12日前
「来なかったね、火葬場にも」
責めるわけでも落ち込むわけでもなく、ありのままの事実をそのまま口にした進藤さん。そんな彼女とは対照的に、俺は焦っていた。
望とは簡単に会えるだろうと、高をくくっていたから。
「……仕事かな」
商店街の中を歩きながら、進藤さんが呟いた。
卒業式は既に終わり、在校生なら春休み中。そんな時期に中学校の制服を着ている彼女は、ただでさえ目立っていた。それに付け加え、『独り言』を言っている彼女は完璧に不審者だ。数人が、彼女の方を振り返る。けれど、そんなのはお構いなしで、彼女は俺に話しかけてきた。
「山寺さん。彼女の仕事先の電話番号、分かる?」
「……分かるけど」
「教えて」
彼女は人通りの少ない場所に移動すると、鞄から携帯電話を取り出した。携帯電話というか、スマートフォン。俺はそれを見て、目を丸くした。
「進藤さん、中学生だったよね?」
「――親に持たされてるの。危ないからって。本当は嫌いなんだけど。これ、リードみたい」
「リード?」
俺が小首をかしげると、彼女はタッチパネルを操作しながら言った。
「犬の散歩の時、首輪につけるヒモ。あれと同じでしょう、この機械」
「……首輪、じゃないんだね」
「違う。リード。首輪はね、所有者を表し個体を識別するためにつけるもの。リードは、遠くに行かないように縛りつけるもの。だから、この機械はリード」
彼女はそこで言葉を切ると、スマートフォンを耳に当て、咳払いをした。
……え? 嘘だろ?
眉をひそめる俺。彼女は澄ました顔で、今まで聞いたこともないような声を出した。それは、デパートのエレベーターガールを彷彿させる、『アナウンス声』だった。
「――あ、もしもし。私、『高田の家の者』ですけれども」
ぎょっとする俺。進藤さんは、今までにない最高の『作り笑顔と声』で、話を進める。
「……こちらこそ、いつも娘がお世話になっております」
「む、娘!?」
のけぞる俺を見て、彼女は声を出さずに笑った。彼女は今、「高田望の母」を完璧に演じきっている。愕然とする俺を置いてけぼりにして、彼女は愛想よく話を進め、「失礼いたします」とこれまた完璧な『アナウンス声』で挨拶してから、電話を切った。
スマートフォンを鞄に入れると、進藤さんはいつもの顔つきと、
「高田さん休んでるって、会社。山寺さんが死んだ、次の日から」
いつもの平坦な声に戻っていた。言葉が思い浮かばず、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせる俺に向かって、
「――顔の見えない会話なんて、こんなものでしょう?」
彼女はゆったりと、言葉を吐き出した。
これからどうする? と訊かれて、俺は言葉に詰まった。
待つか、諦めるか、それとも。
「……『消えちゃう』までに、決めて」
彼女の言葉に、俺は無言でうなずく。――まったくもって情けない。慣れてるとか慣れてないとかの問題ではない。もう少ししっかりしろよ自分。
進藤さんは日の傾き始めた空を見てから、俺の方に視線をずらした。
「今日はもう、大切な人のところへは行かない?」
俺はファミレスで出会った時の望の姿を思い出し、逡巡してから頷いた。
「――ああ。今日はやめとく」
「そう。じゃ、付き合って。一緒に行きたいところ、あるんだ」
彼女はそれだけ言い残すと、一人で足早に進み始めた。俺は慌てて、彼女の後を追いかける。人とぶつからないよう必死に歩く俺を見て、彼女は笑った。
「山寺さん、ぶつかっても問題ないよ。すり抜けるだけ。それに、いちいち避けるの大変でしょ? 向こうは山寺さんの姿が見えてないから、避けようとしないし」
――確かに。目からうろこというか、なんというか。
開き直った俺は、人ごみの中を堂々と『すり抜けながら』歩いた。
彼女に連れてこられたのは、小学校だった。そこは俺の出身校ではなく、
「私、ここ、卒業したの」
彼女はそう言うと、敷地に足を踏み入れることなく迂回した。俺も後に続く。しばらく歩くと、ゴミ捨て場が見えてきた。緑色の大きなコンテナが二つ、置かれている。
進藤さんはゴミ捨て場までまっすぐ歩き、コンテナの前まで来るとこちらを振りかえった。それから、
「ここ、来て。見ればわかる」
彼女に促されて、俺は彼女の隣に並んだ。――ああ。
「あの水彩画……」
俺が言うと、彼女は無言で頷いた。
ゴミ捨て場から、学校のグラウンドが見えるのだ。のぼり棒、雲梯、砂場、ブランコ。その配置はすべて、あのぼやけた世界と一致していた。唯一違うのは、彼女の描いた世界は青空で、俺が見ているのは真っ赤な夕空だということだけだった。
「ここで描いたの?」
俺は真後ろにある緑色のコンテナを見ながら、尋ねた。
「そう。ここで。一人で描いた。……変な人間だと思った?」
彼女はこちらを見上げる。
俺は、コンテナからグラウンドに視線を戻した。
ここから一人で見る、グラウンドは。
「逆光が酷くて眩しいよ。よく描けたね、ここで。一人で……頑張ったね」
「――だから、慣れてない。褒められるの」
彼女はふいっと横を向いて、寒いと言いながら鼻をすすった。
年齢差。それのせいにするのは、卑怯かもしれない。
けれどもしも、俺が彼女と同級生だったら。
俺はきっと、ここで一緒に絵を描いていただろうと思う。
酷く滲んだ、水彩画を。