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1週間前 (3)

 悲鳴に近い望の声に、先ほどの無愛想な女性店員が反応した。こちらに声をかけるべきかどうかで悩んでいるらしく、近くの通路をうろうろしている。それを見た進藤さんは


「面倒」


 一言そう呟いてから、右往左往している女性店員に「大丈夫ですので。すみません、お騒がせして」と声をかけた。店員はひきつった笑みを浮かべつつ、そして好奇の目を向けつつ、俺達の席から離れていった。

 進藤さんは店員から望へと視線を戻すと、テーブルの端に置かれていた紙ナプキンを数枚手に取り、望に渡した。


「ポケットティッシュ持ってない。ごめん」


 そう言ったあとで、


「あと、敬語じゃなくてごめん」


 今更、としか言いようのない謝罪をした。




 望が落ち着くまでの間、進藤さんはほとんど声を出さなかった。首を振る扇風機のごとく、おろおろと二人の顔を見比べている俺をよそに、進藤さんはミルクティーを飲み干すと、今度はキャラメルマキアートを取りに行った。更には(先ほどの無愛想な女性)店員を呼び出し、バニラアイスが上に乗っているアップルパイを注文した。この際、望に「あなたも食べる?」と声をかけたが、望は首を振った。

 アップルパイを持ってきた女性店員は、ぐずぐずと泣き続けている望にちらちらと目をやりながら、アップルパイをテーブルの真ん中に置いていった。

 若干溶けたバニラアイスの乗った、アップルパイ。

 進藤さんはその皿を自分の方に引き寄せると、ぐずぐずと泣き続けている望のことなど気にもせず、一人でアップルパイを食べ始めた。


 ……俺だけでなく望も幽霊で、『この席に座っているのは自分一人だけです』とでも言いだしそうな態度だった。



「――言いたくないとは言ったけれど」


 進藤さんはナイフでアップルパイを切りながら、声を出した。それは望にではなく、俺に宛てた言葉だった。


「あなたの言いたいことは分かるし、私も気持ちは同じ。ただ、言い方の違いというか」


 彼女はそこまで言うと、皿の上でボロボロになっているアップルパイを見てため息をついた。そして、「パイ生地は食べにくいのが弱点」と、これまた小さく呟いた。

 バラバラになったアップルパイをなんとか食べ終えた進藤さんは、


「高田さん」


 やっと泣きやみ始めていた望に、声をかけた。名前を呼ばれた望は大きく反応し、少しだけ顔をあげた。


「山寺さんは、あなたに幸せになってほしいと思ってる。あなたにとっての幸せの定義が、なんなのかは知らない。結婚か、仕事か、それとも他の何かなのか。それはどうでもいい。あなたが決めてくれれば。どんな形であれ、あなたが幸せだと思えるような。そんな未来になってほしいと、山寺さんは思ってる。……だから」


 皿の上に置かれていたナイフが少しだけバランスを崩し、カチャンと音を立てた。



「だから、復讐はやめて」



 俺と望はほぼ同時に、進藤さんの方を見た。俺は、『復讐するなと言ってほしい』なんて、進藤さんに伝えた覚えはない。

 両者の反応を見た進藤さんは、


「……見れば分かる。それくらい。そういうこと考えてるなって」


 俺と望、二人に向かって言い放った。



「中身がスカスカのアップルパイと一緒。食べても幸せにはなれない。……スカスカのほうが好きな人もいるだろうけど、高田さんはそういうタイプじゃない。違う?」


 合ってるようなズレてるような比喩表現で、進藤さんは話を進める。


「トラックの運転手だっけ? その人を殺しても、アップルパイの中身が増えるわけじゃない。スカスカの空洞部分を埋められるわけでもない。あなたの空洞を埋める方法は、もっと別のところにある。結婚かもしれないし、仕事かもしれないし、趣味かもしれない。……ただ、人を殺すことで埋められる空洞ものは、ないの」


 再び泣き始めた望を見て、進藤さんは「説得、得意じゃないんだよね」と呟いた。ちらりと俺の方に目をやる。それからわざと、ほほ笑んだ。



「高田さん。山寺さんのこと、忘れないでね」



 進藤さんの言葉に、俺は目を丸くした。


「ちょ、どうしてそんなこと……」


 思わず呟いた俺に、彼女はもう一度目をやる。今度は、笑っていなかった。


「同じだから。生きてても、死んでても」


 彼女の言葉には、迷いがない。アップルパイを注文した時と同じ口調で、彼女は話を続ける。


とらわれるのは、同じだから。……生きてる人間にも死んでる人間にも、囚われる。それが人間だから。だったら、覚えておいた方がいい。楽しかったことも苦しかったことも。――山寺さんと高田さんの思い出って、嫌なことばっかりじゃないでしょ?」


 自分に言われたのだと思ったらしい望が、小さく頷いた。

 俺が俯きながら呟いた記憶ことばを、進藤さんは聞き逃さなかった。


「コンビニでコロッケを買って、二人で公園で食べたの、とか? そういうことも、覚えていて。――絶対に忘れるな、とは言わない。生きてる人間のことでも、忘れちゃうことはあるから。……一緒なの。生きてる人間も、死んでる人間も、ある意味では」


 そこまで言うと、進藤さんは伝票を手元に引き寄せた。


「山寺さんからの伝言は、これで終わり。いきなり呼びだしたりして、ごめんなさい」


 伝票に目を通した進藤さんは、「ドリンクバーの料金、私がもつ。思ったより安いから」と言って立ちあがった。かと思うと、もう一度望の方に目を向けて、


「――あなたが復讐しても、山寺さんは喜ばない。いや、悲しむよ。……それがあなたにとって幸せなのかどうか。後は自分で考えて」


 突き放すように、言い放った。



「――……待って」


 歩き始めた進藤さんに、望が声をかける。その声は、酷くかすれていた。望は口元に両手をあてたまま、問いかける。


「高志は、……本当にそう言ってた? 思ってた? 私のこと、大切な人だって。幸せになってくれって。私、なんの役にも立てなかったのに」


「思ってたよ。間違いない」


 進藤さんは、きっぱりと言い切った。


「じゃなきゃ、わざわざ私のところに来ない。高田さんに伝えたいことがあるんだなんて、言わないから」


 手の代わりに伝票を左右に振って、レジへと向かった進藤さんに、



「……ありがとう」



 俺と望は、聞こえないくらい小さな声で言った。




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