第3話
「よし、これで全部ね。ベレン、おねがいします。」
「かしこまりました。」
あれから1週間、発音のコツを掴むのと一緒に一心不乱に手紙を書いていた。先日ベレンに持ってきて貰ったのは、レターセットと数年の間の退職者リストであった。あまりの多さに驚いたが、全ての人に手紙を出すわけではない。勤務3ヶ月以内のものが大半で、私に耐えられず、直ぐに辞めたのであろう。そういった人たちではなく、元々サンチェワルド家に忠義を誓い、仕えてくれた人たちに手紙を出すつもりだ。サンチェワルド侯爵家は新興貴族ではなく、代々続く古株の貴族である。そういった高位貴族には、そこに仕える家系というのも存在するのだ。
今のサンチェワルド家に存在はしないが。
家系だけではなく、個人で忠義を尽くして働こうとしてくれた人も居るだろう。判断材料は今のところ働く年数しかないが、誰かに聞けば分かるだろうか。
ちなみにベレンは分からないとのこと。そしてベレンはメイド長でもなかった。前世に気が付いた初日、若い人が殆どだと思ったのは、何かと進言したがる使用人を私が解雇したからであった。ここまでくると凄いよもう。
とりあえず、3年以上働いてくれた方には全員手紙を出した。
「それで、今日はお父様どうされてるのかしら?」
「…申し訳ございません。本日もご多忙のようでお帰りにならないそうです。」
「ベレンが謝ることじゃないから。」
悪の根源はここかしら~???と思うぐらい、私は父親にまだ会えてない。実家にいるのにも関わらず、1週間も会わないなんて。それにオフィリアは5歳。この年頃なんて親に甘えたい時期でしょうに。手紙云々の話もあり、一度当主である父に話を聞きたかった。
たった1週間だがなんとなく分かったことがある。
まず、父は基本的に家に居ない。ここは領地ではなく、王都のタウンハウス。職場から遠いわけではないから、意図的に避けているのだろう。また私の変化は耳にしているはずなのに、見に来ないこと、オフィリアの記憶のなかに姿が見えないことも含めて放任主義または、オフィリア自身を避けている。
そして、侯爵家内の空気が最悪であること。
オフィリアのせいでもあると思うが、辛気くさい。全体的に活気もなければ、陰湿で呪われてそうである。使用人達の顔も晴れない。
「お兄様には会えるかしら。」
「それは…エリオス様は体調が回復せず…。」
極めつけは、使用人が家族と遠ざけてくること。これはオフィリアが原因だ。私が口にしたお兄様とは、腹違いの兄である。元々のオフィリアはそれはもう酷く嫌っていた。初めの方は仲も悪くなかったはずだが、ある出来事をきっかけに悪くなってしまった。
兄が正妻から生まれ、その正妻が亡くなり、再婚して生まれたのが私だ。引け目のない再婚ではあったが、幼い私よりもその再婚を受け入れられなかったのは兄だったのだろう。強烈に残っている記憶がある。
その頃からすでに亀裂が入っていたような両親が、珍しく町に買い物に出かけたとき、兄に遊んで貰おうと兄の部屋に向かった。
「おにぃさ、」
「あんな奴、妹なんかじゃない!!」
兄の部屋から誰かと言い争う声がした。だが、幼いオフィリアに場の空気を読むことなんて分からない。開いてしまった扉の先からはそんな怒号が聞こえた。
バチッと兄と目が合った瞬間の驚いた顔と、直ぐにその顔が後悔で歪んだのを覚えている。
しかし、幼いオフィリアにそんなことは分からない。そして、段々と両親から見放されている自覚のあったオフィリアは、唯一の拠り所だと思っていた兄の本心が拒絶であったことを知り、酷く傷ついた。
その傷が元々あった苛烈な炎を轟々と燃やし始めたのだ。
「っわたくしだって、ッ!!ヒクッ、お、おにいさまだとおもったことないわ!!!このっ、いやしいみぶんのははおやもちが!!!」
当時のオフィリアにはそれがどんなに酷い言葉か分からなかっただろう。ただ、酷い言葉だとは知っていた。伯爵家出のオフィリアの母に伯爵家から付いてきた侍女が陰でそう言っていたのを聞いたのだ。その侍女の声色と雰囲気から酷いことを言っているのは分かっていた。だから兄に言ったらちょっと怒るだろうの気持ちで、私も傷ついたのだからと言ってしまったのだ。
「…いま、何て言った?」
それは絶対に踏んではいけない兄の地雷だったのだ。先程までの、後悔の表情とは打って変わって怒りが抑えきれないといった形相に変わった。
「しょ、しょうにんあがりのだんしゃくだったのでしょう?そんなむすめがつりあうはずないのよ!!!だからあいそをつかしてわたくしのおかあさまと、こんなに早くさいこんしたの!!」
全部借り物の言葉だ。伯爵家の侍女達の陰口のいけない雰囲気がまるで劇のようだと思ったから、覚えていたのだ。そして侍女達は私が幼いからと何度も陰口を私の目の前でした。時折、この侯爵家のメイドもいた気がする。そんな彼女たちが私に悪意を持って何度も聞かせていたとは気が付かず、覚えたままの言葉を口にした。
「おにいさまなんて、このいえにふさわしくない!!!!」
途中からお兄様の顔の表情がなくなっていた。怒りが限界に達したのかもしれない。
「…あぁ良く分かったよ。もう出てけ。お前みたいなのは見てるだけで反吐が出る。」
え、と思ったときには遅かった。自分が取り返しの付かないことをしたのだと気が付いた時にはもう遅すぎた。そして、この家には誰も構ってくれる家族が居なくなってしまった。両親からの冷遇に少しずつ、そして侍女達からの悪意、兄からの拒絶に完全に心を崩してしまったオフィリアは、そこから狂ってしまったのだ。
オフィリアの記憶に強烈に焼きついて離れない。そこから兄は極力オフィリアの前に現れないし、オフィリアも近寄らない。見かけでもしたら、部屋に戻ってメイドに辛く当たった。
兄との関係もどうにかしたいが、今回手紙を送った使用人の中には例の陰口メイドも含まれているのでは無いかと踏んでいる。伯爵家の侍女達は1年前ぐらいに伯爵家に帰っているので、そちらに手紙は送っていない。
どうこうしてやろう、という気持ちはないが、とても嫌な予感がする。幼く朧気な記憶が頼りというのが悩ましい話だが、気長に返事を待つとしよう。
「はい。いかがなさいましたか。」
「ベレンのフルネームってなにかな?」
チラリと視線を向ければ、手紙を配達員に送り戻ってきたベレンがいる。一昨日既に敬語も敬称もやめて欲しいといわれたので辞めている。
「ベレン・ハーロウと申します。」
何か引っかかる気がしたが、私の記憶では思い出せなかった。
「ハーロウってあの?」
「!ご存じだったのですね。光栄です。代々サンチェワルド侯爵家に奉公させていただいております。」
ハーロウ家というのは代々サンチェワルド家に忠義を誓ってきた家系である。サンチェワルドと共に栄えたといっても過言ではない。
我が儘放題のオフィリアにこんな学は勿論無かったので、オフィリアの記憶頼りでは無く、自身で調べたのだ。だから1週間も手紙を書くという作業に費やしてしまった。やはりこれから少ない時間でも、生きていく上で学ばなければいけないことは多そうだ。
「お恥ずかしい限りですが、私はハーロウ家の修行を全て終えておらず、至らないことも多く、家名を名乗ることは躊躇しておりました。」
「どうして?今の私をしっかりと支えてくれる姿はハーロウの名を表してるよ。」
この1週間未だにビクビクした様子のメイド達をまとめ挙げてくれたのは、ベレンである。目の前で見ていたのだから間違いない。だからこそ、書籍通りに優秀なハーロウ家と聞いて感心したのだ。
「恐れ多いお言葉にございます。」
「他のハーロウは…暇を出された人が多いのだった。」
「お嬢様が気にされることは何もありません。」
今までの発言でどこかオフィリアを最優先してくれそうな彼女だが、間違ったことをすると意外にも注意してくれる。女性としても芯から通った人だ。彼女のような人がオフィリアの側にもっとはやく居てくれれば…なんてたられば早めておこう。
そもそも、父があんなんだからいけないのだ。
そうこうしていれば、バタバタとした音が廊下から聞こえてきた。