遠野家にて
遠野家では犬を飼っている。茶色の雑種犬でタローという名である。リビングと敷地入口が見える位置に父親作の犬小屋がありそこにつないである。
タローの夕方の散歩はトオコの担当。学校から帰ったトオコが散歩用のリードを持って現れると尻尾をぶんぶん振って大はしゃぎである。
「落ち着けー! 紐つけらんない〜」
多少の時間を要して散歩用リードに付け替える。さあ散歩だ!と歩き出したタローはトオコの近くに初めて見る人間がいることに気がつく。
遠野家の番犬を自負しているタローは来客があると鳴く。毎日やってくる新聞屋さん牛乳屋さんおばあちゃんの茶飲み友達。たまにくる郵便屋さんや宅配便屋さん。これら馴染みの人たちの時はお客さんきたよ、の合図である。知らない人間なら警戒の意味も込めて鳴く。
知らない人間だ! ワン! ワ……あれこの人間匂いがしない。おかしいな。
困惑した顔でリードをもつトオコを見上げる。
「タローどしたの?」
「ワンちゃん、私見て鳴こうとした?」
「そうみたいだけど……なんで困った顔してるんだろ」
人間+幽霊もタローの状況はだいたい想像できたが『姿は見えるけど匂いがないので困惑している』ことまでは流石にわからない。
「ワンちゃんには私が見えてるみたい」
「動物て人間より霊感あったりするのかなあ」
「ねえねえ、さわってもいい?」
「さわれるの? 突き抜けちゃうんじゃない」
「そうだった」
「ほらタロー、散歩行くよ」
散歩! 散歩だ。匂いのしない人間は気になるけど散歩が優先だ。トオコと一緒にいるなら悪いやつではないだろう。タローは散歩を満喫することにした。
タローの散歩が終わると夕食まで少し時間がある。その時間にトオコは宿題をすませる。夕食後にはみたいテレビ番組があるからだ。内容が好きというか、人気番組は見ておかないと話についていけなくなる。
「うわあ、難しそう」
トオコの広げている数学の問題集をのぞきこんだユウちゃんが言う。
今日の範囲はそんなに難しくないけどなあ、ユウちゃんは数学が苦手だったのかな。それとも習う前に幽霊になっちゃったのかな。っていうか……
「普通に部屋までついてきてるよね」
「えへへ、お風呂とトイレは行かないから安心して〜」
「当たり前だよ! あと今宿題中だから!」
「ごめん、お勉強の邪魔もしないから!」
この後ユウちゃんは静かにしていたが、いつもより問題を解くのに時間がかかったトオコだった。
平日の夕食は母と祖母とトオコの三人で食べるのが基本だ。会社員の父は残業で遅いから別である。
テレビをBGMに芸能人がどうしたとか、ご近所の誰々さんがどうしたとか、他愛もない会話をしながらの食事だ。話題の中には娘(孫)の学校生活も当然含まれる。
「トオコ、学校どうだった?」
「ん……フツーだよ普通」
うん、学校は普通だったよ。帰りにおかしなことがあっただけで。それがまだ続いてるだけで。
でもこの返事はそっけなさすぎるかな、と思ったので少しだけ話題を提供する。
「えーっと、英語で抜き打ち小テストあったよ」
「どうだった? 普段からちゃんと勉強しておきなさいよ」
話題選びを間違えた、お母さんが小言モードに入りそう。
「トオコちゃんはよくやってるよお。トオルはよく赤点だ追試だ言ってたよ」
おばあちゃんの助けが入った。トオルとはトオコの父のことである。
そこからお父さんのこども時代の話で盛り上がる。何度もおばあちゃんから聞いている話でお母さんの反応もほとんど同じ。飽きないのかな、と思いつつも小言から逃れたのでよしとする。
ちなみにトオコの成績は理系科目が中の上、文系科目が中の下、トータルで中くらい。英語の小テストの出来も中くらいだった。
夕食の食器を洗い(これもトオコの仕事である)目当てのテレビを見てお風呂に入って自室に戻る。そのあと寝るまでダラダラする。これがトオコの日常であった、昨日までは。
今日は違う。学校帰りにあったおかしなことの原因である幽霊のユウちゃんがいる。
「トオコちゃんちのご飯すごいね! お料理いっぱいどれも美味しそう」
「いや普通だし、種類多くて皿洗い大変だし」
我が家の家庭料理をキラキラした目で褒められて照れくさい。品数が多いのはお母さんもおばあちゃんも料理が好きだからである。ちょっとしたものが何品もでてくる。
ん? 美味しそう?
「幽霊ってお腹空いたりするの?」
「そういえば空かないなあ。でもいいなあ、ああいう晩御飯」
お腹空かなくても美味しそうって思うんだ。ずっと食べなくても平気ってどんな感じなんだろう。
明日の学校の準備をしながらユウちゃんとおしゃべりをする。ついてる幽霊というより友達でも泊まりにきたような感覚だ。
「それじゃあ寝るけど、怖い夢とか見せないでよ」
「そんなことしないし、できないよ〜」
「ユウちゃんは夜、寝るの起きてるの?」
お腹が空かないということは眠くもならないのだろうか。
ユウちゃんは少し考えているようだった。
「たぶん寝れる、と、思う」
「たぶん?」
「たぶん」
お腹は空かなくても寝れるのか。たぶん、って言ってるから本人もよくわかってなさそう。
考えてもわからないだろうし頭がこんがらがりそうだったのでトオコはさっさと寝ることにした。




