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桜 咲く頃

作者: MYM



 薄闇にひらひらと桜の花びらが舞い散る中、その、少年らしき人影は校庭で一番大きな桜の樹の下にたたずんでいた。

 その姿は、まるで一枚の絵画のように綺麗で、思わず見とれて茉莉は立ちつくしてしまった。その気配を感じたのか少年はふっとこっちに視線を移して――、息を飲む茉莉を見て彼の顔に驚愕の色が浮かぶ。

 そして、彼が初めて口にした言葉は――

「げ」





 数分前。

 ふと気付いた時、茉莉は学校の教室の、自分の机に突っ伏して寝ていた。

 いったん家に帰って、鞄の中を見てみたら、もって帰ったはずの数学のノートがなかったのである。

 あれがないと、宿題ができない。しかも、やってこなかったら人より宿題が倍になってのしかかってくるという、数学嫌いには恐怖の宿題である。数学が嫌いな茉莉は、だから、急いで制服のまま学校に戻った。

 はずである、確か。

 部活が終わってから家に帰ったので、また学校に戻った頃には人影なんてまったくなかったし、辺りには、何か学校なのに学校じゃないような不思議な雰囲気が漂っていて。

 早く帰ろうと思いつつ――

(寝たのか、私は)

 結局ノートもなかったし、骨折り損ってこーゆーことかもしれない、などと思いながら、茉莉はふと窓の外を見た。

 外はもう薄暗い。

 でも、校庭に立ち並ぶ桜は満開で、ほんのりと白く明るく見えている。

 ここの校庭の桜は遅咲きで、茉莉が入学してからずいぶん経つのに、まだ咲いている。

 茉莉は、学校の帰りにこの桜並木の下で桜の花を見上げるのが好きだった。毎日のように桜の樹の下でぼーっとしている。そういえば、今日は珍しく桜を見ずに帰ったように思う。

「今日も桜、綺麗だな」

 何気なくつぶやいた一人言が教室に響く。

 なんだか無性に怖くなって思わずその場から駆け出した。三階の教室から一気に校庭まで走り抜け、桜並木の辺りにさしかかって一息ついたとき、茉莉は初めてその少年の存在に気が付いたのだった――。





「ってゆーかさ、あんた馬鹿だろ? フツー呼ばれても来やしねーしホント素直に来た所であんたに損な事しか起こんないっていうのがちょーーっと考えたらわかんない? わかんないから来てるんだろーなー多分。あーもーまったくなんでこんなにメンドーくせーことになるんだろー」

 俺ってばついてねー、とこれみよがしにはぁ、と溜め息をつきながら、さらに喋り続ける彼を呆然と見つめながら、茉莉は、サギだ、と思った。

(こぉんなにかわいい顔してるのに。初対面の人間を「あんた」呼ばわりするなんて。口が悪いし。しかもなんでこんなにポンポン言葉がわいてでてくるんだろう)

 矢継ぎ早にせめられて、しかも言っていることの意味がさっぱりわからない。

 なんだか理不尽な怒りを覚えて、思わず言葉が漏れる。

「黙ってりゃかわいいのに……」

「なんかいった?」

 きっ、とこっちを睨んでずかずかと近づいてくる彼は、どうみても小学校中学年だ。こっちは(よく小学生と間違えられるけど!)中学生。

 年上の意地、とばかりに言い返す。

「大体何よさっきから人のこと無視してブツブツ言ってしかも言ってることさっぱりわからないし一人で納得してないでちゃんと説明しなさいよそれに小学生が中学校の校庭で何してるのよ一体!!」

 全部一息で言ってぜぇぜぇ肩で息をしている茉莉をちらっと見て、少年はやけに冷静に言った。

「自分の置かれた状況、まぁったく理解してないところがいちばん問題だっていってるんだよ」

「それが分からないなら何だって言うのよ!」

 少年はガリガリ頭を掻きながら、再び溜め息をつく。

「……まあいいや。わかんないんならわかんないで。とりあえず、名前言って」

「なまえ? 私の?」

「そう。下のね。そろそろあんた、限界みたいだから」

 相手の名前を聞くのなら、自分の名前を名乗ってからがが礼儀でしょ、と思いはしたものの、茉莉は少年の瞳になんだか真剣なものを感じて、「茉莉……」と答えた。

「わかった」

 少年はそう言って、下から茉莉の目を真っ直ぐに見つめる。

「あんた、この桜がよっぽだ好きなんだな。毎日帰り際にずっとここで上向いて突っ立ってるくらいだし」

 何で知ってるの、と言おうとしたけれど、声が出ない。体中の力が抜けて、立っていられない程だ。視界が、回る。……おかしい。

「……この桜もあんたのこと好きだってさ。

 それじゃ、さよなら。元気でな、マツリ」

 とん、と少年の手が肩に触れ、茉莉はふっと体が軽くなるのを感じた。そして、目の前がすうっと暗くなる。

 ――最後に見たのは、薄闇の中ぼうっと光る桜と、

 微笑む少年の顔、だった――





 目を開けると見慣れた天井があった。

 自分の部屋だ。

 制服のままで寝ていたらしく、スカートのプリーツがとれてしまって見るも無惨になっている。

 手には、数学のノート。

「……一体、何だったの……?」

 全部夢だったのだろうか。

 でも、自分ははっきりと覚えている。

 今まで見た中でいちばん綺麗な桜と、可愛い顔して口の悪い小学生。腹は立ったけど、なんだか憎めない。

 思い出して、思わずつぶやく。


「……また、逢えるかな……」





「無事帰れたかなー? ま、俺が送り帰したからとーぜん無事、だろうけど」

 茉莉を帰してから少年は桜のほうにくるりと向いた。目の前に立ち並ぶ桜の中で一番大きな桜の樹が、どん、とそびえている。

「それにしたってさー、すっごい力技使うよなー……。フツー人の意識だけ、ここまでひっぱってくるかー?」

 ……記憶操作までしてさー……。

 俺は呼ばれんの慣れてるからいいけどさ。

 ざわ、と桜が揺れる。

『なあに、今日、彼女はここに寄っていかなっかったし、そんな日に限って今年一番の花の見頃だったりする。しかも、今日の夜から風が強くなるみたいだし、毎日見にきてもらっている彼女には、やはり、一番美しい花の姿を見て貰いたいものだろう?

 君だって今日はひどくがっかりしていたようだしね。それに、いろいろ不都合なこともあるだろう?』

 ……わかってる。意識だけじゃないとこの姿の自分に会えないことは。

「……ありがとな」

 マツリ。やっとわかった彼女の名前をそっとつぶやく。

 ある日、いつものように自分の体から意識を飛ばしてその辺をふらふら飛んでいたら。

 咲きかけの桜の下で、じっと桜の樹を見つめている少女がいた。やさしい笑みを浮かべながら、うれしそうに。



 ほんの数分だったけれど、時間が止まったような気がした。



 少女が去ったあと、どうしてあんな表情ができるのか不思議に思って、彼女が立っていたところに降りて彼女と同じように桜を見上げていたら、語りかけてきたのだ。

 桜が。

『君も、彼女のことが好きなのかい? じゃあ、同志だね』

 と。最初はさすがにびっくりしたけど、桜の語る昔話がおもしろくて、毎日ここに通った。もちろん彼女』を見る、という目的もあったけれど。



 昔、山奥にひっそりとはえていた山桜が、学校が開校されると同時にここに移されたこと、空襲による火災を運よく逃れて……、でも辺りの山の木々を始め、街にある木々はすべて燃えてしまって(それほど空襲の被害はすさまじかったのだ)、その時以来この辺り一番の古株になってしまったこと。永い時を生き抜いたことで、『力』を得たこと。……その『力』はあまり使っていないみたいだけど。


 そして、彼女は入学してから毎日、帰り際にこの桜を見ていること。


『年甲斐もなく惚れてしまってね。いいや、そうじゃない、なんて顔をするんだ君は。私が惚れたのは……人間としての彼女であって、君が彼女に抱いている気持ちとは似て非なるものもの、だよ』

 それに、その点では、私にとって君と彼女はおんなじだ。

 そう言って、樹は『笑った』のだ。


 今日は一度ここに来たけれど、彼女はいなかったのだ。また桜に呼ばれて、急いで来てみれば……、まさか、こういうことだったなんて。

「それにしても、『かわいい』なんて言われてもちっともうれしくないよな」

 好きな人から言われたら特に。

「年だってひとつしか違わないのに」

 彼女は中学一年生。じぶんは、年齢より幼く見られるけど小学六年生なのだから。

「ま、向こうにとって出会い方サイアクだったみたいだからこれ以上悪くなることなんてないだろうし」

 まさか会ってすぐに口論するなんて思っても見なかったけれど。

 小学校は違ったけど、中学校の校区は一緒だから、来年は自分もこの中学に通うのだ。

「きっと、びっくりするだろうな」

 来年の四月までに、もっと身長を伸ばして。顔だって『かわいい』じゃなくて『格好いい』と言われるようになって。

 野望は尽きない。


「楽しみだ」


 にっ、と笑う。


 そう、夢なんかじゃない。



 ――すべては。



 来年の、桜の花が咲く頃に――。

1999年に参加していた文芸部の部誌で発表した作品です。

拙いですが少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

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