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7/21

2か月前 (1)

 骨折しているらしく、ギプスした右腕を三角巾で固定している。――そんな熊のマスコットを、俺はシンドウさんにプレゼントした。二月の初め、世間がバレンタインで盛り上がり始めたころだった。

 シンドウさんは怪訝な顔をして、熊のマスコットと俺を交互に見比べた。


「……どうしたの、これ」


「ゲーセンで、たまたま取れたんだよ」


 ゲームセンターで取ったのは本当だが、彼女にプレゼントするために何度も挑戦したとは言えない。たまたま取れたなんて明らかに無理のある嘘だが、彼女は納得したのかすんなりと受け取ってくれた。おもむろに鞄を膝の上に乗せ、『包帯熊』の隣に『骨折熊』を取りつける。――なんともシュールな、鞄になった。


「ありがとう」


 彼女が綺麗な顔でほほ笑んだので、俺も笑いかえした。待合室のテレビは、くだらないバラエティー番組の再放送を映し出していて、けれどもそのおかげで彼女の眉間にしわが寄ることもなかった。ニュースをやっていたら、俺がチャンネルを代えに行くところだ。





 待合室で薬を待っている間、俺は近々転院することを彼女に伝えた。復職したら、この病院には恐らく来れなくなる、と。


「転院、いつから?」


 彼女が骨折熊をいじりながら、抑揚のない声で訊いてくる。その声は、寂しそうでも嬉しそうでもなかった。


「――四月から。三月いっぱいで、ここはやめる」


「じゃ、会えるのはあと二カ月ね」


 これまた寂しそうだというわけでもなく、ただ事実を確認するだけの口調。俺は内心がっくりしつつ、彼女がいじっている骨折熊を眺めた。今にも泣き出しそうに見えるの顔は、どこか笑っているようにも見えた。





「山寺さん、今日はこれから予定ある?」


 病院帰り、いつものように手際よくマフラーを巻きながら、彼女が訊いてきた。俺は首を振る。


「じゃ、コーヒー。私がおごる。百円の、安いの」


「え、なんで?」


「別に。気分。私も飲みたいし。それに、お礼。……これ、たまたまでも百円でもないでしょ」


 彼女は骨折熊を指差して、笑った。俺は頭を掻く。

 ――バレてたか。


 実際、その熊を取るのに八百円かかっていた。





 前回は紅茶を注文したバーガーショップで、ホットコーヒーを二つ注文した。相変わらず学生が多くて騒がしい店内で、彼女は顔をしかめ


「外がいい」


 そう言ったので、結局この前行ったのと同じ公園へと向かった。



 閑散としている公園で、二人ブランコに座ってコーヒーを飲んだ。今回、彼女はアップルパイを買っていない。……と思っていたら、紙袋からチョコパイが出てきた。いつの間に注文したんだろう。いや、そもそも、あの店にチョコパイなんて置いてあっただろうか。


「これ、期間限定。バレンタインの。便乗してみた。――半分いる?」


 相変わらず、俺の心を見透かしたような彼女の言葉と簡潔な説明。俺はチョコパイを見ながら首を振る。


「いや、いいよ。半分にするのは難しいだろ? それ」


 このバーガーショップの『アップルパイの中身のこぼれやすさ』は、俺の人生の中で堂々の一位だった。恐らくチョコパイも、似たようなものだろう。半分にするために手で千切ったら、悲惨なことになりそうだ。

 彼女はチョコパイに目をやり、「それもそうだね」と返事をすると、小さな口で一口かじった。両手でパイを持ち、ちまちま食べるその様子は、まるでリスのようだった。


「……俺も中学生の時はよく、学校帰りにハンバーガーとか食べてたなあ。友達四人で、チーズバーガー五十個頼んでみたりしてさ。――俺も、『騒がしい学生』の一人だったよ。色々と馬鹿なことやった」


 俺が笑うと、彼女の手が止まった。無表情のまま、こちらに目を向ける。


「――……いつ?」


「え?」


「あなたが『変わった』のは、いつ?」


 目を見開く俺と、表情を変えない彼女。目の色は相変わらず、茶色と焦げ茶色の間、――深い茶色。

 視線はやがて、俺からチョコパイへと戻った。


「あなたが通院し始めた。それよりずっと前。違う?」


 彼女の言った単語を、頭の中で組み立て直す。



『あなたが通院し始めた二年前。あなたが壊れたのは、それよりももっと前。違う?』



 ――ああ。多分、俺が『壊れた』のは高校生の時だろう。

 両親が通り魔に襲われて殺されたあの時から、俺は変わった。

 壊れたとも、破滅したとも言える。



 彼女は俺の返事を待たずに話を続けた。相変わらず、抑揚のない声色で。


「本当は、あなたは『そういう人間』じゃなかった。何かあった。そして変わった。……戻りたい?」


「それは、過去に戻りたいかってこと? 戻りたいよ」


 気づけば、彼女のことを睨んでいた。彼女はひるまない。俺は湧き上がってくる言葉を、取捨選択せずにそのまま口にした。


「あの日に戻って、両親には外に出るなって言いたい。犯人を刺し殺したい。俺の親を殺したのと同じ包丁で、あいつの喉を切り裂きたい。――いや。あいつじゃなくて、あいつの家族を」


「できないよ」


 言葉を遮られてようやく、我に返った。急に感じる右手の痛み。いつの間にか、持っていたホットコーヒーのカップを握りつぶし、中身を思いっきり周囲にぶちまけていた。コーヒーのかかった右手は若干赤くなっている。彼女は鞄の中からウェットティッシュを取り出し、俺の方に差し出した。


「――俺が、あいつをれないって?」


「そうじゃない。過去には戻れないってこと。今を生きるしかない。受容して。もちろん、全てを受け入れろって言ってるんじゃない。そんなの無理。神様だって、受容できないものはきっとたくさんある。そんなものなの。この世界は」


 ウェットティッシュを受け取ろうとしない俺を見て、彼女はため息をつくと立ち上がった。いつの間にか、チョコパイは食べ終えている。


「――……だから、両親の幽霊は見えるかって訊いてきたのね。あの日」


 彼女はウェットティッシュを、俺の右手にあてがった。ひんやりとしたティッシュ、それとは対照的な彼女の手の温かさに、どきりとする。


「山寺さん。前にも言ったけれど、私には見えない。幽霊、二週間で消えちゃうから。あなたの両親の幽霊は、私には見えない。でもね」


 深い茶色が、こちらを見据える。すこしだけ歪んだ、その瞳で。



「あなたの現状を、悲観していない。――誰も」



 彼女の言葉に、俺は息をのんだ。




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