人の死に方ではなかった
光が広島に突き刺さった。
1945年8月6日、午前8時15分。
自然の光ではなかった。青白く、目の奥深くまで痛みが突き刺さった。人の呼吸、空気、風の音、水のせせらぎ、一切合切の音を止めた光線のあと、爆風がすべてを吹き飛ばした。
私は倒れた。起き上がった時には、焼け焦げた匂いがした。自分の体の匂いだった。立ち上がろうと踏ん張ったら、ずるりと足と腕の皮膚が黒焦げの地面に落ちた。
痛い。喉が焼けている。水が欲しい。
なんとか立ち上がらなければ。
まったく違う世界に飛ばされたのかと思った。
私は死んでいて、地獄に来たのかと思った。
瓦礫の上に、真っ黒な死体が倒れている。それが元々人間だったとは思えない。黒い木の人形が倒れているみたいだ。
私のように皮膚がずる剥けになって、ふらふらと歩く人が住宅の瓦礫の中から出てきた。前のめりになって黒い液体を吐き出し、そのまま倒れた。腹から内臓が飛び出している。
火の燃える音だけが聞こえる。
阿鼻叫喚はまだ聞こえない。被爆した人々は、この地獄の沙汰をまだ認識できていない。
息をするたびに、肺が焼けるような痛みが走る。
しかし歩みを止めてはいけない。川、川はせめて無事だろう。火傷の手当をして、水を飲めば、少しは体が楽になるだろう。川へ続く道にはすでに、ただれた体で呆然と歩く人の列ができていた。
「みず、みず」という声がする。
全身焼けただれていても声が出る人が、うらやましかった。
おかあちゃん、はよぅ死んどって、よかったねぇ。
こんなうちのむごい姿、見たら気ぃ失うとったじゃろうねぇ。
生き地獄、見んでよかったねぇ。
火傷にガラス片がびっしり突き刺さった人がいる。
まだ年端もいかぬ子が、うずくまっていると思ったら、すでに事切れていた。頭は真っ黒で、目鼻はただれているが、大きく口を開けている。なんとか残ったモンペの花柄で、女の子だとわかる。
人の肉が焼けた臭いと死臭、嘔吐と下痢の臭い。
これは、地獄の臭いじゃ。
ようやく、川にたどりついた。これで助かる。そう思い、一気に体を沈めると、激痛が走った。私の剥がれた皮膚が流れていく。
それについていくように、宝物の小さな猫の人形が流れていく。
死体が私にぶつかる。カッと目を見開き、川に浮かぶ死体。周りは死体ばかりだ。皮膚を失った体に水がしみこんで、体が急速に冷えていく。私は沈む。
痛い、痛い、痛い。
冷たい、冷たい、冷たい。
なんで、うちらが、こんな死に方をせにゃいけんのんじゃ……
うちらが、何をしたというんじゃ……
私は、たった十七歳で死んだ。
父は戦死、母は病気で既に亡くなっていた。
かつて私は、三菱重工業広島機械製作所で懸命に働く女工だった。寮暮らしは、なかなか楽しかった。
「やよいちゃん、手ぇに豆ようけできとるじゃ。あんまり頑張りすぎたら、体こわしてしまうよ」
智恵子ちゃんは、私にいつも優しかった。
「うちは、よう働くのが好きなんよ。お母ちゃんの分まで一生懸命生きんと」
「ようがんばっとるけぇ、ちぃとばぁごほうびやるけぇね。やよいちゃんの好きな猫の人形や」
智恵子ちゃんは手先が器用で、布の切れ端で人形を作るのが得意だった。
ボロ布でも、智恵子ちゃんの手にかかると、かわいらしい人形になる。
縞模様の猫の人形がとても嬉しくて、手のひらにのせてずっと眺めていた。辛い時に人形を見ると力が湧いた。
智恵子ちゃん……智恵子ちゃんは、無事であってほしい。
「うちは戦争、はよ終わってほしいんよ。戦争終わったら、はよお嫁に行きたい。そんで子どもができたら、ようけ人形作ってやるんよ」
寮の片隅で、他に誰もいない時に、智恵子ちゃんは小声で彼女の夢を教えてくれた。
かわいい夢を持っていた智恵子ちゃんだけは、生き延びて。
私は、気がついたら真っ暗な場所にいた。
そこでは、ようやく体の痛みが消えて、すぅすぅと呼吸ができた。
私は霊魂となって、死者の国で安らかに眠った。
しかし。
8月6日の午前8時15分になると、私は広島の原爆ドームの上に、無理やり蘇らされる。
平和な青空なのに、まだ、あの地獄の匂いがする。なぜだ。
地上の情報が、私の頭に流れ込んでくる。
人々の話し声、私たちを悼む声。
その中で知った「核兵器はなくなっていない」
アメリカは、私たちをむごったらしく殺しておきながら、核兵器の実験を繰り返してきた。
核兵器による死に方は、人の死に方ではない。
あれだけ私たちが、むごい死に様を晒しながら、なぜそれがわからないのだ。
そして人々は、私たちを殺した原子力で生活をしている。
便利な力の中に、人を殺傷する毒が含まれているにも関わらず。
原発も、原爆も、同じじゃけぇ。
空中に浮く私の皮膚が、焼けただれてずるりとめくれて落ちていく。
私は、大きな口を開けて叫ぶ。
けれど誰も、私に気づかない。
現代人は、何を見て生きているのか。
縞模様の猫が、ゆっくりと落下していく。
この世から核兵器と原発がなくならないかぎり、
私は死の国の安らかな眠りを叩き起こされて、核で殺された体を晒さなければならない。
いつ、終わるのか。
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「核と原子力は同じ」
——日本の工学者・評論家、小出裕章さんのお言葉です。