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Dear,Deth. For your Mind  作者: 神衣舞
3/3

3

 未来視───その力を研究者は否定する。

 未来とは変貌する物である。

 例えばリンゴが木から落ちる事を100%の精度で予言したとしよう。

 その予言を知ったものがリンゴを先にもぎ取ってしまえば、そのリンゴは予言どおりに落ちる事はない。

 つまり完全であるはずの未来は変貌した。

 100%の予知は成立しない。

 完全なる未来視など存在できない。

 知ってしまった時点で、確定したはずの未来は崩壊するのだから。


 では、かの魔眼とは一体何か。


 セリム・ラスフォーサの有した力。

 それは正確に評するならば、『因果の先を見る力』である。

 蝶が羽ばたけば台風が起きる。

 バタフライ現象と言われる因果の流れを見る力こそが、その正体であった。

 未来視との違いは、己が運命の先を知ったという事も因果に加え、その変化を観測し続ける事が可能であること。

 台風の原因となる蝶を識るだけではない。

 台風を起こしたいタイミングを計り蝶を飛び立たせる事が出来る。


 そうして彼女はひとつの『書』を残す。

 『因果律法図』。

 その未来にまつわる蝶の予定表。

 ありとあらゆる行為は絡み合う因果により結果を生み出す。

 隔絶した世界で時を待ち、あるべき干渉のみを世界に与える。


 世界の設計図。

 数百年の時の果てに作られる壮大な創造物は未だ誰の目にも定かではない。




「さてはて」


 遠くアイリーンに残している『目』を通し、猫娘ことアルルムはその光景を眺め見る。

 街でのひと悶着も配下である猫達の証言を集計してある。

 どうやらあの銃を直接握ったせいで、フェグムントの支配が弱まったらしい。


「みふ。

 恐らくジニーちゃんはあの銃が有効打に成り得ると理解しただろーけど。

 お馬鹿シリングが上手い事間に入ったにゃね」


 時を同じくして、どこかから戻ってきたティアロットが調停者の有り方を勘違いしているシリングを諫めていた。

 あれがあと一日遅ければ、クルルを殺していたのはシリングの方だろうと思うとなかなかスリリングである。


「ドミノ倒しみたいにゃねぇ。

 綺麗に倒れてくものにゃ」


 枝に腰掛け、足をぶらぶらしながら彼女は思考を巡らす。

 これは喜劇の舞台だ。

 出演者達は自らの意志と信じ、台本どおりに行動している。

 台本を破り捨てようともがく様すら、演出として描かれている。

 唯一のイレギュラーは当時、このエオスに全く因果を結ばなかった自分ただ一人。


「……まー、それもどーだろ?

 って感じもするけどねー」


 本当にアルルムの存在はセリム・ラスフォーサの認識になかったのか。

 それを証明できるのは現段階で因果律法図を有する当代のセリム・ラスフォーサだけだろう。


「世界と同期をずらした異郷。

 無理に入ればそれは世界渡りと同じで、外からの侵入者なあちしは二度とこちらに戻れない。

 それが対あちし用のトラップでもあるように見えるからなんともかんとも」


 エオスと帰らずの森は波長の違う波のような関係にある。

 それがあるタイミングで同期した際、『同じ世界』として通常の行き来が可能となる。

 エオスにある『扉』を潜れば侵入する事は可能だが、異世界への扉は二度しか開かないという世界法則が望むままの出入りを封じている。

 また多くの場合『扉』を故意に開く事はできない。

 多くの『帰らぬ者』は必然として森に踏み込み、そして帰る手段を失ったのである。

 条件を満たせば万能に近い真似ができるアルルムも、世界の根幹に関わるようなルールを捻じ曲げるには相当の代償を必要とする。

 正直割が合わない。

 彼女が力を行使するには相応の対価を必要とする。

 この世界に居座り続けたいならば、普段出せる力はせいぜい一流の魔法戦士くらいが関の山だ。

 一応『貯金』はあるが、一年近く掛けて溜めたそれをむやみやたらと使うものではない。

  ─────とか言いつつ、無駄に悪戯で使いまくってる気がするが。


「まぁ、それがあちしの生き様にゃしねぇ」


 ナレーションに応答するという常識外れもこなしつつ、視線を落とす。

 視点を切り替えると、三匹のあるるむ人形がリリー・フローレンスをからかいながら移動している。


「さてはて、デッドラインはどこかねぇ」


 とりあえず、今回の件は経過だろう。

 クュリクルルが生まれながらに宿す術式を読み解く限り、致命的なタイミングまでには短くても一年以上の余裕がある。

 世界にとって一番安全なタイミングはすでに理解しているが、そのタイミングでクュリクルルを殺す事は彼女であっても非常に難しい。


「シリング殺すのも手段ではあるけどねぇ」


 残念ながら、あれがデコイである可能性も捨てきれない。


「因果を断ち切る白刃一閃。

 はてさて、どこで繰り出すべきやら」


 そよぐ風に目を細めつつ、彼女は独特の魔術を展開する。




 路地裏で一人、うずくまる。

 暁の女神亭から逃亡したジニーは跡を追ってくる様子がない事に安堵し、その場に座り込んでいた。

 理解不能。

 その一言に尽きる。

 気配を殺す方法については十分に知っている。

 半ば独学だが、相手に悟られにくくする方法は身に着けている事でもある。

 だが、あれは絶対に別物だ。

 目の前に居るのが知覚できない。

 最初に確認した位置から階段までの経路を考えればよほど遠回りしない限り自分の横を通る他ない。

 目に留まらぬ程の神速であるならば、多少なりとも風の流れがあるはずだ。

 時間的に遠回りはないだろうし、風も感じなかった。


「何、あれ……」


 こんなことは先生からも学んでない。

 姿を消す魔法でもないと思う。

 それとも腕利きの暗殺者でそのようなマジックアイテムを併用したのか?

 予想が届かない。

 あくまで付け焼刃の知識だ。

 先生とは違う。


「……」


 一回思考をやめて、リセットする。

 自分はどうしなければならないのかを考える。

 この銃であの女を撃つ。

 これが求める解になっているのは正しいのか?

 銃は恐ろしく静かだ。

 だが、その奥底でおぞましいまでの歓喜がうごめいている事は見てわかる。

 この銃は、この呪いはその解を求めている。

 でもそれは『呪いが解ける』とイコールかどうか不明だ。

 逆にとんでもない事態を招く可能性すらある。


「おや、こんな所で奇遇ですね」


 声は直ぐ間近から。

 薄汚れた路地裏を塗り替えるような麗人が立っている。


「……」

「ふふ、そう邪険にしないで下さい。

 同僚のよしみ、お手伝いしようと来たのですから」


 燕尾服の完璧な執事スタイルでロアンナは優雅に一礼をする。


「……魔術師狩りが?」

「別に協力してはならないルールはありませんし、過去にも前例は少なくありません。

 魔術なんて物は個々で抗し難い物へ直ぐに変貌してしまう」


 否定は出来ない。

 ロアンナの実力ならわからないが、少なくとも自分が先生を討伐しろと言われて勝てるとはかけらも思わない。

 対魔術師戦で絶対の強みとなる魔法貫通弾すらも、あの人は防いで見せた。


「それに、上からのお達しで。

 あの魔女は禁忌指定されましたから」

「……禁忌指定?」


 魔術師ギルドは世界に歩み寄った組織だ。

 故に人々の批難を浴びるような術の行使、研究は禁止されている。

 これらを無視して禁忌魔術に取り組む者を非公式の魔術師狩りは喰らっていく。


「セリム・ラスフォーサの研究……実験でしょうか。

 あれは世界を壊しかねません。

 故にその重要人物であるクュリクルルなる魔女を抹殺します」


 彼女は涼やかな笑みを保ち、ジニーに手を差し出す。


「この任務は私と貴方で担当します。

 よろしいですか?」


 魔術師狩りには拒否権がある。

 無論拒否し続ければ放逐される事もありえるのだが、身の丈に合わない任務で命を落とすほどギルドに感情を委託している人間なんて滅多に居ない。

 ────でも、断る理由はない。

 自分の目的は呪いを解く事。

 この結末がどうであれ、深い怨讐にある呪いが変化しないはずもないという確信はあった。


「……わかった」


 だから、シルクの手袋に包まれた手を握り返す。




「いや、姐さん久しぶりです」


 びくりとはしたものの、直ぐに笑みを浮べた男が頭を垂れる。


「最近見ないからどうしたのかと思いましたよ。

 仕事は再開されるんで?」

「……うン」


 ここはアイリーン北側の半スラムだ。

 華やかなアイリーンだからこそ、どうしても何処かに澱みが生まれる。

 アイリーンにおいてそれは幾度となく侵略を受け、少なからぬ傷跡を刻む街の北側だった。

 何度となく為政者が再開発に着手しようとしたものの、隠れ住まう住人の問題を解決する事ができず、今に至る。

 こと正義を謳うアイリーン神の膝元でもある。

 強引な立ち退き等の強硬手段は取れず、穏便な手段を用いようとも、税収入の見込めない地域への資金繰りは困難を極めた。

 重ねて聖戦から続く戦乱はこの都にも幾度と爪痕を刻んでいる。

 そちらを差し置いて北の着手などできようはずもなかった。

 様々な要因が重なり合い、そこには花の都にそぐわぬ魔窟が形成されていた。

 木蘭が毛嫌いし、赤や黒が全力で摘発しても、欲望と利益がある限りそれは自然発生する。

 核心を潰せぬ摘発には免疫ができる。

 摘発はトカゲの尻尾切りに変貌する。

 更に悪い事に核心だけを打ち砕く特異な事態が発生した。

 元締めであるシーフギルドの壊滅。

 独自とは言え暗黙の了解として存在していた法が打ち砕かれたのだ。

 その混沌ぶりたるや、目を背けたくなるほどだ。

 国との関係維持のためにシーフギルドが規制していた麻薬や奴隷の販売が増加し、殺傷事件は桁違いに増加した。

 国が躍起になればなるほどその闇は深くなる。

 手を伸ばせば自らが落ち込み溺れてしまうほどに。

 上は吼えたが、現場はたまった物ではない。

 事故を装い、見せしめに殺された無残な仲間や脅迫を突きつけられればどちらを選ぶべきかは自ずと決まる。

 王都守護隊たる赤でも、人としての幸せを捨てた者などそう居ない。

 正義ばかりを謳う声から耳を塞ぐのは当然の結末だった。


「いや、姐さんの薬は人気が高いですからね。

 仕入れさせてもらいますよ」

「そウ」


 類を見ない混沌ぶりを見せる今、道徳に疎く腕利きの薬師である彼女はとてつもなく重宝がられる存在だ。

 頼まれたから作る。

 それだけが行動理由なのだから、口先一つも必要ない。

 彼が留意すべきは他の商売敵に仕入れ元を奪われないようにする事ただ一つである。


「じゃあ、早速ですが。

 いつものヤツを20セットずつ、お願いできますかね?」

「……わカった」

「それからシドニのヤツも姐さんの事心配してましたから、暇なら顔出してやってください」

「ソう」


 もう用はないと判断したか、クルルはすっとその場から離れる。

 暫くして男ははっとしてクルルの後姿を探し「また」と声を掛けた。

 人通りは少ない。

 それは奥まった所に行けば行くほど減ってくる。

 中ほどから先に向かうならばそれなりに覚悟が必要だ。

 腹に短剣を生やし、道端に転がされても間抜けと罵られ、身包み剥がされても何も不思議はない。

 薄い殺気、視線が人気の少ない道に満ちる。

 それにも溶け込むように彼女は歩く。

 やがて辿り着いたのは廃屋だ。

 だが少なくない人の気配がある。

 躊躇う様子もなくその戸を開けるといくつもの目が開いた戸を凝視する。

 そのうち数人は扉が開いた事を不思議そうにし、残りはやがてはっとしてその方向を凝視する。


「くりくりの姉ちゃんだ」


 一人の言葉に不思議そうにしていた面々も改めて扉を見ると、ようやくクルルの姿を認めてわっと集まる。

 誰も彼も15にも達していないような子供ばかり。

 薄汚れた衣服をまとい、栄養状態も決して良いとはいえない。


「くりくりじゃなくて、くりゅくるるだろ?」

「違うよー。

 きりゅくるる?」

「……クュリクルル。

 クルルでイい」


 とは初めての言葉ではないが、皆、特に小さな子は何とか発音しようと必死になっている。


「クルル姉、久しぶりじゃないか。

 みんな寂しがってたんだぜ?」


 その中でも一番の年上である少年が奥から顔を出す。


「色々アった」


 言いながら腰の袋を外し、差し出す。


「薬。

 もウないハず」

「……悪い」


 おら、お前ら少し離れろと言いながら少年はクルルの突き出した袋を受け取る。


「シドニは起きてるから、会って行くか?」

「……そウする」


 しつこく纏わりついていた子供達がはっとした時にはクルルの姿は奥の扉の前にある。

 特に幼い子はきょとんと自分の手とクルルの後姿に視線を彷徨わせる。

 見慣れて不思議と思う感覚が麻痺した子供達からは感嘆の声が漏れていた。

 そんな光景を背にして彼女はするりと奥の部屋に入る。

 粗末なベッドに身を横たえた男がゆっくりと体を起こす。

 先ほど薬を受け取った少年がそれを支える。


「いつもすまないな」

「構わナい」


 淡々とした応答に40半ばの男は苦笑を漏らす。

 病のせいか痩せ涸れた印象が目に付くが、体付きを見ればそれなりに鍛えていた事が伺える。

 彼は元々シーフギルドの幹部で、『烏』──光り物を集め帰る事から盗賊の中でも冒険者を生業にしている者を表す───の元締めだった。

 だが、国が建てた冒険者ギルドの台頭から失脚。

 幸か不幸か、続く木蘭のシーフギルド取り潰しからは逃れる形となり、廃屋で静かに暮らす身となっていた。


「環境ヲ変えなイと良クならナい」

「承知しているが、この子達を放って行くこともできないからな」


 彼は優秀な冒険者で、それなりの財を築いていた。

 シーフギルドの幹部という椅子を与えられた後は冒険者家業を引退し、主に身寄りのない子供に技を伝え、身分がなくとも身を立てられる可能性がある冒険者として送り出す事に従事していた。

 失権後でも、優秀な教師であった彼をギルドは取り立てようとしたが、彼は身の衰えと発症した病から要請を断り、名ばかりの相談役としてストリートチルドレンを集め、暮らしている。

 ギルド取り潰し後、混沌とし始めた情勢をなんとか保たせるために担ぎ上げられたのが彼だった。

 幸いにも彼を師と慕う人間は、この闇に巣食う実力者に少なくない。


「俺達は大丈夫だから養生してもらいたいんだけどな」

「生意気を言うな。

 俺の名前にどれだけの価値があるかなんて恥ずかしくて言えないが、花木蘭が雲隠れした今、誰が暴走したっておかしくはない。

 そういう意味でも俺は離れるわけには行かないんだ」


 かの英雄も、それが光に満ちているからこそ、影に住まわざるを得ない者には憎悪の対象他ならない。

 シーフギルドの解体は確かに略取されるだけの力ない子供達を救った一面もある。

 だが略取されても、そうすることで命を繋いでいた子供達をただ放り出しただけであるという一面もある。

 担当した文官が花木蘭にどんな報告をしたのかは彼らにはわからない。

 しかし孤児院に押し込める数など、少し事情に明るい者にはわかりきった事だ。


「子供……増エた」

「……ああ。

 漸くバールの侵攻で身寄りのなくなった子供達が生きる術を見に付け始めたと言うのにな……。

 この大都市には大きな病が生まれつつある」


 男は言葉に詰まり、二度、大きな咳を零す。


「───失礼。

 花木蘭が雲隠れした事で、アイリンという世界のパワーバランスが歪みつつあるんだ」

「……?」

「要は……子供が捨てられているってことだ」


 流れは文官側から発生している。

 緩やかだが、明確な人事の変貌。

 木蘭寄りの人間が左遷され、人が変わることで利益を得る商家が変化する。

 財の流れの変貌に真っ先に首を絞められるのは下層の人間だ。

 そうして追い詰められた人々は子を捨て、家を捨て、最後には命すらも捨てざるを得なくなる。


「国はこの現状に気がついても手が出せない。

 なにしろ自分達がやってる事の余波だからな」


 認めるわけには行かない。

 必要な犠牲と見て見ぬ振りを続ける以外に選択肢はないのだ。


「……」


 ガラス玉のような。

 感情を映さない瞳が苦々しげに呟く男をじっと眺める。


『くだらねえな』


 嘲る声。


『楽しく好き勝手に生きればいいものを』


 その片方。

 緑に揺らめく瞳の奥でそれはあざ笑う。


『お前もそうだ。

 なんでこんな奴らに薬なんか届ける』


「……」


『いい加減に悟れ、俺様の《監獄》。

 お前は魔女にはなれない』


 胸に刺さった棘を楽しそうに捻じ込みながらそれは続ける。


『薬を作るのは薬師の仕事。

 箒で空を飛ぶのは魔法使いだ。

 魔女……忌々しいセリム・ラスフォーサは違うだろ?

 ナァ?』


 声を意識の外に押し出す。

 胸に疼く痛みすらも、他人の物のように扱って。

 静かだったのに、いきなり騒がしくなったなとだけ、ぼんやり思う。

 感情は、直ぐに平静を取り戻す。

 魔女になれない。

 それは少しだけ違う気がしている。

 あの時、森で見た光景を思い出す。

 大男の剣の動きが確かに見えた。

 今ではない、少し先の未来。


『あれは俺の力だ』


「だったら……」


 クルルはいつの間にか廃屋を辞して、道を歩く。


「ボクは君になレばいイ」


『……』


 フェグムントの沈黙は何を意味しているのか。

 失笑か、嘲笑か、怒りか、それとも

 推し量ろうともしない『成り損ない』は花の都に生まれた深い森をゆるり歩く。

 ふらりふらりと街を往く。




「あら、珍しい」


 ハニーブロンドの髪を掻き揚げ、少女は目を細める。


「にゃ」


 そこはミスカが良く利用するカフェ。

 わざわざ南方大陸からコーヒー豆を取り寄せて扱う店だ。

 客はまず居ない。

 一般市民にコーヒーを愛飲する者は滅多に居ない。

 その効能から魔術師ギルドや役所で缶詰になるような者たちが薬扱いしているのが関の山である。

 遠くアスカを本拠とするミスカが常連扱いなのだから閑古鳥の具合も知れる。

 ティアロットに連れられてアイリーンを訪れた彼女はいくつも空いた席を無視して同じテーブルに着いたアルルムに目を細める。


「本体がお目見えになるのは久々ですね」

「にふ。

 さしものあちしもミスカちん相手じゃ分が悪いしね」

「はわはわ、か弱いメイドを捕まえて言う言葉じゃありませんね」

「魔法使いの天敵の言葉じゃないにゃね。

 おっちゃんカフェオレちょーだーい」


 静寂の空間を壊されても、カフェのオーナーは騒がしい注文にも眉一つ動かさず、作業に取り掛かる」

「で、私に何か御用ですか?」

「にふ。

 ちょっと暇になったから世間話でもー。

 ほら、ミスカちんも一応あちし好みだし?」


 楚々としたメイド服を纏うのは確かに幼い雰囲気を残した美少女だ。

 柔らかい微笑みとあいまって、見るものは初々しさを覚える。


「一応、という言葉が気に掛かりますが」

「弄って楽しくないあたりが減点かにゃ」

「あら、それは残念です」


 ことり、カフェオレが差し出される。

 アルルムは「さんきゅー」と軽く手を振るのを見てオーナーはカウンターの向こうに戻った。


「猫舌ではないのですね」

「火属性にゃしね。

 通り名の中には『火猫』ってのもあったにゃね」


 事もなげに湯気の立つカフェオレに口を付ける。


「それに研究者でもあるから、カフェイン中毒だったりするにゃよ」

「カフェイン?

 ……成分ですか?」


 ま、そんなとこ、と猫娘は軽く流す。


「それにしてもさー。

 ジニーちゃんと魔女っ子って似てると思わない?」


 急な話題転換にミスカはゆっくりと小首を傾げつつ「そうですか?」と応じる。


「むしろ正反対にも見えますが」

「スタイル的に?」


 幼児体型代表に言われるのはどうだろうとか思いつつミスカはコーヒーに逃げる。


「クルルさんは固執、ジニーさんは解放。

 求めている物が全く逆ではないかと」

「なるほどね。

 そういう見方もあるかー」


 楽しそうに二本の尻尾がゆらゆら揺れる。


「……それに、似ていたら何か?」

「言ってみただけにゃよ」


 目を細め、にんまりと笑う。


「では質問を変えましょう。

 どの点で似ていると?」

「内側に他人を飼っている事。

 それからボクっ子」


 後者はどうでもいいとして、前者は稀な共通点と言えるだろう。


「後ろ重要。

 そこ重要!

 テストに出るにゃよ?」

「いや、力説されましても。

 確かにお二人とも冒険者をするに当たって女とばれないための配慮のようですが」


 言うまでもなく女の身で冒険者をするのは不都合が多い。

 衛生面であれ生理面であれ、何かと問題になることが多いし、不埒なことを考える人間は後を絶たない。


「まー、何よりも自分を見失ってる者同士にゃね」

「……?」


 ピンとこない論にミスカは首を傾げる。


「二人とも、今の目的を取り上げたら何もできない子にゃよ?」

「確かに、そうですね。

 しかも自分で得た目的でなく、突きつけられた目的ですか」

「その始まりも『喪失』にゃしねぇ」


 クルルは計画のために生きるための力を奪われた。

 ジニーは未だ学ぶべき相手である父と自由を突然の暴力に奪われた。


「二人はとても似てると思うにゃよ。

 その内面も……。

 だからこそ、二人が争いあわないといけないシチュエーションって萌えない?」

「……何を仕掛けました?」


 ほんわかな空気を纏わせつつ、柔らかく問うと


「まー、世界滅亡を賭けたガチバトルとか?」と涼やかに応じる。

 数秒の間。

 かちゃりとカップとソーサーが触れる音がやけに響いた。


「察していらっしゃいますね?」

「にふ。

 幼女がハイパー幼女になるとかそんな話は知ーらない」

「そうなった場合、貴方の敵はお嬢様になりますよ?」

「それは怖いにゃね」


 悪びれず、カフェオレの残りを飲み干して席を立つ。


「まー、ジニーちゃんも可愛いし、今回はグッドエンドで終わらせてあげるにゃよ」

「……そうしていただけると幸いです」

「でもさー」


 猫娘はどこか別の所を見ながら、にんまりと笑う。


「始まっちゃったっぽいや」


 ミスカは悟る。

 それからとても嫌そうな顔をして目の前でにやにやと笑う少女の姿をした怪物を見た。


「ロジックですか」

「にふ。

 いかに魔法制御に特化した術でも、魔力自体は消せないものね?」


 ミスカの目にはアイリーンに広く張られた術式が見て取れた。

 余りにも緻密で膨大。

 その実求めているのは猫の額ほどの範囲に踏み込めないという結果のみ。


「まぁ、パズルでもゆっくり楽しんでね?」


 無造作に術式を書き換えれば紙一重で意味を成していない術式が定型になり、とんでもない威力の魔術が発動する。

 一つ二つの魔術を解析、操作するくらい存在自体がアストラルにある概念存在にとっては造作もない。


「……町中の猫の脳を演算に使いましたね?」

「暇つぶしにはちょーど良いでしょ?」


 猫は魔法を使えない。

 しかし魔力を掴む才能と、術式を描く才能は別物であり、設計図通りに術式を描くだけならば脊椎動物でも可能だ。

 魔法と呼ぶには児戯に過ぎるそれも何千と連なれば話が違う。


「すでに幼女は気付いて動き出してるみたいにゃけどね」

「……」


 ミスカもまた溜息を吐きつつ、術式の解析を開始する。

 その様子を眺めながらアルルムは楽しそうに尻尾を揺らしていた。




 そうして夜のアイリーンで、二人は三度出会う。

 すれ違った瞬間に、ジニーは銃を抜き放つ。

 確かに横を掠めたはずの影が視界にないが、認識を無視して予想だけを頼りに発砲。

 空を切った一撃。

 とある家の壁に弾痕が一つ穿たれた。

 とんと石畳を靴音が叩く。

 黒を纏う者の白い手が、立ち止まった女の首を狙う。

 黒────燕尾服の女、ロアンナの踏み込みは完璧だった。

 偶然か、それとも見切ったのか。

 銃弾を避けるように立ち止まったクルルに必殺の一撃が流れ込む。

 だが、予想された結末は変更を余儀なくされた。

 ギンと金属音が響き、手袋に包まれた手は間をおかずに主の下に戻る。

 舞台に上がるもう一つの影。

 白を基調にしたドレス風の衣装が二人の間に踏み込んでいた。


「大急ぎで戻ってみりゃぁ、なんだこれは」


 魔手を防いだ一つ目のナイフが石畳の上に落ちる。


「……リリー・フローレンス。

 白の娘が乱入者とは」


 息の掛かる距離で二人の視線が交差する。


「け、快楽殺人者が往来に出張るんじゃねえよ。

 恥ずかしいから影歩け。

 影」


 共に動くは左手。

 ロアンナの凶手がリリーの肩口を薙ぎ、避ける動作を勢いに変えて突き出す袖からはスローイングナイフが矢のように放たれる。

 目標を見失ったかに見えたそれが向かう先にはジニーの姿。

 気づいた少女は射撃体勢を捨てて銃でそれを弾いた。


「魔術師狩りが揃って何してるんだ?

 ああ?」

「お仕事ですよ。

 リリー・フローレンス嬢。

 いや、ウラド・リリー。

 呪われた血吸い花」


 その会話の中を無視し、ジニーは自分の仕事だけを考える。

 一歩下がってクルルの姿を探す。


  ────ぞくりとした。


 自分のすぐ真横に魅惑的な肢体が有るのに、ようやく気付いた。


「……邪魔」


 余りにも自然すぎて認識できない手が肩に触れた。


「っ!?」


 ようやく反応を始めた体が銃口を向けろと指示。

 だが、その命令もむなしく右手が動かない。

 じんとした痺れが感覚を逸したと訴えた。

 その範囲が加速的に広がっていく。

 バックステップで距離をとり、自由な左手でリフレッシャーを呷る。

 フォローしてくれるのか、ジニーの目前にロアンナが滑り込み、メスのようなナイフを三本同時に投擲。

 二つをリリーが弾き、一つは動かないクルルの髪をひと房持ち去っていく。


「予想外ですね」

「……知り合い?」

「昔馴染みです」


 呼吸一つ乱さないロアンナの回答にリリーが嘲るように哂う。


「正しく言えよ、出来損ない。

 リリー様に酷い目に遭わされて頭がイっちゃったんですってなぁ!」


 ロアンナの瞳が揺らめく。

 それを察してかリリーは少しだけ腰を落とした。


「壊れているのは貴方ですよ、血塗れリリー。

 ───────混ざり物の呪い人形」

「それになりたかったんじゃないのか?

 泣き虫ロアンナさんよ」


 同時に石畳を蹴って交錯する。

 良く見れば二人の動きには共通点があった。

 ロアンナは体術をメインに、リリーはナイフをメインに据えてはいるが、暗器による急所を狙う手法は同一のものだ。


「折角いじめられないで住む場所に居座ったんだから、大人しく旦那様に股開いてな」

「相変わらず品性の欠片もありませんね。

 狂乱者パラノイア


 喉を狙った突きを半歩だけ下がり薄皮一枚で避けるや、ブーツに仕込んだ飛び出しナイフが足を薙ぐ。

 持ち上げた足でナイフを踏み落とすと、その動作を勢いに変化させる。

 鋭い手刀をが槍のそれとなり、腹へ向けて疾る。

 リリーは哂う。

 ナイフの柄で叩き落し、同時にブーツの刃が外れて拘束を解くと腕をなぞる様にナイフを顔面へ突き出していく。

 みしっと踏み潰された刃が更に軋み、踏みしめただけの足が力を上半身まで走らせる。

 鞭のように跳ね上げた手がナイフを高々と弾き飛ばし、捻られた体が次の凶手を装填。

 持ち上げられた右手を後方に振り、リリーの左手は掬い上げるように前へ。

 届かぬ間合いを意ともせず、袖から小ぶりのナイフが手に収まる。

 更に柄のボタンを迷わず押すと、ばね仕掛けで飛び出した刃が追撃を仕掛けて来たロアンナの顔面に迫る。


「チっ!」


 凶手の軌道を修正。

 迎撃に転じるとリリーが攻勢に出る。

 白を纏う少女の両手には一本ずつの刃。

 こと接近戦においてナイフは至高の武器と化す。

 嵐のように繰り出される刃を手の甲で受け、袖で流す。

 刃に触れぬようにその全てを捌いていく技量は観客が居たなら息を呑むに違いない。


「狩猟じゃ腕は磨けないぜぃ。

 ロアンナちゃんよぉ?」

「商人の真似事で満足している貴方に言われたくはないですね」


 暴風のような二者の動きを前にして、ジニーはクルルの姿を捉える。

 あの獣の目ではない。

 深淵に繋がるような空虚な輝きもまた。

 ジニーを捕らえていた。


「っ!?」


 魔女の姿が消える。

 視線が駆けるが見つけられない。

 ただ、どうしようもない圧迫感が胃の奥でマグマのように煮えたぎり、はじかれる様に後ろに下がる。

 そこに小さなきらめきが踊った。

 ククリと呼ばれる刺突用ナイフ。

 その波紋を帯びた独特の刀身は薬を乗せるのに適している。


「目も離してない……のに」


 何の感慨も持たず、クルルは一歩前へ。

 まるで散歩するかのような自然すぎる一歩。


「……なんで、消えるの……っ!」


 また見失う。

 困惑を押し切って考える。

 あの位置からは約5歩。

 一歩の時間は2秒程度。

 すでに一歩は刻まれていて─────

 だからもう二歩、後ろに逃げる。

 視界の端にブーツが見えて、予測が大よそ合っていたと知る。

 彼女は知らないことだが、人間は注目しているようで、同じ場所をずっと見続ける事が出来ない。

 心臓が勝手に鼓動するように、寝ていても呼吸が続くように、瞳もその機能を保全するために数秒に1回、勝手に目線をそらすのである。

 世界への順応を生まれながらに体に刻んで来たクュリクルルにとって、目の前の人間の呼吸を推し量るなど心臓を動かすよりも自然にできる。

 技術でなく、生命活動の一動作として彼女は他者の視線から外れた場所を求める。

 僅かな、本人が認識すら出来ない視点の揺れと同時にクルルは消えるのだ。

 皮肉にもジニーにとって幸いなのは自身が付け焼刃の三流戦士であるということだ。

 なまじ戦いに慣れ、戦士として必須となる気配の探知に長けていたならば、その混乱に拍車がかかり敢えなく凶刃に倒れていたことだろう。

 手にした銃。

 そして未熟ゆえに、そして臆病であるがために中途半端な予想で逃げ続けるという最適解に至っていた。


「そこには、居るはず」


 発砲。

 弾丸は無常にも正面の家壁を穿つに終わるが、その射線から数ミリ横にゆらりと揺れる魔女の姿。

 迷う暇はない。

 次を装填し


「させるかよっ!」


 リリーが放ったナイフが煌く。

 全く当たりそうにない軌道を通ったそれだが─────


「っ!?」


 魔女を見失うのには十分すぎる。

 引けた腰をあざ笑うかのように、ゆるゆると宙を薙いだ刃が彼女の服を浅く切り裂く。


「私をないがしろにするとは、貴方はどこまでも!」


 介入したリリーもその代償を求められる。

 シルクの手袋が赤に染まり、同じくリリーの左肩も少なくない出血が広がりつつある。


「殺して……壊してあげます」

「かっ!

 そんなに俺様が恋しいかよ!

 兄貴を不能にしてやった俺様が!」

「黙りなさい!」

「お断りだ、ままごと大好きのじめじめ人間。

 お前がいたぶりたいのは、殺したいのは過去の俺様だろう?」

「黙れと言っている!」


 ずんと石畳が鳴き割れる。

 ただの手刀がリリーのナイフとまともに交差し、だが甲高い金属音の後に弾かれたのはナイフの方だ。

 切り裂かれた手袋の下からは赤黒い皮膚が覗く。


「黒の家の『鉄砂掌』相変わらず醜いねぇ」


 それは一種の肉体改造だ。

 毎日毎日休む事なくその手を砂鉄の中に突き入れる。

 もちろん人間の手は繊細な作業すら可能にしている分、必然として脆い。

 骨は軋み、皮膚は裂け、そこに砂鉄が刷り込まれ、絶え間ない激痛を齎す。

 それでも治療などされない。

 手が砕けたならそこまでだ。

 それは才能ない者として捨てられるだけ。

 だが、その狂気じみた毎日を潜り抜けた者の手には刃が宿る。

 刃と交わっても裂ける事のない肌、折れることのない骨。

 暗殺のための道具が体に宿るのだ。


「そんなもんを身に着けても、俺様に勝てなかったんだろ?

 ブラコン」

「予言に振り回された長老達が実力を見なかっただけだ……!

 それに……わかっているだろう。

 この醜さにはそれなりの価値があると」


 もちろんリリーは知っている。

 鉄砂掌はただ硬いだけではない。

 そこには凶悪な毒が仕込まれている。

 幼い頃から狂ったように毒を飲まされ、耐性を付けさせられた彼女だからこそ軽口を叩いていられるが、雄牛でも引っくり返る猛毒がそこにあるのだ。

 だが、全く無害とはいかない。

 ただでさえ無駄に動き回って血の巡りが良くなっているのだ、死ぬ事はないにせよ、動きが鈍るのは宜しくない。


「兄妹揃って我侭言いやがるぜ」

「予言に愛されたからといい気になるからだ」


 とは言え───リリーは視線を滑らせる。

 珍しくクルルが戦っているが、フェグムントでない彼女には限界がある。

 相手がただの戦士ならとうに決着はついているはずなのに、あの小娘は呆れるくらい慎重だ。

 一般的な観点からすればそんな覚悟で戦場に出てくるなと罵りたいくらいだが、この場に限っては余りにも有効すぎる。

 これでは先にボロを出すのは体力のないクルルのほうだと舌打ちする。

 自分の前の相手だってそうだ。

 負ける気はしないが、クルルに気を使いながら戦うには手を知りすぎている。

 貰った毒も早めに除去しないと致命的になる。

 参ったなと内心毒吐いて、猛然と迫り来るロアンナを見据える。

 そろそろフェグムントが出てきても良い頃だと思っていたが、どういうわけか出てこない。

 逃げを打つにしても、クュリクルルが自分の言葉に従うか確証が持てない。

 どうにもこうにも手詰まりだ。


「死になさい」


 渾身の一撃。

 まるで名槍の如き一閃が心臓を喰らおうと駆ける。

 回避はもはや不可能。

 ナイフでも弾けない。

 精々ナイフを盾にして僅かなりにもダメージを減らす事くらいしか出来そうにないが、プレートメイルすら穿つとされる鉄砂掌に薄刃がどこまで抗えるか。


「そコで左へ一閃」


 意味不明な言葉が夜闇に溶けた。

 ジニーは声を頼りに狙いを定め、同時に黒の旋風に肝を冷やす。

 そう、声に応じる影一つ。

 頬に薄い線を一本残し、黒の大剣がぶんと大気を切り裂く。


「ってかよ、くるる。

 何でコイツ助けるのが先なんだ?」


 ロアンナが地面を抉るように足と腰を捻り、動きを回避へ変貌させる。

 それでも不意打ちが過ぎた。

 右の二の腕がごぎゃりと嫌な音を立て、折れ砕ける。


「必要だカら」


 舌打ち一つ。

 黒い革ジャンのようなものを来た少年がクルルの前に立ち、剣を構えなおす。


「あら、愛しのシリング様ではありませんか。

 助けて下さるなんて感激ですわ」

「今更そんな口調で喋んなよっ!

 気色悪い!」


 期を逃さず間合いを取ったリリーの言葉に、シリングが嫌そうに怒鳴りつける。


「あら、つれない言葉ですね」


 片腕をへし折られたロアンナは美貌を痛みと怒りに染め上げ睨みつけて来るが、流石にあの状態で踏み込んではこれないらしく、逃げれる間合いを確保している。


「右斜めカらひト薙ぎ」


 応じてシリングの剣が闇夜を薙ぐのと同時、我に返ったジニーが放つ銃弾は見事に剣に捕らえられ、あらぬ方向に飛び消えた。

 最後のチャンスを理解不能な方法で潰されてはジニーも次の手に窮する。

 頭の中では逃亡が優勢を占め始めている。

 だが、新たに加わったそれに背を向ければどんな動きをしても斬られる気がしてならない。

 次の動きで勝負は決する。

 こちらの負けで。

 その時間は刻一刻と近づいてくる。

 じりとブーツが石畳をする音が爆発しそうな緊張に少しずつ傷を付けていく。


 そして、弾けた─────


 ロアンナが弾丸の速度で前へ走る。

 対してシリングは動かず


「心臓へノ一撃はフェイント。

 喉へ」


 ざりと動きを無理やり変える足運びが乱れる。

 全て読まれている。

 そう知っても最大加速を得、最適化された動きは急制動を受け付けず、驚愕はその鋭さを鈍らせるだけの重石となる。


「左ニ旋回。

 胴を」


 薙ぐという言葉が中断。


「目、閉ジる」


 刹那、二人の間に眩いばかりの光が飛び込む。


「ぐわっ!?」


 《ウィル・オ・ウィプス》の光がまさに目と鼻の先で弾けたのだ。

 辛うじて瞼を閉じる事に成功したとしても、瞼越しの光が存分に網膜を焼く。


「そこまでじゃ。

 ようやく見つけたわい」

「……先生」


 呟いて、ジニーがだらんと銃を降ろす。


「あの猫め。

 とんだ回廊を作る」


 ぱりんと空間が爆ぜた。

 途端に周囲に夜のざわめきが満ちる。


「……閉鎖結界?」

「然様。

 猫が用意した舞台じゃよ。

 まったく」

「つか、ティア!

 何しやがるんだ!」


 目が見えないせいか、見当違いの方向に怒鳴りつけるシリングを無視しつつティアロットはジニーの前に降り立つ。


「矛を下ろせジニー。

 クュリクルルを討つ事はわしが許さん」

「……どうして?」

「色々面倒な話があるんじゃよ」


 少し疲れが滲む言葉と共に背後へ視線を転じる。


「リリー・フローレンス。

 そういうわけじゃ。

 構わんな」

「……嫌だと申しましても、私に『木蘭の秘蔵っ子』と戦う力量なんてありませんわ」


 猫かぶりの商人モードで恭しく頭を下げる。


「ふん。

 それからロアンナとか言ったな。

 セリム・ラスフォーサへの禁忌指定は否認されておる。

 わしの知り合いを騙さんで貰おうか」


 視力の回復していないであろう男装の麗人は忌々しげな顔を隠さず声の方向に向けた。


「それから『長』から出頭命令じゃ。

 わしはぬしの玩具にするために、こやつを預けたわけでないからの」

「……」


 言葉を発しようとし、取りやめたロアンナは踵を返すや路地に消える。


「いきなり現れて何だよ。

 偉そうに!」

「別に割り込んだわけでない。

 回廊のロジックを解いたら今になっただけじゃ。

 今言うた通り、ジニーにはクュリクルルを攻撃させん。

 それで納得せよ」

「納得できるわけねーだろ!

 現にクルルは殺されかけたんだぞ!」

「魔女の末裔。

 ぬしはどうじゃ?」

「……それデいイ」

「くるるっ!?」


 ぎょっとして振り返るが、何を考えているかわからない顔でぼーっと夜闇の先を眺めている。


「して、ジニー。

 ぬしの呪いについても解法を見つけた。

 なれば、フェグムントに執着する理由もあるまい」


 タイミングを見て銃の異常を訴えようとしていたジニーはそれで全ての言葉を封殺され頷くしかない。

 そもそもフェグムントが関係している事をどうして先生が知っているのか。


「だから、俺だけ納得いかねーんだけど?」


 なおもぐずるシリングを面倒そうに見据え、ティアロットは一言。


「別にいつもの事でないか」

「酷っ!?」

「勝手に暴走して、勝手に思い込んで、勝手に納得して飛び出してきただけでないか」

「俺だってなっ!」

「下手の考え休むに似たりじゃよ。

 もう少し頭を使えぃ」


 さらりと封殺。


「さて、では行くぞぃ。

 ジニー」

「……はい」


 二人の向かう先には一人のメイドが微笑みを浮べて待っている。

 直ぐに転移魔法が発動し、三人の姿は何処かへ消え去った。


 何時の間にかリリーの姿もない。

 クルルは女神亭の方向に歩き出していたりして。

 一人ぽつんと立ち尽くすシリングは、苛立ち紛れに石を一つ蹴飛ばして、クルルの後を追うのだった。




「みふ」


 全てが終わった戦いの場にエメラルド色の髪がふわり揺れた。

 指を一つ弾くと、どこからか沸いて出てきた人形達が無駄なアクションを披露しつつ戦いの傷跡を消していく。

 割れた石畳を時間を戻すように修復する様は、ここであった全てが幻覚であったとさえ錯覚しそうだ。

 使用しない木材を鋸で切ったりかんなで削ったりする意味は誰にもわからない。


「態よく侵攻を遅らせる。

 まぁ、なじむために元々必要な時間だったかもしれないけどね~」


 ひらひらくるくると満月の下で踊りながら呟く。

 いつの間にか野良猫達が集まっていて、自分達のリーダーを眺め見ている。

 にゃあにゃあと鳴く声を聞きながら、赤い尻尾がゆらゆら踊る。

 ものの数分で修理は終わっていた。


「それにしても。

 ひとつ良い事を知ったにゃ」


 百万都市アイリーンに住む猫たちが言葉を交わす。

 我が主の求める情報を集約するために。

 遠く近く声が響く。

 使い魔として力を与えられたリーダー格がそれを集約し、アルルムに進言する。


「にふ。

 でも、カミサマはあちしをその任に付けるかわからない。

 まぁ、楽しくやるためにものんびり静かにやらないとねぇ?」


 近くに居た黒猫がなーぁ?と小首を傾げる。


「気にする事もないにゃよ。

 あちしらはのんびり気ままに生きるのが一番にゃ」


 ふわりと髪が広がり、瞬く間にその姿が崩れる。

 数十体のあるるむ人形達が「てっしゅー」「にっげろー」「退路は確保したー」「青春は爆発ダー」とか言いながら町の暗がりに消えていく。

 同調するようにして、猫達も自分のテリトリーへ一匹、また一匹と消えていく。

 そうして誰もいなくなる。

 銀嶺だけが戦場の残り香を失った路地を照らしていた。




 数百年もの昔の話。

 彼女は森の奥で瞼を閉じる。

 彼女に闇は存在しない。

 何時如何なる時もその瞳には濁流のような情報が流れ込んでくる。

 そうして至る絶対の空白。

 何千何万何億回も繰り返した深淵の光景。

 死よりも恐ろしい果て。

 それでも彼女は繰り返す。

 至る果てを繰り返す。


 何度も


 何度も


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も


 そうして人の身にそぐわぬ力を得た魔女は、定命の理のままにこの世を去る。

 死して残るはずの魔眼はそこになく、ただひとつの概念儀式が残された。


 『因果律法図』


 それは何千何万何億何兆────果てしなく繰り返された悪夢を果てに持つ記録。

 同時にシミュレーターでもあった。

 ただ目的のために生み出された次代のセリム・ラスフォーサはそれに触れて、狂う。

 次も、また次も。

 その莫大な情報と、絶望を超えた『果て』は人の精神に耐えられるものでなかった。

 だから壊れていく。

 壊れ、呪縛され、因果律法図の人形となり己の使命をただ全うする。

 命じられるままに動き、与え、男を招きいれて子を作り、死ぬ。

 狂気の儀式は連綿と続く。


 そして当代。

 セリム・ラスフォーサはすでに異界と化した森の中で屍のように動かない。

 必要ない事はできないがために。

 セリム・ラスフォーサに必要なのは因果律法図だけなのだから。


「ほーぅ」


 凍りついた世界を揺るがすようにフクロウが鳴く。

 その声に応じるように、セリム・ラスフォーサはゆっくりと頭をもたげる。


「我が主、我が主」

「……」


 予定外の行動に体の反応は鈍い。

 しかしゆっくりと焦点を取り戻した瞳は己の使い魔を捕らえ、人間らしい温かみを取り戻していく。


「ご苦労様です」

「いえいえ。

 それが私の役目なれば。

 ほーぅ」


 器用に羽を動かし礼をする。

 初代セリム・ラスフォーサは見る。

 不確定要素。

 積み重なった混沌が己の魔眼を退けるさまを。

 それはまるで原初の海。

 あらゆる要素が混沌となり、あらゆる可能性を見せる悪夢。

 その揺らぎに最初に捕らえられたのは、当代のセリム・ラスフォーサだった。

 フクロウが鳴く。

 使い魔を持たぬ、必要とせぬセリム・ラスフォーサの使い魔が。

 ほーぅ。

 セリム・ラスフォーサは知らない。

 知らない事が望み故に。

 この混沌の先に何が生まれるか。

 善なるか悪なるか、それとも絶望か。

 恐怖に狂った意識は知らない。

 ただ縋るように数百年を狂気に染め上げただけなのだから。

 ふくろうの目は狂う前の────因果律法図に触れる前の主を思い、ひとつ鳴く。

 己の身も因果律法図の前では異端なればこそ、抹消せぬ主の思いを信じて。

 ほーぅほーぅと鳴き続ける。

 セリム・ラスフォーサ。

 それは継承した瞬間、個としての死に至る呪い。

 だから、言葉を送ろう。

 その呪われた死に際し。託された心を。

 いつか開放されんことを。

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