1週間前 (2)
見覚えのない少女の顔を見て、望は怪訝な顔をした。進藤さんは澄ました顔で、「山寺です」と挨拶をする。それを聞いた望の顔が、さらに険しくなった。
「……あなた、誰?」
怒気を帯びる声。望の目の奥の鈍い光。
けれど進藤さんは、そんなことには動じない。
「うん。あなたが思ってる通り。山寺じゃない、私」
インターホンの時とは打って変わり、彼女はいつも通りの平坦な口調とため口で、望にそう告げた。
望の眉間に縦じわが寄る。こんなに険しい彼女の表情は、初めて見たかもしれない。
「――山寺って、高志のことを言ってるの? 高志には、親戚なんていないのに」
望の言葉を聞いて、進藤さんがこちらを振り返る。そういえば進藤さんは、俺の下の名前を知らないんだった。俺が頷くと、彼女は望の方に顔をむけ、「そうみたい。その山寺高志さん」と答えた。
「そうみたいって、……ふざけてるの?」
「ふざけてない。おかしいかもしれないけど」
進藤さんは真顔で答えると、あたりを見渡した。……ニュースで報道されるとしたら、閑静な住宅街とでも表現されそうな場所。何かを探していた進藤さんは諦めて、望の方に視線を戻した。
「できれば、場所を移動したい。ここで立ち話するの、しんどい。ファミレスとかない?」
「――何言って」
「三人で話したい。……あ。あなたから見たら、二人なんだけど」
「あなた、なんなの? ふざけてるなら帰ってよ」
「――……山寺さんとあなたが最後に会ったファミレス、ここから近いのね。そこがいいかな。ドリンクバーふたつ。あなたはその時、ミルクティーを飲んだ?」
絶句する望。俺が必死になって伝えた言葉を、単語の羅列に変換したうえで口にした進藤さんは、ため息をついた。
「……山寺さん。こんなこと伝えても、あなたがここにいるっていう証拠にはならない。『あなたが生きてる時』に、聞いた話だって思われるのがオチ。当人しか知らないはずの思い出話を語ってもね、『自分たちの大切な思い出を、第三者に話してたのか』って勘違いして怒る人も多い。逆効果」
そう言われて、俺も絶句する。進藤さんの言うとおりだ。望の方に目をやると、彼女は肩を大きく上下させながら、こちらを見ていた。今にも襲いかかってきそうに見えるその様子に、俺は戦く。
「高田さん」
進藤さんはそんな望をまっすぐに見据えながら、言い放った。
「私の話を信じるのも信じないのも、あなたの自由。私は、山寺さんがあなたに言おうとしていた言葉を伝えに来た。山寺さんが、ファミレスで、答えられなかったこと」
その言葉を聞いた望の肩が、一瞬だけ大きく震えた。
「……山寺さんの幽霊が今ここにいて、あなたにそれを伝えようとしているの。信じるのは難しいかもしれないけど。――生前、私が彼から聞かされた話だと思ってくれてもいい。どちらにせよ、彼の言葉だということは、本当。私はそれを伝えに来ただけ。……じゃなきゃ『他人の私』が、わざわざあなたの家に来てまで、あなたを怒らせるようなことを言う理由はない」
それはそうだ。俺は感心しながら、年下のはずの進藤さんの後ろ姿を見ていた。
「とりあえず、話、聞いてくれる? 聞くだけならタダだし。ドリンクバーの料金なら、自分で払う。……山寺さんは、あなたに奢ってもらったみたいだけど?」
首をかしげてうっすらとほほ笑んだ進藤さんに、
「……ちょっと待ってて」
望はそう言い残すと、扉を閉めた。
昼食を食べるには遅く、夕食を食べるには早い時間。そんな中途半端な時間のせいもあってか、ファミレスは異様に空いていた。愛想の悪い女性店員に「お好きなところへどうぞ」と言われたので、俺は前回来た時、望と座ったシートを指差した。
「あそこの席。いい?」
進藤さんが提案すると、少しだけ化粧を濃くして顔色をごまかしている望は、一瞬戸惑ってから頷いた。俺は進藤さんの隣に、望と進藤さんは向かい合うかたちで、それぞれ腰を下ろす。席に座ると、進藤さんはさっさとドリンクバーを二人前注文し、望の希望を訊くことなく立ち上がると、二人分のホットミルクティーを注ぎに行った。
「――……あなたは、高志の何なの?」
目の前ミルクティーを置かれた望は、気味の悪そうな顔をしながら進藤さんに問いかけた。
「山寺さんと、私? 病院でよく会う人」
相変わらず簡潔で、当人にしか分からないような進藤さんの答えに、俺は思わず苦笑した。進藤さんが、俺の方を睨む。睨むというより、目くばせ。俺は頷くと、進藤さんに向かって話し始めた。進藤さんは俺の言葉をしばらく黙って聞いた後、
「やりなおせないって」
俺が一番言いたくないと思っていた言葉を、真っ先に言い放った。望の顔が曇る。
『私たち、もう一度やり直せないかな』
あの日言えなかった、答え。
「高田さん以外に好きな人がいるから、やりなおせない。簡潔にいうと、そういうこと?」
言い繕うようにゴチャゴチャ言っていた俺の言葉を完全に無視して、進藤さんはさらりと言った。いや、俺に訊いてきた。……あれこれ考えていた言い分がすべて却下され、俺は萎れたヒマワリのように俯く。
進藤さんの言葉を聞いた望もまた、俯いている。そんな中、悠然と紅茶を飲んでいた進藤さんは、おもむろにカップをソーサーに置いた。それから大きく息を吸い込むと、呼気に声を乗せた。
「――望は高校生の時の俺も、今の俺も支えてくれてた。嘘じゃない。本当に、心からそう思ってるし感謝してる。だけど、俺には今、気になる人がいるんだ。だから君のことを『恋人』として見ることはできない。友達でいてほしい。……ただの同僚より格上げしてほしいって望は言ってたけれど、俺にとって君は初めから、ただの同僚じゃなかった。やり直すことはできないけれど、俺にとって君は、大切な人なんだ。昔も、これからも、ずっと。――……こんな感じかな」
一字一句違えず、というわけではない。けれど、俺がゴチャゴチャ言っていたことの八割方を、そのまま言葉にしてくれた。それから、
「このあとに続いてる言葉、私は言いたくない」
俺の方を見て、進藤さんははっきりとそう言った。
――この後に続いていた、言葉。
進藤さんはため息をつき、再びカップに手を伸ばす。
望は、声をあげて泣き始めた。