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イフパターン  作者: 其嶋真由
ポートシティ編

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第21話 黒い孔

 

 3人は入口から飛び込み、階段を目指した。

 しかし、その階段は逆流するように人波で埋め尽くされていた。


 患者、看護師、医師。泣き声と怒号、張り裂けそうな悲鳴が混ざる。腕を掴む者、肩を押し退ける者、崩れ落ちる老人――誰もが下へ、下へと殺到している。


 この状況で上を目指すことなど不可能だった。


「......クソッ!これじゃ登れねえ」


 奥歯がギリっと音を立てた。流れる群衆に押し返され、3人はロビーへ退いた。


 天井では非常灯が赤く点滅し、電子音が鳴り続けている。焦げた匂いが混じり、空気は薄い。肺に入る酸素が重く、喉を締め付ける。


「どこか……別のルートは」


 秋吉が必死に視線を走らせる。

 病院案内図が壁にかかっている。だが、焦燥と喧騒に動揺しているのか、目が滑って焦点が定まらない。文字がノイズとなり、意味を提示してこない。


 思わず、案内図をドンと叩いた。

 薄いアクリル板が振動し、鈍い反響が返る。


 そのとき、網浜がガラスの向こう、外を指した。


「外よ。外付けの非常階段は?」


 網浜の声はかすかに震えていた。しかし、状況に呑まれていない、冷静さがそこにあった。


 佐々木と秋吉は目を合わせて――頷く。


「......行くぞ」


 入口にごった返す人々を掻い潜って外に出ると、涼しい風が頬をかすめ、焼け焦げた匂いをわずかに薄めた。


 病院の外壁に沿う鉄製の階段が、見えた。

 上階へと延び、その先に煙が漂っている。


「よし、迂回するぞ」


 秋吉の声に、ふたりがしっかりと頷く。

 3人の足音がアスファルトを叩いて走り出す。

 その足音に、焦燥と覚悟が同時に滲んでいた。


 3人は必死に駆け上がった。鉄製の階段は揺れる。何とか足場を確かめながら一歩ずつ上がる。


 しかし――


「……嘘だろ」


 佐々木が声を漏らして笑った。


 そこにも、人の波があった。

 白衣の医師。患者服の男女。点滴を引きずる者。下へと殺到する群衆が階段をぎしぎしと揺らす。


 金属が悲鳴のように鳴る。誰かが踏み外し、別の誰かを巻き込んで転がり落ちた。その衝撃で手すりが鈍く揺れ、大きく軋む。


「やめろっ、押すな!」

「痛っ、やめ――」

「たすけて!」


 声が空気に浮かぶ。中からも、外からも、人が溢れてくる。まるで建物自体が人間を吐き出しているかのようだった。


 秋吉は拳を握り、歯を食いしばる。


「ここも……ダメか」


 風が制服を叩く。隙間から上を仰いでも、煙と人影が蠢くだけ。混乱は階段全体に波のように走り、上る隙間などどこにもない。


 階段に行き詰まり、絶望的な混乱に押し潰されそうになった3人の目に、2階の壁に空いた大きな孔が飛び込んできた。粉塵に霞んだその孔は、外の光を取り込み、まるで入口かのように彼らを誘っていた。


「……ちょっと待ってて」


 網浜はそう言って、カバンから縄梯子を取り出すと、地面にしっかりと足をつけて構える。壁の穴を見上げ、縄を投げかける角度を調整する。


「よし……いくわよ」


 縄梯子を一振り、壁の穴に向かって投げる。縄は宙を描き、孔の縁に絡みついた。網浜が梯子を引っ張る。しっかり固定されたようで、揺れも少ない。


「......ここから行くしかないか」


 苦笑いしながら、秋吉と佐々木は体を伸ばした。


 最初に佐々木が足をかける。木製の踏み板に靴底が滑り、思わず「うおっ」と声を出す。秋吉がすぐに手を添えて支える。慎重に縄を握り、息を殺して一歩ずつ上へと進む。


「……やっぱり漫画みたいだな」


 秋吉が小声で呟き、緊張を紛らわせる。しかし、顔の強張りは消えない。足元を踏み外せば、無傷じゃすまないのは確実だ。上を見上げる。大きな壁の孔が、二人を待ち構えている。


「……もう少しだ」


 息を殺し、互いの呼吸だけが聞こえる。


 孔の縁に手をかけて、壁の内側を覗いた。二つの影が揺れていた。光に照らされた瞳はこちらに気づいている。


 金髪の男は長身で、瞳が冷たく光っている。包帯の男は風に揺れる包帯の隙間から、赤い色を滲ませていた。二人は秋吉と佐々木が登るのを待っていたかのように静かに立っていた。


「お前らは警官か?」


 金髪の男の声は威圧感を帯びていた。人間ではない。どこか獣のような恐怖は背中に寒気を走らせた。


 その瞬間、老人の声が割り込んだ。


「......お、お巡りさん。あいつらが爆発させたんじゃ!」


 告げた瞬間――パンッ


 銃声が鳴った。金髪の男は言葉を待たず、即座に拳銃を放っていた。その音は二階の空気を穿って、火薬の匂いとともに緊張を頂点まで押し上げた。老人はもう絶命しきっていた。


 悲鳴が辺りにあふれる。秋吉と佐々木は咄嗟に体を低くし、視界の端に飛び散る破片と煙を感じていた。金髪の男はなおも発砲を続けるが、的を狙うというより、恐怖そのものを撒き散らすかのように銃を放っていた。


 その時、少年は座り込んでいた。それは恐怖からではない。激しい頭痛が襲っていた。頭に一本の針を刺して、その穴を中から思い切り裂かれるような痛みだ。

 また、拍動する心臓の存在も強く感じる。熱い血が全身に送られている。満ちている。心の底に溜まっていき、深層心理のすべての扉が潮位を高めた血潮に濡れていく。


 心理の最奥、黒く塗りつぶされた部屋。開かずの鎖鍵の部屋。そのなかから誰かが、呼んでいる――。


 少年は"それ"に意識を引っ張られていた。


「っ......!!」


 金髪の男が放った恐怖は着弾した。壁に当たり、跳ね返った弾丸は綺麗な弾道を描き、少年の頭のなかで破裂した。それは、まるで少年が引き付けたようにも思えた。


「少年!」


 佐々木は瞬時に駆け寄る。片膝をつき、肩と背中を支えながら声をかける。


「大丈夫か!?しっかりしろ!?」


 少年の側頭部から血が流れている。少年は、目をわずかに開け、佐々木を見た。そして意識を失った。佐々木にしがみついた少年の最期の力は徐々に弱くなっていく。血がじきに冷え、鼓動はすでに止まったように感じられた。


 そこへ小太りのおじさんが駆け寄ってきた。


「この子は僕に任せてくれ!」


「代わりに.....あいつを、任せる」


 佐々木の視線が瞬間的に迷う。しかし小太りのおじさんは迷わず少年を抱え上げた。少年の体が腕の中で揺れる。おじさんのワイシャツの二の腕には血がじわりと滲んでいく。


「しっかりしろ……大丈夫だ、落ち着け……」


 冷えていく少年に数度の体温を与えようと、大きく包み込む。必死に声をかけている。しかし、状況はあまりにも絶望的で、誰もそれを否定できなかった。


 佐々木は視線を金髪の男と包帯の男に戻した。

 そして、腰の拳銃が冷たく震える。


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