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4か月前

 精神科の待合室で、俺はのんびりとテレビを見ていた。


 精神科。その待合室といえば、どんなイメージをもたれるだろう。皆一様にうつむいて黙りこくって、泣いてる人もいたりして、この世の終わりみたいな場所……というわけではない。少なくとも、俺の通っている精神科ここの待合室は、内科のそれと大差なかった。


 『精神科・心療内科』という看板を掲げているここが、精神科なのか心療内科なのか、俺には分かりかねる。いやまずその前に、精神科と心療内科の違いもよく分かっていない。


 そしてぶっちゃけ、そんなことはどうでもよかった。




 俺はテレビから視線をそらし、さほど広くない待合室をぐるりと見渡した。夕方四時、いつもなら割と混雑する時間帯だが、今日はそうでもなかった。俺の他に、待合室にいる患者は四人。その一人一人を、俺は素早くチェックした。


 一人目は二十代後半くらいの若者で、携帯をいじっている。お洒落なパーカーに腰パンという今時の恰好をしていて、見た限りでは『一般的な』男性だ。


 二人目は、イヤホンで音楽を聞いたまま、ぼんやりと壁を見つめている女性。年齢は二十代前半だろうか。時々、鞄の中から携帯電話を取り出して、時刻を確認している。


 三人目は、病院に置かれている雑誌に目を通していた。年齢は四十代半ばほどで、男性。読んでいる女性向けの週刊誌には(残念ながら、この病院に置かれている雑誌のレパートリーは少ない)、表紙に赤いマジックで『持ち出し厳禁』と書かれていた。



 四人目。俺はその子の姿を見て、心臓がとび跳ねるのを自覚した。今まで何度か見かけたことのある、その顔。



 腰まである、長くてつややかな黒髪。一言で言うなら、整った顔。けれどその目はどこか虚ろで、いつも宙の一点を見つめている。目の色は茶色と焦げ茶色の間くらい。――彼女の瞳の色を、俺は表現できない。

 初めて見かけたその日から、彼女のことがずっと気になっていた。機会があれば声をかけてみたい、とも。ただ、問題点が一つ。


 今日もそうだが、彼女はいつだって制服姿だった。黒を基調としたセーラー服。見覚えのあるそれは、この近くにある中学校の制服のはずだ。――そう。つまり彼女は、中学生だった。


 対する俺は二十七歳。学生ですらない。声をかけづらい理由は、これだった。




 俺がこの精神科に来たのは今から二年前、二十五歳の時だった。仕事によるストレス、そこからきた『鬱病』というのが俺の病名。会社を休み、自宅療養と薬物療法をしましょうというのが主治医の判断だった。


 俺が通院し始めた時にはもう、彼女もこの病院に通っていた。そのころから、一人で。

 当初、『精神科のお世話になるなんて……』などと考えていた俺は、待合室の椅子に座っている彼女の姿に目を丸くした。

 誰にも顔を見られないよう俯いて、猫背になっている自分が馬鹿らしいと思えるくらい、彼女は堂々としていたから。


「今時、鬱病なんて誰だってなるよ!」


 世間ではそう言われ出したものの、いざ通院するとなるとやっぱりいろいろ違うのだ。近所の目というか、周囲の目が気になって仕方がない。……これも、症状のうちの一つなのかもしれないが。




 二年間病院に通い続け、俺はようやく社会復帰目前のところにまで来ていた。職場の人間は優しく、『ゆっくり戻っておいで』と言ってくれた。近々、復帰の挨拶に行きたいと思っている。


 俺はテレビから流れているクリスマスソングを聞きながら、今年のクリスマスも独りでケーキを食べる羽目になるんだろうなと考えていた。





「職場復帰は来年度、四月からでいいでしょう。約四カ月後ですね」


 主治医のてるてる坊主にそう言われ、俺は嬉しさ半分、不安半分で診察室を出た。ちなみに(もちろんというか)、主治医の本名はてるてる坊主などではない。俺が勝手にそう呼んでいるだけで、その由来は……彼の頭頂部が『てかてか坊主』だったからだ。



 ――四か月後か。二年ものブランクがあるのに、うまく働けるだろうか。



 そんな不安も抱えつつ、俺は待合室の椅子に腰かけた。この病院は規模こそ小さいものの薬局を併設しているので、薬を処方された場合は、わざわざ外の薬局に行かなくても院内で受け取ることができる。ただし、かなり待たされる時もあるのだが。


 待合室には、俺と、例の女子中学生しかいなかった。他の患者は早々に診察を済ませて帰ったらしい。彼女も薬待ちだろうかと、俺はなんとなく、斜め前にいる彼女の方に目をやった。



 目があった。



 慌てて目をそらしたのは俺の方だった。まるで、授業中に好きな異性を覗き見ていた男子中学生のような反応。自分自身でもおかしかったが、彼女から見てもおかしかったらしい。忍び笑う声が聞こえてきたかと思うと、


「こんにちは」


 向こうから声をかけてきた。



「あ、えっと、……こんにちは」


「ここでよく会いますね。診察のペースは二週に一回ですか」


 彼女は臆することなく、俺に話しかけてきた。逆に、彼女よりも年上のはずの俺は、完全にパニック状態だった。


「あ、まあ、そんな感じ」


 そんな感じってどんな感じだ。彼女は俺の慌てっぷりを見て、ほほ笑んだ。


「……もしかして、お話しするの苦手ですか?」


「や、そんなわけじゃなくて」


 会話する相手が君だから緊張してるんだ、とはさすがに言えなかった。


「よかった。話しかけないほうがよかったのかと思いました」


 その時、薬局からしゃがれたおばさんの声で「シンドウさーん」と呼ばれるのが聞こえてきた。彼女は返事をせずに立ち上がる。

 『彼女の苗字はシンドウ』という情報を、俺は頭に叩き込んだ。




 彼女が薬局で貰ってきた薬の量を見て、俺は驚きを隠せなかった。袋の数を確認したわけではないが、十種類はあるんじゃないか。それらを鞄に放り込む彼女に、


「君も二週に一回、ここに来てるの?」


 尋ねてみると、彼女はうっすらとほほ笑み首を振った。


「私は週一、ですよ。……驚きました? 薬の量」


 驚いたよと素直に肯定はできなかったが、黙りこむ俺を見て、彼女はふっと笑った。


「主治医が薬好きなのと、私自身に色々症状が出ているせいもあって、どうしても薬の量が増えるんです。不眠、抑鬱、パニック。幻聴幻視その他もろもろ」


「……そうか」


 としか返せない自分が酷く情けなかった。


 その時ちょうど俺の名前も呼ばれて、俺は自分の分の薬を受け取った。抗鬱薬が数種類と、睡眠薬。全五種類。これでも多い方かと思っていたが、俺の二週間分の薬の量は、彼女の一週間分のそれよりも少ないように見えた。


 彼女は俺の投薬袋を見ても、薄い笑みを浮かべているだけだった。





 病院から一歩外に出ると、冷たい外気が頬に突き刺さった。スカート姿の彼女は、脚も寒いだろうなと考える。しかし彼女は寒いと声を出すでもなく、紺色のマフラーを首にしっかりと巻きつけると、


「それじゃ、また二週間後に。……ヤマデラさん」


 白い息を吐き出しながらそう言って、こちらに手を振った。



 俺と同様に、彼女も俺の苗字だけを覚えてくれたようだった。



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