えるのは、きっとそのせいだろう。


「……私は今日、さぼったの。学校」


 彼女は熊のマスコットをいじるのを辞めて、テレビの方を見ながら言った。


「行くの、嫌だったから。もうすぐ卒業なのに、わざわざ休んだ。あとちょっとなんだから、我慢しろって思うでしょ。でも親は何も言わないの。……きっと、私とどう向き合えばいいのか分からないのね。私は腫れものだから。出来れば、見たくないような」


「……寂しい、の?」


 男が女に「寂しいか」と訊くのは、ある意味下心がある。ただこの時は、他の言葉が思い浮かばなかった。

 彼女はこちらを見ると、諦めたように薄く笑った。


「大丈夫。慣れてるから、そういうの」


 ――慣れてるから。

 それは彼女の口ぐせのようで、けれども彼女がそれを言う時、俺はいつも思う。



 それには慣れないでほしい、と。





「お待たせしました、シンドウさーん」


 薬局に名前を呼ばれた彼女は立ち上がると、


「一ヶ月半は、短いね」


 俺を見下ろしながらそれだけ言い残して、消えた。



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