好きな人に結婚を申し込まれて舞い上がっていたら、初夜に「君を愛することはない」と言われました。
「これは契約結婚だ。ミレイ、俺があなたを愛することはない」
「わかってます。白い結婚だということは」
オルター様の言葉に、私は傷つくことなく頷いて見せた。
……なんて、嘘だけど。
本当はちょびっとだけ傷ついているけど。
オルター様は私より十歳年上の二十六歳で、城下の警備騎士をしている。
伯爵令息だというのに、鼻にかけることなく誰にでも気さくで優しくて、多くの人から慕われる人で。
私も、そのうちの一人だった。
『俺と結婚してくれないか』
そう言われた時は、舞い上がってしまったけれど。
これは、契約結婚。
だから初夜の場で、愛することはないと宣言されてしまっている。
私は子爵令嬢ではあるけれど、人の良すぎる祖父や父のおかげで、莫大な借金を抱える超貧乏貴族だ。多分、一般庶民の方がまだ良い暮らしをしていると思う。
なのに子だくさんで、長子である十六歳の私を筆頭に七人の弟妹たちがいて、毎日お腹を空かせていた。
『俺と結婚してくれたなら、今ある借金はすべて俺が肩代わりしよう。その後の君の家族の生活も保障する』
オルター様の言葉に、私は目を剥いてしまったわ。
まさか、オルター様がそんなに私のことを好いてくれていただなんて! って。
けど、現実は違った。
『だから君は、俺の悪夢を食べてくれないか!』
そう、オルター様は悪夢を見続けているらしい。
悪夢を食べるという“バクのスキル”持ちの私に、仕方なく提案したというわけ。
この国では、十五歳の成人で教会から与えられる祝福がある。
当たりのスキルを引き当てたら一発逆転、それだけでいくらでも商売ができて一生安泰。
貧乏生活を抜け出せるかもしれないと期待していたけれど、私に与えられたのはまさかの“バク”で。めちゃくちゃハズレのスキルだった。
弟たちには楽しい夢が見られると評判は良かったけど。
その弟妹たちから話を聞いたオルター様が私に求婚してきたのは、彼が“悪夢のスキル”持ちだったから。
『俺のスキルは、人に悪夢を見せないと、自分が悪夢を見続けてしまうスキルなんだ。人に悪夢を見せるだなんてこと、俺はしたくない。十五の時からずっと、悪夢に悩まされ続けている』
人に悪夢を見せる能力は、人を呪う系のスキルだ。
正義の人であるオルター様が、人に悪夢を見せるなんてできるはずがない。教会のくせに、なんてスキルを与えるのかと。
顔色がすぐれないのは、きっとスキルのせいね。かわいそう。
『君のスキルで、俺の悪夢を消して欲しい』
懇願されて、私は迷った。
もちろんオルター様の悪夢を消してあげたいのは山々なんだけど……
『私のスキルは、一緒のお布団で一緒に寝ないと発動しないんです……っ』
仕方なく真実を伝えると、彼はこう言った。だから結婚をお願いしているのだ、と。全部弟たちに聞いて知っていたらしい。
一緒に眠る口実を作るために結婚までするということは、本当に悪夢に悩まされているんだろう。借金の肩代わりまでしてくれるなんて、相当だ。そう思って、私は結婚を承諾した。
オルター様は悪夢を見なくなる。私の家の借金はなくなる。相互利益で成り立った婚姻。
そこには愛がないのはわかってる。
でも、ほんの少しだけ期待してしまっていた。
もしかしたら、愛し愛される夫婦になれるんじゃないかって。
馬鹿みたい。そんなこと、あるはずがないのに。
私は吐きたい息を堪えて、オルター様に微笑んで見せた。
「それでは、ベッドに入らせてもらってよろしいでしょうか」
「ああ……入ろう」
二人でベッドに入るも、これから官能的な出来事が始まるわけじゃない。
ただ、眠るだけ。
「あの、手を繋いでもらってもいいですか? そうでなくては夢に入り込め……夢に使い魔のバクを送り込めないので」
「わかった」
オルター様の艶のある黒髪が上下に揺れて、布団の中で私の手を探り当てられた。
温かくて大きな手でギュッと握られて、私の心臓が跳ねる。
眠れるのかしら、こんな状態で……。
「では、ミレイ、頼む」
「はい、お任せください」
オルター様はこのために私を買いとったも同然なのだから、ちゃんと役目を果たさないと。
しばらくすると、オルター様の寝息が聞こえ始めた。
私も眠らなきゃと思うけど、興奮してしまっているのか、なかなか寝付けない。
オルター様の精悍な寝顔を見ながら、私は短く息を吐いた。
「覚えてないわよね……私のことなんか」
六年前、十歳だった時。私は弟妹たちを広場に連れて行き、遊ばせていた。
うちは貧乏な子爵家だって知られていたから誘拐される心配もなかったし、町は騎士が巡回してくれているから平和で安心もあった。
必死に弟妹の世話をしていると、当時二十歳だったオルター様が声をかけてくれて。
一緒に弟たちと遊んでくれた。私には『ちょっと休んでおいで』と飴をくれて。
少し離れた木陰で、オルター様と遊ぶ弟妹たちを眺めながら飴を食べると、気遣いが胸に沁みて泣いちゃったっけ。
あの日から私は、オルター様を見かけるたびに目で追ってしまっていたの。
オルター様にとっては、とるに足らない出来事だったに違いないけど。
だから結婚してくれないかと言われた時、本当はめちゃくちゃ嬉しかった。
白い結婚だって、わかっていても。
「う……ううっ」
オルター様が声を上げ始めて、額に汗が吹き出した。
いけない、もう悪夢を見てるんだわ。
早く眠らないと……!
そう思えば思うほど眠れなくて、それから一時間後に私はようやく眠ることができた。
「ここが、オルター様の夢の中ね……」
私はスキルでオルター様の夢の中に入ってきた。まだ何もない、真っ白な景色だ。
オルター様にはバクの使い魔を送ると言っておいたけれど、実は私自身が夢の中に入り込んで悪夢を食べなきゃいけない。
私が夢の中に入り込むなんて嫌がられるかもしれないと思って、使い魔設定にしておいた。悪夢をもごもご食べている姿を見られるのも嫌だし。
「変身しておかなきゃね」
脳内で鼻の長いバクを想像すると、私の体はすぐその通りに変化する。
夢の中だから、なんでもありなのよね。
ひとたび夢の中に入れば、そこは私の領域。なんでも自由にできちゃうってわけ。
「あ、オルター様がいたわ!」
白かった世界がオルター様に近づくにつれて、おどろおどろしい魔女がいそうな森へと変化する。
その中で大蛇がうごめき、オルター様を丸呑みにしようと大きく口を開けていた。
「た、大変……!!」
夢の中だからオルター様が死ぬことはないけど、精神的な苦痛は計り知れないもの。
「くそ! 悪夢などには負けん!!」
オルター様は夢の中でも勇敢に剣を振りかざして戦っている。
かっこいい!
じゃなくて、早く助けなくちゃ。
悪夢なら、どれだけ戦っても最後にはやられてしまうに違いないんだから。
大蛇が今まさにオルター様を呑み込もうとした瞬間、私は大蛇に食いついた。
「な……バク?!」
オルター様が目を丸めているそばで、私は大蛇を頭からもぐもぐ食べる。
大きいから、食べるのに時間がかかっちゃうかも。今の私はオルター様の半分くらいのサイズだから、余計に。
大きくなれば一口で食べられるけど、それじゃあまたオルター様を驚かしてしまいそうだしね。
私はもぐもぐもぐもぐと、一生懸命に大蛇を口に運んだあと、ごくんと飲み込んだ。
ああ、この景色も悪いわ。もっと幸せな風景にしてあげないと。
森ももぐもぐと食べてしまって、真っ白でなにもない夢にすることができた。
とりあえず悪夢は消し去れたから、期待には応えられたかな。
白いとはいえ、結婚までして『悪夢が消えませんでした』では、悪夢よりも酷い現実になってしまうものね。
「ありがとう。君がミレイの言っていた、使い魔のバクか?」
夢の中でもやっぱりオルター様は男前。うっとりしちゃう。
「そうでばく。わた……ぼくはミレイの使い魔のバクでばく」
私だとバレないように一人称と語尾を変えてみたけど、不自然じゃなかったかしら?
「ははっ、かわいいな。ありがとう、助かったよ」
オルター様が私の頭を撫でてくれる。
ひゃあ、胸がバクバクしちゃうわ!
嬉しそうなお顔を見られて、私も嬉しい。もっと喜ばせたい。
「夢の中なら、ぼくのイメージできるものならなんでもできるばく。どんな夢を見たいのでばく?」
「そうだな……心の落ち着ける湖畔で、のんびりと猫でも撫でて過ごしたいな」
「湖畔で、猫でばくね。任せるばく!」
私は大きく頷くと、湖畔が煌めく、穏やかな明るい自然をイメージする。
瞬く間に周りの景色は変わり、思い通りの湖畔が目の前に現れた。
柔らかな風を流れさせ、草花をよそがせて、小鳥たちには自由に空を飛び回ってもらう。
「すごいのだな……バクの力というのは……」
「あとは、猫でばくね。変身するでばく」
小さな白猫に変身して見せると、オルター様は目を丸くして私を抱き上げた。
「すごいな、変身できるのか」
「植物や無機物は無理でばくが、生き物でぼくの知っているものなら変身できるでばくよ」
「そうか。できれば、猫の鳴き声も聞きたいのだが」
「あ、そうでばくね。にゃあ、にゃあん。これでいいばくか?」
「ははは、それで良い!」
わぁ、オルター様が大きな口を開けて笑ってくれた。
「こんなに幸せで楽しい夢は久しぶりだ。ありがとう」
オルター様が私を抱き上げて……頬にキス?!
きゃあ!! 猫だと思っているからしたんでしょうけど……!
「ふわふわして、気持ちいいな」
頬擦りを止めてくれない……!
今にも唇と唇が当たりそうで……でも私は猫だから、気にしちゃいけないのよ……!
私はずっとオルター様に頬擦りをされて……そして、しばらくすると世界が消えた。
オルター様が目を覚ましたんだ。私も起きなくちゃ。
「ん、んん……」
朝の光が差し込んでいて、私は目を開けた。
隣のオルター様は私の手を握ったまま、私を見て微笑んでいて。
「おはよう、ミレイ」
ち、ち、ち、近いですっ!
「お、おはようございますっ」
うう、声が裏返っちゃった……
でもオルター様はそんなこと、気にもしない様子で最高の笑みを浮かべてくれる。
「ありがとう、ミレイ。君のおかげでいい夢が見られた」
「それはよかったです」
「最初、魔女の森で迷った俺は蛇に噛まれたんだが、斬ろうとすると大蛇へと変貌して、それから……」
オルター様は、夢の内容を詳細に話し始めた。全部知ってるんだけど、私はうんうんと頷いて聞いてあげる。
夢の中は自分の欲望が出ちゃうから、知られてると思わない方がいいものね。
「それでなんと、バクが猫になったんだ。こんな小さなふわふわの猫で……ミレイにも見せてやりたかった」
「ふふ。喜んでくれるだけで十分です」
「本当にありがとう、ミレイ。これからもよろしく頼む」
「はい」
そうして私は、毎日オルター様の夢に入り続けた。
美味しいものを食べたり、空を飛んだり、一緒に猫になってじゃれあったり。
バクの私を優しく撫でて、ぎゅうっと抱きしめたりもしてくれる。
だけど、それはもちろん夢の中でだけだ。
現実の私たちは、寝る時に手を繋ぐ以上の行為はなにもない。
それも当然、私たちは利害が一致しているだけの白い結婚なのだから。
夢の中でオルター様がバクを大切にしてくれるたび、泣きそうになる。
もちろん、現実でも私を大切に扱ってくれているけれど。必要だから優しくしてくれているだけに過ぎないもの。
私はどんどんオルター様を好きになっていく。だけど返ってくるのは、愛情ではなく感謝の気持ちだけ。
それが悲しくて、つらい。
「ミレイ……最近君は、悲しそうな顔をすることが増えたな」
いつものようにベッドに入ろうとした時、オルター様が凛々しい眉を下げながらそう言った。
「そんなこと……ありませんよ?」
「まだ若いミレイにこんなことを押し付けてしまって、本当に申し訳ないと思っている」
一緒に暮らし始めて一年。私は十七歳になった。
先日祝ってくれた誕生日は本当に嬉しくて。
でも私の機嫌を損ねないよう、義務でしてくれたんだと思うと悲しくて。
オルター様は紳士で、決して私に手を出そうとはしない。
子どもとしか思われていないんだろうと思う。私に、魅力がないから。
「ミレイ……すまない」
オルター様に謝らせてしまった。私のバカ。気を使わせてしまうだなんて。
ちゃんと笑わなくちゃって思うのに、歪んだ変な笑みしか見せられない。
「利害の一致している結婚なんですから、謝る必要なんてありません。さぁ、寝ましょう?」
私が手を差し出すと、いつものように握ってくれる。
ベッドの中で、ただ手を繋ぐだけ。最初はそれだけですごく胸が鳴ったというのに、今は寂しさで悲鳴を上げているよう。
「……おやすみ、ミレイ。君も良い夢を」
「はい、ありがとうございます」
同じ夢を、見ているんですけどね。とても幸せな夢を、毎日。
目を瞑ってしばらくすると、いつものように夢の中へと入ることができた。
まだ寝始めたばかりで、夢の世界は広がっていないようだ。
同時に眠ると、悪夢を食べる手間がないから助かる。
「やあ、バク」
パッとオルター様が現れた。もちろん私はすでにバクの姿。
「オルター様、今日はなんの夢を見るばく?」
「今日は夢はいいんだ」
「……夢は、いい?」
どういう意味だろう。もう夢を見る必要はないってこと? どうして……
私はもう、バクの姿であっても必要ないの?
「ぼくはもう、必要ないばくか……?」
現実の私では言えない言葉も、バクの姿なら心のままに言える。
夢の中だからって言い訳をして。
「いや、俺には君が必要だよ。けど、君のご主人にとって、俺は必要な人間じゃないんだ」
「そんなことは」
「あるんだよ」
私が否定する前に、オルター様は自分で肯定してしまった。
そんな風に言うけど、オルター様だって私を必要としてくれていないじゃない。必要なのはバクであって、私じゃないんでしょう?
「悪夢を見たくないという俺のわがままのせいで、ミレイの前途ある将来を奪ってしまった。彼女の家が借金まみれだったのをいいことに、無理やり結婚させてしまったんだ」
「それは仕方ないばくよ。誰だって悪夢なんか見たくないばく」
「だからと言って、本人に気持ちがないのに無理やり結婚させてしまうのは最低だ。自分でもわかっていたんだが、あの時はとにかく悪夢から解放されたくて……浅慮だったと思っている」
毎夜悪夢に襲われていたなら、どんな手段をとってでも解放されたいと思うのは当然だわ。責める気なんて起こらない。
むしろ私は幸せだった。仮初めとはいえ、夫婦になれたんだから。
バクの姿ではそれを伝えられずにいると、オルター様は難しい顔のまま続けた。
「まだ十六歳になったばかりの少女に無茶はさせられない。だから手は出さないと誓った。彼女がいつか、離婚したいと切り出した時には迷わず送り出せるように。せめて、清い体のままここを出ていけるように……愛することはないと、彼女に告げた」
「……」
私はなにも言えなかった。
まさかそんな考えでいたとは、露ほどにも思っていなかったから。
「だけどミレイは、日に日に美しくなっていってな……十も年の差があるというのに欲情してしまうなんて、情けない話だ」
「よく……じょう……?」
「ああ、バクにはわからんかな」
「わ、わかんないばく」
バクな私は、はわはわと口を動かしながらわからないふりをした。
というか、実際わからないんだけど……欲情って、どういうこと? オルター様が、私に? 全然そんな態度じゃなかったのに!
けど、欲情と愛情は別物だってことは、経験のない私にだってわかる。単純に喜んじゃいけない。
「実は俺は、ミレイのことを昔から知っていてな。弟たちの世話を一生懸命している姿を何度も見かけた。この子には幸せになってほしいと、俺はずっと望んでいたんだ」
オルター様の告白に、私の口は自然と開いた。まさか私のことを知っていたなんて……!
「幸せになってほしいと思っていたくせに、俺自身がミレイを不幸にしてしまっている……もう耐えられない」
「ミレイは不幸だなんて思ってないばくよ」
「いいや、見ていればわかる。日に日に元気がなくなっているんだ。いくら借金がなくなるからと言って、結婚などするのではなかったと、後悔しているんだろう」
「そんなことはな──」
「優しいな、バクは。だがもう決めたんだ。彼女を……ミレイをもう、解放してあげようと思う」
「……かいほう」
「ああ」
オルター様は硬い決意の表情で首肯した。解放って、つまり……
「ミレイは自分から離婚を言い出しにくいだろう。だから俺から離婚を言い渡そうと思う」
「え、ええ!!?」
「起きたら伝えるつもりだ。バク、君には世話になったから、ちゃんと別れを伝えたかった」
オルター様の温かい手が私の頭を優しく往復する。
私の態度がオルター様に決意させてしまったの? そんな……
あんな態度、とるんじゃなかった!!
「イヤばく……別れはイヤばく……!」
「すまない。また誰かの夢を幸せにしてやってくれ」
「ぼくがいないと、オルター様はまた悪夢に悩まされるばくよ!」
「そうはならないんだ」
オルター様に否定され、私はバクのまま首を傾げた。
「どういうことばくか」
「実は一週間前に、とうとうスキルの除去に成功したんだ。バクの力を借りなくても、悪夢は見なくなった」
スキルの除去。確かにオルター様は、教会にスキルの除去を願い出ていると言ってはいたけれど。
でも十年以上も成功していないという話だった。それが成功していたの?
喜ぶべきことなのに、全然喜べなかった。
確かにここ一週間は、同時に寝て同時に起きることが続いていたから、悪夢を食べる手間がないなとは思っていたけれど。
悪夢を見なくなったということはつまり、オルター様に夢喰いは必要ないってことだ。
小娘相手に、本当は欲情なんてしたくないんだろう。私と離婚すれば、オルター様も本来結ばれるべき人と結婚できる。私もバクも、本当に必要なくなったんだ……。
ぎゅっと歯を食い縛っていると、オルター様はやわらかな声を出した。
「最後にひとつだけ、わがままを言っていいか?」
「……なにばくか?」
「君は今まで色んなものに変身してきたが……ミレイには、なれるか?」
私に? なれるというより、戻る、だけど。
どうして、私なんかに。
「なれるばくよ」
「では、ミレイになってもらいたい」
「どうしてばくか?」
この一年、一度も私を出してと言わなかったオルター様が、どうして今になってそんなことを言い出すのか。
不思議に思って彼を見上げると、少し困ったような、悲しそうな顔をしていた。
「伝えたいことがあるんだ。実際には伝えられないから、せめて夢の中で彼女に話しておきたい」
「……わかったばく」
なにを言われるんだろうと不安になりながらも、私は変身を解いた。
私には直接言えない話って……欲情しているという話だったし、まさか現実ではできないからって夢の中で?
「すごいな、ミレイそのままだ」
元の姿の私を見て驚くオルター様。
それもそのはず、イメージじゃなくて私自身なのだから。
「ミレイ……」
オルター様が優しく目を細めて私を見ている。
なにを言われるのか、なにをされてしまうのか。心臓がバクバクして破裂しそう。
口から軽く息を吸い込んだオルター様は、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「俺は、君と結婚できてよかった」
「……え?」
オルター様の言葉を聞いた瞬間、私の心の中に風が吹いた気がした。
その瞬間、イメージは夢の中で再現されて、草原が広がり風が吹き抜けていく。
たなびくオルター様の黒髪が、現れた太陽の光でキラキラと輝きを見せる。
「悪夢を食べるバクのスキル持ちが、いつも健気に頑張っているミレイだとわかった時は、罪悪感しかなかった。十も年上の俺に嫁がせて申し訳ないと。君には幸せになってほしいと思っていたから」
私を利用することに罪悪感を持つオルター様は、やっぱり優しくて正義の人だと思う。
「オルター様は、いい人ばくよ。ミレイもそう思ってるばく」
「ミレイはいい子だからな」
「そ、そんなことは──」
「素敵な女性だよ。一緒に暮らしているうちに、いつの間にかどうしようもなく彼女を愛してしまっていた」
「あ……い……」
周りの景色が、色鮮やかな花で咲き乱れ始めた。
甘い香りが鼻腔をくすぐっていく。
「ああ。愛している、ミレイ。このままずっと、そばにいてほしかったと思うほどに」
オルター様は優しく、でも悲しく微笑んだ。
そばにいてほしかったという過去形の言葉に、私は喜んでいいのか泣いていいのかわからなくなる。
「オルター様……」
「伝えたかったのはこれだけだ。さぁ、これが最後の幸せな夢になる。楽しませてくれるか、ミレイ。いや、バク」
「……わかったばく」
バクだと思われている今、きっとなにを言っても無駄になる。
起きた時には、ちゃんと私の気持ちを伝えなきゃ。
「ミレイと一緒の夢は、今までで最高の夢となるな。俺はこの記憶さえあれば、幸せに生きていける」
夢の中だけで満足しようとしているオルター様を見ていると、その優しさに泣けてきてしまう。
私を手放したくないと思えるくらいに、楽しい夢を見せなくちゃ。
「たくさん、たくさん遊ぶばくー!」
私がそう言うと、たくさんのかわいい動物たちが現れて。
オルター様は『ミレイの姿でその喋り方もかわいいな』と笑っていて。
私たちは何度も顔を合わせて笑い、気のゆくまで遊んだ。
「ん、んん」
朝を迎えると、私の方が先に目を覚ました。
そんな時は、すぐにオルター様を起こすことになっている。バクが消えれば、またすぐに悪夢が襲ってきてしまうから。
もうスキルは消えているという話だったけど、私はいつもの癖でオルター様を起こした。
「おはようございます、オルター様。朝ですよ」
「うんん……朝か……おはよう、ミレイ」
まだ寝ぼけ眼のオルター様は、かわいい。
そして繋がれていた手が離される瞬間は、悲しい。
「いい夢は見られましたか?」
毎朝の確認の会話。
オルター様はいつものように頷いてくれた後、いつもの報告とは違うことを言った。
「ああ、最後にとてもいい夢を見られた。ありがとう、ミレイ」
最後。
その言葉に、オルター様は本気だったのかと体が固まってしまう。
「最後って、どういう意味でしょうか?」
ミレイとしては聞かされていないから、知らないふりで聞き返した。
オルター様は一度唇を引き結んだあと、黒髪を揺らしながら真っ直ぐに私を見る。
「言葉の通りだ。バクに頼ることはなくなったから、君との婚姻関係は終わらせて問題ない」
「頼ることがなくなった、とは?」
「実は教会で、スキルを除去してもらうことに成功したんだ。悪夢を見ることは、もうなくなった」
「そう、ですか」
「勝手を言ってすまないが、君とは離婚したい。もちろん君の家への支援は続けるし、ミレイの次の嫁ぎ先もちゃんと考える。誰がいい? 年が近くて優しい男なら、男爵ではあるが令息の──」
「待ってください!!」
勝手に話を進めるオルター様に、私は声を上げた。
もちろん、私のことを考えてくれているのはわかってる。だけどオルター様と離婚なんてことは、絶対にしたくない。
「ああ、すまない、ミレイの気持ちも考えずに。誰か想い人がいるなら、協力は惜しまないから大丈夫だ」
優しく目を細めるオルター様に、私は唖然とする。
愛していると言ってくれていたはずなのに、あれは夢だったの? いえ、確かに夢の中ではあったけれど。
今のオルター様を見ていると、妹を思いやる兄のようにか見えない。
まさか、愛していると言ってくれたのは……家族としてということだったの?
夫婦としての愛は、まったくなかったんだ……。
私の視界は歪み始めて、オルター様の顔がちゃんと見られなくなる。
「ミレイ?」
「オルター様には、愛する女性がいるんですか? 家族としてではなく、一人の女性として愛する方が」
しゃくり上げそうになる喉を押し込めながら、私はオルター様に質問した。
もしもいるなら、私のわがままで婚姻を継続するわけにはいかない。
悪夢のスキルが無くなったオルター様に、私は必要ないのだから。
「愛している女性は、いる」
淀むことなく告げられたオルター様言葉に、私は納得した。
なんだ。そうだったんだ。
二十七歳の殿方が、好きな人の一人もいないわけがない。
私みたいな子どもとしか見られない女と結婚したのは、利害が一致したというだけの話。元々、白い結婚でしかなかったのだから。
「そうですか……私と離婚しなければ、その方と結婚できませんものね」
「ああ、そうだな……だからミレイも気にせず、ちゃんと愛する人と幸せになってくれ」
愛することはないと言った人が、家族として愛してくれていた。
それだけで、十分幸せなことだったはずなのに。
妹としてでもいいからそばにいたい。
でもそんなことを言っても、困らせるだけだ。ちゃんと決別しないと。
悪夢に悩まされることがなくなった今、オルター様は今度こそ想い人と結婚できるのだから。
私の存在はもう、邪魔でしかない。
「わかりました……今まで本当に、ありが……」
ハッと気づいた時には、涙が転がっていた。
私のバカ。
私なんかに好きになられても、困らせるだけなのに。
オルター様に罪悪感を味わわせたくないのに、涙がどうしても止まらない。
「……ミレイ? どうして泣いて……」
ほら、オルター様は私の気持ちになんて、ちっとも気づいてない。
それほどまでに、私は眼中にないから。
私はこんなにも、オルター様が大好きなのに……!!
「どこか痛いのか? つらいのか? なんでも言ってくれ。俺はミレイの力になりたい」
私の力になりたいだなんて、できもしないことを簡単に言うオルター様に腹が立った。
離婚しないでって言ったら困るくせに。
私にも、夢の中の私にもいい格好をして。
「そんなだったら、嫌いって言ってくれた方がよっぽどいいばく!!」
「……ミレイ!?」
うわぁああん、と私は声を上げて泣いてしまった。
だって、ずるい。
優しくしてくれて、夢の中では愛してるとまで言ってくれて。
「この気持ちをどうすればいいばくかー! いっそ嫌いだって言ってくれた方が、諦められるばく! 優しくしないでほしいのばくー!!」
「ミレイ……君は、バクだったのか!!」
驚いた顔でオルター様が私を見てる。
え、どうしてバレたの……?
ずっと隠してたっていうのに……!
「ひ、ひっく……ぐすん……」
私は声が出せずにこくんと頷いた。
ああ、軽蔑される……。
今まで夢をずっと覗いていたのかと、嘘つきな女だと、見切りをつけられてしまう。
嫌われた方がマシだなんて、そんなことはなかった。
本当に嫌われると思うと、こんなにも胸が苦しい。
「ミレイ……」
蔑みの言葉が浴びせられるものと思いきや、いつものオルター様よりも、さらに優しい声で私の名前は呼ばれた。
「まさかミレイがバクだとは思わず、その……色々と触れてしまっていたな」
オルター様はバクな私の頭をいつも撫でてくれていたし、猫に変身した時は抱きしめて頬擦りをしてくれていた。
私だとわかった今、さぞ嫌な気分にさせてしまっているだろう。
「嘘をついていて……ごめんなさい……っ! 私なんかに夢を覗かれるなんて嫌だろうと思って……それで嘘を……」
「気にしなくてしい。ミレイの配慮だったことはわかる」
やっぱり、オルター様は優しい。罵倒されても当然のことをしてしまったっていうのに、私の気持ちを慮ってくれている。
「それで、その……バクがミレイだったというのなら、俺の気持ちはもうわかっているとは思うが」
「はい、わかってます……私なんか必要ないって──」
「そう、俺は君を愛している」
「え?」
「え?」
私たちは同時に疑問符を重ねあった。
今、オルター様はなんて?
「えっと、あの……愛しているっていうのは、家族としてですよね? 妹のように思っている的な」
「いいや。俺が女性として愛していると言ったのは……君のことだよ、ミレイ」
「え、えええ??!」
オルター様が私を? 一人の女性として……本当に??
「だが悪夢のスキルの除去に成功した今、君を俺に縛り付けるべきではないと──」
「私は!」
思わず声を張り上げる。真っ直ぐにオルター様を見つめて。
「私は十歳の時に初めてオルター様にお会いした時から、ずっとお慕いしていました……!」
思いが溢れると同時に、また涙がこぼれ落ちてしまう。
出会ってから六年間、ずっと。結婚してからの一年は、さらに強く。
「好きなんです……オルター様が……どうか離婚なんて、言わないでください!」
「ミレイ……」
オルター様の手が伸びてきて、私の涙を優しく拭ってくれた。
「そんなに昔から、俺のことを……気づかずにすまない」
「オルター様……」
「その分、これからは俺がたくさんの愛を返していこう。だからまた、素敵な夢を見せてくれるか?」
また、一緒に夢を。
これからも、ずっと。
それはまた、ベッドを共にするという意味で。
「現実では、俺が君に夢を見せてあげるよ」
そう言って微笑んだオルター様の顔が、ゆっくりと近づいてきて。
夢にまで見た優しいキスを。
オルター様は私に施してくれていた。
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