第2話
微かなノック音に、体のだるさと頭痛を感じながら重たい瞼を開ける。
「お嬢様、おはようございます。朝食の準備が整いました。」
「どうぞ。」
昨日の肝が据わっているメイド長の声がした。声を押し殺して泣いていたからか、出た声は酷いモノだった。案の定、カートを押して入ってきたメイドも顔には出さないものの、困惑した雰囲気を感じ取った。
「…先に顔を洗いになりますか?」
泣きはらした顔も酷いモノだろう。朝食に温かいものがあれば先にいただこうとも思ったが、どれにも湯気は見られなかった。そういえば食事は不味かった。一気にテンションが下がってしまう。それを察したのか、直ぐにメイドは謝った。
「申し訳ございません。」
「あぁ、ちがう。さきに洗おうかな。」
私の機嫌一つで謝らなくてはいけないなんて、とんだブラック職場すぎる。
ぬるま湯が運ばれてこられ、タオルを浸す様子をぼーっと眺めていれば、そっと暖かいタオルを手渡された。綺麗な顔を傷つけないよう、押さえるように顔を拭き、もう一度メイドにタオルを渡す。”ありがとう。”と言おうとして、オフィリアはそんなこと言わない、と口を噤む。昨日から何度もそうしてる。ため口だってキツい。
その時ハッとした。
「わたし、どうせ死ぬのにこのままずっと嫌なことしなければいけないの?」
「はい?」
「絶ッッッ対に嫌!!!」
俯きがちだった顔を上げ、メイドを見据える。急に大きな声を出したものだから、一歩後ずさっている。
「貴方の名前はなんとおっしゃるのですか!?」
「べ、ベレンと申します。」
「そう!!ベレンさん!!覚えたわ!!タオルも朝食もありがとうございます!今って皆さんお時間あるでしょうか!?」
私の勢いにもう二歩下がり、昨日からのポーカーフェイスにありありと表情を浮かべるベレン。
「み、皆さんとは一体…。」
「ここで働いてくださっている皆さんです!!」
その後、御用があるなら私がお伝えします。というベレンに頼みに込み、今の時間は使用人達も朝食を取っているから、と使用人用の食堂に連れてきてくれた。
案内する間もベレンの顔には困惑と焦り、私の不可解な行動に対する恐怖もちらついて見えた。本当にごめんなさいと心の中で思いつつ、途中ですれ違った何人かも食堂に集めさせて貰った。
「あ、あの、お嬢様いかがなさいましたか?」
全員の顔にベレンと同じような表情が見て取れた。そりゃそうだ。今まで我が儘放題、超癇癪持ちのお嬢様が急に食堂に来て、それも殆どの使用人を集めたのだ。私に声をかけてきたのはお歳を召した紳士服に身を包む、執事。きっと彼は執事の中でも良い位にいるのだろう。生憎、オフィリアの記憶には余り残っていなかった。物覚えも悪かったのだろう。
「休憩中にお邪魔してしまってごめんなさい。どうしても伝えたいことがあるんです。」
今までのオフィリアからは想像も出来ない態度に、先程までなんだなんだと騒がしかった食堂が水を打ったように静まりかえった。
「私は皆さんが知るように手も付けられないような娘でした。散々ご迷惑をかけてしまいました。本当に酷いことをしてしまいました。今まで、本当に、申し訳ございませんでした。」
例え、前世を思い出していなかったとしても私は私だ。深々ときっちり90度腰を折り、心のそこからの謝罪を口にした。
昨日までではあり得ない私の姿に皆どよめいている。
「お、お嬢様!?一体何をおっしゃいますか、」
「とめないでください。昨日までやりたい放題だった私が何を言ってもうたがってしまうのは当然のことです。このしゃざい、受け取れない方がいてもかまいません。ただ、これからは皆さんの献身に感謝しすることを誓います。」
ベレンも執事も止めようとしたが、私は止められない。どうせ死ぬのだったら私の好きなように生きたい。きっと5歳児にしても不自然だ。おかしすぎる。皆目を丸くしている。
「今までこんな私に仕えてくださり、本当にありがとうございました。どうか、これからもよろしくお願いいたします。」
再度腰を90度に折り、頭を下げた。高位貴族にあってはならない姿だろうけどもそんなことは知らん。今なら王宮に殴り込みにすらいける意気だ。殴り込む理由は何もないが。やめろやめろ。自分から死亡フラグを立てるような事をするのだけはよそう。本当に簡単に死んじゃう。
そういえばここは食堂だったことを思い出し、早々に出て行くことにした。お邪魔しました。と挨拶をし、私室に向かう。きっと今頃食堂では混乱の嵐だろう。申し訳ないなと思いつつ、短いリーチの足でちまちまと歩く。ベレンすらも置いて出てきてしまったが、一人だけ必ず私の後に着いてくる人がいる。私室につき、体力がなく、若干息が切れ気味だが、その人に話しかける。
「お名前をおききしても?」
「それは私におっしゃられておりますか?」
「そうです。」
「ルディと申します。」
私の護衛はルディというらしい。初めて真正面から見たが、攻略対象に負けず劣らずの顔だ。顔に驚いているのではなく、しっかりとルディに謝罪をする。
「ルディさんにも沢山迷惑をかけました。ほんとうにすみませんでした。」
「いや…私は特に。空気のように扱われていただけなので、ある意味正しいかと。」
歯に衣着せぬ物言いに、ベレンと似た好感を抱く。
「それよりも急にどうなさったのですか。まるで別人のようです。」
言い得て妙だが、前世を思い出したオフィリアは別人に近しいのではないか。そして単刀直入に聞いてくるルディに矢張り好感がある。怯えられるというのは、想像以上に私のストレスであったらしい。どうせ当主の耳に今日のことは入るのだ。それなりの理由があった方がいい。
「天啓をうけたのです。」
この国には魔法が蔓延り、神や精霊といった信仰も篤いといった設定がある。なぜならば、主人公は聖女か召喚に巻き込まれた異世界人か選べるからだ。聖女信仰は手厚いぞ。
「てん、けいですか…。」
戸惑いつつも納得していただいたようである。
「このままだと悲壮な死を遂げると。」
「……。」
天啓ではないが、嘘ではない。まぁ足掻いたところで悲壮な死を迎えることは決定事項だが。ルディの引き攣った表情というのは大変見応えがある。おっといけない。美形というのはついつい眺めてしまうのだ。
何はともあれ、これで私は無理にオフィリアを演じ、無残に死ぬ。ということは無くなったわけだ。
どうせどんなことしてても死ぬんだから好き勝手暴れても変わらないだろう!!
「さて、そうと決まれば、先ずすることは…。」
遅れて部屋に入ってきたベレンを確認し、あるものを用意させる。
思っていたよりもその量は多く、これから訪れるであろう右手の痛みに静かに覚悟を決めた。