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イフパターン  作者: 其嶋真由
交番編

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第9話 【回想】祇園町事件⑤

 

「諫花さん」


 僕は湧き上がった情動によって、諫花さんを押し倒していた。好きとか、嫌いとか、そんなんじゃなくって。愛とか、恋とか、そんな後日的な備忘録ではなくて、いまこの時に溢れる思いがただ僕の体を突き動かしていた。

 いつの日か、細くて冷たい手が僕の頬に触れたように、僕は諫花さんのほっぺたを撫でた。白玉を転がすようなきめやかな肌に、僕はたまらくなった。僕は諫花さんに触れた。諫花さんの過去の恋愛は知らないけれど、こんなに重い気持ちを抱いたのは僕だけなんじゃないか。諫花さんのなかで、僕という存在が増していくと思うと心の奥がズキンとして、大きな鼓動を打ち始めていく。


「あぁ、痛い。胸が痛いよ」


 頭が狂うほどの激しく胸を打つ痛みに、よりいっそう僕はおかしくなっていった。諫花さんの両手を抑える右手の力は強くなって、なにもかもがはち切れそうでたまらない。僕は僕のすべてを注ぐかのように、唇にキスをした。そして、二度と離さないと誓いながら、深く深く抱きしめた。


 いや!違う。これはあの日見た夢だった。

 天神湖のホテルに2人で泊まったあの日。

 ──────────────


「ふーん、天神湖ホテル殺人事件ね」


「はい、スタッフが客室清掃中に黒いゴミ袋に詰められた遺体を発見したようです」


「なるほどね。でもそれだと、その客室に泊まっていた客こそ犯人なんじゃないの」


「違うんですよ。その遺体こそがその客だったんです」


「それで事件の日付は7月10日、今日の日付は8月25日。ちょっと時間がかかりすぎね」


 諫花さんは首を傾げた。事実として、そのような事件は多くあって、多少の苦労はしても、逮捕ができないような未解決事件にはならない。なぜなら証拠というものが比較的に見つかりやすい犯行現場だから。


「佐藤くん、その担当ってだれ?」


「えーっと、パーク葛城さん?」


「パーク葛城?」


 諫花さんは顎に指をおいて、頭の中からその名前を思い出そうとしていたけど、なかなか思い出せないみたいだった。


「......パーク葛城ね。そんなひといたかしら。もしかして、水斗町(みのとちょう)の地方警官かしら。とにかく、私も捜査に参加すると伝えておいて」


「え、吾川事件はどうするんですか?」


「いいの、いいの。あれは。だってあれは宗教事件よ。今日明日の捜査で尻尾を掴めるもんじゃないの。それに気分転換にちょうどいいじゃない。やっぱり刑事たるもの、殺人事件が一番滾るわ」


 そういって諫花さんは自身が担当している大事件を放って、上腕二頭筋にちからを込めていた。殺人事件が滾るという言葉の重みにはちょっぴりと引いてしまったけど。


「それで、あんたも暇でしょ。そうね、明後日、視察はどう?田舎ホテルなら予約も取れるでしょ」


「またボケっとした顔した。毎日パソコンの前に座ってて大変じゃないの?警官たるもの、フィールドワークよ。とにかく明後日、祇園駅集合よ」


 諫花佐和子は去っていった。僕に明後日の約束をして。


 ──────────────


 視察といっても、警察官という正体は隠してだ。パーク葛城さんに連絡をしたんだけど、いまだに返信がない。そもそも他人の担当事件を無断で捜査するのはルール違反ということもあって、完全私服で警察手帳すら持ってくるのをやめた。ホテルの人にバレてもややこしくなるし。


 諫花さんは僕よりも先に祇園駅に着いていたみたい。黒と白で合わせた大人っぽい私服で、赤いハイヒールを履いている。山の中のホテルだというのに、ハイヒールって現場錯誤してるんじゃないのか。あと何より、黒いスカートの丈が短すぎるのが気になる。なんというか、なんというか。上手く言えないけど、諫花さんのイメージが変わるみたいな。ああ、今日はこの人のデートをするのかと思うと、結構ドキドキした。


「佐藤くんって、想像通りおバカさん系ね。だいたいカップルのデートという想定をして、どこの誰が白のワイシャツに、スラックスで来るの?仕事じゃないんだから」


「えー、ダメでしたか?あんまりデートしたことなくて」


「あんまりって。佐藤くん、そういう見栄をはらなくていいから。したことないなら、したことないでいいじゃない」


「諫花さん、バカにしないでください。僕だってありますよ。それをいうなら諫花さんこそ、おかしいですよ。山のホテルだっていうのに、そんなスカートにハイヒールって」


 諫花さんは僕の反論を聞いて、手を叩きながら大きく笑った。


「佐藤くんって馬鹿な女が好きでしょ?」


「え?」


「だいたい男ってのはプライドが高くって、自分を超える女とは付き合いたがらない。むしろ、自分をすごいすごいと褒めてくれるような女に惹かれるの」


「いや、そんなこと」


「そんなことある。これはね、統計で出てるの。分かる?山のホテルに行くというのに、錯誤的な服装でくる女。そして、それを『まったくかわいいやつめ』と思う彼氏。このコンセプトが分からなきゃ、刑事にはなれないわね」


「は、はぁ。」


「とにかく行くわよ。水斗町へ」


 水斗町は祇園町からみて、北東にある町である。行き方はいくつかあって、祇園町から夜城まで横断している山間鉄道で途中下車するか、神圖町までドリームトレインで海岸線を進んで、南寺駅から水斗駅を繋ぐ南水線で北上するか。今回は乗り換えがない山間鉄道を使って、水斗駅で降りることにした。


「えー、私、窓際族なんだけど」


「諫花さんは仕事ができますから、通路側を」


「私、景色見ないと酔うから」


「山間鉄道は景色良くないですから。むしろ、余計に酔いますよ」


 こんなふうに座席で一悶着して、僕は窓側、諫花さんは通路側になった。諫花さんは恨めしそうに、トイレに行きたくなってもとうせんぼするとか、なんとか言っている。僕だって、すっごく窓側がいいという訳ではない。別に通路側でも良かった。それに窓側特有のトイレに行くたびに隣の人に声をかけて、足を引いてもらうイベントはどうだろう。それが異性だったら?僕は別に諫花さんが頻尿で、10分おきにトイレに行ったとしても構わない。でも、諫花さんからしたら、すごく恥ずかしくて屈辱かもしれない。僕が寝ていたら起こすのに気が引けるだろう。通路側であれば、僕に気を使うことなくトイレに行ける。諫花さんは気付いてはいないだろうが、僕は実は思慮深い。ただ3時間の鉄道旅において、一度も彼女はトイレに行くことはなく、外の景色が変わる度に僕の前に身を乗り出して車窓から景色を眺めていた。これなら普通に窓側を譲ればよかった。僕がただのわがままな人間になっただけだった。


「いやー、しかし。きっついわね。はやくハイライン計画を進めてくれなきゃ困るわ」


 諫花さんは腰を叩きながら、そういった。山間鉄道は南部から上るよりも早い。ただ高低差があるし、何より座席も狭くてかたい。いまの韓文湛(ハン・ブンジン)政権はドリームトレインに匹敵する高速列車を、山間鉄道に通す計画を立てている。折衝に苦難していて、現実的な開通は15年後という。


「でも、楽しそうでしたね。ずっと景色を見て」


「だから、言ったのよ。私は窓側がいいって。なのにどこかのだれかさんが譲らなくて」


「すみませんね、どこかのだれかさんが!でも、安心してください。帰りはちゃんと窓側に座らせてあげますから」


「改過自新。ついに悔い改めたわね」


「なんですか。その四字熟語。聞いた事ないんですが」


「佐藤くん、勉強したほうがいいわ。私は知的な人が好きなの。いまのはあなたでは付き合えないわ」


 諫花さんは前髪を吹き上げながらそういった。


「そうですか。それなら諫花さんに釣り合うような男を目指しますよ」


 僕は諫花さんの手を握って、半ば冗談でそういった。ただ、あまりにも自分でとった突飛な行動が恥ずかしくて、諫花さんの顔を見ることはできなかった。もしかしたら、同じように顔を赤くしていたかもしれないし、いつものように軽くあしらって気にも止めていなかったかもしれない。


「そうね、そうするといい。でも、やっぱり総監ぐらいにならなきゃ釣り合わないじゃないの?」


「諫花さん、総監って。総監になった時にはもう50代ですよ。せめて副局長くらいじゃないですか?」


「副局長でも40代じゃない。まあ30代でなれたらすごいけどね。あの石川次長だけよ、30代でなったのは」


 僕は35歳で副局長になった。この時の約束は果たされた。しかし、その前に遠藤さんが30代で副局長に就任したために3人目となってしまった。でも、そんなことはどうでもいい。そんなことより僕たちの。


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