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1週間前 (4)

「俺のことは忘れてくれ。――望にそう伝えてくれって、言ったはずなんだけど」


 ファミレスからの帰り道、俺はぶつぶつと文句を言っていた。前を歩く進藤さんは悪びれた様子もなく、


「だから言った。『言いたくない』って。聞いてなかった?」


 しれっとそんなことを言った。彼女に文句を言える立場でないことは、重々承知している。しかし、


「だからって、『山寺さんのこと忘れないでね』って……。俺が言った言葉と正反対じゃないか」


「そんなことない」


 彼女は歩きながら、鞄につけている『包帯熊』をいじる。小さなショルダーバッグには、彼女の嫌うスマートフォンと財布、あとは精神科で処方された薬くらいしか入っていない。鞄につけられている熊のマスコットだけが、唯一の『私物』のように見えた。


「山寺さんが言いたかったのは、『俺のことを忘れて幸せになってくれ』ってことでしょ? 幸せになってほしいとは私も思ったし、だから伝えた。山寺さんのとは、言い方が違ったけれど。……これもその場で言ったよね。聞いてなかったの?」


「――忘れてくれ、っていうのが重要ポイントだったんだよ」


「それは言いたくないって言ったじゃない」


 一歩も引かない彼女に、食い下がる俺。

 彼女は、いじっていた熊のマスコットを手放した。包帯熊は、骨折熊の隣に並ぶ。まるで、寄り添うように。それから急に足を止めると、こちらを振りかえった。


「忘れてどうなるの? それであの人は幸せになるの? あなたは? ……これも言ったけれど、人間は、『生きてる人間』にも縛られる。死んだ人間のことだけを引きずるわけじゃない。そして、悲しい記憶だけを引きずるわけでも、ない。それにね」


 彼女は少しだけ意地の悪い顔でほほ笑んだ。小悪魔的ともいえる、その笑顔。


「忘れてくれって言われた方が、かえって忘れにくいよ? それこそ、逆に縛っているようなもの。違う?」


「うっ……」


 返答に窮した俺に、彼女はため息をつく。少しだけ俯き、息を吸う。


「存在は、消せるものじゃないの。だから、忘れない」


 進藤さんは空を見上げる。赤、青、白、灰色。いろんな色を混ぜた、夕暮れの色。

 彼女の横顔を見て、俺は覚悟を決める。


「……進藤さん」


「なに?」


 空を見上げたまま、彼女が視線をこちらに向ける。俺はポケットに手を突っ込んで、拳を握りしめた。


「俺、自分の家に行ってみる。遺品とか、どうなってるのか見ておきたい」


「――そう。……あなたの両親の幽霊は」


「分かってる。いないんだろ? それでも、見に行ってみるよ」


「そう。……ついていこうか?」


 何かを察したような、彼女の声。俺は首を振る。


「いや、いいよ。一人で行けるし」


「――山寺さん。あと一週間……いや、今日はもうすぐ終わるから。残り六日ね。消えちゃうまで」


「……うん」


 彼女の顔を直視できず、熊のマスコットを見つめる。初めは理解できなかったそのマスコットに、何故か愛着がわいていた。

 彼女はいつも通りの平坦な声で、けれども、


「山寺さん。私の家、また来て。消えちゃう前に。お邪魔しますとか言わなくていいから。あと、土足でいい。幽霊がいきなり部屋に入ってくるの、私は慣れてるから大丈夫」


 釘をさすように、言う。


「うん」


 俺が笑うと、彼女は顔を曇らせたまま、俺に向かって手を振った。

 俺も手を振り返す。もちろん周りの人間から見れば、彼女が一人で手を振っているようにしか見えないだろう。

 それは彼女も知っているはずで、なのに彼女は手を振ってくれる。



 彼女は、生者と死者の見分けがつく。

 けれど、生者と死者を分けない。


 だから。





 彼女の小さな後ろ姿を見送ってから、俺は自分の家へと歩き出した。既に遺品は運び出されているかもしれないと思ったが、役所の手配が遅れているのか、それともそれが普通なのか、その家は俺が住んでいた頃と同じ風景を保っていた。

 台所を覗いてみるが、もちろん母親の姿はない。縁側を覗いたって、父親がいるわけでもない。そしてもうすぐ。俺も、『この家の風景』から、消えてなくなる。

 いや、はたから見たら、俺はもう『消えて』いる。


「口内炎、か」


 彼女の言っていた言葉を思い出し、一人で笑った。



『幽霊が消えちゃうのも、口内炎と一緒なの。見える間はすごく気になるのに、見えなくなったら、しばらくその存在すら忘れちゃうような。そんなもの。案外』



 あと六日。俺が姿を現さなければ、彼女は俺のことを自然と忘れてしまうのだろうか。

 ある時ふと思い出して、『ああ、そんな人もいたな』と思ってもらえる程度の、そんな人間になれるだろうか。


 縛り付けるつもりはない。いや、縛り付けたくない。俺のように毎日毎日、朝起きるたびに期待して台所を覗くような、そんな関係にはなりたくなかった。

 たまに思い出す、その程度でいい。忘れないのなら、せめて。


 伝言役として彼女を利用したくせに、あれだけ会話した癖に、そんなこと考えるなんて虫のいい話かもしれない。

 それでも、俺は。――俺にとって。


「幸せになってほしいのは望だけじゃ、ないんだよ」


 俺は『誰もいない家』で独りごち、滑稽な自分を嗤った。




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