エピローグ
好きな人ができた。
僕は少しだけ上体を傾けて、彼女の横顔を覗く。容姿端麗、という言葉をそのまま表しているような女性だ。腰まである長い黒髪。どこか陰のある表情、けれどそれが、彼女の魅力の一つだと思う。
彼女は水彩画を好んで描いていた。何度か作品を見たけれど、どれもこれも酷く滲んでいて、何を描いているのかすらよく分からないほどだった。もしかして抽象画かと思い、尋ねてみると
「……昔、同じ質問をされたことがある」
そう言って笑った。その笑顔もまた、とても綺麗だった。
告白したい。好きなんですって、それくらいは言いたい。
けれど、問題がある。
僕は、中学一年生のガキ。対する彼女は、僕の中学の美術教員なのだ。
今年で三十路だという彼女の話が本当なら、年は十七歳差か。
い、言えない。言いづらい。いろんな意味で、告白できない。
先生目当てで美術部に入った僕は、下手くそなりに頑張って絵を描いた。皆、きりのいい所で手を止めて、帰宅していく。そんな中で僕が下校時刻ぎりぎりまで居残っているのは、
「下校時刻よ。美術室ももう閉めちゃうから、帰る準備して」
先生と、校門前まで歩けるからだった。
「君、本当に熱心だね」
自分の隣を歩く、自分よりも背の低い男子に、先生は笑顔で話しかけてくれる。それが嬉しくて毎日居残っているんだとは、やっぱり言えない。
「先生は、水彩画が好きですね」
「うん。好きな人に、褒められたことがあって」
どきり。
や、やっぱり、先生にはもう彼氏がいるのか。がっくりと肩を落とす僕に、
「その人、もう死んじゃったんだけど。……雰囲気とか、君にちょっと似てたかな」
懐かしそうに、そしてどこか寂しそうに、言った。
何と返せばいいのか分からなかった僕は思わず、
「そ、その人、もしかしたら先生のこと、見守ってくれてるかもしれませんよ。ほら、守護霊とか?」
とんちんかんなことを言ってしまった。自分の情けなさに、さっき以上に肩を落とす。このままだと、肩を脱臼しそうだ。そんな僕を見て、先生は笑った。
「その人はもういないよ。幽霊ってね、二週間で消えちゃうから」
「……え?」
どこか挑戦的な、試すような、先生の頬笑み。
形の良い唇から、紡がれる言葉。
「――私ね。幽霊が見えるの。……本当だと思う?」
進藤先生の鞄についていた二体の熊が、体を寄せ合うように、揺れた。