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2か月半前 (1)

 From:高田望

 Sub:まだまだ寒いね


 風邪とか引いてない?

 会社で、風邪が流行ってるの。

 山寺君も気をつけてね。


 復職、近いって聞いたよー。

 楽しみにしてるけど、無理はしないでね。





 俺は寝ぼけまなこで、彼女からのメールを読んでいた。寝ぼけていると言っても、今の時刻は昼過ぎだ。恐らく、昼休みを利用してこのメールを送ってくれたんだろう。


 高田たかだのぞみは俺と同い年の同期で、……高校時代の恋人だった。

 俺の両親が通り魔事件で死んだあとも、彼女は俺のことを支えようとしてくれた。――けれど、別れてくれと頼んだのは俺の方だった。


「私じゃ、だめかな」


 あの時、彼女は泣き出しそうなのを必死に堪えていた。


「私じゃ、君を支えられない?」


 そうじゃない。ただ今は、誰かと付き合うとか、そういうのは考えられない。ごめん。

 そう返した覚えがある。


 結局彼女は女子大に、俺は国公立に進学し、離れ離れになった。もう二度と、会うことはないだろう。そう思っていた。

 だから彼女と再会した時、俺は凝り固まった。いや、彼女も凝り固まっていた。再会場所は、社員食堂。――本当に偶然だったのだが、同じ会社に就職していたのだ。


「――……元気にしてた?」


 声をかけてくれたのは、彼女の方だった。


「まあね。そっちは?」


「元気だったよ。ありがと」


 よりを戻したというわけではない。けれど、高校時代に出来た亀裂は、少しずつ埋まっていった。……亀裂を作ったのは俺で、修復してくれたのは彼女だったけれど。

 その後、俺が『体調を崩して』休職すると話した時、彼女は心底複雑そうな顔をした。恐らく、高校時代のことを思い出したんだろう。


「……たまに、メールしてもいいかな」


 遠慮がちにそう言われて、俺は笑った。歪ではあるが、その時の俺に出来る精一杯の笑顔だった。


「ああ。そうしてくれると助かる」


 そうして約十年ぶりに、彼女とメールアドレスを交換した。





 『元気だよ、ありがとう。もうすぐ会社にも挨拶に行くから』という趣旨のメールを返信して、俺は携帯を閉じた。十三時過ぎ。のそのそと布団から這い出ると、洗面台へと向かった。


 今日は、通院日だった。





 休職してから通いはじめた病院は、土・日・祝日は休みで、平日も十七時までしか診察していない。今はいいが、復職すると通えなくなる。夜間診療、もしくは土日も診察している病院を紹介しましょう、と言われるのはある意味当然の流れだった。

 顔を曇らせた俺を見て、担当医のてるてる坊主は笑った。


「安心してください、良い医者を紹介しますから」


 残念ながら、俺が心配しているのは担当医が代わることではなくて、彼女と、――シンドウさんと会えなくなることだった。




 診察室を出ると、待合室のソファーに座っている彼女の姿が見えた。眉間にしわを寄せて、一点を見つめている。彼女の視線の方に目をやると、『大型トラック歩道に乗り上げ 園児五人が死亡』というテロップが、その背後に事故現場が映し出されているのが見えた。俺は無言でテレビに近寄り、チャンネルを変えた。


「……泣いてた」


 待合室には、俺と彼女しかいなかった。彼女は俺に向かって言っているのか、独り言なのか分からない口調で呟く。


「子供たち、泣いてたよ。痛かったって。即死じゃなかったのね。怖かったって」


「声まで聞こえるのか」


「うん」


 彼女は俯くと、鞄につけている熊のマスコットをいじり始めた。八センチほどの黒い熊のマスコットには、腕や頭に包帯が巻かれていて痛々しかった。


「……それ、どうして包帯を巻いたの?」


 俺が尋ねると、彼女が顔をあげた。その瞬間は無表情だったが、俺と目が合うとほんの少しだけ微笑んだ。


「私が巻いたんじゃない。はじめから巻かれてたの。最近流行ってる、これ。眼帯してるのとか、絆創膏貼ってるのとか、ギプスして松葉杖ついてるのとか」


「……へえ」


 最近の若者の趣味は分からないと思いつつ、俺は彼女の隣に腰掛けた。彼女はマスコットをいじる手を止めると、相変わらず声は出さずに笑った。



「包帯しても眼帯しても絆創膏貼ってもギプスしても、痛いのは変わらないのにね」



 ちょうどその時、薬局から二人同時に名前を呼ばれた。





「今更だけど、シンドウさんって中学何年?」

 

 帰り際、マフラーを巻いている彼女に尋ねると、


「中学三年。本当は受験生。来年はフリースクールに行く予定」


 俺の次の質問も見越したような回答が返ってきた。俺は思わず苦笑する。彼女の言葉は常に簡潔で率直で、だからこそ分かりにくい時もあった。

 ――しかし、中学三年生か。十二歳差か。さっきの熊のマスコットといい、ジェネレーションギャップを感じる。

 そんな俺の心情を察しているのかいないのか、マフラーを巻き終わった彼女はこちらを見あげてほほ笑んだ。……彼女の笑顔には、『無邪気さ』がなかった。かといって、邪気があるわけでもない。どこか空っぽに見える、笑顔。


「山寺さんは、三十前?」


「……二十七」


「うん。そのくらいに見える。老けてない」


 ――これは、褒められているのだろうか。先ほどから苦笑してばかりの俺と、空っぽの笑顔を張り付けている彼女。周囲から見たら、どんな関係に見えるだろう。

 そんなことを考えていたら、間抜けな電子音が俺のズボンのポケットから響いた。俺は慌てて携帯を取り出す。メールではなく、電話。かけてきたのは、――高田望だった。


「もしもし?」


 メールはともかく、彼女が電話してくるのは珍しい。いや、初めてかもしれない。俺は若干緊張しながら、声を出した。


『あ、もしもし山寺君? いま大丈夫?』


「ちょっとだけなら。なんなら後で、こっちからかけ直すけど」


 シンドウさんの方に目をやりながら、俺は小声で返事する。シンドウさんは俺の方ではなく、黒いコードでぐるぐる巻きにされているイチョウの木を見ていた。

 望は『ううん、すぐに済むから』と前置きした後で、


『直接会って話したいの。山寺君の都合のいい時、ないかな』


「……直接? 今じゃなくて?」


『――直接がいいな。私、電話嫌いだし』


 ああ、だから彼女はいつだってメールだったのか。そんなことを思いつつ、俺は自分の頭の中にあるスケジュール帳を確認する。……通院日以外、これといって用事はなかった。むしろ、仕事をしている彼女の方が忙しいはずだ。


「望の都合に合わせるよ」


 そう言われるだろうと想定していたのか、望はすぐに言葉を返してきた。


『明日の夕方とか、どう?』


「大丈夫だよ。駅前でいい?」


『うん。それじゃ、また明日』



 電話を切ると、シンドウさんと目があった。イチョウの木を見ていたはずの彼女は、いつの間にかこちらを見ていた。


「大切な人、から?」



 彼女にとって、『大切な人』の定義はなんだろう。

 家族か、友人か、それとも。



「――まあ、そんなところかな」


 俺が困ったように笑うと、彼女はふっと息を吐いた。それから、


「本当に変な人。でも、嫌いじゃない。――好き、かもね」


 それだけ言うと、一人でさっさと歩き始めた。その後ろ姿が『ついてこないで』と言っているような気がして、俺は呆然と立ち尽くした。




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