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1か月前

 変な夢を見た。俺の両親が、殺される夢だ。

 気味の悪い夢を見たなと思いつつ、俺は上半身を起こした。目をこすりながら、カレンダーを確認する。


「にせんいちねん、じゅうにがつ、じゅういちにち」


 棒読みで、その日付を確認する。何度も何度も。



 下に降りると、いつものように母が朝食を準備していた。お世辞にもうまいとは言い難い、そぼろのようなスクランブルエッグ。ぐずぐずに崩れたトマト。それを気にする風でもなく、新聞を読みながら朝食をとる父。



 ――ごめんね、食パン買うの忘れてて。今日はご飯よ。



 母の言葉に、俺は笑う。だったら卵焼きと味噌汁にすればよかったじゃん、と言いながら席についた。スクランブルエッグを作ってから、パンがないことに気付いたのよと母。そんな母の笑顔を見ながら、俺は思い出したことを口にした。


 

 ――あ、そういえば。今日、変な夢を見たんだ。



 へえ、どんな夢? と楽しそうに訊いてくる母。……まさか、二人が殺される夢だとはいえない。



 ――詳しくは言えない。でもさ、今日一日、外に出るのは控えた方がいいかも。


 ――どうして?


 ――うーん、なんとなく。



 俺がはぐらかすと、母は困ったように笑った。



 ――今日はね、お父さんと出掛ける予定があるのよ。高志が高校がっこうから帰ってくる頃には、お母さんたちも帰ってきてると思うけど。



 母は困った顔のまま、スクランブルエッグを食べ始める。俺は少し水っぽいご飯と、……その日付をもう一度口にした。




「にせんいちねん、じゅうにがつ、じゅういちにち」






 ――……これで何度目だ、とため息をついた。布団の中でもそもそと携帯を開き、今日の日付を確認する。そしてそれを、わざと声に出した。



「二〇一二年にせんじゅうにねん三月さんがつ二日ふつか



 ……夢の中でくらい、「今日は外に出るな」ときちんと忠告すればいいのに。俺は布団からさっさと抜け出すと階段を降り、台所を確認した。


 ――父も母も、不格好なスクランブルエッグも、なかった。



 自分で、スクランブルエッグを作る。ふわふわに仕上がったそれは、どう考えたって母の作ったそれよりも上手い。――けれど。


 三人で食べた不格好なスクランブルエッグの方が、よっぽど美味かった。





「山寺さん。あと一カ月ね」


 俺の顔を見るなりシンドウさんがそう言ってきて、思わず苦笑した。ここのところ、顔を合わすたびに復職までの日数を、……彼女と会えなくなるまでの日数をカウントダウンされている。シンドウさんにとってそれは、嬉しいことなのか、残念なことなのか。彼女の表情からは、それを読み取ることができない。

 待合室のテレビを確認する。「中学二年生 同級生を刺殺したのち自殺」というテロップと、映し出されている建物を見て、俺はチャンネルを代えた。


「どちらが悪かったのか」


 彼女はテレビを凝視したまま、声を出した。チャンネルが代わったことに、気付いていないようにも見えた。


「いじめられてた子が、自分をいじめてた子を殺して、そのあと自殺したんだって。……誰が悪いの?」


 どこか責めるような、彼女の声。俺は彼女の方に目をやる。深い茶色の瞳が、少しだけ濁っているように見えた。


「いじめられたら、我慢する。そしたらすべてが丸く収まる? ……壊れるよ、確実に」


「――君は、」


 俺の声を遮って、シンドウさんは急に笑いはじめた。声を出して、酷く楽しそうに。

 彼女のそんな姿を見るのは初めてで、俺は唖然とした。

 シンドウさんはひとしきり笑うと今度は無表情になり、何度も繰り返し覚えさせられた台本を読むかのように、声を出し始めた。……まるで、念仏でも唱えるかのように。



「我慢してはいけません。誰にも言ってはいけません。やりかえしてはいけません。見て見ぬふりしてもいけません。手を差し伸べてはいけません。標的にされてはいけません。負けてはいけません。折れてはいけません。勝ち負けではありません。黙っていては分かりません。声を出してはいけません。嘘つきの話は聞きません。泣いても何も解決しません。泣くのを我慢してはいけません。何もしてはいけません。――死んでください」



 ……彼女は息継ぎしたのだろうか。そんな間抜けなことを考えてしまうくらいに、彼女は早口で最後まで言いきった。

 茫然としている俺の方にちらりと目をやったシンドウさんは、いつも通りの澄ました顔をしていた。


「いまの全部、直接言われたこと。本当の話。びっくりした? …………引いた? 山寺さん。私、壊れてるの。怖かった?」


 彼女の試すような目を、俺は見つめる。――怖かったのは俺ではなくて、


「それを言われて、怖かったのは君だろう? ……他人を、拒絶したくなるくらいに」


 ほんの少し、ほんの一瞬。彼女の顔が歪んだ。

 俺の言葉に、いや、自身の言葉にシンドウさんは反応した。


 いつか、彼女が言っていた言葉。



『拒絶してるの、私』



「――……俺のことも、拒絶する?」


 怖がらせないよう、出来る限り柔らかい声で、彼女に尋ねる。

 コーヒーをこぼした右手の痛みは、すっかりなくなっていた。……『消えちゃう』のも、こんな感じなのかもしれない。いつの間にか、いなくなっている。それはとても、


「こわい」


 口にした言葉。その感情を乗せた声。いつもは平坦な彼女の声が、震える。


「分からないの。人を信用していいのか。大丈夫なのか。じぶんのことも分からないのに。私は、夜道に慣れてるの。その道をいきなり照らされても、めまいがして倒れるだけ。こわい」


「シンドウさーん。第二診察室へどうぞー」


 診察室に呼ばれた彼女は立ち上がると、


「ごめんなさい。拒絶じゃないの。でも、――分からない」


 俺の方を見ずにそう言って、診察室へと向かった。スクール鞄につけられている熊のマスコットが、彼女の歩調に合わせて跳ねる。その様子を見ながら、望もああいうマスコットが好きなんだろうかと考えた。



 ――近々、復職の挨拶に行こう。会社に行こう。きっと、望にも会えるはずだ。



 次にかのじょにあった時。

 その時は、ちゃんと言おう。


 あの夢のように、後悔しないためにも。




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