第8話 【回想】祇園町事件④
僕が配属された捜査管理局は、その名の通り、捜査を管理する仕事を担っている。例えば、犯人が逮捕されると捜査管理局に連絡が入って、捜査管理局は留置施設の斡旋をして、その後の司法手続きを進める。他にも事件が起きると刑事局に事件情報を提供して、捜査依頼を各刑事チームに割り振っていく。とにかく捜査管理局は、どんな事件で、どんな状態にあるのかを把握して、刑事に捜査を依頼する。そして刑事と捜査管理局は緊密に連携をとりながら事件解決を目指す。つまり、捜査管理局がブレインなら、刑事はソルジャーである。よってブレインが機能停止になれば、ソルジャーは動こうにも動けないのである。
──プルルルル
嫌な音がする。重い左手が義務感で受話器をとる。
「はい、捜査管理局です」
「佐藤か、早く資料を送ってくれ」
「すみません、それがまとまってなくて」
「もう、いいって。ナマでもいいから」
「いや、流石にナマは……」
ナマというのは、捜査管理局による校正がされていない資料。つまり真偽不明の証拠などが含まれた資料となる。重大事件になればなるほど、状況提供の数が多くなり、比例して偽情報も増える。冤罪や捜査ロスを防ぐためにも、裏取りのないナマ資料を捜査において扱うことは禁止されている。
「うるせえよ。だいたいお前が遅いんだろうが。こっちは犯人を追ってんだよ。お前のせいで犯人を捕まえられなかったら代わりに責任取ってくれんのかよ」
思わず左耳から受話器を話してしまうほどの怒号がいきなり響いた。でも刑事の怒りは正しかった。捜査というのは一分一秒の差で、結果が変わってしまうもので、資料を渡すのが遅れた場合には目の前にいる犯人を証拠不十分で逮捕に踏み切れないということもありうるからだ。
そして僕は禁忌を犯した。刑事の怒声に丸められて、ナマを渡してしまった。
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「刑事局のヤツら、また誤逮捕だってよ」
「遠藤に、諫花佐和子。せっかく優秀な刑事がいても、足手まといになる古株がいるんだから可哀想だよな。大野局長もそろそろ宇治山行きかな」
「”聖人、愚者に挫く”か。愚者はダストボックスに入れてさ、地方交番に飛ばせばいいのよ」
「愚者を聖人に仕立て上げようとするから、無理が出る。人間は生まれた時からステータスが決まっていて、それ以上のことはできないようになっている。優秀なポストには優秀な人を据えなきゃ仕事はできないんだよ」
「まあ俺たちも所詮K官だから、明日は我が身。笑えないね」
先輩たちは仕事を止めて、雑談に夢中だ。
「おっ、石川次長」
「おい、お前ら。後島はいるか?」
石川次長は少し怒った様子で、後島局長を探しに来た。
「いや、見てませんけど。どうかされましたか」
「誤逮捕の件なんだが、どうやら資料ミスらしい。お前ら、まさかナマ渡してねぇだろうな」
「まさか。ナマなんて渡すわけないでしょう」
先輩たちは慌てて、顔の前で手を振って否定した。
「そうか。おい、そこの新入り。お前も渡してないだろうな」
石川次長は怒りながら、そして先輩たちは当然否定するだろうという顔をしながら、僕に目を向けた。
「はい、ナマは渡していません」
嘘をついた。というか、つかされた。だって、あの次長を前に「すみません、渡しました」なんて、言えないだろ。でも、僕がこうして嘘をついたことがのちのち大きな問題になることは容易に想像がついた。それでも、僕はいまこの瞬間に怒られることを避けてしまった。
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後島局長は椅子にもたれて、抜け殻になっていた。あの後、結局、僕がナマを渡したことが発覚して、総監と次長、そして局長衆からひどい譴責を受けたらしい。長官もカンカンらしく、総監と次長、そして直接責任者である後島局長を呼びつけているらしい。
僕はというと怒られなかった。新入りであるから、ナマと校正済の資料の違いが分からなかったということにされたらしい。僕は怒られたくなかったが、怒られたかった。捜査管理局に流れる重苦しい雰囲気の原因は僕にあるが、誰ひとりとして僕を犯人だと責めようとはしない。どうせ、心の中では新入りのせいだと思っているにちがいないのに。むしろ、皆から怒られて、殴られて、大きな声で泣き喚いた方が許されて、気が楽になるんじゃないのか、そう思えるほどだった。
「あ、ナマボーイだ」
諫花佐和子が管理局やってきて、僕にそういった。
「やらかしちゃって、今頃沈んでいるころだと思って見に来たんだけど。思ったより元気そうね」
「いやー、......すみません」
僕は動悸を早めながら、そして声を絞り出すようにして謝った。諫花さんは吹き出すように笑って、僕の頬を両手で包んだ。
「私に謝られたって何もでないわよ。でもボコボコにされているかと思ったけど、顔も綺麗だし、腕も綺麗ね。良かったわね、管理局で。刑事局だったら、いや、恐ろしくて言えないわ」
「......」
「気にしないで大丈夫よ。ミスなんてみんなするんだから。A官だからってミスをしちゃいけないわけじゃない。だいたいA官なら、うるさい刑事には言い返せばいいのよ」
「でも......」
「ちなみに私は一度もミスしたことないけどね。あなたとは違うS官だから。なんというか、レベルが違うというか」
そういって諫花さんは嫌味のないさっぱりとした冗談をいって、僕を慰めてくれようとした。その思いは伝わってきたけど、上手く言葉がまとまらなくて喋り出せずにいた。
「......」
「何よ、あんた。もしかして、今後もそうやっていくつもり?」
「え?」
「だから、今後もそういう風にやっていくのかって聞いてんのよ」
「......いや」
「そうでしょ。総監になりたいんでしょ?じゃあ、今すべきことは決まってるじゃない」
総監になりたい。総監になりたかった。でも、今すべきこと?もう、僕はミスをした人間になったんだ。誰だってふいに嘘をついてしまうような部下を昇任させたいとは思わないだろう。
「みなさん、佐藤くんが言いたいことがあるそうです」
諫花さんは手を叩きながら、管理局内の視線を一点に集めた。
「おい、なんだなんだ。諫花劇場開幕か」
「なんで佐和子がいんのよ」
管理局内は諫花佐和子の存在にガヤガヤしだして、遠くから集まってくるひともいた。
「静かに!佐藤くんが言いたいことがあるそうです」
そういって諫花さんは僕に目配せをした。言いたいこと?そんなものなかった。あるとすれば、もう僕はこの仕事に向いていないという報告とか、もう僕には期待しないでくださいとか。僕がいまから信頼を取り戻すことはできないし、いつまで経ってもナマ資料を渡した、そして嘘をついた、"嘘ナマボーイ"からは逃れられないのだ。
皆に注目されて、何か言わないといけないのに、そんなことばっかりが頭をめぐって、体が熱く火照るようだった。そんなときに僕の頭は下がった。隣にいた諫花さんが僕の頭をむりやり下げたのだ。そして、僕はまるでスイッチを押されたかのようにこういった。
「すみませんでした」
そして、その言葉を言った瞬間に顔が歪んできて、涙が溢れてたまらなくなった。床がカーペットで良かった。タイルだったら、目の前に水溜まりができて恥ずかしかっただろう。
気が付くと諫花さんも隣で頭を下げていた。
「刑事局からむりやりナマ資料を求めたみたいで。私からも謝ります」
こうして僕たちは2人で頭を下げた。
「いやいや、2人とも頭をあげて。君たちが頭を下げて謝る必要はないよ。刑事局と管理局の責任はそれぞれの局長にあるんだから。諫花さんもありがとうね、わざわざ。うちのウルウルボーイのために」
後島局長はそういって、僕の赤くなった涙袋を人差し指で押した。すると押し出されるように涙が溢れた。それをみて、局内は大きな笑いにつつまれた。僕はすっかり恥ずかしくなって、目だけじゃなく、顔や耳まで真っ赤にした。
「じゃっ、みなさん。ウルウルナマボーイのことを頼みましたよ」
諫花さんがそういうと、みんなは笑いながら自席へ戻っていった。諫花さんはみんなが戻って仕事を始めるのを確認して、僕の耳元で「良かったね」と呟いた。そして、僕がお礼をいう前に立ち去っていった。
僕が自分の席へ戻ると、先輩がなにか聞きたげな様子で椅子を転がしてきた。
「佐藤、お前。諫花佐和子と繋がりあんの?」
「いや、」
「お前、すごいな。もしかしてコレ?」
先輩は小指を立ててきたが、そんなはずはない。普通に、否定した。でも、もしかしたら、そういう未来もあるのかもしれないと思えた。そして、僕はこの恩を忘れないと誓った。たとえ、2人の道がいつの日か交わって、どちらか1人しか進めない一本道が現れたとしても。




