第22話 鉄砲百合
金髪の男が口を開く。
「もう一度だけ言う。発現者がいるなら付いてこい」
その口ぶりは、自ら手で人を殺したばかりとは思えないほど、落ち着いていた。誰かからの命令ではなく、定めが彼らを動かしているように思えた。
初めてその単語を聞いた秋吉と佐々木は眉を寄せて、首を傾げた。知らない言葉の意味は曖昧な形を持っていて、脳に異物としてひっかかる。
「......なんだ、その。発現者とやらは」
秋吉が問う。それは敵意や怒りではなく、純粋な理解への欲求。金髪の男は冷めた目を向けた。
「発現者とは発現した者だ。それ以上は言えないし、言わない」
淡々と。まるでそれが"決められた返答"であるかのように。そして、どこか呆れているようにもみえた。
包帯の男がかすかに首を動かす。意思表示なのか、ただ風になびいた布の揺れなのか、わからない。ただ、判断を間違えた時点で殺される気がした。
「発現者が何なのか分からないのに、どうして付いていけるんですか」
佐々木の声は震えていたわけではない。むしろ、声に出した疑問には、胸の奥の焦燥が乗っていた。答えのない問いは空気に浮かんだまま、時間の流れを遅くした。
金髪の男はわずかに目を細める。声を出さず、ただ視線だけで答えを返す。その冷たさは、人間の感情とは別次元にある。存在しているだけで、全て掌握されているかのような気持ちになった。そして、やはり金髪の男は答える気などなかった。
「......」
「......」
「......」
「......リザ」
沈黙を破ったのは包帯の男だった。
「利口な発現者がいたら、既にこの手中にいる。未だ現れぬとは余程愚鈍な者だろう」
包帯の男は金髪の男をリザと呼んだ。そして、限界を知らせるかのように伝えた。
金髪の男はぷッと吹き出して、笑った。西の国のような整った顔の造形に、犬歯が光った。佐々木はその瞬間、ドキリとした。秋吉に野性味と悪味を足して、仕上げにチーズをふりかけたような顔だ。ときめいた。こんなときまで、ときめいた。恐怖で凍りついているはずなのに、こんなときまで胸がちくりと熱くなる。本当に情けない、ふざけた心だ。
「イヴァン、ここまで来て後退か。これじゃあ俺たちただの人殺しじゃねぇかよ。おふたりさんよ、俺たちを見逃してくれるか?それなら俺たちはお前らの命まで盗りはしない」
空気が軽くなった。金髪の男が緊張を解いたからだった。秋吉と佐々木はホッとした。人外と対面しているような気分だったが、すっかりと緩んで拳銃を下ろした。手のひらの汗が、少しだけ乾いた。緊張が抜けたかと思うと、胸の奥がまだざわつく。全身の神経まで解くことはできなかった。
「まあまあ、そう気張らないでくれ。俺たちだって、殺そうと思ってきていない」
金髪の男は殺意を否定した。
「......わかった。お前らを見逃す。そして、ここにはお目当ての発現者とやらはいないだろう。なにより他の警察官に来られちゃお前らを逃がせられない。すまないが、早く去って貰えないか」
秋吉は深く息を吐いて、拳銃の重みを完全に降ろしながら答えた。被害はもう充分だ。ここで更に火を注ぐわけにはいかない。目の前の彼らが何者であれ、今必要なのは死者を増やさないことだと、判断した。
「――わかった。去ろう」
言葉は短く、冷たくはなかった。空気は再び動き、周囲の人々が細く安堵の息を漏らす。誰かがすすり泣く音。粉塵で汚れた床に、小さな足跡が点々と残る。
壁に向かって、金髪の男と包帯の男が歩いていく。金髪の男は小さな声で話しかける。
「ビンビンなんだろ?」
「ああ、当たり前だ。神経が痛む。ここに発現者がいる。逃がすには惜しいが、もう少し育ててから回収するとしよう」
二人は機が熟すのを待つことを選び、退くことにした。その決定はただの気分によるものだった。
「お、おい!!」
しかし、10歳ぐらいの男の子が呼び止めた。二人は足を止めて、振り返る。
――スッ
空をナイフが切った。軌道は金髪の男に向けられていた。音は細く、弱々しかった。だが、その刃先は確かに、金髪の男の頬へ届いた。
白い頬に浅い線がついた。赤が、一本だけ滑り落ちる。血だ。周りから低いどよめきが漏れる。誰かの息が詰まる音。
金髪の男の口元が、わずかに歪む。笑みか、驚きか、それとも両方か。指で静かに頬の血をそっと拭った。指先に赤がつく。
「いいね」
声は、にやりと含みをもっていた。世界は再び静まる。男の子を見る視線が一斉に集まった。男の子は、息を切らしながらも前へ一歩出る。震える手を握りしめ、瞳には諦めでも恐怖でもない、何か尖った意志が宿っている。
「おまえ――名を名乗れ」
金髪の男の声は穏やかだが、そこに命令の温度が混じる。包帯の男が静かに足を動かす。戦闘体勢をとるようで、場の空気が再び締まる。
男の子の肩が小さく震え、そこから波紋のように空気が広がる。温度が、少し下がる。息が白くなるほどではないが、周囲の息づかいがふっと吸い込まれる。蛍光灯のちらつきが、同時に音を消すかのように弱まる
「......あ、あれが発現か?」
誰もがその変化に気づいた。温度が、音が、時間の流れが少しだけずれるような感覚。
「名は?」
金髪の男はもう一度尋ねた。
「――カナタ」
男の子の声は震えていた。しかし確かだった。誰しもが恐怖に押し負けるなか、唯一正面から立ち向かったのだ。
「そうか。いい名前だ。一生大事にしろよ」
男の子の坊主頭を撫でた。それはまるで昔の自分に重ねているようにもみえた。優しい目つきをしていた。
金髪の男はしばらくポケットのなかを探したあと、自身の指を確認する。
「し、しまった。低級しかない。イヴァンいけるか?」
「こんな状況で貧乏性を出すな。お前が死んだら、爆葬にしてやろう。墓代が勿体ない」
包帯の男は指を鳴らしながら、フツフツと怒りをみせた。そして、すーっと息を吸って、囁いた。
「サルヴォ」
どこからか、ガトリングガンが現れた。
「ではな。病院で生きるなど不便だったろうに、このように尋ねて、すまなかった。皆の今までの人生に限りない祝福を送って、送辞とさせてくれないだろうか」
皆がその光景に息を飲んだ。間もなく弾丸は放たれた。ガトリングの咆哮が空気を割り、身体を震わせる。轟音は耳鳴りとなって残り、粉塵が一瞬で舞い上がって視界をさえぎった。光が瞬き、蛍光灯の光が千切れてちらつく。空気の密度が一度に変わった。
叫びは一瞬で生まれ、また消えた。声は割れて断片となり、石膏の壁に吸い込まれていく。人の動きが途絶え、足音が床に落ちるように止まる。身体が床に伏す音、倒れ込む布の擦れる音、誰かの小さな息遣いが遠くで断ち切られるのが聞こえた。聞こえたはずだが、轟音の余韻がそれらを溶かしてしまう。
視界のなかで誰かの手が虚ろに伸び、そして力なく垂れる。秋吉は膝を折り、床へ崩れ落ちた。肺が痛い。耳鳴りが高まり、世界は遠景のように薄れていく。佐々木は口を開けたまま、ただ硬直している。指先に何かが冷たく触れた感触があったが、それが何なのか確かめる余裕はない。
止まない閃光は、確実に生命を食んだ。秋吉は煙のなかに、意識を失っていった。これが最期の光景となった。
「生命は尊いが、我々の目的も尊いのでな。人生の最後で、ここでの犠牲は必要なものであったと神が囁いてくださるだろう」
「しかし、酷いな。やはり暴力は美しくない」
二人はくすくすと笑った。静まり返ったホールにこだました。それらが崩れた時間の隙間を埋めていた。
――そして、二人は壁の外へ消えた。




