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悪役だからと押し付けないでくださいな

作者: 久世あやな

テンプレ話が無限に思いつくので書いてみたら、思いのほか長くなってしまいました。特に山なしオチなし。さらっとお読みいただければと。


追記

2022/11/30 誤字、内容を一部直しました。大変遅くなりましたが、誤字脱字報告・ブックマーク登録・ポイント等ありがとうございます。

 週初めの放課後は、婚約者とのミッディ・ティーブレイクと決まっている。アカデミー入学時に取り決められた婚約者殿との義務を果たすべく、顔見知りのご令嬢への挨拶もそこそこにいつもの場所へ向かう。

 校舎を出て、広い敷地を歩くこと暫く。複数ある四阿の中でもあまり知られていない、池の上に作られたそこに到着した。待機していた侍女が私に頭を下げる。

 貴族のお嬢様に生まれ変わって十数年、未だにメイドの存在や周りから敬われたりするのには慣れない。


「まだいらっしゃってないのね」

「はい。お嬢様に言われました茶葉と茶菓子はこちらに。お湯の準備も既に出来てございます」

「ご苦労様。そろそろ時間だから戻って大丈夫よ。いつもこんな所までありがとう」

「お嬢様付きの侍女ですからこのくらい当然です。お嬢様こそ暑さが苦手でいらっしゃるのですからお体にはお気を付けくださいね?」

「勿論よ。体調なんて崩したらあの人に何を言われるか分かったものじゃないもの」


 笑いながら準備を進めていると、ふとメイアが声を潜めた。


「例の方ですが、今度はメイシャール辺境伯令嬢に申し入れをなさったようです」

「……私の記憶違いでなければ、あの家には娘が一人でその彼女には婚約者がいたはずだけれど。それも、仲睦まじいと噂の」

「ええ、ご執心の女性も地位も手に入れたいあまりなりふり構わず、といったご様子かと。如何いたしましょう?」

「堕ちるところまで堕ちてもらうにはまだ時期尚早だわ。かと言って、何もしなければあちらは押し通してくるでしょう。先ずはお父様に報告して……そうね、それから公爵閣下にも。ああ、勿論あの方には気取られないようにね。証拠は大分溜まっているのでしょう?」

「勿論でございます」

「引き続き監視してちょうだい。この間の後始末もまだなのに。いえ、だからこそこうも恥知らずな真似が出来るのかしら。それで? 他人の婚約者を奪い取った異邦のお嬢さんは?」

「相変わらず常にどこかの令息を侍らせているようです。それにその、近頃ではエドゼル様も……」

「反抗期も大概にしてほしいわね……」


 此処は紛れもない現実だと私は認識しているが、やはりヒロインの相手役である以上攻略される定めなのか。困ったものだとため息をつく。


 ――あの弟、 付け込まれたわね。


 何とかしようとはしたのだ、これでも。何の前触れもなしに前世の記憶、それもこの国を主軸とした『乙女ゲーム』とかいうふざけた記憶を思い出してから悪役としての末路を回避するために努力してきた。具体的には、ものぐさなりに父や兄を巻き込んで家族として親交を深めた。結果、それまで交流があまりに無かっただけで、あの父が決して娘を政略の駒と見なしている訳ではないことが分かったし、その親に似て寡黙で不器用な兄は不器用ながらも私が突発的に立ち上げた商会を手伝ってくださったり、何かと気にかけてくれる。

 面倒くさがらなくて良かった。そのお陰で第一王子との婚約回避はおろか、交渉無しに相手を決める権利と猶予を貰えた上に、商会を経営したり商品開発したり貴族からお金を巻き上げたり、と色々自由にさせてもらえるのだから。

 が、後妻の連れ子である書類上の弟とは上手くいかなかった。寧ろマイナス域に達してしまった気がしなくもない。なにせ義母の対抗心と妨害が凄まじく、弟も弟で勝手に拗らせる始末。ゲーム通り、潔癖症で思考が凝り固まった女嫌いになってしまった。思春期といえば可愛らしいが、義母の弟を使った公爵家簒奪計画が進行中とのこと。こちらはしっかり阻止して義母とは穏便に縁を切る算段だ。元々押し付けられた縁ですし。


「でも、そう。その状況だとわたくしもそろそろかしら」


 ああ、面倒。責任の押し付けなんて何様のつもり、と丁度準備を全て終わらせた時だった。


「何が『そろそろ』なのかな?」


 砂時計の時間ピッタリ。振り向かずとも分かる声に向き合って、ドレスにも見える上品な制服の裾を摘み淑女の礼でお迎えする。メイアは既に辞したらしい。少し離れた所に彼の従者と控えている。


「ご機嫌よう、ジークヴァルト様。お気になさらずとも、わたくしのつまらない独り言ですわ。そんなことより、どうぞお掛けになってくださいな」

「そうさせてもらうよ」

 

 蒸らし終えたお茶を最後の仕上げとしてティースプーンで軽くかき混ぜて白磁のティーカップに注ぐ。勝手知ったるとばかりに席に着いた彼は、ケーキスタンドから優雅にサンドイッチを取り分けていた。


 彼、ジークヴァルト=ルカ・メルシエ公爵子息は私の婚約者だ。メルシエ公爵家と言えば、我が家も含めた五大公爵家の一柱であり、現当主は国王陛下の弟であらせられる王弟殿下、つまり国王の次か時と場合によっては同等の権力を有している。 

 その公爵家の嫡男が彼だ。輝かんばかりの金髪にラピスラズリのような深い蒼の目を持った美男。それだけではなく、アカデミーでの成績も優秀でどの科目も常にトップ。その非凡さは学生の域を超越している。一を教えれば十を知り、剣一本で魔獣をいなし、魔術の腕は上級魔導士と肩を並べるほどと謳われるほど。そしてどれもが事実である。

 容姿、家柄、血筋全てが完璧な上、それを鼻にかけることもせず謙虚で温和な紳士という出来た人間であらせられるのだから何処の乙女ゲームの王子様だよ、と当時の私は毒づいた。実際乙女ゲームで家柄的にも王族の血が流れてるからその通りなのだが。どこかの第一王子な攻略キャラよりよっぽど王子している。きっと人間じゃないんだわ。


「お砂糖と蜂蜜、どちらに致しましょう? 本日はハーブを使ったブレンドですので蜂蜜の方がまろやかな味になりますが」

「君のお勧めを頂こうかな」

「では、最初はストレートで。エグみが無いので香りを楽しめるかと」

「確かに良い香りだ。いただくよ」


 カップを手に取って香りを楽しむ姿は絵になる。仕草一つ取ってもそこらの令嬢より優雅で洗練されていて、正に完璧。だが、そんな彼にも唯一の欠点があった。それが婚約者だ。

 私が目をつけた当時、既に彼は優秀な跡取りとして名を馳せており、婚約の申し入れも掃いて捨てる程来ていた。それにも関わらず、早々に決まるどころか候補の一人すら挙がらなかった。それは何故か。


 原因は二つ。一つは、外野が勝手に彼の婚約者に口出ししたからだ。曰く、家柄もそうだが、これだけ優秀なら国内の令嬢と婚約させるよりも他国の王族を迎え入れる方が有益だろうと。本人はおろか公爵閣下さえも抜きに外野の利益権力主義者共が大いに盛り上がっていた。

 そんな訳で、自分の娘を是が非でも嫁がせたい家と他国との縁を結んでその利益を享受したい貴族とで見えない衝突が起きた結果、婚約決めは膠着状態に陥った。

 全くもってくだらない。阿呆じゃないの。まあ、私の相手候補だから婚約が難航するに越したことはない。存分に潰し合ってくれたまえ。

 二つ目、これは一部邪推が混じっているのだけれど、彼自身が頑なに婚約を退けている、というもの。女嫌いなのではないか、と噂されるほどに。実際、彼がどんな美女からのアプローチも破格の条件の縁談も断っていたのはかなり有名な話であった。社交界デビューが迫った年になってもその調子だったから、『メルシエの王子は運命の姫を探している』だとか『心を捧げる相手は女性ではないのだろう』などとやっかみを含んで言われていた。


 ……とまあ真偽はどうであれ、メルシエ公爵は既に国内で確固たる地位と権力を有していて、他家と縁を結ぶことにそれほど積極的ではない。その上、その跡取りに縁談を強制していないようだから単に彼自身婚約したくないのだろう。貴族の婚約とは縛りが多いから。そんなことより、女遊びをする訳でもなく日々勉学に励み、家の為領民の為に精進している身持ちの堅い高位貴族の嫡男であることが重要だった。

 こんな感じで王子との婚約をねじ込まれることの無い家柄である上に、表立ったライバルも無し。そして来たるヒロインの魅力にコロッといきそうにもない。

 どれほど都合の良い物件だろう。そしてその物件をこれ幸いとばかりに政略と言う名で契約(婚約)したのがこの私。この時ばかりは公爵家の才色兼備(猫被り三重)で良かった。政略万歳。愛なんて植えつければ皆同じ。何より、王子なんて身分とまともにやり合えるのはメルシエ家くらいしかない。

 王子と婚約せずに済んだのだからそこまでしなくてもと思うかもしれない。けれど、そうもいかない懸念があった。これは謂わば保険である。


「お茶にも軽食にも手を付けていないようだけれど、体調が優れない?」

「いえ、このところ気温が上がって参りましたのでお茶は冷たいものをご用意するべきだったと思いまして」

「そう? 爽やかな風味で飲みやすいよ。二杯目を頂いても良いかな?」

「そう言って頂けて嬉しいですわ。蜂蜜はお入れいたしますか?」

「ああ、頼むよ」


 打算満載で婚約を結んだ彼との関係がどうなのかと言えば。まあ、察して余りある。強いて言うなら清いお付き合い。悪く言えば儀礼的。世の中の婚約者同士が皆が皆恙無く過ごしていると思ったら大間違い。アカデミー内では婚約者との不仲説がまことしやかに出回っているけれど、何とも思わない。貴族は噂好きだから。


 ――確かに『結果が同じなら植え付けでも錯覚でも同じ』だとは思っていたけど。


 カップからは、紅茶特有の芳醇な香りと絶妙な割合で調合したハーブの柔らかな香りとが混ざり合う。深い味わいの茶葉がハーブ独特の匂いを打ち消しながらも、お互いの良さを損なうことなく引き立てていた。

 流石私、今日も何から何まで完璧。これは洒落た紅茶缶に入れて一緒にちょっとした焼き菓子なんかとセットにして起ち上げた商会で売ろう。ミステリアスをコンセプトとした商会は、今やその先進性と秘匿性からご婦人とご令嬢方の人気をかっさらっているらしい。どんどん儲けよう。お金は大事。経済の活性化は国はおろか世界も回す。


「でも、そうか。僕はてっきり君が何か企んでるように思えたのだけど、それは気のせいだったんだね」


 顔を上げると、誰もが宝石と称えるであろう瞳が静かに私を見据えていた。

 知っている。お茶会が始まってからずっと、この男が私の一挙一動を見ていたことなんて。余談だが、ご令嬢方は一度でいいからこの目に見つめられたいそうだ。代わって差し上げたいわ。


「まあ! 企む、だなんて面白いことを仰るのね」

「すまない。僕に隠れてコソコソしてる、の間違いだったかな」


 ずっと不機嫌だった、も付け足す。令嬢が見惚れる微笑を浮かべながらも、その目が笑ってないなんて、きっと私にしか分からない。いや、私にしか分からないようにしている、のか。

 良いでしょう。そっちがその気なら乗るのが筋というもの。


「後ろ暗いことがあるのなら今の内に話すことをお勧めするよ」

「何を隠すことがあると言うのでしょう。それはそちらではなくて?」


 何を言っているのか分からない、とでも言いたげな蒼に元王室仕えのマナー講師からも合格を貰った淑女の笑みでもって応える。


「『蒼の騎士様は遂に想いを捧げる姫に出逢えた』とご令嬢の間で話題になっていましてよ?」

「その話を、どこで」


 ふふん、参ったでしょう。私には何もやましいことは無い。ちょっと〝目〟と〝耳〟を通して楽しく諜報活動しているだけだ。そんな私が何も知らないとでも思ったのかしら、この婚約者様は。

 と言ってもこの噂は()()()()()()()方々がそれはそれは愉しそうに教えてくれた話だ。


 お噂の姫君とは、最近何かと騒がれている異世界からの客人だろう。 そして、生まれ変わったこの世界を主軸とした乙女ゲームのヒロイン。この世は自分の物とばかりに振る舞っているようで何よりだ。 

 まさか攻略対象者はおろか、その方々以外にも手を出しているなんて誰が思うだろうか。そろそろ目に余るので穏便にログアウトを願おう。


「わたくしに悟られぬようコソコソとなさっていたようですが、噂とは風のようにすり抜けて面白おかしく独り歩きするもの。無駄でしたわね、蒼の騎士様?」

「勘弁してくれ……」


 余談だが、王子と呼ばれず騎士と揶揄されるのは敢えてだ。理由は推して知るべし。誰しも態々コンプレックスの塊を刺激するような真似はしない。 

 この話は終わりとばかりに軽食を勧めれば、苦々しい顔は更に悔しげな表情を浮かべたものの、これ以上の元気は無いようで大人しくサンドイッチに手を伸ばした。

 私もそろそろ軽食を頂こう、とカップを置いた時、向かい側の彼が一気に険しい表情を浮かべる。その視線は私の背後に向けられていた。少し離れた場所で待機していた侍従も警戒するが、やって来た人物に困惑の表情を浮かべた。



 どうやら、とうとうこの日が来たようだ。



「アイリスフィア=ルーシェ・フォンティーヌ公爵令嬢。少し良いだろうか」

 

 自分のフルネームを呼ばれる度に長いな、と思う。これが完全な現実逃避なのは間違いない。遂に恐れていた人物が来てしまった。  

 物言いたげな婚約者様を微笑で制し、椅子から立ち上がる。声をかけた人物が誰かは分かる。口にはしないがこの状況に水を差すなんてとんだ非常識だ。どういう神経をしているのだろう。異邦人の非常識から良くない影響を存分に受けたようだ。良いだろうかも何もこの状況が見えてないのだろうか。その目は節穴? 節穴なのねそうなのね?


「ご機嫌麗しゅう、ティハルト殿下。わたくしはこの通り婚約者同士の親交を深めているところですが、第一王子ともあろうお方がこんな所まで何のご用でしょうか?」

「……いや、今日はアイリスフィア嬢に話があって来た次第だ」

「まあ、殿下に名を呼ばれるなど恐れ多いですわ。それで、お話とは何でございましょう?」


 苛立ちで勢い良く言った後で、これは不敬罪に問われないだろうかと心配になる。今の第一王子(攻略キャラ)ならやりかねない。何故なら、婚約者がいる身でありながら他の女に陥落して、浮気相手に言われるがまま冤罪を被せたのだから。

 流石ヒロインの為の人材。考えなしも程々にしてほしいわ。それに加えてマナー違反。これ以上印象が下回ることなんて無いと思っていたのにゼロ地点を突き破るとか地獄だろうか。

 暗に『不作法な上に馴れ馴れしく呼ぶな』とアルカイックスマイルに嫌味を乗せて伝えれば、頬を引き攣らせたものの、話を進めることにしたようだ。


「フォンティーヌ公爵令嬢、貴女と二人で話がしたい。なので場所を変えるか、ジークヴァルトには席を外してもらいたいのだが」

「恐れながら、それは出来ませんわ。婚約者のいる身で他の殿方と二人きりなど、例え殿下のご命令でも致しかねます。わたくしに責があると見なされますので」

「責任は私が取る。それで良いだろう」


 浮気の責任を押し付けた癖によく言ったものだわ。そう言えば上手く事が運ぶと思っているのだとしたら救いようがない。良くねえよ、と言ってしまいそうになるのを笑顔で耐える。


「それでも何かあった場合、彼女に責任があることには変わりませんよ。それに、後で殿下に余計な誤解がついてしまってはいけません。ですので、私が少し離れた場所で待機致しましょう」


 いつの間にか隣に来ていたらしい婚約者様が私の肩を抱く。あの、王子様スマイルを浮かべながら不機嫌さを振り撒くの止めてもらえませんか。


「ジークヴァルト、お前には関係ない。余計な口出しをするな」

「殿下、私は彼女の婚約者ですから関係ないなんてことありませんよ」

「ふっ。婚約者、ね」


 この二人は相性が悪い。混ぜるな危険。お子ちゃまな第一王子が一方的に目の敵にしているのに過ぎない。物心つく前から比較され続けた上に、自分より優秀。それでも努力するも、一勝どころか相手は常に数歩先を行くばかりで少しも追いつけやしない。それが何度も続けば、第一王子の闘争心が劣等感に、惨めな思いが敵意へと変わるのに時間はかからなかった。


 ――というのが乙女ゲームの設定と私の飼い猫―私専属の諜報活動部隊である―に集めさせた情報を踏まえての見立てだ。強気な口調や態度は日頃の重圧や焦燥を隠すため。


 ゲームでは、己の能力の至らなさに苦しんでいた殿下はヒロインと出会ったことで彼女の前向きな姿やひたむきさに触れ、次第に彼女を気にかけるようになる。そして、突然知らない世界に放り込まれても自分に出来ることを精一杯励み周りを変えていくヒロインに感化され、次期国王という重責に向き合うことを決意し努力に努力を重ねるのだ。

 その末に劣等感を払拭し、最後にはヒロインと結ばれてめでたしめでたし――というストーリーだったのだが。


 この様子を見るに劣等感を克服出来たようには思えない。寧ろ、拗らせまくっている。

 それからこのシナリオ、腑に落ちない部分が多々あった。そうでなくとも『今作一のご都合主義』と評判のゲームだったから突っ込んでも仕方ないのかもしれない。ヒロイン、離宮に封じられていた魔法陣の誤作動で現代日本から飛ばされてきた設定なのに、元の世界に帰るエンディング無かったわね、そういえば。

 おっと、話が脱線してしまったわ。そういう訳で、殿下にとって我が婚約者様は嫉妬と劣等感の対象。変に突っかかる前に話を終わらせましょう。


「お話というのは火急、それも(まつりごと)に関わる件でしょうか?」

「ああ、その通りだ」


 こう、躊躇いもなく言い切るところが愚かだわ。少し前までは何とか取り繕えていましたのに。


「承知致しました。政治が関係するお話でしたら、父の同席が必要ですわね。わたくしが父に取り次ぎますので日程のほどを決めましょう。ご都合の良い日時をお教えくださいませ」

「……いや、公爵の同席は必要ない。これは私から君への個人的な用件だ」

 

 噓を仰い。父が苦手なだけでしょう。どちらにせよ親の同席なしでだなんてありえないわ。


「でしたら尚更承知致しかねます。政に関わるお話であることに変わりはないのでしょう? いくらわたくし個人への用件とは言えど、そこに政治が含まれるのであれば、それは家同士の問題である他ありませんし、わたくしの一存で決断することは許されておりません。ですので、通常は父である公爵に同席していただいて判断を仰ぐのがこの場合での正しい手順であるのですが――殿下がそれをご存じないなんてこと……ございませんわよね?」


 丁寧に二人きりで話せない理由を話した上で遠回しに『常識も弁えられないのか』という非難を混ぜ込んで言えば、案の定睨んできた。精神年齢が幼いから皮肉の一つも流せないのよね。ますます婚約を回避して良かった。


「そんなこと知っている! こちらにはそのように面倒な手順を踏んでいる暇などないからこうしてわざわざ足を運んだに過ぎん!」


 なら、尚のこと貴族のマナーに則ってもらえませんか。私の父や父王陛下の耳に入ったら、とか考えられないのかしら。無理ね。


「もう良い! 用件を言わせてもらう。アイリスフィア=ルーシェ・フォンティーヌ公爵令嬢、メルシエ公爵子息との婚約を解消して第一王子である私と婚約してもらう。この決定に拒否権はない」


 やっぱり。でも、こちらの作戦に変更はない。


「お断り致します」

「何だと? 拒否権などないと――」

「あります。先ず〝決定〟と仰いましたが、それは殿下がご勝手に決められたことであって両陛下と貴族院からの許諾は出ていないのでしょう? それに、了承する理由がございません。わたくしとジークヴァルト様の婚約はこの国の織物産業を盤石にする為に結ばれたものであることはご存じなはず。婚約解消時の損失を考えれば明確でしょう?」


 私達の婚約は上記でも述べたようにごりごりの政略だ。我がフォンティーヌ公爵領では綿花の栽培が盛んで、その綿から紡いだ糸と豊かな植物による染色加工品が特産。逆にメルシエ公爵領では交易によって発達した独自の機織り技術が強み。上質な布は上質な衣服となる。

 この二つの家が協力すれば質の高い服を安価な価格で国民に提供することが可能。そこに関してはまだ試作段階だが、服飾に関する我が国の認識は変わりつつあるので長期的な利益は充分に見込める。

 既に貴族向けに従来にない型のドレスを販売してみたが結果は上々。上は王族、下は平民までファッション分野で世を席巻するという私の夢から結ばれた婚約なのだ。父やメルシエ公爵には産業発展と経済の活発化のためと理由付けしているが、私の思惑はこれに尽きる。最終的な目標としてはお洒落国家として世界に君臨するのだ。野望は大きいほうが良い。

 既に取引としては纏まっている。何より、王妃陛下にはお話ししてある。お洒落が大好きな王妃様は大層喜んで婚約を後押しなさってくれた。国家プロジェクトでもあるこの婚約を誰が潰すことが出来ようか。


「その損失分とこれまでかかった出資額は私個人から出す。それで文句はないだろう」

「殿下、それは些か無理があります」

「ジークヴァルト、だから貴様は黙っていろと」

「いえ、殿下はどうもご理解出来ていらっしゃらないようですので僭越ながら説明いたします。この婚約は、単に両家だけの話ではありません。推し進めている事業に関わる貴族、職人、労働者を含めた数百人単位の人間が関わっております。この婚約が破棄となれば、当然事業や出資は取り止めとなり、両家のみならず領民を含め関わった全ての人間に多大な被害が及ぶでしょう」


 付け足すと、これには数年前の水害によって職を失った領民に対する雇用も含まれている。婚約が無くなれば計画は無に返り、その被害は平民ほど大きい。しかも、国の経済に関わる域まで計画されているからそう簡単に覆すことは不可能。


 婚約者様が殿下に懇切丁寧に婚約の意味するところを説明してくれている間に、侍従から受け取った紙とペンに見込まれる利益と婚約が履行されなかった場合の損失額の見積もりを書き出す。おおよその額を提示すれば、名ばかり殿下が絶句した。

 そう簡単に支払える金額ではございませんものね。それに殿下はヒロイン様に相当貢いでいらっしゃるようですし?

 話は終わりだとカーテシーでその意を示すが、そう簡単に引き下がってくれないようだ。


「だが! 君は旧王家の出身だ。その血を引く令嬢が王家に嫁ぐのは道理だろう」

「あら、殿下も冗談を仰るのですね」

「冗談、だと?」

「わたくし、色事に現を抜かすような方にお付き合いするような趣味は生憎と持ち合わせていませんの」


 少し前の婚約破棄イベントから情報収集は怠っていない。元婚約者の侯爵令嬢を蔑ろにした挙げ句、つまらない言いがかりで他の攻略対象者(愛人候補)と共に寄ってたかって断罪してくれた。

 自由参加のパーティーという教授方(報告役)も対抗派閥もいない、自身にとって最高に都合の良い場でマウントを取った点が小賢しい。


 この考えなしは侯爵令嬢からの自主的な婚約破棄を促したらしいが、王族付きの連絡役により、生徒の親より先に国王に知られることになった。

 そして、それから少しもしないうちに殿下と侯爵令嬢との婚約が白紙に戻されたのだ。余談だが第一王子(バカ)が有責なのは明らかなので、侯爵令嬢には一切の瑕疵は付かず、断罪時も論破した上にこれまでの鬱憤を晴らせて清々したと本人からのコメントだ。諸事情によりその場面に居合わせていなかったことが悔やまれる。


 で、ここからは推測でしかないが、殿下は陛下から大目玉を喰らった上に想い人と婚約することも許されなかったに違いない。王位継承権も危ないと言われたかもしれない。さらにさらに、その意中の少女とはまだしっかりとした関係を確立した状態ではなく、周りには同じ様に彼女を狙う男ばかりときた。このままでは王になって愛しい少女と一緒になることは叶わないどころか、他の男に掻っ攫われてしまう。自分だってすぐにでも別の婚約者を宛がわれてしまうだろう。

 追い詰められた殿下は足りない頭で考えたのだろう。王位を返上せずに愛しい少女と結ばれるにはどうしたら良いのかと。

 その方法が、有力貴族の令嬢と結婚した後に愛妾として迎え入れるっていうのだから開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 この国では国王以外は一夫一妻制。だが、国王だけに認められているその特権さえ結婚後数年内に世継ぎに恵まれなかった場合にのみと決められている。

 どれだけ非常識且つ最低なことを画策しているのかお分かりいただけただろう。要はマルセル侯爵家に代わる強い後ろ盾を得て、王位も女も手に入れると言っているのだこの男は。ついでに面倒な仕事を押し付けようとしている魂胆も透けて見える。


 この不愉快極まりない思惑が見え見えの婚約をいくら王子からの申し込みだとしても誰が受けるだろうか。

 侯爵令嬢との婚約が解消されてから直ぐに殿下は上記の条件に当てはまる家に婚約を申し込んだ。まあ、結果はお察しの通り。通常なら断ることは出来ないけれど、突如発表された、侯爵令嬢との婚約白紙の件で何かしらの事情を感じ取った家々が申し入れを拒んだのだ。メイアからの報告とあわせると、既に婚約者がいる令嬢に権力を使って強要するほど切羽詰まっているらしい。 

 察するに、頼みの綱であったメイシャール辺境伯家には断られたのだろう。それで恥を忍んで渋々こちらに来たと。


「幼少から婚約してきたマルセル侯爵令嬢に手酷い仕打ちをしてまで貫いた『真実の愛』とやらはもうよろしいの? それとも、ご自分の愚かさに漸くお気づきになったのかしら? どちらにしても最低ですけれど」

「ふざけたことを抜かすな! 貴様らと違って俺とアリスは愛し合っている!」


 思い出した。『結城有栖』がヒロインのデフォルト名。どうでも良いが。

 感情を取り繕えない上に自分のことを棚に上げないでほしいものだわ。その彼女と言えば、皆大好きお友達路線どころか、元気につまみ食いなさっているのだけど気づかないのかしら?

 それにしてもこの王子はゲームとの乖離が激しい。今だって堂々と不倫宣言をしたようなものですし。ここまで愚かだっただろうか。 

 まあ、ヒロインの方がよっぽど派手にやらかしてくれている。そのお陰で問題児が浮き彫りになって処理が進めやすいので助かってはいますけど。……こいつも早く左遷されないかしら。


「でしたら尚のことわたくしに婚約を申し込むのはおかしな話ですわ。その女性と結ばれたいのなら然るべき手順を踏めばよろしいでしょう。殿下の申し出はわたくしだけでなく相手の女性に対しても不誠実でしてよ」

「だからこうして婚約を申し込みに来たのだろう」

「……申し訳ございませんが、仰っている意味が分かりかねます」

「アリスは貴族社会の慣習に慣れておらんし、騙し合いや探り合いも純真な彼女には不要だ。だからそれに長けている令嬢が彼女をサポートするのは当然だろう」

「……は?」


 ――何を言っているのだろう、この王子(バカ)は。


 思わず漏れた声を扇子で口元を隠すことで誤魔化す。流石に頬が引き攣った。言いたいことがありすぎて言葉に詰まる。ああ、手早くお断りして逃げるべきだった。メイア、情報に齟齬があったわ。


 なんなの? ヒロインでは妃が務まらないって言われたから後ろ盾の令嬢に押し付けようって? どこまで馬鹿にすれば気が済むの? ゲームでも現実でも都合の悪いことは全部押し付けられて……って冗談じゃないわ!

 信じられない。この国では何の地位も持たない上に、異世界人の小娘を(ありえないが)正妃に据え、公爵令嬢を側妃にするとのたまっているのだ、この男は。

 流石はプレイヤーから『声優陣の無駄遣い、キャラデザと声でものを言わせた乙女ゲー』と言われただけはある。本当にその通りだ。顔と声しか取り柄がない。


「──はは、本当に殿下は冗談がお上手でいらっしゃる」


 はっとして首を動かすと婚約者様がそれはそれは良い笑顔――よく見ると目が笑ってない――を浮かべていた。


「はっ、これが冗談だと?」

「ええ、そうでなければ我が婚約者、ひいてはこの国の全貴族に対する侮辱でしかないですよ。兎に角、この話は承知しかねます」

「ふん、ちっぽけな利益の為に結ばれた婚約より、王家に入り国に尽くす方が本望だとは思わないか?」

「…………」


 流石の婚約者様も口を閉ざしてしまった。かく言う私は頭痛が痛い。この阿呆は最早天才だわ。どうして殺気に満ちている人の前でそこまで言えるのかしら? 愛? 愛なの? ヒロインに出会ってから箍が外れているとは思っていたけれど、ここまでとは思わなかったわ。


「……ティハルト殿下のお考え、よく理解いたしました。ですが、この件に関してはやはりわたくしの一存では決めかねます。ですので、一度父である公爵に相談させていただきますわ」

 

 嘘です。一言一句全部陛下と父に報告します。

 穏便に辞そうとするも、逃がさないとでも言うように腕を掴まれ睨みつけられた。言うまでもなくマナー違反であり、婚約者を持つ令嬢に対する無礼である。場合によっては令嬢側の尊厳を傷つけかねない行為だということを、この王子は理解さえしてないのだろう。


「次期王の申し出を聞けないと? 両家の事業などそちらで勝手にやれば良いだろう。貴族であるなら責務を果たせ」

「ご冗談もほどほどになさってください。殿下はまだ立太子すらなさってないではありませんか」


 あえて嫌味たらしく言って目を見開いたぼんくらの腕を扇子で思い切り叩く。不敬だとか騒いでいたが、婚約者様が笑顔で黙らせてくださった。


 ――そろそろ止めを刺しましょうか。


「『真実の愛』を貫きたいのでしょう? わたくしではお役に立てそうにない、と申し上げたのです」

「貴様、こちらが下手に出ていれば馬鹿にして……!」

「何でしたかしら……。『鴉のような髪に目の色が左右違うなど気味が悪い。アレが婚約者でなくて良かった』だったでしょうか?」

「なっ、そ、それをどこで! い、いや、違っ、」

「わたくしの見目は殿下に大変苦痛を強いてしまうようで……。お傍に、ましてや婚約者などとてもわたくしでは務まりませんわ。大変申し訳なく思っております」


 これはまだ前世を思い出してもやもやしていた幼き頃、殿下との初顔合わせの際に()()耳にしたから間違いない。口調もそれっぽくしたが中々似ているのでは。これ以外にも得体の知れないだとか愛想がなくて詰まらないだとか、ジークヴァルト共々癪に障るだとか……殿下の発言を一から述べてみる。その度に殿下の顔が赤くなったり青くなったりしているのも、私の肩に置かれている手が震えていることも知ったことではない。


 全て言い終わったところでいち早く立ち直った婚約者様が私の腰に手を添える。


「殿下にとって彼女は至らない点が多々あるようです。殿下が女性に対して大変礼節を欠いてしまっているように、ね」

「な、なんだとっ!」

「これでは首尾よく婚約を結べたとしても互いに良くない。この話と彼女への無礼は聞かなかったことにしますので、それでよろしいですね」

 

 この人のことを言えた義理ではないが、彼も自国の王子に対して大分容赦がないと思うの。そしていつの間にか彼の侍従が音もなくテーブルの茶器や道具を片付けていた。主人が有能なら侍従も、ということかしら。

 殿下はと言えば、引き下がれば良いものを果敢に食い下がった。無謀とも言う。


「先ほどから王族に向かって不敬だぞ! 所詮は利益だけの卑しい関係しか築けないお前らに私の考えは理解出来ないだろうがな!」

「ええ。王族としての立場も義務も忘れ、権利だけは主張し、その上公衆の面前で女性を詰るような紳士の風上にも置けない方のお考えに理解が及ばず申し訳ございません」

「ふっ」


 慌てて下を向く。純度100%の嫌味に今度はこちらが笑ってしまいそうになった。


「それだけじゃない。差別は良くないと言いながら自分は王族の権威で押し通す。狭い視野で善悪を判断し、正義とばかりに糾弾を行う。碌に話を聞こうともしないで言いがかりで婚約者を詰る……。挙げればキリがないが、極めつけには婚約者のいる令嬢、それも公爵家の彼女を側妃にする。……彼女に全てを押しつけようとは、王族のすることとは思えませんね」

「貴様、どこまで愚弄すれば!」

「ティハルト、君は政略を『親の言いなり』と嫌悪するばかりで何も分かっていないようだね。私たち貴族には責務がある。それを理解し、国に尽くしてくれる領民のために益のある関係を結ぶことでこの国は発展してきた。それに、政略結婚の多くが互いを理解し、尊重するように努力している。これは決して言いなりでも卑しくもない。そんなことも理解していない人間は為政者としては失格だな」

「なんだと! 王族に意見など何様のつもりだ! 貴様らなぞ互いに情の一つも無い癖に!」


 何もかも敵わない彼の唯一の瑕とも言えるのが婚約者(わたくし)との仲と囁かれている。当然殿下が優越感を持つはずだ。だから事あるごとに私たち二人の仲を持ち出すし、仲間内であれこれ言ってるのは知っている。今だって不仲を理由に婚約の解消を求めていますし。

 逆に言うと、これ以外で殿下が勝てる部分など無い。プライドが高いだけの劣等感の塊。これではどうしようもないではないか。

 隣の彼が小さくため息をつき、憐憫の眼差しを送る。


「真偽不明の噂でしか物事を判断出来なくなってしまったようで残念だ。でも、感謝しているよ。子どもじみた言い訳で駄々をこねてくれたお陰で、私は誰もが羨むフォンティーヌの姫と婚約出来たからね」

「くっ……!」


 はい、今日も我が婚約者殿に敗北、と。獅子とチワワじゃあしょうがないわね。


「言わせておけば調子に乗って! 貴様など国家の飼い犬の分際で――」

「――それよりも殿下、一つよろしいでしょうか?」


 さて、随分と言わせてしまったことだし、ここらで殿下唯一の優越感を叩き割ってお茶会はお開きにいたしましょうか。


「公爵家はおろか全ての貴族令嬢を侮辱してまでご一緒になられたい女性のことなのですけれど、その彼女からこんなものを頂きましたの」


 射殺さんばかりに睨みつけるぼんくらに桃色の封筒を見せる。中身はお茶会の招待状。婚約者様への、ね。


「この他にも少々親しすぎる態度で大変困惑していますの。だけど、ジークヴァルト様は紳士でいらっしゃいますから手酷くお断りするわけにもいかないでしょう? それとも、あちらでは相手のいる殿方にも誤解を招く距離でみっともなく接することが普通なのかしら。確かにとても素敵なお方ですからお茶をご一緒したいお気持ちは理解出来ますけれど」


 何か言いたげな隣を無視し、浮かべていた笑みを消す。


「身の程知らずもほどほどにするようにとお伝えくださる? 元の世界へ帰られた方がお互いの為ですわ」

「……確かに受け取った」


 手紙は荒々しくもぎ取られ、敵を見るような目で凄まれた。まあ、これで言いたいことは言えたし種も撒けた。さて、どう芽が出ることやら。


「俺は諦めんぞ。どの道貴様は俺と婚約する定めだ」


 去り際、名ばかり殿下が地を這う声で言ったのが聞こえた。だから、歩みは止めないまま肩越しに振り返る。


「ええ。出来ると良いですわね。出来るものなら、ですけれど」




 ♢ ♦ ♢ ♦



 

 アカデミーの寮は男女別だが、建物中央部分には共同のスペースが幾つか設けられている。談話室の他にアカデミー側の配慮で婚約者同士で利用出来る小サロンや予約制の特別室、所謂VIPルームなんかもある。

 夕食後、私はそのVIPルームに居た。数室あるVIPルームの中でも、特に人気で数ヶ月は予約待ち必至とされているその部屋からは、感嘆を通り越してここへ来るよう指示した人物からの圧を感じられる程だった。

 余談だが、食堂を出るときに身分別に分かれているにも関わらず、高位貴族専用の席に場違いな綿毛が当然のように座っていたとか知らない。こちらに向かう途中で頭も振る舞いも軽そうな栗毛を見かけたとか無かった。婚約者によく似た男に付き纏っていたとか見てないから。全力で見て見ぬふりしたとかそんな事実はない。


「先ほどのと合わせて、今日の殿下からの〝ご相談〟もお父様に報告すべきね。それから――」


 意外と筆まめな父への返信をしたためながら今後の動きを考える。父なら直ぐに裏取りをして陛下経由で殿下に制裁を下すだろうが……愚弟はどうしたものか。何せまだグレーだし、家族の情がないわけでもない。例え一滴たりとも血が繋がっていない疑いがあるとしてもだ。

 余計な情報を漏らさないように気をつけるのは必須だろう。それから、引き続きあちらを監視しなければならない。

 何せ殿下を始め、骨抜きにされた殿方の情報漏洩が凄い。それを考えると恋愛ゲームのヒロインは皆凄腕のスパイなのかもしれない――。と、そこまで考えて手を止める。

 

「――ジークヴァルト様、そろそろ拘束を解いてくださいませんか? わたくしが入室してからずっとこれでは困ってしまいます」

「……」

 

 態々この時間にこんな部屋にまで呼び出した張本人に苦言を呈すも反応は無い。ソファーに座る背後から抱きしめるように回された腕の力が強まっただけだった。ブレたら書き直さなければならないのだからやめてほしい。抗議の意味を込めて腕に自分の手を重ねれば、返ってきたのは疲労を煮詰めたかのような溜息。


「何なんだ、あいつらは……」


 あらあら、いつもの優雅な王子様が何処かへお散歩してしまってよ。


「彼女の前では『蒼の騎士様』も形なしのようですわね」

「僕の婚約者は薄情だね。他の女性に言い寄られているというのに嫉妬どころか手助けの一つもしてくれないんだから」

「あらまあ、余程お疲れなのね」


 問題児&歩く非常識に絡まれたことには多少悪いなと思っているので、労いの意味も込めてお茶を用意しようと立ち上がる。こちらの意見関係なしにベタベタと纏わりつかれれば、不快感を露にせずにはいられないだろう。その上、当たり障りない言葉で拒絶しても文字通り住む世界が違う彼女が引き下がるわけもなく。追い打ちとばかりに婚約者を捨てて『真実の愛(笑)』に目覚めた騎士気取りの親衛隊に責められればストレスも溜まる。


「わたくしが何か言ったところで収まるような方たちではないでしょう。彼女は何を言おうがお構いなしですし、その周りの彼らは彼女にご執心のようですので。寧ろ、更に角が立つだけでは?」

「……君は、婚約者があんな風に言い寄られても気にならないのか?」


 なるほど、呼び出した理由はこれか。


「それこそ今更でしょう? 彼女に限らず貴方に憧れる女生徒はごまんといらっしゃいますわ。アカデミーという唯一お会い出来る機会を利用してお近づきになりたいと思う気持ちを邪魔してしまう訳にはいけません」

「だからと言って限度があるだろう。アレはルール違反にも程がある」

「ええ、彼女には困ったものですわ。自分の振る舞いを省みないばかりか、親切に貴族社会のルールをお教えになった方々を悪し様に責め立てるばかりで聞く耳を持ってくださらないの」


 突如この世界に迷い込んだ異世界人(ヒロイン)が国の保護対象として王宮への滞在と、元の世界への帰還の目途が立つまでアカデミーで学ぶことが決まったのが約半年前の話。

 異世界からの少女という珍しさと彼女の天真爛漫さに、高位貴族の令息達が次々と陥落するのに時間はかからなかった。 

 今では彼女のやることなすこと全肯定は当たり前。少しでも注意をしようものならその人物に対し信奉者を使って攻撃するなど、手のつけようがない。

 そして彼らの最も理解不能な点は、自分たちの婚約者がヒロインとの仲に嫉妬していると思い込んでいるところだ。そんな訳で現在、あのぼんくら第一王子を筆頭とした結城有栖(ヒロイン)の信奉者達とその婚約者のご令嬢との間で諍いが起こっている。

 貴族社会では規律を著しく乱す存在が出た場合、身分が最上位の者が諌めなければならないという暗黙のルールがある。それは教育機関とは言え、貴族社会の縮図でもあるアカデミーでも適用される。

 少し前までこの役目は第一王子(大馬鹿者)の婚約者であったマルセル侯爵令嬢が行っていたが、その彼女がこの騒動を受け階級のトップから降りた今、自動的に筆頭公爵家である私が担わなければならない。高位貴族は面倒事ばかりで困ってしまう。

 この場に二人だけの所為か、向かいのソファーにどさりと腰を下ろした彼が乱暴に髪をかきあげる。


「そもそも、いつまで君と不仲でいなければいけないんだ?」

「まあ、そんなことを気にしてらしたの?」


 不満そうな蒼が笑い事ではないとばかりに向けられ、苦笑交じりに二人分のカップにお茶を注ぐ。カモミールの香りが部屋いっぱいに広がった。


「個人的な見解として、問題の彼女に限らず他の令嬢にまで付き纏われるのは、婚約者である君との仲が非常に冷え切っているなどというふざけた噂の所為のように思えるのだけど?」

「皆様噂好きでございますから。特に人は事実より自分に都合の良いことを受け入れたがるもの。わたくしたちが不仲の方が皆様にとって都合が良いということでしょう」

「……アイリスフィア」

「冗談です。拗ねないでくださいな」


 ここで間違っても噂を気にしたところでしょうがないということは言ってはいけない。拗ねて大変なことになるから。しかしながら、他人行儀に接していた自覚はあるので、噂やそれを鵜吞みにする輩がいることには私にも原因がある。


「件の彼女に関しては、わたくし達が仲睦まじくしようがしまいが態度は変わらないと思いましてよ」

「ありえないな。何を考えているんだ?」


 この世の男は自分のものとでも思っているのでは? 思い通りにならないことは存在しないと認識している節が彼女にはある。それが私と同じ転生者故の思考なのか、それとも純粋に彼女の性格故なのか判断がつかない。どちらでも構わないが。

 

 ――淑女のマナーからはかなり違反するけど、他に人も居ないし良いだろう。


 私は立ち上がって彼の膝の上に座った。首に腕も回す。すると、面白いまでに動揺し始めた。


「ア、アイリ? いきなり何を」

「口調が崩れていましてよ? いえ、普段婚約者らしい振る舞いをしなかった所為で噂が一人歩きして要らぬご苦労をお掛けしてしまったようですので、お詫びになればと」

「君の気持ちは大変嬉しいよ。嬉しいけれど、僕がお義父上と義兄上から殺される未来しか見えない」

「ふふ、どうやらわたくしとジークヴァルト様の仲が冷え切っているとアカデミーでは定着しているようですので。これを機に皆様に見せつけましょうか?」

「……そう来たか」


 揶揄っているだろう、と苦い顔で言われたので大人しく隣に座り直す。


「ティハルト殿下はどのような処罰を受けるのでしょうか?」

「王族とは言え、いや、だからこそか。これまでに関わった子息を含め甘い処分にはならないそうだ。父によると、両陛下のお怒りは相当なものらしい。何せ、自分の息子が率先して国を混乱に陥れているからね」


 第一王子であるのに関わらず、勉学からは逃げ、側近からの諫言を聞こうとしないばかりか彼らを遠ざけ、自分に都合の良い人間だけを傍に置いてますものね。それだけに飽き足らず、婚約者を蔑ろにして素性の分からない女に入れ込む、権力を振りかざしてアカデミーの生徒や教師に圧力をかける。挙句の果てにこの間の婚約破棄騒動と、本日の一件である。


「では、殿下があのような要求を押し通す可能性は無くなるのですね」

「それどころか、この度めでたく陛下が推し進めている政策の最初の対象となることが決まったよ」

「あら、それは……」

 

 前世を思い出してから悩まされてきた破滅フラグを回避出来たことへの喜びも束の間、もしや本題はこの話だろうかと真剣さを帯びた声につられて居ずまいを正した。

 名君と名高い陛下が今後展開する政策の一つに、貴族の持つ権力の削減がある。我が国は長い歴史がある分、貴族の家が非常に多く、そして汚職や腐敗が腫瘍となってこの国を蝕んでいる。貴族の腐敗はその下にいる民を圧迫し、国力が低下する。そうなれば諸外国に隙を与え、あっという間にこの国は滅びてしまうだろう。そんな事態を防ぐ仕組みを作ることを陛下はお考えになっている。誠実な人間が正当に評価されること、そんな当たり前こそが陛下の悲願だった。

 ともすれば殆どの貴族の反発にあいかねない施策だが、陛下の意志は固く、その為に数年前から用意周到に準備されてきた。

 その準備には、私たち二人も関わっている。


「そこで陛下からの勅命だ。僕たちは今まで通りティハルトたちの動向を監視しつつ、彼らの裏で動いている家門を明らかにせよ、とのことだよ」

「いよいよですわね。殿下方を隠れ蓑に不正を行っている家はほとんどわかっております。あとは貴族院で可決されるかどうかですが……」

「それに関してもお歴々は認めるだろうと父上が。彼らが派手にやってくれたお陰だと」

「放蕩な貴族の方々にはさぞいい傀儡として映ったでしょうね。これでこの国の膿が全て吐き出されれば良いのですけれど……。それにしても、新たな政策の一番初めの対象がご自身の息子だなんて、陛下もさぞお辛いでしょうね」


 ――新たに生まれ変わるこの国の礎を確固たるものにしてほしい。そう陛下から直々に頼まれたのは、アカデミーに入学する前のことだった。曰く、摘発される対象の多くは政治経済の中枢を担っている貴族、彼らが失脚すれば癌がなくなるが新たな混乱を呼ぶ。そうならない為に彼らの穴を埋める優秀な人材が必要なのだ、と。

 それからは忙しかった。アカデミーで今まで通りの交友関係と情報収集をこなしつつ、それまで関わりの少なかった地方貴族の子女や、特待生として入学した平民の方々とも交流を深めてその人柄や能力を見極めたり。優秀な方々を各界の重鎮に紹介したり、彼らが卒業後に貴賤関係なく中央の官吏に登用されるよう根回ししたり、違法行為に手を染めている疑いのある家に探りを入れたり……等々やることが山のようにあった。その忙しさは、婚約者との間柄を『婚約破棄まで秒読みだ』と周りに認識されてしまうほどに。

 実際の仲は……まあ、逃がさないとばかりににこにこと腰を抱き寄せられているこの状態をどう解釈するかはお任せする。


「陛下はとうにお心を決めていらっしゃる。現にマルセル侯爵令嬢との件で王宮に連れ戻さずに野放しにしているのがその証拠だろう。ならば、僕たちはそのお覚悟を汚さぬよう与えられた責務を果たすまでだ」


 自分の子どもを裁かなければならない辛さはどれほどか。そもそも新たな法案も政策も、元はと言えば次期国王となるあのアホの為なのに。本人はと言えば、今や悪徳貴族たちの筆頭となっている。親の心子知らずとはこのこと。両陛下が有力貴族を説得して回り、父と王弟殿下が奔走し私たちがアカデミーで忙殺されている間、自由時間とばかりに羽目を外しまくり他の女に走るボンクラに何度殺意を覚えただろう。それで両陛下に自責の念を負わせているのだからほんとうにどうしようもない。

 私はため息をそっとこぼして、父である王弟殿下からであろう手紙を読み始めた婚約者を見つめる。


「となると、決行は卒業後に王宮で開かれるパーティーでしょうか? 殿下を含めて処罰の対象にあたる方々は成人を迎えていますし、国内の貴族のほとんどが集まる場でもありますから」

「そうだね。ここに父から詳しい内容が書かれているけど、各々の貴族が犯した罪状とその家の子どもが関係しているか確認が取れ次第、細かい処罰を決めて王城内で一網打尽にするって。はは、未来を担う若者たちを祝う席が国を裏切った愚か者どもを裁く場になるなんて誰も思わないだろうね」

「……その日を考えると別の意味で気が重いですが、わたくしたちの役目もあと少しなのですね」


 まだ気は抜けないが、少しは忙しさから解放されるだろう。温くなったハーブティーに口をつけると、そう言えばとジークヴァルト様が思い出したように口を開く。


「あの問題児のお嬢さんには元の世界にお帰りいただくことが決まったよ」


 打って変わって歌いだしそうな口調に恐る恐る顔を上げる。それはそれは清々しい笑顔だった。


「これまで、いや、現在進行形で仕出かしてる所業は本来なら反逆罪で極刑ものなんだけどね。何分この世界の人間ではないし、原因を突き詰めれば魔法陣の管理不足にあるわけだから手荒な真似も出来ない。いやあ、帰還の魔法陣が完成して良かったよ。これで宮廷魔術師たちの苦労も報われるというものだ。あ、殿下の恋は実らなくて残念だけど」

「そうです、ね……?」


 私はと言えば、思わぬ報告でのヒロインの行く末に困惑する。『乙女ゲーム』ではヒロインが失恋するエンディングはあっても、有り余る問題行動で強制帰還させられる結末はなかった。もっと言えば、この国唯一の王子が国王に見限られることも、『攻略対象』である高位貴族の令息たちに処罰が課せられることも。

 『前世の記憶』と『この世界に酷似したゲーム』を思い出してから様々なことがあり、気づけば状況は『乙女ゲーム』から遠く離れている。なら、あのゲームにおいて『悪役令嬢』と呼ばれていた私は?


「それで、もうすぐ色々と片が付くわけだし、そろそろ僕たちの仲を誤解する周囲に――」


 不意に廊下から複数人の足音と姦しい声が聞こえ、反射的に二人とも口を噤む。誰か、なんて確認せずとも分かる。子どものような足音ときゃらきゃらとした笑い声、それに付随する男たち。それらが完全に過ぎ去るのを待って、二人で顔を見合わせた。あの集団に散々迷惑をかけられた婚約者が皮肉気に口元を歪ませる。


「これから大変だろうね。彼らだけじゃない、貴族社会は多かれ少なかれ打撃を受けるし勢力図も変わる。何よりティハルトが王位を継ぐことは難しくなった」

 

 華々しい未来を約束されていた攻略対象は退場を余儀なくされ、世界の中心だったヒロインは何も手にすることなくエンディングを迎える。まともな脚本と演者のいない舞台は最早続行不可能となり幕が下ろされるだろう。

 けれど、私たちはこれからを考えなければならない。この先も人生は続いていくのだから。

 ティハルト殿下はまず廃嫡から逃れられないだろう。いや、義務から逃げ、己の欲の為に権威を行使し、反意を抱く者たちの傀儡となって自ら混乱を招こうとしたのだから、法に則った処罰も重なって今後の処遇は決して生易しくない。殿下の周りも同様だ。既に各家は降りかかる火の粉から身を守るべく、責任は本人にあると明らかにした上で愚か者たちを切り捨てている。それは弟と継母も同じ。知らぬは本人たちばかりだ。

 この国に王子はティハルト一人。けれど、王家の血を継いでいる者ならば誰にでも継承権はある。現在、ポンコツの次に継承権を持っているのは現国王の弟であらせられる公爵であり……私の婚約者の父君だ。


「わたくしたちも、でしょう? 覚悟を決めなければなりませんね」

「そうだねえ、楽しい学生生活は馬鹿どもの駆除に、無事に排除した次はティハルト(いとこ)の穴埋めときた。全く、これから先も面倒ごとしかなくて嫌になるよ」

「わたくしは愚王に仕えることにならなくて安心していますわ。確かに面倒なお役目ですが、今後は以前よりも王宮の風通しは良くなるでしょうから負担は少なくなると思いましてよ。その為にもあの方々を一掃しましょうね」

「私の婚約者は怖いなぁ」

「あら、ご不満ですか?」

「いや、頼もしい限りだよ。ほんとう、ティハルトが婚約者に君を指名しなくて良かったとね」

「ふふ、それは嬉しいお言葉ですこと」


 軽口を言い合って、微笑む。

 『乙女ゲーム』に該当する期間が始まって早数ヶ月、いくつかシナリオ通りの出来事が起これど、実際はそのままその通りとは言い難く。所詮ゲームはゲームなのだと実感した。

 私は王太子の婚約者にはならなかったし、ヒロインと顔を合わせたことなどない。あのゲームの最大の見せ場であった卒業式での断罪など起こるわけがないし、実現不可能だ。けれど、今日のようなことがまたあるかもしれない。後がない人間の行動ほど恐ろしいものはない。


「ああ、そうだ。さっき言いそびれてしまったことだけど、根も葉もない噂を広めない為にもこれからは一緒に行動しようと思うのだけど。どう?」

「異論はありません。もう別行動する必要もありませんし、よく知りもしない方々にあれこれ邪推されるのにいい加減嫌気が差してきたので。どこかの誰かのように、不仲だから婚約を破棄して自分と愛人に尽くせと言われるかもしれませんし?」

「ははは! さては君も結構頭にきてたんだね? それじゃあ、そうならない為にもこれからもよろしく頼むよ、アイリ」

「ええ。これからもあなたの側であなたを支えますわ、ジーク」



 ――悪役だからと面倒ごとを押し付けようなどと、させないわ。


 悪役令嬢の転生ものではヒロインとその取り巻きが『ざまあ』されるのがお約束だ。彼らには気の毒だけどと微笑んで、不仲と言われている私の王子様に寄り添った。



 この後、懲りもせず側妃にしてやるとポンコツ王子に迫られたり、ヒロインが突撃して来たり、取り巻きたちに言いがかりをつけられたり、と色々あるのだが……それは別の話。

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[良い点] いい余韻を残しつつ先のお話を想像する楽しみも残る良い終わり方をしているところ
[良い点] 読み応えがあった。 香ばしい王族のざまぁみたいー [気になる点] 懲りもせず側室にしてやるとポンコツ王子に迫られたり、ヒロインが突撃して来たり、取り巻きたちに言いがかりをつけられたり、と色…
[一言] 面白かったので苦にはなりませんでしたが、やっぱり2~3話になってたら良かったな、と思いました。
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