5-3.その評価はいただけないな
「せっかく招待されたっちゅうのに、ずいぶんとアレな歓迎やなぁ」
クレアは天井の光を眺めながらボヤいた。
彼女が連れて来られたのはアルブレヒトの研究所だ。店で多大なる抵抗を見せた彼女だったが、やはりBクラス上位からAクラスの探索者複数を相手にして逃げ切るのは困難なミッションだった。
決して非力ではないが多勢に無勢。最終的には力づくで組み伏せられ、手足を縛られ死体のように袋詰にされて研究所の一室に放り込まれて、今はベッドに寝かされている。もっとも、彼女を誘拐した連中は全員顔を腫らしあちこちに引っかき傷や噛み痕を残していて、今頃医務室で治療を受けているはず。それを思い出すと少し彼女も溜飲が下がった。
手足を動かしてみる。四肢のすべてからカチャカチャという金属が擦れる音が鳴った。彼女の手足はすべてベッドに拘束されていて、動かせるのはせいぜいが手首足首くらいだ。
「……さすがにトイレん時は外してくれるんよな?」
「君が暴れなければね」
ベッドの傍らに座って本を読んでいたアルブレヒトが、顔を上げずに答えた。
彼の手にはコーヒーカップ。本を閉じて、湯気が立ち上るそれを口元に運ぶと鼻孔をくすぐるコーヒーの香りに顔をほころばせた。
「人様ンとこから盗んだ豆と器具で淹れたコーヒーは美味いやろ?」
「コーヒーに出自は関係ないからね」
クレアの皮肉をさらっと受け流し、ゆっくりとコーヒーを楽しんでいく。隣に立っているヒュイは僅かに表情を歪ませたが、アルブレヒトに限っては本気で呵責などは感じていないようだった。
「なぁ? なんでウチをさらったん?」
「美味しいコーヒーを好きな時に飲みたかったから、と言ったら怒るかい?」
「豆と道具は、金さえくれればちゃーんと販売したるで?」
「美味しいコーヒーになるには、豆と道具、そしてなによりも誰が淹れるかが重要なんだ」
「あいにくと店でアルブレヒトはんが飲んだんは、ウチやなくてロナっちゅう常連が淹れたんやで?」
「そうなのかい? だとしても僕にはクレア・カーサロッソ、君が必要だ」
「なんや愛の告白みたいやな」
「近いものはあるかもしれないね」
だとしてもいわゆる恋愛感情のようなものを、彼が微塵も懐いて無いことはクレアも分かっている。
なぜならアルブレヒトの瞳が、彼にとってクレアが「物」であることを物語っていたから。
「僕の研究テーマは、高濃度の魔素が及ぼす人体や物質への影響。この間、そう言ったのは覚えてくれてるかい?」
「ぼんやりとやけどな」
「ならもう少し説明しよう。研究の目的は魂の変質をコントロールすることにある」
「魂の……変質?」
「そう」コーヒーで彼は口を湿らせた。「魂というのは不安定でね。詳細は省くけど、高品質の魔晶石から魔素を抽出して、魔導的な処置を加えながら濃縮させる。それを動物――今は人間だね――に投与すると、その生命の本質たる魂が変質するんだ」
「なんや小難しいことやっとるんは分かるわ。それとロクでもない研究やっちゅうこともな」
「その理解で結構。ただロクでもない、という評価はいただけないな」
アルブレヒトがヒュイに向かって手を差し出し、何かを要求する。ヒュイは最初から求められるのが分かっていたのか、無言で腰から短剣を取り出すとアルブレヒトの手に握らせた。
アルブレヒトが立ち上がる。ニコニコとしながら横になっているクレアの傍にやってくると、彼は――無言でベッドに短剣を突き立てた。
かすめたクレアの頬に赤い線が薄く一本走る。かすかに血がにじんだが、クレアは表情を変えずアルブレヒトの目をジッと見て、アルブレヒトはそんな彼女に向かってニッと口端を吊り上げた。
「話を続けよう」彼はヒュイに短剣を返した。「変質した魂はこれまでにない柔軟性を内包するようになるんだ。他者の魂を受け入れ混じり合い、それにより新たな機能を獲得し、予想もつかない変異を得ることもある。ある種、新たな次元へと昇華すると評してもいいかもしれない」
「昇華、ねぇ……」
「しかし、だ。同時に莫大な魔素を濃縮しているからね。本来、一人の人間が持つべき魂の総量を越え、さらには膨大になった魔素を受け入れるには相応の器というものが必要となる」
アルブレヒトはクレアから離れ、壁際に設えられたラックへと向かった。
「聞いてる限りやと当たり前の話やな。ちっさな器にどんだけ中身を注いでも零れ落ちるんは当たり前の話や」
「そう。かと言って、無理やりに器に押し込めようとしても今度は器の方が壊れてしまう。魔素や魂の抽出に濃縮、魂の変質の制御……他の技術的なハードルも十分高かったけれど、未だここに関するハードルをクリアできていなくてね。いろんな魔導的な処置や物理的、化学的な処置を試したし、果てには古の錬金術なんてものも調べたりはしてみたのだけれどね、まだまだ完成度はずっと低い状態なのさ」
「へえ、それで? どうしてウチなんか、まだ質問には応えてもろうてへんで?」
「聡い君だ。もうだいたい想像はついてるんだろう?」
「さあ、どやろな?」
「そらっとぼけても無駄だよ。君にはそれだけ濃厚な魔素と魂に耐えられるだけの『器』が備わっている。数値を図らなくてもなんとなく分かる。君の魂は膨大な魔素を内包して、それでいて壊れていない。
君の魂と器……活用することで研究は飛躍的な進歩を遂げると見てるんだ。内包するその魔素の存在だけでも、調達する手間を考えれば実験もかなりはかどるようになるし、何よりその器を調べることができれば、どうすれば頑丈な器を用意できるか、要件が見えてくるはずだ。最悪、君自身を器に使うこともできるし、まさに僕が待ち望んでいた逸材。素晴らしいめぐり合わせだと言わざるを得ない」
幾分興奮した口調でまくし立てながら、アルブレヒトは作業を開始した。壁の機械から伸びるチューブを別の機械に繋ぎ、コンソールに何かを打ち込んでいく。機械が駆動音を上げて動き始め、内部で何かしらの部品が光を放ち始めたのが見えた。
その光が魔法陣だろうことはクレアも想像がついた。この機械がいかなる機能を持ったものかは知らないが、何かしら魔導科学的な処理を行っているのは間違いない。
「さて、と……まずはキチンと定量的に数字を確認しなければね」
そう言いながらアルブレヒトが朗らかな笑みを浮かべて振り返った。照明がメガネに反射して、彼の顔が不気味に見える。彼の手には注射針が握られていて、少し彼女の顔が強張った。が、それも大きく一度息を吐き出すことで落ち着いた。
拘束されている腕にアルブレヒトの冷たい手が触れる。注射針が腕へと近づいてくるがクレアはそれに殊更抵抗しようともせず、代わりに彼へと問いかけた。
「一つ聞いてええか?」
「何かな?」
「ぼかす意味も無いからハッキリ聞くんやけど、濃縮した魔素と魂をこれまでいろんな人間に突っ込んできたんやろ? その人らはどないなったん?」
「どうなったか、知りたいかい?」
針が血管に差し込まれ、チクリとした痛みが走る。クレアの顔が少し歪んだ。
「古今東西、いつだって何かを得ようとするその道程には代償が必要だ。技術の発展に犠牲はつきもの。やむを得なかったのさ」
機械の駆動音が少し大きくなり、半透明だったチューブが赤い液体で満たされていく。機械のコンソールでランプが点滅し、何かしらの作業が進んでいた。
「ずっとモヤモヤしとったんやけど、アンタが嫌いな理由がやっと分かったわ」
「おや、ひょっとして僕は嫌われてたのかい?」
「本気で気づいとらんかったんなら頭の病院に行って、脳みそにこびりついた黒いもんをキレイキレイしてもらって来いや。ま、でもそういうところやで」
「どういうことだい?」
「アンタ、人を見とらんやろ」
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