第7話 【回想】祇園町事件③
「えっと、携帯は持ったし、代理証も持った」
黒革の鞄の中身を再度確認していると、奴が現れた。
「いやー、すまないな。諫花氏よ」
「誰かと思えば」
諫花は顔色をすっと変えて、頬を膨らました。
「署長職も嫌だけど、局長職はもっと嫌。そもそも祇園町の署長が、夜城まで行くって意味不明でしょう」
「諫花さん、もう決まったことだ。今更グチグチいうべきじゃない。それに依頼者は君の目の前にいる」
「正確には”決められた”ですけどね」
「諫花くんは相変わらずデブ症だね。だから太る!!局長職だのなんだのって、いずれ総監になるつもりなんだろう?じゃあ這いずり回って顔でも売っておけばいい。あの総監でさえ、若いうちはヘコヘコして裸でお酌してたんだから」
「旧態依然の古家屋にはなりたくないですがね。遠藤さんだってそのクチでしょう?」
「っバカ言え。俺は正規ルートを短縮で進んだチート男だ。お前が、その年齢で署長になれたのも俺という前例があってこそだ」
「チー男パイセン……」
「諫花、その呼び名だけはやめろ。俺の輝かしい経歴に傷がつく」
遠藤はその呼び名に一定の不快感を見せた後で、胸ポケットからチケットを取り出した。
「ドリームトレイン、夢の国行きだ」
「先輩、もうチケット買ってますよ。しかもハイラインの!!」
鞄の中からチケットを取りだして、遠藤にみせつけると、遠藤は目を大きくした。
「お前、夜城に行くだけでハイライン買うのか。やっぱ独身貴族のリッチウーマンは違うわ」
遠藤はそう吐き捨てて、格好つけて出した乗車券を胸ポケットに戻して、トボトボと歩いて去っていった。
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「諫花署長、聞きましたよ。夜城に高速鉄道で行くらしいですね」
署長代理として、本部からやってきた佐藤がそういった。
「何よ。文句あんの?高速鉄道の方が速いんだからいいじゃない」
「そうですか?ハイラインは高低差があるし、トンネルばっかりだし、たまに猪がぶつかるし……。それなら海岸線を走るドリームトレインの方がいいですよ、景色も綺麗だし」
「ドリームトレインは人間がぶつかるじゃない」
「署長、嫌なジョークはやめましょう。そんなことより、あれ買ってきてくださいよ。双盧の米まんじゅう」
「きちんと留守番できたらね」
佐藤は『はい』と小さく返事をして、敬礼をした。30代も半ば過ぎた男女がそのようなことをしているのだから恥ずかしい。
「まあ、大きな問題はないと思うけど。強いていうなら本川邸で心臓部大統領が大規模パーティーをするそうよ。極秘とかなんとかで、警備の依頼は入ってないみたいだけど。念の為、夜7時ごろから薄く警備を敷いておいてもらえるかしら」
「はい。でも、遠藤局長も参加されますし、他の局長や次長、総監も出席されますよ」
「ダメよ。幹部衆も参加するけど、護衛としてではなく客人よ。酒気帯びで警備なんて様にならない。必ず本川邸に連絡して、警備を敷いておいて。バレた時の責任は私が取るから。ね、分かった?」
佐藤は小さい頭をコクリとした。
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諫花は夜城へ式典出席のため旅立った。警察基本法では、署長はいかなる時もその席を空けてはならず、やむなく席を空ける場合には必ず代理を置かなければならないとされている。よって諫花が出張で、たった2日間の不在となる場合においてもその法律が適用される。ただその法律は特段難しいわけではない。なぜなら、副署長という役職があって、署長不在時には上位権限がそのまま引き継がれて代理を務めるからである。
ただし、今回は例外だった。現副署長は45歳にて、初の子供を授かり、絶賛育児休暇中だからである。副署長にも代理はいるが、署長の代理をするには、荷が重い。であるなら、同位、もしくは上位による代理が望ましい。よって、遠藤は捜査管理局の副局長である佐藤を指名したのである。佐藤も将来が期待視される若手幹部候補であって、その実力は申し分ない。
佐藤は祇園署署長の椅子に腰をかけた。高級ブランド”イプシー”の椅子だからか包み込まれるような安定感があっていい。
「あー、いいなあ。この椅子。諫花さん、退けてくれないかな」と無邪気な声で独り言を言う。
誰しもが祇園署の署長の座を喉から手が出るほど欲しい玉座だと喩える。それはなぜか。本部は国に散らばる警察組織の全体的な統制を図る組織であるのに対し、祇園署は祇園町を管轄する警察組織である。この国の政治中枢の根幹である祇園町、そんな地域を管轄している祇園署が普通であるはずもなかった。よって祇園署の署長は幹部に匹敵する権限と地位を有しているのである。
そんな誰もが羨むポストに30代の女性が就任したのである、同世代の佐藤にとっては意識をしたくなくとも、してしまう。しかも佐藤が諫花にひどく劣っている訳ではない。佐藤は能力試験において、S官の次点であるA官を獲得して入庁した。A官ですら年に1人いるか、いないかの高記録でエリート街道まっしぐらのはずだが、あいにく入庁の2年前に20年ぶりのS官が誕生したのだから、間が悪かった。それでも佐藤は諫花に負けまいとキャリアアップを積んできた。あの石川総監は捜査管理局の副局長を経て、局長に昇任、その後は次長、総監というルートを歩んだ。そして佐藤は総監を追うようにポスト幹部枠である捜査管理局の副局長に昇任を果たした。副局長に30代で就任したのは史上2人しかいなかった。37歳で捜査管理局副局長に就任した石川初雄(現総監)と33歳で刑事局副局長に就任した遠藤清貴(現国際捜査局局長)だけだった。そこに3人目として佐藤が加わったのだから、記録的な名誉である……はずだった。だが、そのニュースは諫花が祇園署署長になるという大ニュースによってかき消された。
佐藤の警察官人生は主役を殺す女優”諫花佐和子”によって、端役に追いやられたと言っても過言ではない。そして、そんな諫花は刑事として数多くの難事件を解決に導き、史上最年少で祇園署署長に就任、そして別所と遠藤という誰もが羨む幹部の後ろ盾を持っている。佐藤が諫花に対して嫉妬に似た複雑な感情を抱くのも当然と言えた。
それでも佐藤はその感情を吐き出して、諫花を不遇に追い込んだり、裏で陰口を叩くようなことはしなかった。
佐藤は壁掛けの丸時計に目をやった。短針は2を、長針は12を指している。
「あ、もう14時か。そろそろ連絡しないとな。警備局の内線は……」
佐藤は番号表をみて、内線をかけようとしていたのだが、急に話しかけられて手が止まった。
「佐藤副局長、お疲れですか?」
「ああ、町田さんか。いやいや、昨日ちょっと眠れなくって」
事務員の町田真知子はその言葉を聞くと、給湯室に向かってゴソゴソしていた。しばらく見ていると、ゆっくりソーサーとカップを持って、小さい歩幅で向かってきた。あまりの慎重さに、佐藤は電話をかけるのも止めて、ずっと見ていた。そして、机の上にそっと置いた。
「カモミールティーです。リラックス効果があって、私も眠れない時はよく飲むんです」
「ああ、すまない」
そういって、佐藤は口にすると目を開いた。
「この紅茶、美味しいね」
「でしょう。お気に入りなんです。でも、紅茶じゃなくって、ハーブティーなんです。だからカフェインも少なくて」
「そっか。ごめんごめん。ハーブティーか。しかし、美味しい。」
佐藤は美味しいと何度も言って、飲み干した。
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「さとうふみやくんね」
期待の星であり、嫉妬の的になっていた諫花佐和子。この国で警察官になって知らないものはいない。そんな彼女が目の前にいて、僕の名札を手に取って、そう言った。新人は簡単な自己紹介を書いた名札を胸にぶら下げておくのが、慣例となっている。名札の裏までじっくりと読み込む彼女への目のやり場に困って、仕方なく彼女の顔へ視線を置いた。眉毛は薄く生え揃っていて茶色で細く描かれている。目は幅の狭い平行二重に目尻にかけて多くなるまつ毛。小鼻は小さくて、鼻筋は化粧によって際立っている。案外、美人だと、そう思った。何しろ、名前だけ広がっていて、男にも負けないような屈強系を想像していたから。
「私は刑事局で刑事をしている諫花佐和子です」
「……知っています」
みんなが存在を知っているであろう諫花佐和子が、わざわざ自己紹介をしてみせるのが面白かった。自分のネームバリューに気づいていないのだろうか、だとしたら刑事には相応しくないほどの鈍感さじゃないか。
「あ、知ってくれている系の子か。それで捜査管理局に配属でしょ。聞いたわよ。後島局長から、今年の新入りはええ感じだって」
「え?」
「だから”エー感じ”よ」
彼女はダブルクォーテーションをつけるかのように強調してくれたが、それでもわからず、何も答えられなかった。
「佐藤くんもまだまだね。後島局長はギャガーよ。それも生粋のオヤジね」
彼女とは文化が違うのか、同じ言語なのに理解ができなかった。
「もしかして、帰国子女かしら。え?じゃないの、じゃあなんでわかんないのよ」
それから諫花さんにはしばし怒られた。”えー感じ”というのは僕の称号であるA官をもじったものであるということ、僕の上司である後島局長は生粋の親父ギャグ好きであるということ、そして諫花佐和子は面白い人であるということがわかった。




