3か月前 (2)
夕方のバーガーショップは、高校生で賑わっていた。騒がしいと言い換えてもいい。ガラス戸から店内を覗いてみると、客のほとんどは高校生だった。皆、同じ制服を着ている。この近くに高校があるらしい。
ゲラゲラと品のない笑い声を出す男子高校生を見て、シンドウさんは眉をひそめた。
「……人ごみ、苦手?」
少しだけこちらに近づいてきた彼女に、俺はこっそりと問いかける。彼女は首を振り、
「人ごみと言うよりも、こういう笑い声が嫌い」
誰にも聞こえないような小さな声で、そう言った。
結局、アップルパイとドリンクをテイクアウトして、二人で外に出た。寒いけど大丈夫? と訊いてきたのはシンドウさんで、俺は平気だよと笑った。実際、分厚いコートを着ている俺よりも、スカート姿のシンドウさんの方がはるかに寒そうだと思った。
バーガーショップの近くにあった小さな公園に、二人で足を踏み入れる。園内には小学生が3人いるだけで、その子たちも俺達と入れ違いで出ていった。
鉄棒に滑り台、ブランコ、シーソー、古ぼけた木製のベンチ。彼女が率先してブランコに向かったので、俺はそれに続いた。
ブランコに座り、アップルパイとホットコーヒーを彼女に渡す。彼女は礼を言ってそれを受け取ると、アップルパイの封をあけた。
俺は自分用の紅茶を取り出す。……が、出てきたのは、ただのお湯入りカップだった。目を丸くする俺に、シンドウさんはほほ笑む。
「ティーバッグ、入ってなかった?」
そう言われて紙袋の中を確認すると、底の方から安物のティーバッグがひとつ出てきた。
――今までコーヒーしか注文したことがなかったから、たまには紅茶でも飲んでみようかと思ったものの、
「……しょぼい。俺もコーヒーにすればよかった」
俺が素直にそう言うと、彼女はくすくすと笑いながらアップルパイを一口食べた。俺はしぶしぶ、安物のティーバッグを湯につけて泳がせる。バッグから徐々に、紅茶の色と香りが漂いはじめた。その時だった。
「――私には幽霊が見える」
彼女ははっきりとした口調で、そう言った。
彼女の言葉と同時に、冷たい北風が吹いた。俺は両手で紅茶のカップを持ち、彼女の方を見る。彼女は相変わらず、どこを見ているのか分からない目をしていた。
「山寺さんは、幽霊を信じていない。けれど、『私は幽霊が見える』。……私の話、本当だと思う?」
沈黙する俺の方を見て、彼女は笑った。雪女を彷彿させる、そんな笑みだった。
「心霊番組によく出てくる霊能力者。あれはインチキだと思うでしょう。それじゃあ私は? 精神科に通っている私は? 精神科に通っている人間が、幽霊が見える、声が聞こえると言ったら?」
彼女は俯き、小さく肩を震わせた。それは寒いからでも、泣いているからでも、なくて。
「ただの幻覚。それが担当医の判断だったし、両親の意見も同じだった」
彼女が声を押し殺して、笑っているからだった。
しばらく、言葉のない時間が続いた。俺が紅茶をすする音と、彼女がアップルパイを食べる音が少し聞こえるくらいの、静寂。それを破ったのは、彼女の方だった。
「信じる信じないは、自由。私が精神科に通っていることも、『壊れて』いることも、本当だから。……あ。言い方が悪かったね、ごめん。壊れているっていうのは、あくまで私の話」
同じ精神科に通っている俺のことを、そして『壊れている』と表現したことを気にしたらしい。謝る彼女に、俺は首を振った。
「君は壊れてなんかない。……幽霊のことは、俺は専門外だから分かんないけど。君は」
「あなたには分からないでしょう?」
俺の言葉を遮って、彼女は言いきる。
「知らないでしょう? 私のこと。君はまだ若いから大丈夫、っていうかもしれない。でもね、もう遅いの。私は壊れてる。ううん、壊れてた。はじめから。欠陥品で、不良品。修理なんてできない」
彼女の声は、諦めているというよりも、事実をただ淡々と話しているだけのようだった。
「……昔から、幽霊が見えてたの?」
俺が尋ねると、彼女は前を向いたままほほ笑んだ。ホットコーヒーを一口すすり、ため息交じりに言う。
「子供のころから、ずっと。けれど物心ついた時から、そのことは隠して生きてきた。精神科に通いはじめたころ、うっかり口を滑らせたけどね」
「誰も信じてくれないの? 君の話」
俺の言葉に、彼女がようやくこちらを向いた。
「優しいね。私の『妄想』に付き合ってくれるんだ?」
「――だけど君自身は、その幽霊を『本物』だと思ってるんだろう? なら、本物ってことでいいじゃないか」
「……変わった人」
彼女は笑わない。俺ははたと思いつき、恐る恐る彼女に尋ねてみた。
「――俺の両親、もう死んでるんだ。……どうかな。幽霊とか、見える?」
「見えない」
彼女はきっぱりとそう言って、コーヒーを飲みほした。いや、最後の一口分だけ残してある。俺もよく知っているが、この店のコーヒーは、底の方だけやたらと粉っぽくて苦いのだ。
彼女はこちらを、更にその背後を見て、もう一度、
「見えない」
そう言い放った。俺は後ろを振り返る。そこには、『黒いコードでぐるぐる巻きにされていない』桜の木しか見えなかった。
「……守護霊とか、そういうのはいないのかな?」
俺が尋ねると、彼女は首を振った。
「私は見たことない。あのね。死んだ人間の魂って、二週間程度で『消えちゃう』の」
「消えちゃう?」
「成仏、っていうのかな。とにかく、私には見えなくなる」
無表情のまま、首をかしげる彼女。どうやら、『消えちゃう』ことについては彼女も詳しくないようだった。
「二週間程度って言ったけれど、私が知っている限りでは死んだ日からちょうど二週間で消えちゃう。私のお爺ちゃんもお婆ちゃんも、ガンで死んだ叔母さんもそうだったし」
彼女はそこまで言うと、残っていたコーヒーを土の上に流した。乾いた土は一瞬だけコーヒーをはじき、けれどもすぐにそれらを吸収していく。土の上に残った黒いシミとコーヒーの粉を見て、彼女はおかしそうに笑った。げらげらでも、くすくすでもなく、無言で。
「山寺さんのご両親が本当に亡くなってるのなら、二週間以上前に亡くなったのね。二週間以内に亡くなったのだとしても、あなたに『憑いてない』可能性もある。親の幽霊がいつも、子供の側に憑くとは限らない。フラフラどこかに行っちゃう幽霊もいるし。……もしくは」
彼女は地面のシミから顔をあげて、こちらを見た。
「私のことを試すために、山寺さんがカマをかけたのか。実際、ご両親はまだ生きてたりして、ね」
俺が顔をしかめると、彼女は首を振りながら言った。
「いいの。そういうの、慣れてるから」
「……俺の両親は、本当に死んでるよ。俺が高校生のころに」
俺が小さな声で告げると、彼女は「そう」とだけ答えた。
彼女が俺のことを信用してくれたのかは分からないが、俺の両親が十一年前に死んだのは、紛れもない事実だった。