第15話 BBリターン
「うまっ!」
火が通り、殻が開くと、すぐさま口に放り込まれる。
ゴミ屋敷の一室では、絶賛牡蠣パーティが行われていた。ゆっくりと近海で成長し、白く豊満に膨らんだ身は濃厚な旨味を蓄えていた。本当に美味しいものは場所を選ばない。不衛生という要素など美食の前では取るに足らないことだった。
あれだけ疑っていた網浜も、何も起こらないことを確認すると、挽回するかのように牡蠣を食べた。いや、本当は毒が盛られていたとしても、自分には毒入りが当たらない自信があった。祇園町事件は295人にも及ぶ被害者を出した。にも関わらず、女性の被害者は一人もいない。男社会とはいえ、女性の出席者もいた。その中で、ピンポイントで男のみを選ぶというのは、なんらかの力が働かない限り、普通の考えでは不可能だった。
網浜は自身の中で、ある答えを出していた。それは超能力。人間の常識から逸脱した力、特定の人物にのみ与えられた奇跡的な幸運。石器時代から発展し、科学文明によって成り立つこの時代において、そのような小説的な空想を抱くことはあまりにも恥ずかしいことだったが、異常事件の真相を明かすにはそのような方程式を当てはめる以外に説明がつかなかった。
そして、ニクコは女を殺さない。超能力を持っていて、男しか殺さない主義であるならば、女に毒を盛らないことなど容易に違いない。そのような判断の上で牡蠣を食べることにした。
(ってのは、私の妄想なんだけど、さっきはちょっとでしゃばり過ぎたかしら)
網浜は先ほど、痛み分けのように牡蠣を無理やりおばあさんに食べさせたことを後悔していた。その時は牡蠣に毒を直接盛ったと思っていた。しかし、超能力説が本当だとするならば、墓穴を掘ったと思った。自分がさも名探偵で全てお見通しかのような行動は、おばあさんを刺激するには十分だっただろう。いくら男しか殺していないとはいえ、本当に女を殺さないという確証はどこにもない。網浜はチラリとおばあさんに目を向けると、おばあさんはずっと先にこちらを見つめていた。背中の皮膚を切り裂かれたと勘違いするほど、静かで鋭い寒気が下から上に走った。
「皆さん、最後の一個も僕が貰っちゃいますからねっ」
二人の視線の間に生まれた冷たい空気の壁は、能天気な佐々木の声によって砕かれた。網浜は内心安堵しながら、早く食べるように急かした。とにかく、この部屋から離れなければならない気がしていた。それは寒気や恐怖ではなく、もっと原初的な、肉体的なエラーコード。
「はあ、食べた、食べた。おばあちゃん、残念だけど、私たちができるのはここまでよ。美味しい牡蠣までご馳走になってごめんね。早く交番に帰らないと所長に怒られちゃうから、ここら辺でお暇するわ」
網浜は気丈に振る舞った。少しでも弱さを見せた瞬間に、オセロがひっくり返るかのごとく、自身の中の恐れが増大していってしまいそうだった。それは網浜自身が自身の弱さを認識し、いつも強く振る舞っているからこそ、この状況を深く理解できていた。
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「いやー、美味しかったですね」
佐々木はお腹をさすりながら、帰り道で2人に話しかけた。
「確かに美味しかった。それは認める。でも、やっぱりあのおばあさんは怪しいわよ」
網浜はおばあさんへの疑いを晴らせずにいた。感じ取った恐怖は決して勘違いではないと確信していた。
「網浜さん、それは疑いすぎですよ。よく考えてみてください。あのおばあちゃんが295人を殺せるんですか?それもたった数時間のうちに」
「っだから、それは超能力で!!」
網浜はいよいよ自論を告白した。すると笑い声がした。秋吉が網浜の推理を面白がっていた。どちらかといえば、突飛な網浜の推理を小馬鹿にしているようにも見えた。
「超能力ならおもしろいよね。でも、リサリサ。そんな能力が現実化するとしたら、警察は何ができる?力を持たない無能な警察は蹂躙される。早いところ、俺たちも超能力とやらを得なきゃダメだよ」
「超能力かぁー。いよいよ僕たちの全盛期が来ますよ。漫画を読んで、新しい能力を生み出して、妄想の中でヒーローになっていたあの頃。中学時代の僕が超能力が現実になると知ったら、泣いて喜ぶでしょうね」
「ねえ、ちょっとバカにしてるよね。私の推理!!」
「バカにしてませんよぉ。それで先輩たちは超能力を得るとしたらどんなのがいいですか?」
佐々木の問いに2人はしばらく黙った。それは非科学的で空想で幼稚な妄想だが、本当に得られるとしたら。言霊となって、ここで言った能力が自身の力になるような気がして、真剣に考えていた。
「うーん、でも、サポート系がいいかしら。だって、攻撃系だと戦いが起きたら、前線に行かなければならないじゃない。そうね、たとえば回復魔法とか……」
「いやいや回復魔法だったら、前線に連れて行かれますよ。っていうか、超能力が目覚めた時点で、前線行きは確定ですから」
「ええ〜、じゃあいらない。フツーの市民でいいわよ。そもそも私は警官じゃなくて”事務員”なの!!体を張って命を懸けて、国民を守る必要はどこにもないの。あんなばあさんに付いてって殺されかけに行ったのもバカだった」
網浜はそう言って、大きくため息をついた。おばあさんに対する消えぬ猜疑心と、さっき感じた生命の危機の報せが綯い交ぜにになって、怒りや諦めを含んで投げやりに吐いた。秋吉はそんな網浜を静かに否定した。
「リサリサは戦わなきゃ。聯婆の就任演説聞いたでしょ?これからは女の時代だって。超能力戦争で勝てば、大統領にだってなれるだろう」
「笑わせないでよ。私は大統領なんかにならないし、超能力もいらない。何もなくても、平穏な日常さえあれば充分よ。そして、私に平穏な日常を提供するのが、あなたたち警察官のや・く・め!だから私は超能力なんていらない。その代わりにあなたたちにとっておきの最強能力を譲ってあげるから」
「確かに市民を守るのが警官の役目ですけど……でも、まだ超能力を持ってないのに、譲るってなんですか。網浜さんまだ無能力ですよね」
「貰う権利くらいはあるわよ。それを譲ってあげるってこと」
ーツン
網浜は急に立ち止まって、右手首を左手で掴んで力を込めた。そして、右の人差し指の先に集中させたのち、佐々木のおでこに触れた。網浜は超能力を与えられる権利を佐々木に渡した。
「よしっ、これで佐々木くん。あなたは最強の能力を得るはずよ。私を死ぬまで守ってちょうだい。それで、どんな能力が欲しいわけ?」
「何でも切れる能力ですかね。やっぱり、主人公といえば、剣士じゃないですか。網浜さんに迫り来る敵をぶった斬ってあげますよ」
「それは頼もしい。でも、いつからこの物語の主人公があなたなわけ?超能力戦争が始まったとして、あなたが生き残れるとは思えないんだけど……」
網浜はいつものように佐々木をからかった。佐々木は網浜の言葉に頬を膨らませた。それを見て秋吉はふっと口を緩ませた。
祇園町事件から続く不穏な空気がいよいよ結実しそうな”いま”。3人は急に目を合わせた。そして童心に返ったように交番に向かって笑いながら走り出した。能力を持たない人間にできる最大の抵抗であったようにも思えた。
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しばらくして。
「き、きゅ、ぅ…きゅうきゅうしゃ……」
網浜梨沙は救急車によって搬送された。強い吐き気に意識が散漫とするなか、早くも超能力を得る権利を手放したことを後悔していた。




