第4話 BBポイズン
「はーい」
網浜がドアをノックすると、茶髪の青年であり先輩である秋吉が出てきた。網浜は出てきた秋吉の袖をひっぱり、靴下のまま外へと出し、ドアを閉めた。
「秋吉さん。やばいですよ、あのおばあさん。祇園町事件のニクコですよ」
秋吉は網浜のその言葉を聞いて笑った。
「リサリサ、あのおばあさんはそんなひとじゃない」
「そんなひとじゃないって、さっき会ったばかりなのに何をほだされているんだか。とにかく危険です」
「ちょっと落ち着けって。実際に部屋の中が荒らされていたんだ。足痕も大きくて男性だと思われるし、おばあさんの自作自演だと考えるには少々無理がある。せっかく来たんだから現場検証をしようよ」
秋吉はドアを開けて、網浜の右手を掴んで、無理やりアパートの中に入れた。秋吉の左手にまだ結婚指輪が光っていたことに網浜は今さら気がついた。
部屋に入ると季節外れのコタツがあって、あの老婆は穏やかな顔をしてコタツに座りながら現場検証の様子を眺めている。
「しかし、汚いわね。テレビ特集並みね」
平気で呟いた網浜の言葉を注意しようとした秋吉だったが、先に老婆が応えた。
「来たか。事務員。わしは呼んでないんじゃがのう。まあ、良い。犯人を見つけてくれるんだったら、文句は言わん」
「おばあちゃん、知ってるのよ。私は」
網浜は老婆を牽制するように含みを持たせた返答をした。老婆は口角を微かにあげながら、優しい視線を網浜に向けた。
「そうかそうか。ただの事務員ではなかったか。とにかく頼むじょ」
老婆は焦る素振りもみせずに、ただ語尾を崩してみせた。
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「うーん、ないっすね」
「そりゃあそうよ。だってこんなゴミ屋敷なんて本当に荒らされているのか、分からないじゃない。猫かイタチかハクビシンか、そういう系の動物に荒らされただけよ。足痕なんて間違えて入っちゃっただけかもしれないしね。そもそも、あのおばあさんだって、どんな古狸かわからない」
網浜はふたたびゴミ屋敷であること、そしてこの荒らし自体が虚偽ではないかという疑念を発する。秋吉と佐々木も数時間探してみたものの、全く手がかりが見つからなかったことから諦めかけていた。
「おばあさん、すみません。やっぱり犯人を突き止められるような証拠はないですね」
秋吉が申し訳なさそうにいうと、老婆は予想に反してあっけらかんとしていた。そして老婆は手を合わせながら、こう言った。
「うん、構わん。探してくれたという心意気だけでありがたいよ」
「いやー、おばあちゃん。ごめんね。これ以上、探すとなると交番じゃなくて、刑事の仕事になっちゃうから。もし探したかったら警察に通報してね」
「いやいや、もういいよ。あ、そうじゃ。隣のじいさんから牡蠣を貰ったんじゃ。焼いて食べんか?」
そういった老婆は汚れた小さな冷蔵庫からポリ袋を出した。中には牡蠣が入っている。
「うぉー、美味しそう。おばあちゃん知ってたんですか。僕が牡蠣には目がないことを!!」
佐々木は好物の牡蠣を前にテンションをあげていて、老婆が指さす先にある七輪を持ち上げて、焼く準備を始めている。
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(うーん、なんだか怪しいのよね。295人を殺した真犯人。現場には証拠のひとつもない、足のつかない完全犯罪。このデジタル社会において、そんなことは可能なんだろうか)
「うぉー、おばあちゃん、焼けてきたね」
(七輪は牡蠣を焼いている。窓は空いている。一酸化炭素中毒が目的ではない。では、どういう意図で牡蠣を焼いている?)
「焼けてきたの。熱いうちに食べなさい」
そういって老婆は上の殻の外していく。佐々木は今にも唾液が溢れそうな様子を見つめている。
「先輩は牡蠣好きですか?」
「いや、あんまり。実は昔、あたったことがあって。いまだにトラウマなんだよね」
「安心せえ。この牡蠣はな近海で取れたもので、牡蠣毒はないわい」
(牡蠣毒……まさか。牡蠣毒に偽装して、本物の毒を盛る気じゃないの。男を殺す女、果たしてその真意は。女を殺さないのか、殺したくないのか。おばあさんは私が家に来ることを嫌がっていた、つまり私がいると不都合が生じるってこと。私が毒入りの牡蠣を食べようとしたら?おばあさんはどうする?)
「美味しそうな牡蠣ね。私もいただいていいかしら」
網浜はわざとらしい演技をして、老婆の反応を窺った。
「そうか、そうか。やっぱり食べたいか。構わんよ。たくさんあるんでな」
「ありがと。おばあちゃんは優しいわね」
(おかしい。この牡蠣に仕掛けがないはずがない。大人3人を老婆が殺すには、毒物しかないというのに)
「先輩、食べてくださいよー」
佐々木はタプタプに膨らんだ牡蠣を箸で摘んで、秋吉の口へと運ぶ。秋吉も仕方なさそうに口を開けて。牡蠣を食べた。
(秋吉さんが食べた。これで私だけじゃなく、佐々木くんも秋吉さんも食べた。本当に毒入りなら、私たちは死ぬ。ねえ、おばあさんは食べた?もう、こうなったら道連れよ)
「おばあちゃんも食べてよ。はい、あーん」
網浜はお得意のリサリサスマイルで老婆に牡蠣を食べさせた。老婆は少し戸惑いながらも口にした。
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チャリリリン、黄色みがかかったピンクの古い置き電話が鳴る。
「はい、諫花です」
「諫花所長か。元気にしてるのか」
古い電話は少し雑音を混ぜて聴こえるようになっている。やさしく低く落ち着いた声質を強調させるようだった。
「ええ。おかげさまで」
「いやいや、諫花みたいな人材が、交番所長だなんて。つくづく損失だよ」
「あはは。別所さんすみません。気を遣わせてしまって。それで別所さんともあろう方がなぜ?」
「いやね。祇園町事件のことだよ。被害者295人の多くが死体がいまだに見つかっていない。死体が見つかったのは43人だけ。それでだよ。43人の全ての死体から微量の毒が検出されたんだ。微量も微量でね、普通の検死段階では見つけられなくて、科学技術研究局のリアル局長に検死を依頼したらしい。そしたら、わずかに残る毒素が発見された」
「毒……確かにあの日は心臓部大統領主催のパーティーで」
「そうなんだよ。あの日の料理に盛られた可能性が高いと見ている。行方不明の死体がどこに行ったのかは、いまだ不明だが、死因さえわかれば徐々に解き明かされる気がするんだ」
「別所さん、でもどうして私に?今はただの交番勤務ですから」
「そうかそうか。それをいうなら俺だってそうだ。でも、気にしてるんだろ。祇園町事件のこと。警察組織最大の失態を」
「いえ。過ぎたことです」
「過ぎたこと?それは本気か。いや、本当にそう思えているんだったらいいんだ。だけどよ、あの時お前は」
「やめてください。もう今更、誰もそんな言い訳聞きたくないでしょう。それに責任がないとは言い切れませんから」
「すまなかったな……諫花」
別所は諫花への謝罪を口にして、受話器を下ろした。




