2
ばちりばちりと木が爆ぜる音が響く。
「けったくそ悪ぃ。
何で計画の障害を助けなきゃなんねーんだよ」
「かーいい子を助けるのは正義にゃよ」
焚き火の周りでなんか10匹くらいに増えたあるるむ人形が良くわからない踊りを踊っている。
それを忌々しそうに見ながらリリー・フローレンスは盛大に溜息を吐く。
「つーか、マジでわけわかんねー。
なんでテメエと馴れ合ってんだ?」
「愛にゃよ。
愛」
「ない。
それはない」
「つれないにゃね~。
黙ってれば美人なのに」
「黙らなくても美人だ」
臆面も無く言い張るが、事実どんな舞踏会の場であろうと衆目を集めない事はない美少女である彼女は、不満をぶつけるように薪を火に投げ入れる。
「つぅか、テメエが引っ掻き回さなきゃ、楽できるのによ」
「にふふ。
別に楽しててもいいにゃよ?」
「そうしたらこっちの呪いが発動しちまう」
絶対の栄誉を約束された家。
事実二百年の長きに渡り、フローレンス家は商家として大成してきた。
戦があればいち早く武具を売り込み、災害があれば物資を売り込む。
品物の暴落や高騰を外す事なく限りない富を築き上げるそれは、様々な名の商家に扮し、今も世界中で経済を動かしている。
まるで未来を見てきたような、というのは誤りではない。
事実未来を見て動くからこそ、彼らはあらゆる好機を見逃さず、あらゆる障害を乗り越えてきたのだ。
その代償こそが、リリー・フローレンスなる娘だった。
「でも、預言書も本である以上終わりが来るにゃよね」
「終わらせろってか?
無茶言うな。
あそこまででかくなったバケモノ、聖騎士だって斬り殺せやしねぇよ」
与えられた本。
それが指し示す時はすでに果てている。
だが、大木が倒れる事があっても、森が消えることはまずない。
世界に根を張る森と化したフローレンスの血脈は、宗家であろうとも崩せるものではなくなっている。
予言───契約は終わったのではない。
世界の終わりが来ない限り、揺ぎ無い栄光は未だ約束されているのである。
「リリっちが失敗すれば、どーん、じゃないの?」
「かもな。
だが、失敗したら俺様も巻き添えだ。
まったく利がねえ」
クソ面倒な『役目』から離れられても、その後にあるであろう世界規模の経済危機を前に一人の商人が出来ることはない。
「自己犠牲なんざ性にあわねえがよ。
可憐な美少女商人リリー・フローレンス様になるにゃ、やるしかねーんだよ」
「でもさー」
「成功したからって~」
「この世界が無事か~」
「わっかんない~」
「よねー」
「ねー」
「うぜえから、一匹で喋れ」
投げつけた木の枝を器用にキャッチ、一瞬で槍に加工して、どこかの民族的な踊りを始める。
「つーか、殺しちまってかまわねーんだよなぁ?」
「いいけど、そしたら次の持ち主はりりっちだよ?」
うげ、と呻く。
そうして今度は自分が守らなきゃいけないのを殺しにいくのか。
「お前、この呪い解けるんじゃねーの?」
「できるにゃよ。
代償さえ貰えば」
「どんくらい?」
「んー」
一斉に腕組して数秒。
「まぁ。
アイリーンの人口分くらい生贄に捧げてくれれば」
「どれだけ えげつねえんだよ。
その呪い」
「だってさぁ」
にふふふふふうと笑いが唱和し、
「一歩間違えただけで世界を消しちゃう呪いにゃよ?
たかだか百万人の犠牲じゃ大特価と思わない?」
不覚にも納得しかけて、リリーは口を噤んだ。
「あらぁ?」
遠い昔の事。
一人の男が荒野をさすらい歩いていた。
まだ大きな町はなく、地図の上には思い出したかのように都市国家があった時代だ。
西の方ではイエールという名の王国がその版図を広げつつあるという噂が時折耳に届く。
街道と言えるほど立派な道はなく、一つ誤れば道に屍を晒すことはままあった。
男は魔術師だった。
類稀なる才を持ちながら、研究に熱心であり過ぎたために足元を掬われ放逐された哀れな男だ。
全てを奪い去られ、失意のまま己の目指すべきだった場所を夢想し彷徨うだけの廃人だった。
「こんな所でお昼寝は体に障りますよ?」
荒野の真ん中でその女は倒れ伏した男を見つめる。
「もしもーし?
おじ様?」
「どうした、"■■"」
頭のネジが一本緩んだような声を掛ける少女に別の声が問いかける。
「ああ、"■■"様」
彼女の後ろには一人の青年が立っていた。
二人とも旅装というには荷物がなく、服もどこか文化圏の違いを思わせる。
「ここでおじ様が寝転がっていましたので」
「行き倒れじゃないかい?」
「……ああ、これが行き倒れですか。
はじめまして」
少女のズレた物言いに青年は苦笑しつつ、倒れた男の前にかがみこむ。
「まだ、生きているかな?」
「……誰だ、死神か……」
「失敬な、こちらは────」
少女の発言を手で制し、青年は男に告げる。
「死神であったなら?」
「まだ付き合ってやるわけにはいかん……」
「だが、間もなくお前は死ぬぞ」
それは予言でもなんでもない。
極度の疲労と栄養失調により、男の体はボロボロだった。
皮膚はひび割れ、指は骨が強く浮いている。
「だが、死ねん……まだ完成していないのだ」
「何が、だい?」
「真なる魔術……ルーン神から与えられた魔術ではない、真の魔術だ」
「ほぅ」
青年は目を細め、僅かに笑みを浮べる。
「そこに気づく人間がすでに居るとはね」
「……貴様、何者だ」
しがれた声にわずかに力が戻る。
それすらも楽しく思いながら青年は応じた。
「そうだね。
君の神になってあげよう。
君の望む物を与えてあげよう」
「神……だと?」
「だって君がさっき『死神』と言ったんじゃないか。
そうだね……オーディアル。
魔と死の神にして知の神、というのはどうだい?」
「……助けの手も差し伸べず、嘲るか、小僧」
「じゃあ、握るかい?
僕の手を」
差し出された手には汚れの一つも、タコの欠片もない。
それだけでもただの旅人でないことが伺える。
「……」
「"■■"様ぁ、もう行きましょうよ?」
横で不満そうにしている少女も荒野の真ん中を旅するようにはとても見えない。
であるならば、神か魔の類である可能性もあるか。
男は最後の力を振り絞るようにして、手を伸ばす。
「では、契約成立だ」
次の日、そこには一つの都市が生まれていた。
魔法都市ファルスアレン。
『偽りの氷塊』の意を冠したその都市国家は、それから二百年この地にあったとされるが、一切の記録は残されていない。
気がついたらそこは村だった。
「おお、気づきなさったかね」
その声には覚えがあった。
立ち寄った村の長老だ。
最初よりもややフレンドリーなのが気に掛かる。
そんな事よりも、何故自分がここに居るかが問題だ。
「体の方は癒しておられた故、問題ないとは思うが」
「……?」
癒して、という言葉は主に神聖術治癒に用いられる。
医学的な処置の場合は治療や、手当てと言うのが一般的だ。
ただ、神聖術が使える程の神官がこんな村に居るとは思えない。
奇跡は貴重品だ。
どんな威力であれ、使えるならば自分の手元に置きたいと願う神殿は幾らでもあるのだ。
「……誰が?」
「わしじゃよ」
言葉遣いこそ老人だが、声音は少女特有の甲高い物。
そしてジニーが姿勢を正しつつも脂汗をどっと掻かなければならない音でもあった。
「……先生……?」
ぎぎぎと首を反対側に向けると、椅子にちょこんと座った豪奢な人形が、本を膝の上に広げていた。
まぁ、人形のように思えるだけで、中身はとんでもないことは言うまでもないが。
肩には処刑鎌を彷彿とさせる杖を掛けた全身を覆う赤を基調としたフリルとリボンの山。
「手酷くやられたの」
白くて小さな手がゆっくりと古めかしい本のページを手繰る。
小柄なジニーよりもなお小さな手は長大な杖に不相応だ。
「……はぁ」
「いや、『賢者様』のお知り合いとは思いませんでしたぞ。
そうならそうと仰ってくだされば」
やたら機嫌のいい村長の言葉。
そういえば先生は名前隠してそこらの村で慈善活動っぽいことやってたなぁと思い出す。
まぁ、慈善活動で《神滅ぼし》級魔術使って人工湖を作るのはどうかと思うけど。
「……先生、なんでここに?」
「偶然じゃよ、と言いたい所じゃがな。
猫のちょっかいじゃ」
少しだけ嫌そうな顔をして言う猫とは王都アイリーンに巣食う妖怪の事だ。
比喩表現でなく、妖怪らしい。
先生は『猫』と呼ぶけど、向こうは向こうで先生の事を『幼女』と呼んでいた気がする。
「あれが出てきておるだけでかなりの惨事じゃろうが……」
本がパタンと閉じられる。
「何が起きた?」
鋭い眼光が射抜く。
そこにある色は昨日見た双眸に近く、思わず息を呑んだ。
「……くうりくるる、という薬師に襲われました」
「くうり……クュリクルルかえ。
……その言葉遣い、粗暴であったか?」
まるでごろつきのそれだったと思い返し、頷く。
「ふむ、最近見なんだ。
こんな所におったか。
こめかみに青タン、指は折れて大層貼れておったが」
「……銃が暴発しました」
「魔銃がかえ?」
怪訝に思うのも無理はない。
この世界にはないが火薬式と違い、魔法式である魔弾は不発である可能性が滅法低い。
水気を嫌う事もないため、早々ジャムったりする事はないと言われている。
この世界に措いてあらゆる武器を凌駕する可能性を持っているが、如何せんその値が普及の妨げとなっている。
「多分……干渉された。
そのまま次弾を発砲したから……」
「玉突きを起こして暴発した、か。
なまじ銃身が頑丈だったゆえ火傷は免れたが、指を持っていかれたと。
千切れんで良かったの。
千切れておったらわしでは元に戻せん」
ぞっとしない話だが……
「……千切れてたら、これ、持たなくて良くなった……かも」
「気持ちはわからんでもないがの」
そんな生半可な呪いではないのはお互い百も承知だ。
「しかし、あの阿呆のせいでないとすると……セリム・ラスフォーサの予言の一環かのぅ」
「……」
じっと見つめる。
それに気づいてティアロットはふむと考え込み
「魔女という言葉には二つ意味がある。
女魔術師と、ウィッカという技術を使う者じゃ。
本来の魔女は後者、ウィッカ使いをウィッチと呼ぶ」
その話は覚えがあった。
ウィッカはドルイドに近く、自然を基板とした技術体系だ。
魔法的な側面では使い魔や魔薬が有名。
生贄の儀式やサバトなどの黒い部分は森の奥に隠れ住む彼女らと旅人を魅了するドライアドの話が混じり、それに中傷を加えて出来上がったものとされる。
「セリム・ラスフォーサはわしの知る限り最高のウィッカ使いじゃ。
同時に、形骸化した魔術師よりも魔術的な家系でもある」
ジニーがその意を測りかねているのを横目にティアロットは続ける。
「あの娘はその末裔で、恐らくは要じゃろう。
中に神と同等のバケモノを飼っておると聞く。
フェグムントかファグムントか……そのような名前じゃな」
「……特異体?」
「そうと言えるの。
しかし聖騎士や木蘭のような強化型の特異体ではない。
まったく正反対の性質を有しておる」
聖騎士や代行者の花木蘭は神の力を受けきるために生まれながらにして身体が強化されているとされる。
ガラスのコップで滝の水を受けてはあっさり砕け散るのは明らかだからだ。
「あれには一切の魔力がない。
魔力がない人間はどうなるか、わかるや?」
「……魔力は生命力の転化……ないなら死ぬ」
「然様。
強弱はあれ、マジックアイテムを起動させるくらいの魔力は人間誰でも持ち合わせておる」
「……でも、人間が神を内包するのは、無理……かも。
木蘭様でも一部の顕現……かも」
「そこが正反対と目するところじゃな。
恐らくあれは何らかの理由で魔力を失い続けておる。
それも想像を絶する勢いで、じゃ」
「……神様を飲み込むほどに?」
「実の所、この世界にそんな現象が確認された例はないんじゃが……
異界の神々の中には近い性質の物がいくらか見られる。
そのあたりを取り込んだやもしれぬな」
異界の神が何故エオスと関係があるか。
まっとうな神学者、魔術師ならば鼻で笑う推論だが、ティアロットは実際に異界の神族と何度か顔をあわせている。
そもそも魔族そのものが異界からの来訪者であることを知る者は少ない。
「……人工的に代行者を作った?」
代行者は神でなければ対処できないような災厄に対する応急手当だ。
神威代行者────薬も過ぎれば毒であるように、平時の世界に生まれる物ではない。
生まれてはならないものだ。
「憶測にすぎんがの」
未来を見通すかの魔眼が何を見通したかは本人亡き今わからないが、クュリクルルという存在が一つの結果である事は間違いない。
「しかし、あれはバランスがとれておったはずじゃが……さて」
思考に沈む師を見ながら、ジニーは自分の手に視線を落とす。
折れた指も完璧に戻っているが、忘れられない激痛に震える。
「……先生。
あれは、何?」
「……ふむ」
少しだけ目線を上げ、
「わからん。
恐らくこの世界の言葉では評しきれぬのぅ。
強いて言えば『狂った精霊』じゃが……」
ふむと一つ鼻を鳴らし、それから少し嫌そうに顔を歪める。
「……?」
小さな唇からは「いや」とか「まさか」とか、漏れ出している。
ああいう状態の先生はやたらタチの悪い予測をしていると、ジニーは良く知っている。
「銃弾は発射されなかったのじゃな?」
問いにはどこか沈痛な響きがある。
慌ててジニーが頷き「二度」と答えると、ティアロットはまた黙考に戻る。
気まずい空気が数分続いた後、
「少し行く所が出来た。
ともあれ、不必要なればあれに関わるな。
魔眼の毒にやられるぞ」
言うなり紡がれるのは転位魔術。
さらっと高等魔術を口にしてティアロットはあっさり消えてしまう。
「……」
「えー、あのですね」
くるり首をめぐらせると、老人が一人、所在なさげに立っている。
……思いっきり存在を忘れていた。
「結局何がどうなったのでしょうか?」
村長の問いに、内心で「ボクが聞きたい」と呟くジニーだった。
「セリム・ラスフォーサ、ですか。
それはまた、中途半端にメジャーな名前ですね」
紅茶を手にロアンナはすまし顔で呟く。
居座っても仕方ないのでジニーは早々に村を辞し、アイリーンまで戻ってきたのである。
一応悪魔を追っ払った事には変わりないということで報酬を受け取り、いつも通り全額をロアンナに付き返しつつ、話をしている所だ。
「ウィッカ自体がマイナーですからね。
魔術師ギルドでも魔法研究者より、歴史家の分野です」
ウィッカの技術は後の世で錬金術や占星術の基礎になっている。
すでにそれぞれが独立した分野で基礎を固めているため、焦点が当たらなくなって久しいと言う。
「ウィッカの別名はウィッチクラフトだったでしょうか。
魔女は古来優秀な魔法技師だったとされます。
しかしながら森の奥に潜み、確固たる秘密主義を貫いたため、その成果は余り残されてはいません。
イェール興国の前にあったと言われる『魔女狩り』でその貴重な遺産は失われ、失伝した技術も限りない、とする歴史家もいますね」
すらすらと言葉が出てくるのを眺めながら、何が言いたいんだろうと少しだけ首を傾げる。
「セリム・ラスフォーサの潜む森はアイリン、ドイル、ルーンの三国境界の上にあります。
そこは大きな森で、国境が曖昧とされるところです」
国境線は山や川に沿って引かれる事が多い。
これは山越えや渡河作戦が難しく、そこで戦争が膠着してしまうからだ。
一方で進軍しづらい土地として森も境界に当てはめられる事が稀にある。
「帰らずの森。
踏み込みし者は骨のひと欠片もこちらに戻ってくる事はないとされる魔境と言われています。
事実幾人かの名のある冒険者が乗り込み、そして帰ってこなかったとか」
「……」
はふと一つ溜息。
「気分が優れませんか?」
「……別に」
「そうですか。
ではあまり長居をするのも良くありませんから最後に一つだけ」
燕尾服の麗人は流麗な動作で立ち上がると、一枚の紙を置く。
「すでにアイリーンにクュリクルル様が潜んでおられます。
どうぞ、お気をつけを」
「……気をつける?」
この女性に限って言い間違いや言い損ないはない。
それを確信させるには十分の笑みを浮かべ、彼女は立ち去る。
一人残されたジニーは言いたい事だけ言ってさっさとどっかに行く人ばっかりとか思いつつ、頬杖を付く。
それからおもむろに紙を見ると、アイリーン北側にある余り品のいいとは言えない宿の名前が記載されている。
……とはいえ、ジニーとしては余り動く気はなかった。
先生に近づくなと言われた以上、むやみに近づけば危険だと言う事だ。
ティアロットの言う事は大体『最悪』を想定しているため、『大山鳴動して』の可能性は過分にある。
仮にそうだとしても、今でも体の芯が震えるほどの恐怖は立ち向かうのに十分な気概を戻させてはくれそうにない。
あれが人とは異なるモノだということは本能の部分で理解した。
暴風や地震と同じだ。
己の起こす事に何ら躊躇する事はない。
少し会話する能力があるから『精霊』という分類は近いかもしれない。
噂に聞く大精霊の能力が常軌を逸している事は有名だ。
自然霊の領分を越え、世界法則に干渉するほどの力があると言う。
過去の戦争において、一瞬で両軍を全滅させた火の大精霊の話があるほどだ。
確率の操作…… 誤作動を起こしにくいとは言え、それはゼロではない。
あの精霊は確率を狂わせるのだろうか?
余りにも未知の場合、中途半端な推論は自分の行動の自由を殺す。
とはいえ、何も考えないわけにはいかない。
「……銃を……妙に気にしてた……かも?」
あれがこちらに興味を持ったのは最初に不発になったとき。
銃に干渉し、違和感を覚えたような風だった。
同時に怨嗟に近い声が歓喜に変貌したのを覚えている。
と────漸く彼女は頭に鳴り響く声が鳴りを潜めている事に気づく。
まともに知覚していては頭がおかしくなる。
自然と意識の外に押しやる術を見につけていたためか、それに混乱が足された結果、齎された静けさに気づけなかったらしい。
「……どういう……こと?」
あの歪んだ精霊はこの呪いと関係がある?
思い付きを与えられた知識が否定する。
先生の言葉を思い返せばあの存在は神と相対したと言う。
虚偽であれ事実であれ、それが近代であれば人の記録に残るべきだ。
そうでないとすれば記録が曖昧になるイエール時代より前史と推測できる。
そしてその頃に魔銃は存在していない。
これがアーキタイプであるというのは暴論に過ぎるだろう。
そうだとして今作られる弾丸と適合する理由がない。
オートリロードする機構だって最新技術と言って過言ではない。
頭を切り替える。
詰め込まれた知識、伝承の中で適合する記述を探す。
それは─────
「姿を変えるモノ」
それは常に違う姿で現れると言う。
時代か、それとも持ち手か。
姿を変える魔道具の例は少なくない。
とすれば、これは古の時代にはもっと別の形だったのかもしれない。
この武器はあの精霊を殺すモノか?
強大な力には必ず対存在が発生する。
これは先生の持論だと思考を進める。
聖騎士と魔王のように、強大な力には対抗存在が必然として生まれる。
世界が壊れないためのシステム。
人はそれを神の救いとも奇跡とも称してきた。
その論で説けば、神に挑むだけの力を持つ精霊であれば、それに対抗する何かが生まれるはずだ。
可能な限り触れたくもないそれを背から引っ張り出す。
黒を基調に乾き掛けた血の色で細工を施されたそれは、芸術品とも言える。
「……ねぇ」
声が漏れる。
「……お前は、何?」
問いかけ。
無駄かもしれないと思いながらも、それに意志が宿っていることには違いない。
できることはなんでもやれ。
教えを思い出し問うた言葉に、はたして応答はあった。
────我は英知の探求者
────故に至らんがための力を欲す
────万の血肉を糧として、億の岩を積み上げん
────されど頂き見えぬのならば、無限の力を只欲さん
それは理性的な老人の声音。
まるで荒野を歩く修験者のような静謐さ。
音こそ狂喜のそれと同等なのに、質が全く異なっていた。
────我は一切の許しを請わぬ。
────我は一切の躊躇を抱かず。
────我を手にした者よ。
眩暈がする。
胃の中のものが競りあがってきて、必死に堪える。
気持ち悪い。
静かな声音でも、その狂気は物質のように精神を侵してくる。
それはやはり同質だ。
世の理を鑑みもしない、真なる魔術師の物だ。
────偉大なる四大の術と、至高たる原理の頂を我に齎す糧となれ────!
「っかは」
圧力に呼吸すらできなかった。
再び沈黙に戻ったそれを握る手がじっとりと汗にぬれていた。
眩暈がして視界が定まらない。
心臓が全力疾走したときよりも激しく鳴り、肺が痙攣して呼吸を妨げる。
ただの声────物理的には存在しないただの意識。
だが、それが濁流であれば話は違う。
魔術師としても規格外のそれはジニーの心を酷く削り去っていったのである。
五分をかけて息を整え、ぐっと眼を閉じてできるだけ五感を遮断する。
「……もう、やだ」
ぱたんとベッドに倒れて、背中のホルスターが痛くて横に転がる。
ぐっと体を丸めて眼を閉じる。
一回弱音を吐くと留まる方法は全くない。
何もかも考えるのが嫌になり、ただ目を閉じて時が過ぎるに任せた。
「おや、ティアロットさん、こんばんわ」
「……いや、ナイフを突きつけて言わんでほしいのぅ」
これは失礼と何処かにナイフを消し去り、吟遊詩人は恭しく頭を下げる。
「てっきり侵入者かと」
「……嘘じゃな」
確信を持って呟くが、彼はそ知らぬ顔で微笑む。
ここはアイリーンの遥か西、ドイルを目前にする西の大要塞アスカだ。
その城壁に立ちつ吟遊詩人は代わりにリュートを持ち出して流麗な曲を奏でる。
「ミルヴィアネス公に御用ですか?」
「いや、ミスカはおるかの?」
「ミスカさんですか?
それなら……」
すーっと視線を上げる。
大体ティアロットの頭一つ分上。
「お久しぶりです、お嬢様」
「……」
にっこりと微笑むメイド。
背後に立ち、一切の気配を殺している必要がどこにあるかは全くわからない。
はぁ、と一つ溜息。
「ミスカ、聞きたいことがあって来た」
「フェグムントちゃんのことですかぁ?」
察しているとは思っていたので素直に頷く。
この二人の裏の仕事はミルヴィアネス家の間諜であるし、女神亭の情報は常に仕入れているだろう。
「そうじゃ。
もしかして、ぬしと同じとは言わないじゃろうな?」
「言いませんよ?
こちらにお邪魔しているのは二人だけですから」
「で?」
単音での問いにメイドは笑みを濃くする。
「あの方の眷属的な何かです」
それを確認に着たとはいえ、どっと疲れを感じてティアロットは振り返る。
「詳しくは?」
「知りませんよ。
はわぁ……そうですね、あの方がこちらの世界で作って、それがファルスアレンのの礎になった、ってくらいしか」
「……で、ファルスアレン亡き今、ああなっておると」
「んー、それはちょっと違うかも」
顎に指を当てて少しだけ首を傾げる。
「フェグムントちゃんは水脈なんですよ。
で、ファルスアレンの『神殿』は井戸でした」
「井戸、のぅ」
「はい。
で、一応水脈にうろうろされると困るので、首輪の一つも付けてはいましたけど」
「それが、ジニーの銃かえ?」
「昔は槍だったんですけどねぇ」
はわはわと言いながら眼を細める。
「それが何故セリム・ラスフォーサの元にある?」
「時系列で説明すると、首輪が外れていい気になったところをルーン神に凹まされて、それを拾ったのがセリム・ラスフォーサだった、と」
やたら俗っぽい例えをするなと半眼で睨みつつ、内容を噛み砕く。
「彼女がお嬢様に協力した本当の理由はフェグムントちゃんだったんでしょうね」
無尽蔵の魔力。
魔法使いならば一度は夢想する事だ。
人が許容できる魔力の限界は、長く魔法の限界としてその発展の蓋となっていた。
「それだけの力を一人の体に詰め込んで……あんな特異体を作り出してまで、セリムは何をしようとしておる」
「はわ。
それは先見の魔眼もなく、あの方でもない私にはわかりかねますわぁ」
十三系統魔法の観点からすれば、無限の魔力は万能を生み出す。
世界全てを解析し、再現する魔術であればこそ、世界に起こりえる全ての事象は思いのままだった。
「ああ、それなら聞いたことはありますよ?」
声は横合いから。
耳障りでない程度にリュートを奏でながら話を聞いていたファムが曲調を変え、口にするのは詩だ。
「大いなる者 果てを見通し嘆きを漏らす
如何なる先も黒の世界
如何なる先も白の閉塞
伸ばした手は壁を越えず、伸ばした心は遮られ
眺める先の理想郷 かの瞳にも映らぬや」
ふむ、とその古めかしい詩の意味を思う。
「かの魔眼でも見通せぬ未来があった、ということかの」
「というよりも、恐らく果てを見ちゃったんじゃないでしょうか」
果て? と振り向くと
「万物皆等しく発生には消滅という因果がまとわりつきますわぁ。
つまり、どこかに『最後』があるわけで」
「黒の世界、白の閉塞。
この世の果てか」
「はい」
不十分だったからではない。
優秀すぎたからこそ、それを見てしまった。
「けれども彼女はそれを納得しなかったのでしょう。
つまり、自分が不十分であると自分に嘘をついたのかと」
「とすれば……目的は『完全なる先見』かえ」
しかしそれはすでに存在していたのだ。
他でもない、セリム・ラスフォーサの眼窩に。
「つまりは、それ以上の何か……そうですねぇ。
思いつくとすれば《創世の魔眼》とでも名付けるべきでしょうか」
ないものを見るためには、あるようにすれば良い。
「馬鹿馬鹿しい、とは言えんの。
原理魔法の意味を思えばこそ」
「だからこそ、あの方も多少ネコババされても放置していたのでしょうねぇ」
しかし、すでに原理魔法の研究都市ファルスアレンはなく、その残骸だけが世界に残された。
「まぁ……」
ミスカは頬に手を当ててにっこり一言。
「私も今の今まですっかり忘れていました」
「……」
「あー、だって仕方ないじゃないですかぁ。
もう何百年も前の事ですよぉ?」
「いや、簡単に忘れて良い内容でもないと思いますよ?」
吟遊詩人にまで突っ込まれ、「うう」と泣きまねをする。
「私は今を生きてるんです。
五百年以上昔の話なんてうら若い私が知るはずがないんです」
妙な拗ね方をし始めたミスカを一瞥し、これでも一応魔王とか神を相手にできる存在なのかと呆れる。
「まぁ……こんなんじゃから、のうのうと存在しておるんじゃろうが」
「うう、お嬢様追い討ちですか?」
「ともあれ……無関係ではないが、手も出せぬな」
駒の揃った盤上ににはすでにセリム・ラスフォーサという三色目が飛び込んでいる。
すでに退場した駒がそこに乗るとどうこじれるか見当が付かない。
「で、ミスカ。
その首輪の能力はなんじゃ?」
「要は転移型のパイプです。
あふれ出す魔力をファルスアレンの神殿に転送していただけですわぁ」
「……で、ファルスアレンはもうないが?」
「……」
すくりと立ち上がったミスカはふとティアロットをまじまじと見て、それから視線を逸らし
「そうですねぇ」
「今、物凄く気になる動きをしたの」
「いえいえ、お気になさらず。
まぁ、要は池から用水路を引っ張って放置するようなものですから。
一言で評して、大惨事ですね」
とても軽く朗らかに言い放つ。
「『神殿』は井戸であると同時に蓋でしたからね。
これが水であればまだ可愛いですけど、魔力ですから。
魔力汚染と称すべき災害が発生します」
「魔力汚染?」
聞き覚えのない言葉に吟遊詩人が問う。
「魔力って生命力の転化ですけど、何と言いますか……
『虚構』方向に変化してるんですよね。
魔法が世界を騙す術って言われてる所以なんですが、ありえない事を起こすのが魔法ですし」
「具体的にはどんな事が起きるんですか?」
「何でも起きます」
即答。
「魔力は積み木のようなものです。
積み木で意味ある形を作るのが魔術。
それは想像を絶するほどの積み木を放り投げ続けるようなものです。
それで偶然意味ある形が出来れば魔法は発動する」
その可能性がゼロでない限り、無限の試行は必ず成功する。
「ありとあらゆる魔法が発生する魔境となるでしょう。
《神滅ぼし》なんてのは成立する可能性が比較的高いほうですよ?」
人の身で為せる術など、魔法という神の絶技と比較すれば児戯にも満たない。
「でも、パワースポットとか、魔力があふれ出す場所はあるんですよね?」
「数万年単位で見れば、やがてそれも世界の流れの一つになるかもしれませんが……
きっとその前に世界が壊れるかと」
「……整理すると、現状の最善は『見守る』ということでしょうか?」
現時点ではフェグムントはクュリクルルの中に捕らわれ、均衡を保っている。
ここでクュリクルルを殺すなり、『首輪』を打ち込むなりすれば、それは一つの災害となって世界を破壊しかねない。
「フェグムントを殺せれば一番良いのかもしれんが、それは結果的にセリムの末裔を殺す事になる、か」
生まれつき、己を維持するだけの生命力も生み出せないクルルはフェグムントを失えば死ぬのは間違いない。
「フェグムントを殺した上で助ける方法とかないのですか?」
「難しいですね。
ただの魔力欠乏であるならばいくつか手段は講じられますが、フェグムントちゃんの莫大な魔力を奪い続けて不足するような子をどうする事もできません。
ついでにフェグムントを殺せる存在が居るかどうか」
「ぬしならできるのでないかえ?」
「……まぁ、できるんですけどねぇ。
凄く痛そうで、面倒そうなので遠慮したいのですけど」
本気で嫌そうにしながら視線を逸らす。
「それに操魔魔術は『積み木の積みなおし』しかできません。
積み木自体をなかった事にはできませんから」
「……ミスカ」
「はい?」
「で、隠し事を明かすつもりは?」
はて、と小首を傾げてみるが、ティアロットの表情が動かない事を見て平時のすまし顔に戻す。
「ありません。
これはお嬢様に知られるわけには行かない事柄でもありますので」
「……ふん」
彼女の本質はアストラルであり、そして魔法の天敵たる『操魔魔術』の使い手だ。
彼女が勝利する事はなくとも、彼女を倒し滅ぼす手段はその主を除いてまずありえない。
また、うっかりしているように見せて、大事な部分を見せる事はない。
これでもティアロットの師でもあるのだ。
「ジニーちゃんには悪いですけど、あれを破壊する事も今はできません。
最終手段として残しておくべきでしょうから」
「……せめてあの渇望を緩める事はできんのかえ?」
「お優しいのですね」
含む物言いに少しだけ眼光を鋭くする。
「その程度の干渉であればいずれ。
……といいますか、あれ、お嬢様の祖に当たる方ですけど宜しいので?」
「……」
欲望の化身のようなモノをあっさり親類と受け入れろと言われ、少女は言葉に詰まり、やがて諦めたように盛大に吐き出す。
「さっさと消してしまえ、そんな怨霊」
「うふふ」
メイドの悪戯っぽい笑いが夜の闇に消えていく。
そうして、朝を迎える。
「よぉ、お嬢ちゃん」
眼が覚めると、そこには美しい顔があった。
豊満すぎる胸は薄っぺらな自分のそれに押し付けられ、自分がマウントを取られていることを自覚する。
「お目覚めかい?
どうせなら永眠したって構わないんだが」
「……」
扉には鍵を掛けていたし、窓にはガラスなんて高級品はないため、人が潜れるほどの余裕はない。
もちろん安宿の鍵などなんとでもなる。
だから用心のために罠まで仕掛けていたのに────
「ああ、鍵とか罠とか、そういうもんは意味がないぜ?
……で、小僧。
あの銃が何か教えろ」
特定部分以外は驚くほど細身だが、完全に押さえ込まれているため、手足が自由に動かせない。
「……別にくびり殺してもいいんだぞ?」
そこに震え上がるほどの殺意はない。
例えるならば……面白半分にネズミにじゃれ付く猫のようなものか。
ふとした拍子に殺しかねないが、別にそれでもいいと思っている、そんな雰囲気がひしひしと伝わってくる。
「……カースアイテム。
偶然呪われた」
「ァア?
……で?」
「終わり」
「ふざけてるのか?」
「偶然、呪われた。
離せない。
それ以上の事を知る方法もない」
値踏みするような視線が注がれるのをじっと耐える。
意外と用心深いのか、思考に意識を割いても手足の拘束が緩む様子はない。
「じゃあ、別に俺様にくれてやっても構わねえんだな?」
「……むしろ大歓迎」
それは本心だ。
「アイリーンの高司祭でも解呪できなかった。
貰ってくれるなら断る理由もない」
「はン」
嘘がない事を見て取ったか僅かに力が緩むが、攻撃の意志が見受けられない事と、反撃に転じる道が見えないため、行動を保留する。
「で、
その銃は?」
「……背中。
ちょっと痛い」
安宿の硬いベッドでフォローできない硬さがごりごりと腰骨に当たって結構痛い。
「あぶねえなぁ。
外さないのかよ」
「離れるとうるさい……」
距離を取れば取るほどその声は大きく酷くなっていく。
寝づらいのは百も承知だが、眠れなくなるよりマシだといつしか割り切っていた。
「ほー。
お前も大変だな」
……。
思考が全停止して、思わずぽかんと見上げてしまう。
「ん?
何だ、その顔は?」
「……なんでも、ない」
まさかそんな言葉が飛び出すとは思わなかった。
もちろん口にすれば激昂するタイプだろうが、この粗暴さはやけに幼い気がする。
「まぁ、いいや。
その銃を出せ」
女はあっさり立ち上がると、ベッドに腰掛ける。
気を削がれたせいもあって、攻撃的な対応を取り損ねたジニーはもぞもぞと起き上がり、腰に回しているホルダーから銃を抜き出す。
─────彼が永劫
──────彼が無限
──────其が渇望せし英知の贄なれば
声がこれ以上ないほどの大音響で脳を揺らす。
────その一片までも喰らわせよ!!!!!
体の自由が一瞬で奪いつくされる。
右手が自然な動作で撃鉄を引き、差し出すその手は力を食んで速度を生む。
唯一自由になる意識は逆に冷静になり、だめだと思う。
脳天にポイントされた銃口。
驚きを見せる女の顔面を見据えるのも刹那。
撃鉄が澄んだ音を立てる。
「こに辿り着く者。
汝哀れな贄か」
それは言う。
「我らすでに血肉を失いて見守る者。
汝の喪失を埋める事適わずばこそ」
対峙するのは『何か』だ。
明確な形を持たない、明確な意味を持たないそれを前にし、自愛と慈悲を持って言葉を紡ぐ。
「我は知る。
その寄る辺なき己が幾重の苦痛、幾重の苦悩に満ち溢れている事を。
故に、我はこの相対を対立でなく、あるべき邂逅と見做す」
それは、己を取り巻く力を感じ、怒りと歓喜と恐怖を共に発する。
「汝に名を与えん。
そは有る事すら己を許せぬ汝の助けになるとして」
一拍の間。
永劫なる狭間にあって、それは永遠であり刹那であった。
「汝は万象。
汝は欠片。
汝にファグムントの名を与えん。
そは汝が汝とする証とするがよい」
それは急速に己の形を模索し始める。
これまでありとあらゆる理に支配されなかったそれは、意味の一端を与えられた事で世界と縁を結び、己を定義し始める。
「意味を有した汝はこの神域にあることを許さぬ。
帰られよ。
そして求めよ。
永劫の贄たる汝の、次なる意味を」
かくして、魔王が生んだ無限は再び地に堕ちる。
がちんと、部屋に音が走った。
「……」
「……」
互いに言葉はない。
重苦しい時間がゆっくりと流れる。
「……テメェ……」
「……」
緑の双眸がぎらぎらと輝く。
それは明らかに激怒へ歪んでいた。
無理もない。
いきなり脳天に向けて引き金を引いたのだ。
「……不意打ちにしちゃぁお粗末だなぁ。
弾切れなんてよ」
そんな事は百も承知である。
寝てる間に暴発なんてされた日には眼も当てられないので、宿に入るなり弾は抜いているのだ。
さりとて半ば猛獣のこれに、その説明────言い訳が通じる可能性は酷く低い気がした。
「良い度胸してんじゃねえか」
がっちりと右手で銃身を掴み、威圧するようにぐっと顔を近づけ
「ぐぎっ!?」
珍妙な声と共にクルルの体がびくりと跳ねる。
突き飛ばすように銃から手を離した女は、勢い余ってそのまま後ろに向かってベッドから転落。
ごつんと物凄く良い音が狭い室内に響く。
「……え、あー」
動く気配はない。
「……」
明らかにこの銃が弱点ぽい。
そして気絶している様子の今なら、苦もなく撃ち抜くことは可能だろう。
傍らに措いてあるポーチから素早く銃弾を取り出しリロード。
今の体勢では足しか見えないので立ち上がり、ベッドを回って顔面に銃口を。
「お客さん、今、凄い音が……」
戸がばんと開き、ジニーと目が合う。
それからその視線は銃へ向けられ、目を回しているクルルへ移動。
「ひぃぃいい!?
あんた何やってんだ!?」
起き抜けとあってジニーもどこか現実味を失っていたのだろうか。
我に返ってかなり凄い状況だなぁと感心すること1秒。
散々鍛えられた判断能力が指し示した行動は、逃亡。
すぐさま身を翻して荷物を手に取ると、慌てる店主が「誰かっ!」と声を出す。
「……ごめんなさい」
身を低くしてその傍らをすり抜けると、何事だと顔を出した面々の間を一気に駆け抜ける。
花の都アイリーンとはいえ、早朝は道も空いている。
赤にひとたび通報されると門に到着する前に連絡が入るだろう。
とすれば、赤に捕まらない方法は────
「……女神亭」
今回の一件はいつもの魔術師討伐と明らかに違う。
一次的な保護を求めるならば魔術師ギルドも手段の一つだが、どうも女神亭にまつわるレベルのような気がしてならない。
仮にそのあたりで捕縛されても女神亭周辺ブロックを担当する赤には話が通じる面々が多い。
いつもと毛色の違うトラブルに眉根を寄せながら少女はアイリーンの街を走る。
「……」
目が覚めると周囲が騒がしかった。
「いやね、客が、ってもまだ小さいガキなんだが。
部屋で物音がしたから行ったらよ。
銃を構えてて、死体があってよ」
男が赤らしき衛兵に対しつばを飛ばしながらまくし立てているのが視界に入る。
赤が居るということはここはアイリーンだろう。
来た覚えはないのだけれど、またフェグムントが何かしでかしたのだろうか?
彼女はいつも通りに立ち上がると、野次馬の間をすり抜けて宿をあとにする。
「し、死体が消えたぁ!!!??」
頭上からそんな声が聞こえたけれども、特に気にする必要はないだろう。
そういえば、と思う。
あれだけ酷かった灼熱感はすっかりなりを潜めている。
体はいつもより重い気がしたが、あの酷い状態に比べれば全然マシだ。
太陽の上り具合からしてまだ早朝。
特に行くあてもない。
立ち止まり、黙考すること数秒。
一度目を開け、それから迷うかのように明けの空を眺め─────
クルルは目的地を定め、無音の足音をアイリーンに響かせる。
「って、なんで隊長が居るんですか?」
夜勤明け間近の通報を受けて、各詰め所に連絡を回すため本部に駆け込んだ若い隊員が自分より若い隊長を見つけて批難の声を挙げる。
「あ、いや。
ちょっと書類仕事がね」
「……いや、その書類は昨日シン分隊長に別の人間に回すように言われてませんでした?」
あーと言いながらジュダークはペンで頬を掻く。
シェルフィが退役してしばらくジュダークの超過勤務を咎める者は居なかったのだが、それを良いことに四六時中赤の制服を着込んでいるジュダークに対し、周り面々が小言を言うようになっていた。
基本的にジュダークより年下は新兵くらいなものだ。
星の数より飯の数という格言もある軍隊で、なおかつ物腰の低い彼への注意は一回やってしまえば躊躇う要素は全くない。
昔は仕事を変わりにやってくれてラッキーくらいに思ったのだが、シェルフィが抜けた穴埋めで大問題が発生したのである。
ミルヴィアネス家の要請で1週間ほどジュダークが隊を休んだ際、あらゆる書類仕事が停滞したのである。
これに他所の隊から派遣された隊長代理が大激怒。
しかも噂がアイリーン中に広がったため、隊員は必死にこれを処理する羽目になったのである。
これはまずいと流石に自覚した面々は、ジュダークの勝手を糾弾するようになったのである。
「またライサさんに怒られますよ」
「……あはは。
まぁ、これで終わりだから。
それで、何か事件?」
「はい。
北ブロックの方なんですが、殺人事件です。
犯人は13歳くらいの少年で、宿の客。
魔銃を所持しており、女性を殺害して逃亡したと」
「……」
13歳くらいの少年で魔銃所持。
この時点で女神亭に関わりの深い彼には一人の候補が脳裏に浮かんでいた。
「死因は銃殺?」
「いえ、争った形跡があり、その際に後頭部を強打したものだろうと」
「……で、その女性って何者?」
「不明です。
格好から娼婦か何かだろうとは。
ああ、ハーフエルフらしいので直ぐに判明すると思います」
ハーフエルフで、娼婦っぽい格好。
これまた一人が思い浮かぶ。
どうしてあの店の面子はこうも独特なんだろう。
「ええと、一人女神亭にやって」
「は?」
「恐らく二人ともそこの常連。
あと、女の人のほう、多分死んでないから」
「……」
女神亭の名前はアイリーンにおいて「何でもありの魔境」を指す。
「了解しました、他大隊への通達もしておきます」
「よろしくね」
「それから早く帰って寝てください。
言いつけますよ」
厳しいなぁと苦笑しつつ窓を見ればもう夜明けだ。
「今度はどんな厄介ごとが起きているのやら」
わけありの連中が多いのは百も承知だ。
せめて街の中でやるなら被害が少ないようにと祈るしか、今の彼にできる事はなかった。
ジニーは結論付ける。
自分の手にはジョーカーがある。
ならば切れる時に切るべきだと。
勝手に潜り込んだ女神亭のホールは朝の空気にしんとした空気を張り詰めている。
無用心と言うなかれ。
ここに強盗に入るような命知らずはまず存在しない。
それに、
「(・ω・)(・ω・)(・ω・)(・ω・)(・ω・)(・ω・)(・ω・)(・ω・)」
なんかたくさんの目が梁の上からこちらを見下ろしている。
いつもは良くわからない芸を延々やっているそれら全てがこちらを見ている。
─────来るぞ
ぞわり、背中に震えが走る。
まさか、と思いながら振り返れば、扉が開け放たれていた。
確かに閉じたはずと思考が走り、とつ、という小さな音が背後から。
階段に人影。
紫じみた赤の髪がふわりと揺れる。
扉を開けて階段に至るまで十数メートル。
決して気づかれずに歩ける距離ではない。
今までとは違う種類の怖さを感じ、抜き放った銃が標準を合わせようとして、
「……どこ?」
見失うはずもないタイミングで見失う。
常識的に考えれば階段を登りきったか?
ジニーは階段を駆け上り廊下へと視線を向け、そこに背中を見つける。
人影は二つ。
一人は先ほどの、そして朝の女。
そしてもう一つは黒い鎧を纏った青年。
こちらを正面とする青年は、銃を構えるジニーを見て、それからクルルを見た。
迷いは一瞬。
どんという音が廊下に響き、死を齎す速度を得た弾丸が目視不可能の速度で宙を走る。
だが────
「何するんだよ、お前……」
ぎんと金属同士が打ち合う音。
剣を貫いた青年が銃弾を迎撃せしめた音だ。
「……どういう、状況だよ」
油断無く────守ったはずのクルルにさえ青年は警戒を露に視線を動かす。
あれは、相手にしてはいけない。
ジニーの直感は正しかった。
迷いなく一回のフロアに身を投げ、受身を取ると女神亭から飛び出していく。
それを追おうとして止めた青年は我関せずと立ち尽くすクルルを見た。
剣はまだ手にしたまま。
その距離は一足。
「クルル……」
その様子を、人形達がじっと見つめる。